モダン・ジャズの知られざる逸話(13)

マイルス・デイヴィス[3


今日はトランペッターの部(13)マイルス・デイヴィス

まぎれもなく、モダン・ジャズ史上最大のトランペッター、マイルス・デイヴィス
演奏の素晴らしさもさることながら、一番のポイントは、
彼が常にジャズと言う音楽を改革し続けていたということでしょう。
一時たりとも同じところに留まることを拒んだその姿勢は、
いつ何時でも未来を見据え、一歩でも先に踏み出すことを考えていました。
マイルスがいたからこそジャズと言う音楽は進化を重ねることができたのです。

また、現在世界中で聴かれている音楽
フュージョン、クロス・オーヴァー、ラップ、ディスコ・・・
これらの音楽は、おそらくマイルスがいなかったら、生まれていません。
この世の中に存在していないのです。
一人の人間の行為がここまで世界を左右してしまう・・・
人間の才能というものは、本当に底なしなんですね。

それほどまでにスゴイ男のステージとはどんなものだったのでしょう?
これまた案の定と言うか・・・数々の伝説に彩られています。
初来日したのは昭和39年、東京オリンピックの年です。
その後、数回の来日を重ねましたが、最も有名なのは1975年の公演です。
そう、「70年代マイルス」の総決算として、
我が国でとんでもない演奏をぶっ放してくれたのです。

1949年、「クールの誕生」で白人に混じり、クール・ジャズを創造したマイルスは、
その舌の根も乾かぬうちに、「ディグ」によりウェスト・コースト・ジャズに一撃を食らわします。
1954年の「ウォーキン」では高らかにハード・バップを宣言したと思ったら、
1959年には「カインド・オブ・ブルー」により、一歩進んだモード・ジャズを提起。
モードにより60年代を駆け抜けたマイルスは、
1968年、「マイルス・イン・ザ・スカイ」により8ビートのジャズを披露
そして1969年には「ビッチェス・ブリュー」により電気的ジャズを完成しました。

その流れで1970年代のマイルスは、それこそ誰も踏み入れたことの無い世界へ
どんどんどんどん進みまくってしまったのです。
そして1975年の日本公演、2月1日の大阪公演は昼夜2部制で行なわれ、
「アガルタ」「パンゲア」という2枚組×2のレコードになりました。

うちの実家の父は、この時のマイルス・デイヴィスの東京公演を聴いています。
マイルスのコンサートには前座はありません。
出を待つのが嫌いだそうで、常に時間通りに登場して来ます。
観客に挨拶するでもなく、お辞儀さえもしない不遜な態度
まるで、「聴きたい奴だけ勝手に聴け、その代わり俺もお前らには気は遣わないからな、
ああ、そうさ、勝手にやらしてもらうぜ」とでも言わんばかりの態度だったそうです。
でもいいんですよ、それで。
だって、それで世界最高級のジャズが聴けるんだったら、お安いもんです。

この時の公演で、父が一番心配したのが、自分の耳だったそうです。
そう、マイルスのコンサートの音は、、、
この世のものとは思えない、大・大・大音響だったからです!
「俺の耳は、壊れるんじゃないだろうか?」
本気でこう思ったほどのすさまじいサウンド!
なんせマイルスは、トランペットの音にも電気を通していましたから!

ロックやポップス界の、レベルの低いバンドによく見られるような
演奏技術の未熟さを隠すための、アンプによる音量増幅とは訳が違います。
そう、まさにまったく違う種類の音なのです。
様々な音が積み重なり、しかもそれがうねるかの如く、
渦となって、聴衆に押し寄せて来るのです!

「アガルタ」のレコードのライナーには次のような一文が添えられています。
「このレコードは住宅事情の許すかぎり、ボリュームを上げて、お聴き下さい。」
「パンゲア」には、次のように書かれています。
「このレコードはあなたの聴覚が麻痺しない範囲まで、ボリュームを上げて、お聴き下さい。」

という訳でジャケットは、「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」
60年代におけるマイルスのバラード演奏の極地と言われたアルバム。
トランペットを手に、何をか思う帝王。