徒然草32 夢は人を動かす 【2009年1月17日up】 かの宮本武蔵は剣の極意の一つとして「鼠の持つ細心さと牛の持つ大胆さを兼ね備えよ」と『五輪書』に書いたが、支持率が著しく低下した麻生内閣と自民党が政権を維持する極意は「ネズミの如くチョロチョロ、ウシの如くノロノロ」することらしい。昨今の彼らの厚顔無恥で無為無策な政治が見るに耐えないのはボクだけではなかろう。 「おいおい、都筑。年明け早々から、お前、何をそんなに怒ってるんだ?」 例によってぬーっと脳裏に現れた悪友が、「頭から湯気が立ち昇ってるぞ」とたたみかけてきた。 (こいつ、嫌な性格してるなあ)と思うけど、何を隠そう、ボクも同類だから苦笑いで応じるしかない。 「そう見えるか? 実はな。俺、腹が立ってしようがないんだ。ま、聞いてくれ」 アメリカの金融経済が崩壊し、日本も深刻な不況に陥って、暦の干支はネズミからウシに移っていった。非常時だけに麻生内閣には武蔵の言葉のように「細心かつ大胆」な政策を期待したのだが、どうやら無いものねだりだったようである。 昨年九月に総理大臣に就任した麻生さんは、やる気だった総選挙を先に延ばして、「経済政策が最優先、ポイントはスピード」と大見得を切った。 にもかかわらず、年末の中小企業支援策を盛り込んだ二次補正予算を先送りした上に、「中小企業への年末の手当は一次補正予算で充分にしてある」とうそぶくのだから、呆れて開いた口がふさがらない。 「そうか、それでお前は怒ってる訳だ」 「ああ、これが怒らずにいられるかっ、てんだ!」 政府が手をこまねいている間に、急激な経営悪化を理由に派遣や期間契約の非正規社員が中途解雇されて仕事も住居も失い、学生たちの採用内定がいとも簡単に取り消されていった。 非正規社員だとはいえ、労働者を物扱いするような理不尽がまかり通る社会状況は不信と不安と絶望を生む。そして、絶望から来る狂気は人を凶器に変えてしまう。その顕れが「秋葉原無差別殺傷事件」など、昨年あちこちで発生した悲惨な出来事なのだ。 若者たちは将来の夢や希望が持てず、若者に限らず誰も彼もが一年先の目標すら持てない状況になってしまっていることは実に嘆かわしい。 この悲惨な現状を招いた発端は1994年から毎年秋口にアメリカから届く年次改革要望書にある。要望とは名ばかりで、その実、アメリカ企業やアメリカ資本が日本市場に入りやすいように規制の垣根を低くするための命令に他ならない。郵政民営化もこの要望書に盛られていた項目の一つだった。 この命令に唯々諾々と従った政府が外資規制をゆるめた結果、外資の株式市場への流入が増え、日本企業買収の動きが顕在化してきた。一流企業であっても株価が安ければ格好の買収対象になるために株の時価総額が問われるようになって、目端の利くホリエモンや村上ファンドが脚光を浴びたことはまだ記憶に新しい。 また、年次改革要望書は日本企業がアメリカ型の「株主を最優遇する経営体制」を導入することを求め、このことがとりわけ労働市場に大きな影響を及ぼした。 株主への配当を大幅に増やす必要に迫られた企業は、利益性を高める手段として、終身雇用制の形骸化と労働者への利益分配率を下げる方向へと傾いて行き、政府は企業の要望に応えて労働規制を緩和し続け、小泉政権時代の2004年には製造業への労働者派遣まで認めた。 その結果として生まれたのが今日の事態なのだ。 「なるほど。都筑としては、相も変らぬアメリカ追従が原因だと言いたい訳なんだな」 「ああ、政治家はよく日米は対等なパートナーだと言うけど、大うそさ。軍事的・政治的には明らかに属国なのに、対等だと言って国民を誤魔化してきたのが戦後の自民党政治なんだ。バブル崩壊後はグローバル化という御旗を振り回して国民の眼を欺いてきたんだよ、政権与党の政治家と官僚たちは」 「でもさ。小泉さんは、『改革なくして成長なし』とか『官から民へ』とか、ずいぶんいいことを言ってたと思うけどな」 「その小泉改革というのが眉唾ものでさあ。アメリカに都合のいい改革を小泉流のハッタリパフォーマンスで実施したに過ぎないんだよ」 「ま、そんなに熱くなりなさんな。落ち着いて話をしようや」 「そうだな、すまんすまん」 年が改まっても麻生さんは、国民の大半が別の使い方をすべきだと考えている2兆円の定額給付金に固執するのみならず、今度は、2011年からの五年間に毎年1%ずつ消費税を上げることを2009年度予算案の附則に明記すると言い出した。消費税が5%上がると国民負担が12兆5千億円も増えることになる。一回きりの給付金2兆円とずっと続く12兆円余りの税負担をとりかえるバカはいない。漢字は読めなくてもこんな単純な損得勘定は分かるはずだが、とにかく今の麻生さんは、国の財布を握る財務官僚の機嫌をとりながら何としても首相の座を手放すまいとしているようだ。 「そう言えば。官僚が天下っているところへの補助金が12兆円余りあったよな」 「ああ。そいつをゼロにすれば、当面、消費税は上げなくていい。