モダン・ジャズの知られざる逸話(17)

キャノンボール・アダレイ[1


今日はアルト・サックスの部(17)キャノンボール・アダレイ

言わずと知れた50年代後半のマイルス・デイヴィス・コンボの一員、
アルト・サックスのジュリアン・”キャノンボール”・アダレイです。
この人は、ジャズ・シーンに突然登場しました。
本当に突然登場したのです。

時は1950年代半ば、
ニューヨークのカフェ・ボヘミアでは熱い演奏が繰り広げられている最中でした。
リーダーは、ベースの重鎮、オスカー・ぺティフォード
そこへ一人のやたら太った若者が飛び入り参加することになったのです。
どんな経緯で参加する運びとなったのかはわかりません。
でも、何でもありのジャズですから、
「おじさんたち、さっきから聴いてても大したことないね。一丁、俺にやらしてくれよ」
とかなんとか、無礼な言葉をキャノンボールが吐いたのかもしれませんね。

渋々飛び入りを認めるぺティフォード。
でも、世間知らずの若者を懲らしめることを、虎視眈々と狙っていたのです。
「へい、ぼうや。じゃあ、このリズムに合わせて、何か吹いてみな!」と言ったかと思うと、
とんでもない速さでウッド・ベースのリズムを刻みだしたんです。
まわりのみんなは失笑モノです。
「あ〜あ、ボスったら。あんな小僧相手にムキにならんでもいいのにな〜」
「可哀想に、あの図体ばかりデカい子供。尻尾を巻いて逃げ出すぞ」

でも、その急速リズムにあっさりと乗ってきたキャノンボールは、
目にも止まらぬ演奏を繰り広げたのです。
キャノンボール・アダレイがジャズ・シーンに誕生した瞬間です。
その登場は極めてセンセーショナルであり、
各レコード会社は一斉に、この無名の若者との契約を急いだそうです。

サヴォイと契約したキャノンボールですが、
周囲の予想に反して、一向に素晴らしいアルバムを作成することができません。
デビュー時のみの一発屋か?
そう思われていた矢先、キャノンボールにとって青天の霹靂のような事件が起こりました。
そう、マイルス・デイヴィスの新コンボのメンバーに抜擢されたのです。
マイルスは見抜いていたんですね。この大食漢の無限の可能性を。

「え?何で俺?」と思う間もなく、話はどんどん進んでいってしまい、
キャノンボールは正式にマイルス・コンボの一員となりました。
そして、それとは別に1958年の春、
キャノンボールはブルーノート・レーベルで、ある1枚のアルバムを録音することになりました。
キャノンボール自身の最高作であるばかりか、
モダン・ジャズ全アルバムの中でも5本の指には確実に入る、
ミラクル級の超名盤「サムシン・エルス」の登場です。

でもこのアルバム、なぜ名盤となったのでしょう?
デビュー間もないのキャノンボールの力だけでは到底なし得ない
強力な力が名盤誕生に一役買ったんです。
あまりにも有名なこの話は、また次回で・・・

ということでジャケットは、
「サムシン・エルス」の半年後、リヴァーサイドに吹き込まれた
キャノンボール・アダレイ世紀の裏名盤
「シングス・アー・ゲッティング・ベター」
ドでかい図体で、アルト・サックスが小さく見える
キャノンボールの爽快な笑顔が印象的です。