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【2008年4月23日up】

    徒然草29 真っ当な国に戻そうよ








 バブル経済が崩壊した1990年代初めからこの方、自民党政権はアメリカの構造改革要望に沿う自由競争と市場原理を重視した大幅な規制緩和政策を遂行してきた。

 その結果として生じた「弱肉強食」や「格差拡大」の社会は、互いが人の足を引っ張ったり、(だま)したり、疑ったりする社会である。日本社会が有史以来持ち続けてき美風「和」は、補い合い、助け合い、信じ合うことで生まれる。それが今は失われつつある。多くの日本人が目先の(ぜに)(かね)にしか興味がなくなっているという現実は哀しい。

 また、お金が足りなければ借金で(歳入不足は赤字国債で)(まかな)えばいいんだという悪しき習癖(しゅうへき)を政府自身が示してきたために、庶民の間でも安易に借金をして家庭を崩壊させた例は枚挙(まいきょ)(いとま)がない。
 世はまさに、総無責任、総モラルハザード(倫理の荒廃)の時代だ。政治家は国と国民の利益はそっちのけで自己の既得権益に固執し、中央官庁から都道府県や市区町村に至るまで役人による税金のムダ遣いは止まるところを知らない。そうした実態が、参議院における与野党の勢力逆転によってようやく
白日(はくじつ)の下に晒されてきている。


 歴史を振り返ってみると日本の近代政治は、「自由」と「平等」という相対立する原則のうち、どちらかといえば平等の方に主眼を置いてきた。平等を維持しようとすれば規制を強くする以外に方法はない。それ故、必然的に官僚主導的な社会が出来上がる。この官僚主導を否定せずに、しかも旧来の仕組みを変えずに主眼を自由の方に移せば、社会に(ひずみ)が出てくる。

「自民党をぶっ壊す」とか「改革なくして成長なし」とか、大向こう受けする言葉で民心をつかんだ小泉さんが不用意にこれをやった。自己陶酔型の好き勝手政治を「改革」の名で実践することによって国民に痛みを押し付け、再構築ビジョンがないまま、国の体形をぶっ壊したのである。
 彼が胸を張る道路公団民営化と郵政民営化も、その実は「カタチだけ変わって中身はそのまま」というお粗末なもので、腐敗した官僚制度へのメスは入っていない。一般会計予算約80兆円の数倍ある特別会計予算はいまだに官僚たちの手に握られたままである。

 その小泉政治の置き土産の一つが、この四月から施行された、75歳以上のお年寄りを対象とした新しい医療制度の導入である。

 ついでに挙げておくと、被雇用者健康保険の自己負担割合を1割から2割に上げたのが小泉厚生大臣で、それを3割に上げたのは小泉総理大臣。健康保険から切り離す形で介護保険制度を導入したのも小泉さんであり、「治るのをやめろ」と言わんばかりにリハビリへの保険給付を180日で打ち切りにしたのも、障害者の自立を支援する名目で障害者施設への補助金を削ったのも、小泉さんに他ならない。
 そうそう、『三位一体の改革』とやらも小泉さんだが、地方へ移譲するはずの3兆円を超える財源を半分程度しか渡さないから、住民税は計画当初の増加額を大幅に上回る結果となっている。
 そして、余りの不評にあわてた政府が「長寿医療制度」という誤魔化しの通称をつけた『後期高齢者医療制度』も小泉内閣時の強行採決で成立している。


 新医療制度の仕組みを整理するとおおむね次のようになる。

1)75歳以上の高齢者を対象としているが、障害者や寝たきり老人や人工透析を受けている人たちは65歳から強制的に加入させられる。

2)保険料は「広域連合」と呼ばれる都道府県単位で決められ、厚生労働省の試算によると、一人当たり全国平均で月6200円、年間7万4000円。内訳は定額部分が50%、所得比例部分が50%となっている。ただし、二年毎の保険料見直しが義務付けられているので、今後保険料が上がることは間違いない。

3)保険料は個人単位なのに所得が世帯単位で計算されるために、夫婦二人世帯で妻が無収入であっても妻に保険料支払いが課される。また、給与所得者の扶養家族で保険料負担ゼロだった人も保険料を支払わなければならない。

4)年額18万円以上の年金受給者は、その年金から保険料が天引きされる。天引きではなく現金で納める人が保険料を滞納すれば「保険証」を取り上げられ、納入するまで保険が使えない「資格証明書」に切り替えられる。因みに、今まで高齢者は資格証明書発行の対象から除外されていた。

5)病院窓口で支払う自己負担は1割(現役並みの所得を有する者は3割)で、当面は、今までと変わらない。しかし、2割・3割と改定されていく可能性が高い。

6)新制度に付随する『かかりつけ医制』によって、糖尿病や腎臓病や肝機能障害などの慢性病の患者は、どこにいても、どんな病気でも、先ずはあらかじめ登録した医療機関(かかりつけ医)で受診しなければならなくなる。今までのように、全国どこでも、どの医療機関にかかっても、医療が受けられるフリーアクセス制を75歳以上のお年寄りは享受できなくなった。