ことほど左様に役人がらみの無駄遣いは多いから、その整理を先にやらなきゃだめだな」 「麻生さんは、自分が官僚を使いこなすと言ってなかったか?」 「たしかにそう言ってたよ。それなのに公務員制度改革の政令で官僚の天下りや渡りをおおっぴらに認めちまうんだから、官僚に使いこなされてるんだよ」 「安心で活力ある日本を実現するといっても、口先だけだってことだな」 「ああ、麻生さんは何か言うたびに国民の不安を増幅してる。裏づけの無い掛け声だけじゃ人は動かないよ」 「どうすりゃいいと思ってるんだ、都筑は?」 「俺は思うんだよ、夢は人を動かし国を豊かにしていく、と」 「ふ〜ん、夢ねえ……。ずいぶんメルヘンなことを言うじゃねぇか」 「メルヘンに聞こえるかも知れんが、すごく大事なことだぜ」 金融経済が急成長したのは実体経済が飽和状態になってからのことだが、それはマネーゲームに過ぎなかったことが証明された。日本でも金融経済の膨張に伴って所得格差が拡大し、その間政府がセーフティネットの点検を怠ってきたために、金融経済破綻の余波が今までになかった貧困層を生み出している。 国家そのものが今にも融解してしまいそうな底知れぬ不安が渦巻く状況下で「夢を語る」ならば、この国の社会保障体制を土台から造り直す具体的な施策とともに語らなければその夢は現実感を伴わない。 アメリカではオバマ次期大統領が、環境分野への公共投資によって雇用創出する「グリーン・ニューディール構想」や「30兆円の減税」を打ち出して迅速な対応を示している。 にもかかわらずこの国の政権与党は、依然としてすべて官僚任せで、自ら道を切り拓こうという気迫がない。自分たちの既得権益には敏感でも、時代と状況の変化や庶民の感情に鈍感なのだ。とすれば、政権交代が必然の流れだろう。 「俺も都筑の意見に賛成だ。しかし、強靭な官僚組織をどう使いこなすかが難問だな」 「ああ、今度の総選挙で民意は政権交代を求めるだろうけど、霞が関改革はそう易しくはないと俺も思うよ。だけど、新政権のリーダーが方向性を明確に示せば官僚はついて来るさ。それが役人のサガだからな」 日本という国をどのような基本原則で維持していくか……。 敗戦国日本が主権を回復した後に、このことに確信を持っていた首相としては池田隼人と田中角栄の二人が挙げられる。 池田は「経済復興と国民所得の倍増」を、田中は「都市と地方の格差を縮める日本列島改造と独自外交」を実現しようとした。 田中角栄は、アメリカに相談せずに日中国交回復をやったために、アメリカ発ロッキード事件で失脚させられたが、この二人の政治メッセージが国民に夢を与えたことは間違いない。 今、政治リーダーに求められているのは「この国の将来ビジョン」を明確に示すメッセージである。 国の財政運営を透明化し、国民の一人ひとりが安心できる社会保障制度を再構築し、アメリカとの同盟を対等な関係にしていく。そのためにも、現実を明らかにして、そこからどうすれば脱出できるかを考え、実行に移していく必要がある。 「小沢民主党にそれが出来るかなあ?」 「政界での評判はともかく、小沢一郎は田中角栄の愛弟子だったからアメリカ一辺倒な政治家じゃないし、彼が主張している特別会計を無くして国の予算全体を組み替えすることは行政改革そのものだ。俺は期待してもいいと思うよ」 「なるほど。自公政権じゃ何も変わんないだろうから、小沢民主党に期待してみるか。それに、日本が方向転換するには今がいいチャンスかもな。政権が交代するアメリカも以前ほどのパワーがなくなってるし、何よりもこの国の国民が目覚めてきてるから」 「俺、福祉国家的な色彩が少々強くなったっていいと思うんだ。年金・医療と介護・教育の分野への財政支出を大幅に増やすことで老後の生活と子育ては安心できる社会基盤をつくって少子高齢化問題の解決を図る」 「義務教育までの子供を持つ親に一定額の子供手当を渡す他に教育費と医療費も無料にすりゃあ、安心して子供を産めるし育てられるよな」 「そう。その上で働き世代には頑張れば報われる自由競争を奨励していく。それなら皆が元気になるし、厳しい競争でこぼれ落ちた人たちを再び社会に包み込む役割は財源移譲された地方自治体が担って雇用創出型の公共事業を展開する」 「面白そうじゃないか。それだけの社会環境が整ってれば夢だって持てるから、誰も消費税アップに反対なんかしやしないぜ、きっと。それはいいとして、経済の活性化はどうするんだ?」 「日本経済はやはり輸出が生命線だから、技術大国を目指すってことだな。優れた製品だけじゃなくて進んだ技術を輸出できるようになって諸外国から敬意を持たれるようになると最高だな、農業技術だってそうさ」 「そうだな。お前の話を聞いてたら、何だか俺も、少し元気が出てきたよ」 そう微笑んで、我が悪友はボクの脳裏から去っていった。 [平成二十一年(2009)一月] |
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