月03日p
【2008年8月6日up】

    徒然草30 筋の通らぬことばかり







 昭和三十年代の任侠映画が全盛だった頃の東映に、鶴田浩二さんという渋い二枚目スターがいた。その鶴田さんのヒット曲『傷だらけの人生』は、次のように、哀愁に満ちた語り口の科白(せりふ)に始まり静かな怒りのこもった歌へと続いていく。

「古い奴だとお思いでしょうが、古い奴ほど新しいものを欲しがるもんでございます。
 どこに新しいものがございましょう。生まれた土地は荒れ放題。今の世の中、右も
 左も真っ暗闇じゃぁござんせんか」


歌♪〜何から何まで真っ暗闇よ 筋の通らぬことばかり

   右を向いても左を見ても 馬鹿と阿呆のからみあい


   どこに男の夢がある〜

 鶴田さんの渋い科白と歌声に釣られてつい「そうでござんすねぇ」とボクが答えてしまうほど、今の日本には「新しいもの(=希望が持てるもの)」はどこにもない。「どこに国民の夢がある?」と嘆きたくなるほど「右も左も真っ暗闇」な状況だ。


 八月一日に福田首相が内閣改造をやった。が、大臣の顔ぶれを見ると次の総選挙と官僚の意図する増税のための布陣としかボクには思えない。福田首相は「国民の目線に立った政策を遂行する安心実現内閣」だと言うが、官僚と仲の良い連中だけが選ばれているのだから、その政策実現の本気度は実に疑わしい。

 原油高騰の煽りを食って、運送業者は青息吐息、漁師は海に出られず、庶民は車の運転を自粛している。燃料のみならず原材料も加工品も生鮮品も、何もかもが値上げのオンパレードだ。消費者物価はかなりの勢いで上がってきている。
 にもかかわらず、抜本的な対策は何も打ち出さず、小手先で誤魔化そうとするばかりである。その上、国民のセーフティネットである年金と医療の行政はメチャクチャときている。「骨太の方針」は内部がスカスカな
骨粗鬆症(こつそしょうしょう)だし、「五つの安心プラン」に至ってはこれから具体的な内容を検討するというのだから、開いた口がふさがらない。

 ことほど左様に、政治がまったく機能しておらず、官僚主導の旧態然とした帳尻合わせ政策がまかり通っている。そのほとんどが、庶民から見れば、国民生活無視の「筋の通らない」ものばかりである。日本の政治は停滞どころか後退している。


 与党政治家は政権の座を守ることだけを考え、官僚たちは自分と自分たちの組織を守ることにのみ腐心し、仲良く税金のムダ遣いを積み重ねている。外交はアメリカ任せ、国民生活はそっちのけで、「馬鹿と阿呆のからみあい」をやっている。
 だから、小泉政権時代の行き過ぎた規制緩和が産んだワーキングプアとネットカフェ難民を筆頭に「何から何まで真っ暗闇」だと悲嘆に暮れる人がどんどん増えている。食品偽装や耐震偽装などのモラルハザードが起こり、まさに「生まれた国は荒れ放題」である。


 特に公務員のモラル低下が深刻だ。盗撮・痴漢・ストーカーといった破廉恥(はれんち)行為もすれば、居酒屋タクシー・保険料着服・謝礼目当ての情報漏洩など金に絡む悪事も次々と明るみに出ている。大分県教育委員会では、金品授受と政治家の口利きによって、教員採用試験の点数を意図的に改ざんしていた。

 中央官庁に目を移すと、厚生労働省は国民が納めた年金保険料積立金の運用に失敗して五兆数千億円(国の一般会計予算の7%に相当)という大赤字を出しても、「うまく行く年もあれば、そうでない年もある」と涼しい顔をしている。
 加えて、解体が決まった社会保険庁に代わる独立行政法人「日本年金機構」は、社員の九割以上を現在の社会保険庁職員で構成するというのだから呆れる。非公務員型の組織といっても社員の給料や経費は税金で
(まかな)うのだから、看板は替わっても中身は変わらない。それどころか、新組織にすることで社会保険庁時代の「消えた年金問題」などをうやむやにするつもりである。
 筋が通らないばかりか、タチが悪い。薬害問題にしても被害者である国民の立場をないがしろにしていた。こんな厚生労働省なら解体すべきだ。



 戦後の大宰相・吉田茂の(ふところ)(かたな)として占領軍GHQと対等に渉りあい、サンフランシスコ講和条約を取りまとめた人がいる。白洲(しらす)次郎(じろう)19021985)さんだ。彼はこう言った。

「明治維新前までの武士階級等は、すべての言動は本能的にプリンシプル(原則)によらなければならないという教育を徹底的に叩き込まれたものらしい。残念ながら我々日本人の日常は、プリンシプル不在の連続であるように思われる」

