第三章 逢魔の刻
（ふ〜ん、まだ若い未亡人の話か。どこにでもありそうな話だな……）
ボクはそう思った。和服の好く似合う美しい主人公は、容貌の描写からして雨息斎先生の奥様がモデルになっているような気がした。それと、まだ読みはじめたばかりだから何とも言えないけど、この中澤志津という女性はどこか幸せ薄いというか、恵まれない過去を持っているように感じた。というのは、亡くなった夫の一周忌法要に中澤側の親が出席したとは一言も書かれていないからだ。
（中澤志津の両親はすでに他界してるってのがこの物語の前提になってるな……）
頭の中で呟いたボクは、思わず（俺って、けっこーやるじゃん！）と自分で自分を褒(ほ)めて、（精神分析の本を何冊も読んだお陰だ、きっと……）とホクソ笑んだ。
それはともかくとして、中澤志津のイメージがどうしても先生の奥様の姿と重なってしまう。本当によく似ていると思った。
多分そのせいだろうけど、好奇心を掻き立てられたボクは一気にこの物語にのめりこんで行った。後から考えればここでやめておくべきだった。でも、なんだかまるで自制が利かなくなっていて……、ボクは資料整理をそっちのけにして黄ばんだ原稿を読みすすんでいた。
――すっかり打ち解けてきた雰囲気に包まれた中。蛭田和幸は、「ちょっと失礼させてもらいます」と断って、スーツの上着を脱いだ。「ボクは暑がりなもんで……」と言いながらワイシャツの袖をまくり上げ、柔道で鍛えた太い腕をにゅーと露出した。
三段の腕前だという蛭田の手指は、コーヒーカップが小さく見えるほど大きくゴツゴツと節くれ立っている。武骨という言葉を絵に描いたようなその指で小さな持ち手をつまんで口に運んだ。
その蛭田の視線が先ほどから志津の着物の袖口から覗く白い手指に注がれていた。志津は、閉ざされた空間に他人の男と二人きりになっている自分の迂闊さにようやく気づいた。
と、その時である。志津の白く繊(ほそ)い指を見つめていた三白眼がキラリと光った。と思うや否や、蛭田は志津の前にすっとからだを寄せた。咄嗟(とっさ)に右手を後ろに突いて上半身を反らせた志津に向かって太い腕がすっと伸び、その腕を払いのけようとした志津の左手の手首を蛭田の節くれ立った指がガシッとつかんだ。
「ああっ。な、なにをなさるのっ！」
志津は、蛭田の指を振りほどこうとつかまれた左手を懸命に胸前に引いた。が、左手はクイッと逆手にひねられ、抵抗する暇(いとま)もなく、まるで自らすすんでそうしているように腕が背筋高くねじ上がっていく。肩のつけ根に鋭い痛みが走った。
ひいっ！ 志津は左肩に右手を添えた。が、その右手も強引に引き剥がされ、グイッと背筋へねじ曲げられる。
「ああっ、やめてっ！」
前にのめった志津の華奢な両手首は背後の帯の上に重ね合わせられ、片手でぎゅっとつかまれた。
「はっ、放してっ！ 蛭田さん、その手を放してください！」
甲高く叫んで肩を揺すったが、蛭田の節くれ立った手指は離れない。ならばと腰を浮かせて足を前に出したが、たちまち強い力に引き戻された。なんとか逃れようと必死にもがく志津の背中の両手首に、ザラリとした感触の紐がくるくる巻きついてぎゅーっと引き絞られた。
蛭田がポケットに忍ばせていた短い麻縄だった。その縄は巻き緊めた両手首の間をくぐって固く結ばれ、瞬く間に志津は両手の自由を奪われていた。
「ど、どうしてこんなことを……」
怯(おび)えよりも驚きの方が先に立っていた。我が身に起こったことが信じられない。志津は蛭田の顔をまじまじと見た。白眼に赤い筋が走り、濁った瞳に淫らな炎がくすぶっていた。ハッとした志津は後ろに束ねられた腕に力をこめた。が、縄の縛めはゆるまない。かえって緊めつけがきつくなって手首の皮膚を噛んだ。ようやく怯えが驚きにとって代わった。
