こんにちわ、都筑大介です。
遠いところからわざわざのお越し、ありがとうございます。
決して怪しい者ではありませんのでご安心を……。
ええっ! 「そう言うヤツが一番怪しい!」ですって?
そうかも……。
でもボクの場合は、「怪しい」と言われるより、「変わってる」と言われることの方が多いですねえ。
いつも女房殿と娘に変人扱いされています。
それも自業自得なのですが……。
しかし、偏屈と言われようが我が儘と言われようが、頑固なへそ曲がりと蔑まれても、今さらこの性格は変えようがない。そう開き直って悟りの境地に入った(?)髭オヤジであります。
昭和21年(1946)生まれ、おひつじ座、B型。
神奈川県東部の某所にある「ひなたやま」に隠棲中。
結構艶っぽい妻とキュートな娘との三人で暮らしです。
他にハンサムな茶太郎というミニダックスがいます。
一応 「物書き」をやっていますが、稼ぎがわずかだから、無職と変わんないですね。
自慢じゃないけどボクは横着です。
「男は家庭を持つと性根(しょうね)が据わる」と若い頃に教わった覚えがあります。でもボクの場合はその逆でした。
自分の家庭が出来た途端にふにゃふにゃになったような気がします。
そのくせ家では亭主関白を気取るから、女房殿は気苦労が絶えなかったようです。
結婚してまもなく、休みになると朝っぱらからテレビのの前に陣取って、テレ枕なる寝そべりソファに背中を預けて日がな一日を過ごし、
トイレに立つ以外はその場を動かず、あれやこれやと勝手をのたまうものだから、
『一畳関白さま』と皮肉を込めて呼ばれていました。
畳が一枚あれば他に居場所のいらない『ぐうたら亭主』という意味だそうです。
念のため断っておきますが、ボクにもあどけない頃や生真面目な時分もあったんです。右の写真がその証拠です。
ケッコーいい男じゃないかですって? うふふふふ……。
まてよ、急にイヤなことを思い出してしまった、しばらく姿を見せなかった弟が久し振りに上京したときのことを……。
昔の写真を整理していたボクの部屋に顔を出すと、あやつめ、手に取った写真とボクの顔を交互に眺めてぬかしおった。
「やっぱり兄貴のルックスは二十歳の頃が頂点で、それから後は下る一方だなあ」
当然カーッと頭に血が昇った。
が、兄ゆえにグッとこらえてよくよく考えてみると、二十歳からあとの容貌がどんどんみっともなくなっていったのは弟も同類。
(なんだお前、俺がお前の仲間のひとりだと認めて欲しかったのか……)
そう思い直して許してやった、心の中で……。
しかし、互いの傷を舐めあう哀しい記憶は、どうしてなかなか消えてくれないんでしょうかねえ?
ま、それはそれとして、図らずも顕在化してしまった横着と我が儘は、齢(よわい)を重ねるにつれて磨きがかかり、
とうとう右のものを左に動かすことすらしなくなって、呼び名に『お不動さん』が加わりました。
しょっちゅうしかめっ面をしていたようです。
そのボクが、満五十歳になった年の夏の盛りに、大学を出て二十八年も勤めてきた会社を辞めました。
内弁慶をきめこんでいた横着さが外に向かって弾けた瞬間でした。
ひどい暑さが続いていたのせいもありましたが、『モノの弾み』というのは怖いですねえ。
女房殿はというと……。
「今こそ第二の人生にチャレンジする好機だ!」と、
さも用意周到に計画を進めてきたように装うボクを、拍子抜けするほどアッサリ受け止めてくれました。
多分、何を言ってもムダだと諦めていたんでしょうが、改めて恐れ入りましたね、ボクより遥かに肝が据わっていることに……。
もしかするとボクは、自信満々にいくら飛び回っても結局は観音菩薩さまの掌(てのひら)から出られなかった、西遊記の孫悟空のようなものかも知れません。
そんな体(てい)たらくなのに、幸か不幸か、口だけは人並み以上に立つんです。
故郷の広島では、ボクのような屁理屈屋のことをカバチタレといいますが、どうもバチアタリでもあるような気がしてなりません。
この際だから正直に告白すると、ボクはかなりな小心者です。他人様のことをケッコー気にするし、愛想もいいんですよ。でも、気にするだけならいいんですが、つい一言、言わなきゃいいのに余計なことを口に出してしまう。
当然、評判を落としてしまいますよね。まあ、もともと大した人間じゃないから、評判なんてどうだっていいようなものなんですがね。
とはいえ、時折り他人様を傷つけるらしいから、いやはや我ながら弱っています。
合掌!
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