徒然草36「罪深きは誰か」 (2010.5.21up)




 我が家のそばの山桜は、春の陽気を吸ってつぼみを膨らませ、春分が過ぎると薄桃色の可憐な花を咲かせ始め、ボクの誕生日が近くなると枝いっぱいに花を散りばめ、4月の声を聞くと小さな花びらを風に舞わせ、花を散らすとすぐに若葉を薄茶色から薄緑色に変えて日に日に緑を深くしていき、陽光に輝く鮮やかな青葉を茂らせて初夏の訪れを告げる。

 ボクは今年もまた、山桜が描く自然の命の息吹を堪能させてもらった。が、その一方でイラ立ちを募らせてきた。沖縄の普天間基地や小沢民主党幹事長の政治資金に関する大手メディアの偏向報道がその原因である。

 まず普天間基地問題の背景を整理しておきたい。

 現在、日本には米軍基地が134か所もあり、米兵約52,000人がこれらの基地に分散駐留している。しかも、彼ら米軍の駐留経費の大半を日本政府が負担している。いわゆる「思いやり予算」を含めその年額は約6000億円に上る。勿論、国民が納めた税金からの支出である。

 沖縄に目を移すと、日本にある米軍基地の75%が集中しており、基地負担軽減が叫ばれても何の進展もなく、1972年に本土復帰した時点と同じ状態が続いてきた。

 ところが1995年、12歳の少女を海兵隊員が3人がかりで暴行するという悲惨な事件が起きた。が、米軍が地位協定を盾に3人を日本の警察に引き渡さなかったため、沖縄全島で反基地感情がとめどなく高揚した。
 それが「県内基地全廃」運動へと発展しかけたため、日米両政府は2年後に普天間基地返還を合意したが、米側が代替施設供与を条件としたために政府は沖縄振興策を繰り出して代替基地を米軍が望む沖縄県内に造ろうとしてきた。

 しかし、激しい住民反対で何も決められず10年が経過した2005年、小泉内閣は「辺野古沖を埋め立てて造る新基地を普天間の代替施設とする」という新たな日米合意をした。が、ジュゴンが生息し豊かなサンゴ礁が広がる美しい海を守りたい県民の根強い抵抗で杭1本打てないまま昨年夏に自民党は政権を失い、代わって民主党が政権の座に就いた。

 民主党鳩山内閣の「普天間問題はゼロベースで見直す」方針に対して、大手メディアは「日米関係を悪化させる愚挙だ」とこき下ろし、いかにも「小泉時代の日米合意を守って辺野古に基地を造ればいいのだ」と言わんばかりの論調を、ボクは奇異に感じた。

 ソ連の崩壊によって東西冷戦は終わった。米国も世界規模で米軍の再編成をすすめている。新たな世界情勢の下では、沖縄に限らず国内の米軍基地は縮小され返還されるべきであり、その端緒として沖縄の基地負担を軽減しなくてはならない。そう思うボクは、心の中で(お前たちの日ごろの主張は嘘だったのか!)と叫んでいた。

 その後、昨年末に鳩山首相が「地元もアメリカも連立与党内でも納得できる案を模索して来年5月末までにこの問題を決着させたい」と語った時、ボクは(首相は、何とかして国外へ、それが無理なら沖縄県外へ普天間の機能を移す腹だな)と素直に受け取ったが、大手メディアは「結論の先送りだ」と激しく首相を非難する。

(なんだ、コイツらは?)と、ボクの『懐疑脳』が作動し始めたのはこの時である。

 年が改まると、大手メディアは「早く政府案を示せ」と迫ったが、首相は「ゼロベースでの見直しをしているところだ」とかわす。すると関係閣僚のコメントの一部を切り取って報道し、「閣内不一致だ、リーダーシップに欠ける」と攻め方を替えて鳩山バッシングを始めた。野党自民党もメディアの論風に乗って攻めるが、首相は「5月末までに決着させる」と繰り返す。そこで大手メディアは「政府案を示せないのは具体案がないからだ」と攻め口を替えた。鳩山首相は党首討論で谷垣自民党総裁に「腹案がある」と答えたものの、あくまで「5月末までに決着させたい」と繰り返し、具体的内容は明らかにしない。

 冷静に考えれば誰でも分かることだと思うが、基地問題はアメリカとの外交案件でもあるのだから、交渉の最終段階までこちらの手の内を見せないのは当然だし、国内でも情報漏れがないようにするのは当たり前のことである。