後ずさりしようにも金縛りにあったようにからだが動かない。志津は恐々とおののく視線を上に向けた。が、その視線が出遭うであろう悪鬼の形相(ぎょうそう)はそこにはなかった。
蛭田は畳に沈んでいた。膝を揃えて正座に直り、両手を突いて畳に額（ひたい）をこすりつけている。その口からは耳を疑うような哀れで細い声が洩れてきた。
「奥さん、僕は……。奥さんのことがずっと忘れられなかったんです。この通りです奥さん。どうか僕の長年の思いを遂げさせてください。お願いします」
志津は我が目を疑った。これが今自分を後ろ手に縛り上げた男だろうかと戸惑いを感じた。が、蛭田が志津に狼藉(ろうぜき)を働いた事実は変わらない。手のひらを返して憐憫(れんびん)の情を乞うなど理不尽きわまる。志津はかえって憤りを覚えた。
「な、なにをおっしゃってるんですか、蛭田さん……。無茶なことはおっしゃらないでください！」
「無茶を承知でお願いしているんです。ですから奥さん、そこをなんとか……」
蛭田はまた額を畳にこすりつけた。淫らな色を消した眼でチラチラ上目を遣い、さも誠実そうに装って、蛭田は志津に無理難題を押しつけようとした。
「わ、わたしは、中澤慎一の妻なんですよ。蛭田さん、あなたはその中澤の上司だった方ではありませんかっ！」
志津は声を荒げていた。両手を後ろに縛られていることを忘れている。
蛭田はうつむいたまま畳の目を数えているように頭を動かし、小さく呟いた。
「確かに……」
すっと顔を上げた蛭田の双眸にまた淫らな光が戻っていた。いやらしい視線が志津の着物の裾から胸へと舐めるように這う。そして、何かを思い定めたような表情になってからだを起こすと、蛭田は角張った顔を左右に振りながらニッと口の片方の端を吊り上げた。
「奥さん。中澤くんが亡くなってもう一年ですよ。夫と別れて半年が経過すれば女性が再婚することを法律も許していることだし、もう誰にも憚(はばか)る必要はないじゃありませんか」
（な、何ということを……）
余りに条理を忘れた蛭田の言葉に息を呑んだ志津は、キッと眉を吊り上げた。
「蛭田さん、どうかなさったのじゃありません？ そんな無理なことはおっしゃらないで早くこの手の縄をほどいてくださいっ！」
嫌悪と軽蔑の白い色に憎悪の色さえ混じっているような志津の視線と口調に、蛭田の四角い顔が見る見る赤く膨れ上がった。
「そうか、大の男がこうやって畳に手を突いて頼んでもダメなのか……。それなら奥さん、無理にでも思いを遂げさせてもらうよ！」
プライドを傷つけられた怒りを剥き出しにした蛭田は、不埒な言葉を言い放つや否や、すっと片足を繰り出した。思わず身じろいだ背筋を怖気(おぞけ)が駆け上る。志津の全身は粟(あわ)立った。
「よしてっ！ 乱暴はよしてっ！」
叫びながら志津は後ろへ這い逃げようとした。が、すぐに壁が立ちはだかる。狭い和室に逃げ場はなかった。志津は後ろに縛られた両手の先でからだを支えて唇を震わせた。その左右の腋の下に太い腕が差し込まれた。
蛭田は、志津を軽々と抱え上げると浮き上がった両脚を柔道の足払いの要領で横に払い、あっと言う間に志津を仰向けに押し倒して覆いかぶさってきた。
「ああっ、イヤっ！ やめてっ！」
跳ねのけようと両脚をばたつかせる志津の太ももの上に、蛭田はドスッと腰を落とした。懸命に足掻(あが)く志津の姿を愉しむように淫猥な笑みを浮かべ、着物の帯に手をかけた。
「や、やめてっ！ お、お願いですから、やめてください……」
身動きを封じられた志津はすでに涙声になっている。しかし、蛭田はそんなことなど意に介さない。慣れた手つきで帯揚げを引き抜き、帯締めをほどくと太い腕を腰の下に差し入れて志津の腰を浮かさせ、きゅーきゅきゅーっと絹鳴きをさせながら袋帯を外し取った。
「ご、後生です。後生ですから……」
