徒然草27 こんな世間に誰がした 【2007年10月17日】 曲の名前は忘れたが、歌詞が「♪星の流れに身を占って〜」で始まって「♪こんな女に誰がした〜」で終る昔の歌謡曲が、この頃ボクの頭の中にちょいちょい浮かんでくる。 というのも、ひと昔前までは滅多に見聞きすることのなかった「孤独死と餓死」「一家心中」「自殺」「親殺し」「子殺し」などがまるで日常茶飯事のように起こっているからである。ボクは、そういうイヤな事件の報道が耳目に達するたびに「♪こんな世間に誰がした〜」と口ずさんでいる。 それで今回、ボクはヒマに任せて、明治の初頭に欧米から来日した宣教師たちが口を揃えて「この国の人々ほど礼儀正しく心優しい民族は他に類を見ない」と感嘆した日本というボクたちの国がどうしてこんな風になってしまったのかを考えてみた。 太平の二百数十年を明治維新によって大転換した日本は、欧米列強に「追いつけ、追い越せ」と富国強兵策を推進し、日清戦争と日露戦争で連勝した。そして、奢り昂ぶった軍部は皇国思想と大東亜共栄圏なる妄想にとりつかれ、日韓併合・満州国建国・東南アジア諸国の委任統治などの暴挙を経て太平洋戦争に突入する。 欧米先進諸国による経済封鎖という別の側面もあったが、要は侵略戦争を遂行し、その結果「すってんころり」と高転びに転んで、広島・長崎への原爆投下という大惨事まで招いた。まさに「奢れるもの久しからず」である。 天皇さんが「人間宣言」をした昭和二十年(1945)八月からは、戦争放棄憲法の下で荒廃した国土と経済の復興に全力をそそぎ、アメリカに次いで世界第二位の経済大国にまで登りつめた。が、1980年代にまた奢りが角を出し、バブル経済に浮かれる。 そのバブルが1990年代に入ると弾け、金融機関をはじめ企業も個人も不良債権を山と抱えて日本は借金大国に変貌する。この頃から国の財政は逼迫しはじめ、国債の発行が急増していく。その結果、現在、国の累積債務は773兆円までに膨れ上がっている。その額はGDP(国内総生産)の1.5倍という、空恐ろしい数字である。 にもかかわらず、政治家や官僚たちは自分たちの既得権益を守ろうとするばかりで、口では「財政再建が急務だ」と言っても、その実は何ら効果的な解消策を講じない。 そもそも、景気低迷のあおりで税収が40〜50兆円に落ち込んでいるのに、国の予算(一般会計)は相変わらず80兆円前後を維持し、足りない分は国債という借金でまかなっている。つまり、国自身が「収入に見合う暮らし」をしていないのだ。 国民に範を示すべき政府自体が「足りなきゃ借金して暮らす」姿勢だから、必然、庶民の生活感覚もそうなる。銀行が貸してくれなきゃ消費者金融で借り、そこもダメならヤミ金融へと走る。その結果、家庭を崩壊させ、人生を狂わせる。「やさしい気持ち」や「しなやかな心」や「他人への思いやり」はどこかに影をひそめ、何でもかんでも「金、カネ、かね」になってしまっている。 人々の心はどんどんすさび、精神的な荒廃がすすんでいっている。モラルもマナーもエチケットも、「そんなの関係ねー!」と思っている人間が大きな顔をしている。哀しい時代になったものだ。 企業の方はといえば、会社の利益と株主配当を最優先してリストラを強力に推進した。それを政府が「規制緩和」と「優遇税制」でバックアップしているのだから始末が悪い。特に、人材派遣に関する規制は1999年の森内閣の時に大幅に緩和され、2003年の小泉内閣で全面解禁されて日雇い労働者の派遣まで可能となった。今や巷では、朝早くあちこちのネットカフェをワゴン車で回って労働者を拾っていく光景が珍しくなくなった。 働く人たちを取り巻く環境は、リストラによって正規社員から非正規社員への大量移動がすすみ、企業の収益向上と株式配当アップのために労働分配率は下がり、サラリーマンの平均年収は二十年前に逆戻りした。年収200万円以下のワーキングプアー層が加速度的に増えていっている。まさに庶民受難の時代だ。 その一方で、政治家は相変わらず「カネまみれ」である。 春の国会で抜け穴だらけの政治資金改正法を成立させた自民党は、夏の参議院議員選挙で大敗すると手のひらを返したように「すべての政治団体を対象に1円以上の領収書添付を義務付ける」方向性を示したが、その全面公開にはまだ抵抗を続けている。 