モダン・ジャズの知られざる逸話(18)

キャノンボール・アダレイ[2


今日は引き続きアルト・サックスの部(18)キャノンボール・アダレイ

1958年に、キャノンボール・アダレイをリーダーとして、
ブルーノートに吹き込まれた「サムシン・エルス」は、
モダン・ジャズ史上、5本の指には確実に入る名盤となりました。
最も有名な曲はA−1の「枯葉」
「The Fallin’ Leaves〜〜」で始まる
イヴ・モンタン、フランク・シナトラ、ビング・クロスビーらが歌った、あの名曲です。

このアルバム、リーダーはキャノンボール・アダレイ名義ですが、
収録し終わったテープを収納した箱には、
ブルーノートのプロデューサー、アルフレッド・ライオンの手により、
次の文言が書かれているそうです。
「BLP1595 Leader:Miles Davis」

かつて、どうしようもなかったジャンキーのマイルスに
アルフレッド・ライオンはレコーディングの機会を与えました。
またそこで、マイルスとライオンは口約束で契約を結びましたが、
マイルスがプレスティッジと契約したことで、その約束は反故になります。
しかし、義理堅いマイルスは、この時受けた恩、そして約束を忘れてはいなかった。

自分の子飼い、キャノンボールがブルーノートでレコーディングすると知ったマイルスは、
あくまでサイドメンとして参加することを表明します。
世にも珍しい、帝王のサイドメン参加。
そして、実質的なリーダーはマイルスだったものの、
自分の名前を出して、弟子のアルバムに傷が付くことを恐れ、
自分はあくまでも一サイドメンとして通したのです。

洋画の話になりますが・・・
西部劇の王者ジョン・ウェインは、「アラモ」により初の監督を務めることになりますが、
演出面他、あらゆる面において、ウェインをサポートしたのが、
ウェインの師匠でもある、かの有名な「西部劇の神様」ジョン・フォードでした。
「この場面、どう考えてもフォードの演出だろ!」と、ファンならすぐにピンと来る
叙情たっぷりな男の世界を、フォードは「アラモ」の中で演出したのです。
しかし、出来上がったクレジットには、ジョン・フォードの名前は一切無かった。
「助監督」どころか、「協力」のクレジットすら無かったのです。
弟子の初監督映画に傷が付く事を恐れたフォードは、
ほんの少しのクレジットすら拒否したのです。
フォードの気持ちも、マイルスと一緒だったのでしょう。
男ですね、二人とも。

「サムシン・エルス」に関して言えば、
マイルスのソロ抜きには、その存在はまったく語れません。
「枯葉」において、センチメンタルに偏りすぎず、
しかもすすり泣いているかのようにソロを展開したマイルス。
でも、リーダーはキャノンボール・アダレイなのです。

その後、キャノンボールはマイルスのモード完成に多大な貢献をしました。
また、超ド級の名盤を生み出すことで、ライオンに借りを返したマイルスは、
その後、ブルーノートのレコーディングに参加することはありませんでした。
マイルスとキャノンボールの卓越した演奏センス、
キャノンボールを思うマイルスの気持ち、
マイルスに対する、アルフレッド・ライオンの「肌の色を越えた」友情、(※ライオンはドイツ人)
そして何よりも・・・マイルス・デイヴィスの鮮やかすぎる男気
すべてが同一方向にベクトルを指した時、この偉大なる名盤は
生まれるべくして生まれたのでしょう。

ということで、ジャケットは
モダン・ジャズで最もシンプルなジャケットともいえる「サムシン・エルス」
ジャケット上でもマイルスは、一サイドメンとして名を連ねています。
ちなみに画像は、我が家唯一の家宝らしい家宝
実家の父が発売当初に大枚3000円で購入した「サムシン・エルス」のオリジナル輸入盤です。