上半身をよじって訴える志津の着物の紐を、蛭田が次々と抜き取っていく。着物の前をはだけさせて、長襦袢の伊達巻をほどいた。
「お願いです。こ、こんなことは……。や、やめてください……」
哀願する長襦袢の胸前がグイッと左右に引き開かれ、まだ瑞々しい乳房がポロリと白くこぼれ出る。志津の頬は一瞬にして朱に染まった。
「ああ、無体な……」
顔を横に伏せた志津の白い乳房を、蛭田の淫らな両手がぎゅっとつかむ。慄(ふる)え立つ赤い乳首を節くれ立った太い指がつまみ、グリッとひねった。
ううっ！ 細首がパッと桜色に染まり、志津は顔を大きく仰け反らせた。一気に荒くなった息遣いに合わせてふたつの白い乳房が揺れる。それを下から包むように揉み上げられ、志津は「ああ……」とやるせない吐息を洩らした。
ヤニ臭い口が膨らみを増してきた乳首を吸い上げる。蛇のような舌先がチロチロと乳輪を舐めまわす。淫らな赤黒い舌は執拗に乳房を責め続け、ねばねばした唾液のヌメリを乳首の周りに残して鳩尾(みぞおち)を這い降りた。
弱々しく顔を左右に振る志津のいかにも切なげな表情を愉しみながらすっとからだを横にずらした蛭田は、舌先を形良く縦に切れたヘソの窪みに差し入れた。
あ……。思わずくねらせた両ももが痛々しいほど白い。
乳房を揉み上げていた手の片方がいつの間にか湯文字を捲り上げ、薄いパンティの上から羞恥の茂みを撫で上げていた。
「よ、よしてっ。そ、そこは……」
許してっ、という言葉にとって代わって「ああーっ！」と激しい狼狽を示す声が半開きの口からこぼれ出た。
その志津の、女盛りの妖艶ささえ感じさせる漆黒の茂みに蛭田は顔を密着させ、鼻先を恥丘にちょんと押しつけた。
ひっ！ ゾクッと妖しい震えが背筋を走り、志津は大きく身をよじった。
しかし、後ろ手に縛られていては逃れようにも自由が利かない。朱に染まった顔を横に傾け、わななく紅い唇を噛み締める。濡れそぼった長い睫毛の間から大粒の涙がポロッとこぼれ落ちた。
（ああ、誰か……。誰か助けてっ）
すがれるものならば藁(わら)にでもすがりたい志津の頭の中を、当てのない助けを求める言葉が駆け巡った。
その志津の股間に顔を埋めた蛭田は、鼻をくんくんピクつかせて女陰の匂いを嗅いだ。
「ああ、よしてっ。もうよしてください、お願いです……。蛭田さん、そ、そんなことはやめて……。お願いです。どうか、ゆ、許してください……」
懸命に憐れみを乞う志津の言葉など聞こえないかのように、蛭田は夢中になっていた。鼻の穴を大きく拡げて恥丘の茂みを隈なく嗅ぎ、鼻頭で茂みの中心を縦に走る花肉の秘裂をなぞった。
ひいっ！ 志津は再び鋭い悲鳴を上げた。仰向いた首を畳に立て、背中を弓のようにしならせて開いた唇をわなわなと震わせた。
志津の恥じらい露わな狼狽振りと股間の香しい匂いに得心したのか、にんまりと顔を上げた蛭田は、喘ぐ志津の顔を見つめながら左手で乳房を揉みしだき、右手を白く柔らかな太ももに伸ばして撫で回した。そして、むちむちと官能味あふれる下腹部を覆う薄いパンティに指をかけた。
「あっ、やめてっ。お願いっ。後生ですから、や……」
しゃくり上げはじめた志津の艶(つや)やかな太ももを滑るように薄いパンティが引き降ろされていく。白い陶器のような艶のある丸い膝を寄せてわずかに抵抗を見せたが、それも空しかった。すでに脛(すね)をすべり抜けていたパンティはさっと足首から抜き取られ、左右の白足袋(しろたび)がゆらっと揺れて内側に倒れ、志津の切なさ哀しさを代弁した。
抜き取ったパンティを無造作にポイッと投げ捨てた蛭田はスクッと立ち上がった。
さっとズボンを脱ぎ落として下半身を露出すると、淫蕩な眼差しをぴったり閉ざしている志津の股間の茂みに向ける。
蛭田は、怒張して反り返った肉茎に片手を添え、それを誇るように見せびらかしながら舌なめずりをした。