その理由が振るっている。「事務が煩雑になるし、政治活動の自由が阻害される恐れがある」という。多くの庶民はその煩雑な事務をこなして税務申告をしているし、誰と何処で会ったかが知れると困るような政治活動に自由は必要ない。 また、官僚の天下りは減る兆しもない。公務員制度改革と称して、政府が公務員専用の人材バンクをつくったものだから、むしろ公然と行われるようになってしまった。しかも天下りの受け皿として数え切れないほどある特殊法人は野放し状態だ。 そして、現在28ある特別会計の予算総額は、一般会計予算80兆円の4.5倍に相当する362兆円もある。そこには一切メスが入っていないから、補助金の垂れ流しで税金がムダ遣いされていく構造に何の変化もない。元財務大臣の「塩ジイ」こと塩川正十郎さんが「親が母屋でお粥をすすっているのに子供は離れですき焼きをつついている」と苦言を呈したが、そんな警鐘は「どこ吹く風?」の「馬耳東風」だ。 ことほど左様に、昭和三十年(1955)の保守合同以来ずっと続いている自民党と中央官庁の癒着関係は清算されないし、公務員の意識も変わらない。だから、「消えた年金記録が五千万件を超える」杜撰な管理と「年金保険料の着服・横領」が横行する。 にもかかわらず庶民に対しては、「恒久的定率減税の廃止」や「控除の見直し」による所得税の実質増税と「三位一体の改革」による住民税アップに加えて、「老人医療費の個人負担増」「年金の高齢者加算の撤廃」「自立支援という美名の下での生活保護打ち切り」「同じく自立支援と称する障害者補助の切捨て」などが次々と行われ、今度は不足する財源を補うために「消費税アップ」を目論んでいる。自分たちの失敗のツケを国民に回すつもりなのだ。 役人というのは、その習性として、予算があればあるだけ使うのが良いことだと思っている。ムダを省き節約して予算を余そうなどとは決して考えない。なぜならば、当年の予算を余すと翌年の予算が減るという恐怖感を持っているからである。自分で汗水流して稼いだことのない人間の発想だ。そこに「足りなきゃ借金」という悪しき習慣が重なったものだから根本的な財政の見直しなんて考えもしない。 役人にとっては、今やっていることはすべて必要不可欠なのである。不要なものが一つでもあれば自分の仕事がなくなるから、わざわざムダな仕事を作って安心したがる。高級官僚を頂点とする役人たちによる行政機構はこうして肥大化していく。 つまり、自分たちさえ良ければ、他人は、国民は、「どうでもいいですよ〜」なのだ。そんな連中を手助けして自分も得をしているのが族議員と呼ばれている自民党の先生たちなのだから呆れる。 呆れたと言えば、安倍前首相にも呆れた。 今年の六月にボクは、このひなたやま徒然草に「どう見ても短命だな」と書いたが、案の定、安倍政権は短命に終った。しかも、安倍さん自身が「♪ある日突然〜」政権を投げ出してしまったのだから、開いた口がふさがらなかった。「体調不良による体力の限界」が理由らしいが分かったものではない。「無責任、ここに極まれり」だ。 政治家も役人も著しく質が低下している。「魚は頭から腐る」というが、国の上層部が腐ってきていることは否めない。つまり、今後は日本という国自体が腐っていく可能性が高いということだ。 「くわばらくわばら」 「堪忍してくださいよ」 「何とかしてちょうだい、誰でもいいから」 「どうかお助けください」と神仏にすがりたくなる。 ボクは、この国にいま最も必要なものは「国家のグランドデザイン」だと思う。 百年後は別として、総人口が一億人を切ると推計されている40年後の「2050年の国の姿」を国民すべてが共有することが「穏やかな心と美しい国土を蘇らせる妙薬」になると信じている。 政治体制は省き、社会環境・経済規模・産業構造・労働システム・セーフティネット・国の財政と個人の平均所得などがより具体的に描かれ、そこに至る十年毎の指標が示されれば、将来への不安は解消する。個人個人の人生設計が可能となる。 だからボクは、そのグランドデザインを本気で作ってくれるのなら、政権担当は自民党でも民主党でも、社民党や共産党だってかまわないと思っている。 [平成十九年十月十七日] |