 しかし、そうは考えられないらしい大手メディアの鳩山バッシングはますます激しくなり、「優柔不断だ、首相としての資質を疑う」と個人攻撃を強めた。
 攻撃はどんどんエスカレートしていき、あろうことか、ワシントンポスト紙の風刺コラム記事をいかにもアメリカ政府の総意であるかのごとくに取り上げて「首相は愚か者と見做されており、オバマ政権に見放されている」と自国の首相の人格を貶めることまでしたからボクは呆れた。

 メディア本来の役目は客観的な事実を伝えるとともに自社の見解や提言を開陳して国民に判断をゆだねることにある。しかし、どの大手メディアも普天間基地移設に関する提言は一切せず、鳩山民主党政権を叩くことのみに血道を上げる。

 彼らの報道姿勢と論調は異様に映るし、胡散臭くもある。政権が交代したからこそ明らかになったものや出来るようになったものも数多い。
 にもかかわらず、TVの報道番組キャスターしかり、番組お抱え評論家や政治ジャーナリストしかりで、まるで打ち合わせが出来ているように鳩山批判・民主党叩きを続ける彼らが、ボクは不思議でならなかった。

 そして風薫る5月――。季節が移るにつれて新たな要素が浮かび上がってきた。米国領マリアナ諸島の議会がテニアン島で普天間の海兵隊を引き受けることを決議した。米国内でも高名な学者や外交専門家が民意を無視した辺野古新基地建設にこだわる政府と軍部をたしなめる論文を発表した。沖縄では「県外移設」を求める9万人集会が開かれた。

 そうした中、鳩山首相が沖縄を訪問。
 そこで首相の口から「県内移設やむなし」と取れる発言があったものだから大手メディアは「それ見たことか!」とばかりに小躍りし、「首相、県外移設断念」・「公約違反」・「沖縄県民の心を弄んだ」と、書きたい放題。しかも、相変わらず普天間基地の移設についての提言はせず、「日米関係悪化」を避けろと叫び、実態の不確かな「抑止力」維持論を繰り広げて、暗に「小泉時代の日米合意を守って辺野古に基地を造ればいいのだ」と言っている。そして連日、「五月末に決着できない場合の鳩山首相の責任は重い」と言いつのり、「責任を取って退陣せよ」と迫っている。


 ボクは確信した、(大手メディアにとってこの基地問題は他人事なのだ、彼らに沖縄の人たちへの思いやりはない。連中にあるのは「鳩山民主党憎し」の感情だけだな)と。

 なぜだろうか?

 皆さんはご存知だろうか、民主党政権が、
・今まで独占禁止法適用の例外として許容されてきた『新聞再販制度(再販価格拘束)』を見直そうとしていること、
・各省庁会見から加盟社以外の記者やジャーナリストを排除している『記者クラブ制度』を廃止して会見をオープンな情報発信の場にしようとしていること、
・ひとつのメディア企業が他の多くのメディア企業を支配下に置くことによって起こり得る弊害を未然に防止するための『クロスメディアオーナーシップ規制』を法制化しようとしていること、
・公共電波の使用権を入札によって決める『電波オークション制度』を導入して国の電波使用料収入を増やそうとしていること、
などなどを。


 これらのすべては自民党政権時代に大手メディアが享受してきた既得権益を奪うものに他ならない。
 例えばTV業界は、年間売り上げが3兆円を超えているのに国に支払っている電波使用料は
36億円に過ぎず、売り上げの0.1%程度。欧米のTV業界に比べると10分の1以下の負担で済んでいるのが現状である。

 ネットの掲示板にあるジャーナリストが、Y新聞のW主筆とのインタビュー取材前に部屋の外で待機していたら中から「民主党政権は必ずつぶしてやる!」という大声が漏れてきたと書き込んでいたが、事の真偽はともかく、いかにもありそうな話である。


 大手メディアは、小沢民主党幹事長も執拗に攻撃している。『政治とカネ』の問題に敏感な国民意識を背景に、小沢氏の政治資金に疑惑の眼が注がれるように仕向けている。

 昨年の衆議院選前は「西松建設による違法迂回献金」という筋書きで小沢氏に代表の座から退かせ、
 今年は参院選を控えて「水谷建設からの裏献金」という筋書きで小沢氏に幹事長職を辞任させようとしている。
 しかし、東京地検特捜部が小沢氏本人を含む関係者の事情聴取と強制捜査を繰り返したにもかかわらず収賄疑惑は立証できなかった。つまり、収賄はなく、特捜部の見込み捜査だった訳である。
 にもかかわらず、執拗に疑惑キャンペーンを繰り広げるのは、彼らにとって小沢氏がよほど邪魔な存在だからだろう。