「蛭田さん。お、お願いです。も、もう、これ以上は……」
身を硬くした志津が涙声で頼んだが、蛭田に情け容赦はない。獣の情欲を剥き出しにした言葉を投げ返した。
「やめる訳にはいかないんだよ、奥さん。なにせ俺はずっとこの機会を待っていたんだからな。それに奥さん……。ここまできてやめちゃ蛇の生殺しだ。長年の思いを遂げさせてもらうよ！」
息を弾ませた蛭田は志津の両脚の膝裏をつかんで持ち上げ、二肢をグイッと割り開いた。
「ああっ、イヤっ！ やめてーっ！」
悲鳴を上げて弓反る志津の股間に腰を割り入らせると、蛭田はいきり立った肉棒の先を女陰にあてがい、そのまま突き入れようとした。
志津は咄嗟に腰をひねった。が、それも儚(はかな)い抵抗に過ぎない。怒張した熱い肉棒は志津の女陰にズイッと押し入ってきた。
あっ、ああっ、ああーっ！ 首が仰け反り、蛭田の胴を抱かされている両足の爪先が反り返る。
ああっ、イヤっ、と狂ったように首を振りながら、志津は（何かの間違いであって欲しい、悪い夢であって欲しい……）と心の中で願った。
荒く喘ぐ志津の真っ白い乳房を揉みしごきながら、蛭田は激しく腰を使った。そのピストン運動にあわせて畳の上を滑るからだから力が抜けていく。志津の声音は次第に変化していった。
「ああっ、やめてっ。お、お願いです。や、やめてください……」
弱々しくそう言った後で志津は言葉を失った。蛭田の腰の動きに合わせるように紅い唇からよがり声とも思える声音を洩らしはじめた。
あ……、ああっ、う……、ううっ、はぁっ、あっ、ああーっ。
志津は喘ぎながら戸惑いを感じていた。意に染まない荒々しい交わりが性感を高ぶらせるはずがない。そのはずはないのに……。
性感が昂ぶっていく。熱い肉茎に蹂躙(じゅうりん)された志津の女陰の内部は女の蜜で溢れてきていた。
（どうして？ どうしてこんなに感じてしまうの？）
長らく味わっていなかった性の喜びが目覚めたのかも知れない。あるいは両手の自由を後ろに封じられて無理やり犯される異常な交わりが女の官能を昂ぶらせているのかも知れない。が、今はそんなことはどうでもいい。志津は蛭田に早く果てて欲しかった。
そして、志津にとって辛く切なく長い数分間が経った……。
ようやく志津から離れた蛭田は、立ち上がって自分のイチモツの始末をすると満足げな笑みを浮かべて、志津の両手を後ろに縛めていた縄をほどきにかかった。
「ふふふ。よかったよ、奥さん。あんたは思ってた以上にいい道具を持ってる……」
後ろ手の縄をほどかれて自由は戻ったものの、志津の両腕は痺れている。指先が小さく震えた。その頼りない指で志津は乱れた胸前を閉じ合わせた。着物のたもとから取り出したハンカチで股間を拭うと、熱い涙がどっと溢れ出た。がっくり肩を落とした志津は、麻縄が喰いこんだ痕が生々しい華奢な手首をいたわるように揉みほぐしながら小さく呟いた。
「ひどいっ……」
「そうかな？ あんたも久し振りに愉しめたんじゃないの？」
ケラケラ笑う声に、嫌がる女を力で征服した自分をさも誇るような傲慢(ごうまん)な響きがあった。わざとこしらえたおどけ顔が目を背けたくなるほど厭らしい。その口の片端をニッと吊り上げ、蛭田は半ば放心状態の志津の脇に腰を下ろした。
太い腕を後ろから廻し、口を半開きにして虚ろな視線を畳の上に這わせている志津の肩を抱く。白いうなじに口吻(こうふん)を注ぎながら袖わきの八つ口から手を差し入れ、志津の熟れきった乳房をワシづかみにした。
ああっ！ 寄せた眉根の間に皺がくっきりと浮き立ち、乳首が再び膨らみはじめる。その赤い乳首を淫らな指先がくりくり弄(もてあそ)んだ。
ううっ、と突き出した志津の顎の上で結んでいた紅い唇が開く。横に垂らしていた手が持ち上がり、乳房を嬲(なぶ)る蛭田の手を着物の上からつかみかけた。が、その手も喘ぎながら弱々しく膝の上に落ち、こぼれ落ちた涙が白い頬に糸をひいた。