「筋を通したとやんや喝采しているのは馬鹿げている。当たり前のことをしてそれがさも稀少であるように騒ぎ立てられるのは、平常行動にプリンシプルがないとの証明だろう」

「妥協もいいだろうし、また必要なことも往々ある。しかし、プリンシプルのない妥協は妥協ではなくて、一時凌ぎの誤魔化しに過ぎない」

 あまり知られていないが、貿易立国を目指して通商産業省(現在の経済産業省)を創設したのは白洲次郎さんである。しかし、彼自身は大臣にならなかった。事が成ったと同時に後進に道を譲っている。その白洲さんが、1969年に文芸春秋誌上で、「今の官僚たちには『公務員とは何ぞや』というプリンシプルが欠けている」と嘆いている。官僚たちにはさぞ耳の痛いことだろう。


 精神分析者の岸田(きしだ)(しゅう)さんは、その著書『官僚病の起源』の中で、日本の官僚および官僚組織には次の特徴があると述べている。

■官僚組織は、本来、国のため国民のためのものであるにもかかわらず、自己目的化し、仲間内の面子と利益を守るための自閉的共同体となっている。しかも、その自覚がなく、国のため国民のために役立っているつもりである。

■共同体のメンバーでない人たち、すなわち仲間以外の人たちに対しては無関心または冷酷無情である。しかし、仲間に対しては配慮が行き届き、実に心優しく人情深い。

■身内の恥は外に晒さないのがモットーで、組織が失敗したとき、失敗を徹底的に隠蔽(いんぺい)し、責任者を明らかにしない。従って、責任者は処罰されず失敗の原因は追及されないから、同じような失敗が無限に繰り返される。

 岸田さんは言う、「官僚は有能で清潔だというのは幻想に過ぎない」と。また、日本を悲惨な戦争へと導いたのは軍部官僚であり、軍部官僚に国を任せたことが大失敗につながったのだと指摘している。
 太平洋戦争に敗れてから六十三年が経った今、戦前・戦中のような力を持った軍部官僚こそいないが、またもや自閉的共同体である官僚組織に国を任せているのではないだろうか。しかも現在の官僚たちは、特別会計という隠し金庫の金を特殊法人や天下り団体などに流すことで実質的な組織増殖をしている。国や国民のために働く立場の彼らが「筋の通らない」ことを平然とやっているのだ。


 政権与党の自民党は、その官僚たちに「おんぶに抱っこ」してもらっている。言い換えれば、自らの政策立案能力を失っている自民党は官僚たちに国を任せている。もはや政権担当能力はない。にもかかわらず政権の座にしがみついているのだから、これまた「筋が通らない」話だ。真っ当な政党なら一度野に下って捲土重来を図るものだが、その覚悟がないから国民との距離が広がる一方である。

 政治家には「代議士とは何ぞや」というプリンシプルが必要であり、官僚には「公務員とは何ぞや」というプリンシプルが必要である。しかし、それがない。


 世界を眺めると、投機家や投資ファンドによる市場撹乱は今に始まったことではないが、このところの原油価格高騰や穀物価格上昇で大儲けをしている彼らには本当に腹が立つ。原油も穀物も深刻な供給不足になっている訳ではない。先物取引市場における彼らのマネーゲームが価格を押し上げ、世界中の庶民が物価高に苦しんでいる。
 ところが、市場原理主義の下ではこうした理不尽な動きを止める手立てがない。七月上旬に北海道の洞爺湖畔でG8サミットが開催されたが、世界経済悪化の懸念が表明されただけで具体的な対策は何も話し合われなかった。地球温暖化防止対策についても曖昧な議論に終わった。先進8か国がリードする国際政治は明らかに停滞している。


 何とも情けない話だが、そういう世界情勢だからこそ、日本は自国の未来を描いたグランドデザインが必要なのだ。子孫のために希望の種をまいておかなければならない。

 その際、忘れてはならない人がいる。日本人として初めて米国エール大学の歴史学教授になった朝河(あさかわ)貫一(かんいち)18731943)博士である。彼は、日露戦争後のポーツマス条約を陰でまとめ上げ、太平洋戦争前は日米開戦を避けるよう日本政府の要人に繰り返し進言しながらアメリカ大統領の説得に尽力した人である。その朝河博士がこんな言葉を遺している。

「国家は、その国民が人間性を持っている限りにおいてのみ、自由な独立国である。しかし、その政治体制が民主主義の組織を備えているというそれだけでは、自由な独立国とは言えない。自由主義にあっては、その国民が世界における人間の立場をすべてにわたって意識するまでに進歩しているかどうか、それこそが重要である」

 さて、今の政治家や官僚たちは朝河博士のこの言葉をどう受け止めるだろうか。我々が生まれ育ったこの国の近未来をデザインする時のプリンシプルにするべきだと思うのは、多分、ボクだけではないと思う。

 しっかりしたプリンシプルを持ち、どんな時でも筋を通す政治が行われる日をボクは待ち望んでいる。


                             [平成20年8月]