 しかし、そもそも問題とされた「西松建設」と「水谷建設」の件は国土交通省が発注した岩手県の胆沢ダム工事にかかわるもので、民主党がまだ野党時代のことだから小沢氏に職務権限はなく、受託収賄という嫌疑は成り立たない。成り立つのは政治資金規正法の不実記載だろうが微罪であり、過去にはすべて訂正報告だけで済まされてきた案件である。

 それなのに、東京地検特捜部は小沢氏の秘書と元秘書を逮捕してまで捜査をすすめた。明らかな別件逮捕である。
「叩けば埃が出てくる。身柄を拘束して締め上げれば白状する」という思い込みで逮捕に踏み切ったものの、結局「政治資金報告書の不実記載」のみでの立件となり、起訴された秘書と元秘書も形式犯の罰金刑にとどまるようだ。

 この小沢氏の『政治とカネ』の問題に関して、大手メディアは検察のお先棒を担ぎ続けてきた。検察からのリークと思われる情報をさも真実らしく報道し、『小沢=悪』というイメージを国民の意識に刷り込んできた。
 自分たちは「正義」で相手は「悪」という対立概念は『排除の論理』に他ならない。メディア本来の「客観、公平、公正」理念に矛盾する。

 果たして大手メディアは、検察は、本当に正義たりえているだろうか?

 ボクの率直な疑問である。

 戦後政治を振り返ってみて、ボクは角福戦争に思い当たった。
 田中派木曜会と福田派清和会の自民党内派閥抗争で、清和会は破れて日陰に置かれ続けた。が、時が移り、その清和会が森善朗・小泉純一郎・安部晋三・福田康夫と四代続いて首相を務め、田中派の流れである平成研究会を完膚なきまでに打ちのめした。しかし、田中角栄の薫陶を受け、金丸・竹下から可愛がられてきた男がまだ一人残っている。それが民主党の小沢幹事長なのである。

 また、検察は2002年に裏金に関する内部告発があり、組織が崩壊しかけた。その時に助け舟を出したのが当時の首相・小泉純一郎氏であると伝えられる。
 その内部告発者(大阪高検公安部長)は、これも微罪で逮捕され、なぜか第三者の証言によって嫌疑が追加されて実刑判決を受け、刑務所に収監されている。
 刑期を終えた彼は今、「冤罪」「検察のでっち上げ」だとして抗議活動を開始した。


 こうしていくつもの事象をつないでいくと、新たなものが見えてくる。「正義は必ずしも正義ではない」という逆説の風景である。

 日本という国は「空気が支配する国」だとボクは思っている。
 日本人にとって〈空気〉はほぼ絶対的な支配力を持つ判断基準であり、それに抵抗する者を異端として社会的に葬るほどの力を持っている。
 それゆえに日本人は、その時その場の〈空気〉に応じて判断し、物事を論理的にではなく臨場感的に把握する傾向が強い。
 また、〈空気〉は対立する一方を排除する。「片方を善、もう片方は悪」と規定してしまえば、その規定に誰もが拘束されて身動きがつかなくなる。

 大手メディアがこの手法を使えば、事の真偽とは関係なく、語られたこと・報じられたことが事実に転化していく。これが繰り返されているうちに事実はどんどん国民の眼から遠ざかって行く。
『小沢=悪』というイメージはこうして作られ、『鳩山=無能な首相』や『民主党=政権担当能力なし』というイメージも同様の方法で作られている。

 戦後日本では大手メディアを掌握する人間たちが時の政府と癒着してきた。そのことが今日の混沌とした社会を生んだ大きな要因のひとつだ、とボクは考えている。彼らは国民が自ら選んだ新しい政治状況に不満を抱いて、時計の針を前に戻そうとしている。

 結論を言おう。

 真に罪深き者は、偏った報道で国民の目を惑わせ、民意を誘導して自分たちの既得権益を守ろうと画策している、大手メディアである。
 彼らは自分たちが、戦前、軍部のお先棒をかついであの悲惨な結末を招いたことを忘れてはならない。

                         [2010年5月20日]