ニタリ顔の蛭田が抱き寄せた志津の耳元で薄い唇をすぼめ、猫なで声で囁いた。
「奥さん。俺、奥さんの生まれたまんまの姿を見てみたいなぁ。何もかも脱ぎ捨てた綺麗なからだを俺に見せてくれませんかね？」
「蛭田さん、お願いです。こ、これ以上は……。もう、ゆ、許してください……」
志津は片手を畳に突いて腰をずらし、蛭田の懐(ふところ)から逃がれようとした。顔を背けようとすると頬に鋭い痛みが走った。一瞬遅れて耳に飛び込んできたパシッという音に、志津は切れ長な眼を大きく丸く見開いた。
「許してくれだと？ そんな我がままは通らないんだよ！」
打たれた頬を両手で押さえた志津の瞳がおののいている。胸が張り裂けるほど恐怖感が膨れ上がっていた。両親は言うまでもなく夫にも只の一度たりとも手を上げられたことはない。暴力に対する免疫があるはずはなく、志津は慄(ふる)え上がった。
「奥さん、あんたと俺はもう他人じゃなくなったんだぜ」
「ご、後生ですから……」
そう言うのが志津には精一杯だった。
「また後生か？ 後生だろうが何だろうが、俺が見たいと言ってるんだから素直に裸になるんだ。ついさっきまでよがり声を出してたあんたが、今さら恥ずかしがることはないだろう？ どうしてもイヤだと言うんなら俺が着物を剥ぎ取るまでだな」
「ま、待ってください！ 乱暴は……しないでください。お願いします……」
「じゃぁどうするんだ？」
「…………」
言葉が出てこない。志津の喉はひりひりと渇きついていた。
「自分で脱ぐのか、それとも俺に脱がされたいのか、どっちなんだ！」
蛭田の鋭い言葉が追い詰められた志津の瞳に観念の色を浮かび上がらせた。
「じ、自分で……脱ぎます」
蚊の鳴くような声で答えた志津はおずおずと立ち上がった。
震える手で萩の花模様が哀れみを誘う着物をフワッと脱ぎ落とす。白綸子の長襦袢を肩先から滑らせると長い睫毛の間から真珠のような大粒の涙がポトリとこぼれ落ちた。怯えと羞恥がない交ぜになった目を堅く閉じて肌襦袢を脱ぎ落とす。両腕で乳房を抱きかかえた志津は、膝を突いてその場に身を縮めた。
「おっと、まだ座っていいとは言ってないぞ。そこに立ってじっくり裸を見せてくれなきゃダメじゃないか。さ、しゃんと胸を張って背筋をピンと伸ばすんだ、志津」
蛭田は「志津」と呼び捨てにした。もうすっかり自分のものにしたつもりになっている。その威圧的で傲慢な態度が志津の怯えを助長して、屈従するほかに選択肢のない立場を認識させた。志津の萎え切った心は微妙に変化しはじめていた。
両手で乳房を抱いて静かに立ち上がった志津は、ためらいがちに胸を突き出し、背筋を伸ばした。水地に白梅が散る艶めかしい湯文字に包まれた太ももをよじって恥じらう。
「志津。その手が邪魔だろう。横におくんだ」
蛭田はどこまでも意地悪く志津の羞恥心を煽(あお)った。
涙に濡れた志津の柔らかな頬と小さく喘ぐほっそりとした首はまたたくまに紅潮し、耳たぶまでが真っ赤に染まった。志津は薄く目を閉じて両手を下ろし、その手を湯文字の両脇に添えた。
子供を産んだことのないからだはどこにも崩れがない。お碗を伏せたように形がいい乳白色の乳房は手のひらに包めば溶けそうな柔らかみを感じさせ、膨らみを増した赤い乳首がツンと上を向いている。余分な肉がすべて削ぎ落とされた腹部はきゅっとくびれ、湯文字に包まれた臀部(でんぶ)は量感にあふれている。三十路に入ったというのに見事に均整のとれた肢体は瑞々(みずみず)しさに溢れ、肌理(きめ)の細かい雪のような肌がキラキラ輝いている。
「まだ一枚残っているじゃないか。それもとるんだ」
腰の湯文字を指差した蛭田の薄い唇に淫蕩な笑みが浮かんでいる。
「こ、これは……。これだけは許してください」
「だめだ。それもとるんだ」