7)かかりつけ医が一人の患者の治療で受け取れる診療報酬は包括定額制となり、医療費総額の上限が月額6000円と決められた。自己負担1割の患者が600円支払い、残りの5400円が診療報酬として病院に保険給付される。しかし、上限の6000円を超える検査や治療は、病院が赤字覚悟でやるはずはないから、超過分は患者自身が負担しない限りは出来ない。例えば、検査と診察で1万2000円かかる場合には、患者の自己負担は6600円となり、自己負担割合は6割になるというシステムだ。これでは高額な治療費を必要とする重病・難病の患者が充分な治療を受けられない。


 75歳以上のご老人を別枠で囲い込む「命の差別」が行われた新制度は、「高齢者は医者に行くな」「老人はさっさと死んでくれ」と言わんばかりだし、病院には「老人治療はやめなさい」と言っている。

 現在75歳以上の高齢者の数は、総人口の1割強にあたる約1300万人である。この年齢層の医療費は、年間約11兆円で、国民医療費総額34兆円の32%を占めており、更に増加していくと推定されている。

「医療費は際限なく増え続ける。その痛みを高齢者自らの感覚で感じ取っていただく」
 厚生労働省の官僚は、ある講演会で、法案の主旨をそう説明した。

 何と温かみのない発言か。

 その冷たい言葉の裏には、自分たちの失敗と無策の責任を回避するために、ムダ遣いで開けた財政の穴を修復するために国民に尻拭いを押し付けようという悪賢い知恵が透けて見える。


 世界的免疫学者であり自身も障害を持つ多田富雄さんは嘆いている。
「今の日本の政治は、人間の住む国の政治じゃない。この国自身が病んでいる」と。
「高齢者や障害者は早く死ねというならナチスと同じだ。今の政府は国民が自ら国民皆保険制度を捨てるのを狙っている」とも。

 多田さんはじめ多くの有識者に嘆息させるほど理不尽で無体なことをする首謀者は、言うまでもなく官僚たちだ。
 が、彼らのお先棒を担いで喜々として恰好をつけていたのが小泉純一郎という変わり者の政治家だったことを、そろそろ国民は理解してもいい頃である。
「私の総理在任中は消費税を上げません」と大見得を切る一方で、官僚が「お金が足りなくなったので国民に負担させたいんですが」と伺いを立てると「よしっ、俺に任せとけ」と胸を叩いて毎年の国民負担を9兆円も増やしてきたことを……。


 2001年4月に発足した小泉内閣は、3か月後の7月に保険業の規制を大幅に緩和した。それ以来、民間会社の医療保険やガン保険が急速に伸長し、最近は何歳になっても加入できるタイプの医療保険が増えてきている。国民皆保険制度が危うい。
 また、小泉内閣は毎年約2200億円の社会保障費削減を行い、2006年には向こう5年間で更に1兆7000億円を削減すると決定した。「リハビリ打ち切り」も「後期高齢者医療制度」も「介護保険導入と保険料見直し」も、すべてその延長線上にある。

 では、年々増加していく医療費を賄う財源はないのか? 与党の政治家も官僚も「どこにも無い」と言うが、実はたんまりとあるのだ。

 現在31ある特別会計を連結決算で見ると、歳入290兆円に対して歳出は260兆円である。つまり30兆円の余剰金がほぼ毎年生まれている。しかも歳出のうち3兆円が官僚の天下り組織に単年度補助金として出ており、更に毎年10兆円以上が出資金ベースで天下り先に出ている。
 これらを併せた43兆円以上が社会保障の財源になり得る。


 また自民党政府は、一般会計における国債発行の抑制にこだわる姿勢を見せる一方で、政府発行の融通証券を市場で売り捌いて別の借金をして、毎年50兆円前後のアメリカ国債を買い続けている。日本のアメリカ国債保有高は、政府は公表を避けているが、民間も併せると570〜600兆円だと言われている。これを少しずつ売却すればいいのだ。

 日本人の平均寿命は男79歳・女86歳だが、平均余命(現在年齢別にあと何年生きられるかという統計数値)は75歳の場合が男11年・女15年である。つまり、単純計算すれば、男は86歳まで、女は101歳まで生きる勘定になる。


 今の政府は、バチ当たりにも、「そんなに長生きされては困る」と思っているようだ。それで「年寄りは早く死んでくれ」「団塊の世代が75歳になる前に準備をしておこう」と画策したのが『後期高齢者医療制度』に違いない。まさに血も涙もない鬼畜(きちく)の所業である。
 多田富雄さんがおっしゃるように、今のこの国の政治は「人間が住む国の政治じゃない」と、ボクも思う。

 前回の徒然草28「なめたらいかんぜよ!」にも書いたが、この国を真っ当な人間の社会に戻す一番の早道は政権交代だろう。政治と行政の実権を官僚から取り戻すにはそれしかないとボクは思う。

 政権が代わればきっと、官僚たちはその優秀な頭脳を、非生産的な帳尻合わせ・数字合わせに使うのではなく、もっと真っ当な政策立案に使ってくれるはずである。発想を逆転させて、「75歳になったら医療費は無料」という制度がすぐに出来るかも知れない。なにしろ、旧弊(きゅうへい)が改まれば財源は十二分に出てくるのだから……。

                             [平成20年4月]