蛭田の冷酷な視線が志津をねめつけた。
志津は涙に濡れた長い睫毛(まつげ)をしばたかせた。このまま言いなりにはなりたくない。しかし、力ずくで犯された現実が大きくのしかかっている。
（ああ、慎一さん……。わたしどうすれば……）
蛭田の暴力への怯えが志津の心を慄(ふる)わせた。
「どうした？ 股座(またぐら)をさらけ出すのがそんなに恥ずかしいのか？ それとも俺には見せたくないということか？」
ねちねちとした口調で蛭田が嬲(なぶ)る。が、羞恥と怯えの困惑の極(きわ)みにいる志津に決心がつくはずもない。
薄く目を閉じて唇を噛み締め、からだを小刻みに震わせている志津を厭らしい眼つきでニタニタと見つめている蛭田は、志津が自らすすんで湯文字を取り去って一糸まとわぬ姿になるのを待っていた。美しく気高い女が狂おしく悩んで自分の足もとにひざまずくことを望んでいる。
しかし、沈黙が支配する時間は思いのほか長く感じられる。戸惑いの中に立ちすくみ続ける志津に焦れた蛭田はとうとう声を荒げた。
「何をグズグズしてるんだ。早く腰のものをとるんだよ！」
「は、はいっ！」
ビクッとからだをすぼめた志津は、弾かれたように返事をしていた。志津は恐怖感に克(か)てなかった。
（ああ、慎一さん。わたしを、志津を許してっ！）
口惜し涙をこぼしながら震える指を湯文字の紐にかける。固く目を閉ざして水色の艶めかしい腰布をハラリと落とすと、両手で股間を覆って前屈みに裸身を縮めた。
「何度言えば分かるんだ？ そこに立って背筋を伸ばすんだ。股の手をのけて大事なところもちゃんと見せるんだよ！」
「は、はい……」
おずおずと答えてからだを起こした志津は、股間から両手を放した。その手を艶やかな太ももに添え、胸を突き出すようにして背筋を伸ばす。白い乳房が揺れ、露わに晒(さら)された絹糸のように柔らかな漆黒の繊毛がふるふる靡(なび)き、むせ返るような女盛りの裸身が小刻みに震えた。
「ほほう、見事な生えっぷりじゃないか。形もいいし、きちんと手入れがしてある」
いかにも愉しげに嘯(うそぶ)いた蛭田は、唯一残った足袋の白さが眩しい爪先から太ももへと、柔らかな茂みから形よく縦に窪んだヘソへと、滑るような鳩尾から豊かな胸の隆起へと淫らな視線を這わせた。
舐めるように粘っこい淫らな視線が素肌に突き刺さる。志津は顔を斜めに伏せ、太ももをよじって羞恥を顕(あら)わにした。
「う〜ん。しかし、これほどまでとはな……。じゃぁ今度は後ろを向いて背中も見せてくれよ」
満足げなその言葉が終わる前に志津はくるりと蛭田に背を向けた。
たとえ束の間であっても女の恥部を舐めまわす淫らな視線から逃れられる。志津は両ももに添えていた手をそっと放して、左腕で二つの白い乳房を抱き隠し右手で股間の茂みを覆った。
ほつれた黒髪が薄く汗の滲み出た白いうなじに貼りついている。その白いうなじから優美な曲線を描く背中へと、蛭田はゆっくりと視線を這わせた。
しなやかな背筋は滑るように艶やかで、尻の双丘のはざまから股間の翳(かげ)りが柔らかく姿を覗かせている。
妖しいばかりに輝く志津の肌に生唾を呑み込んだ蛭田は、すっと手を伸ばしてかたわらのアタッシュケースを手元に引き寄せた。
「よし、もう座ってもいいぞ」
志津はホッとした。蛭田に背を向けたまま腰を落とし、両手を胸前に交差させてその場に裸身を縮ませた。
うなじを桜色に染めて羞恥に震えている後ろ姿が憐憫(れんびん)の情を誘う。が、嗜虐(しぎゃく)の欲情をメラメラと燃やしている男に憐れみの情などあろうはずがなかった。
パチンと開いた蛭田のアタッシュケースの中から顔を覗かせたのは、黒ずんだ色をした麻縄の束だった。――
つづく
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