鬼庭秀珍   幻想花、志津という女の物語





   第四章  
こころ惹かれて








  ボクの胸の鼓動が早まり、顔が火照っている。股間の分身は膨らんでいた。

「キミ、何を一所懸命に読んでいるんだね?」

「こ、これが……。ちゃ、茶封筒の……。しょ、小説の原稿が……」

 突然声をかけられてボクの舌はもつれた。顔が、火が燃えているように熱かった。

「そうか。そこに紛れ込んでいたのか……。てっきり失くしたと思っていたんだが……。うん、よかった、キミに資料整理を頼んでよかったよ」

 うなずきながら独り言のようにそう言った先生は、「「じゃぁキミ、それを紐で(と)じて、表紙をつけておいてくれないか」とボクに指示をした。

 本当に失くしたと思っていたのかどうかはよく分からないけど、とにかく先生はボクの興奮に気づかない振りをしてくれた。それでだろうけど、ホッと撫で下ろした胸の奥からボクの好奇心がしゃしゃり出た。

「先生、この原稿に出てくる志津さんというひとは……」

「ん? ああ、その話の主人公のことか……」

 先生の話によると、中澤志津という主人公は実在の人物がモデルなのだそうだ。早くに両親を亡くした身寄りの少ない女性で、伯父夫婦の手で育てられた。そんな境遇もあってか、いつも慎ましく目立たないようにして成長し、女子短大を卒業してすぐに勤めはじめた会社で後に夫となる中澤慎一と出会ったらしい。

「やっと幸せをつかんだというのに夫に先立たれ、そのうえ悪い男たちに運命を(もてあそ)ばれた可哀相な女だよ。私が彼女の辛い体験を知ったのは十年以上昔のことだがね……」

 先生は髭に囲まれた大きな口で苦虫(にがむし)を噛み潰した。

「そこに書いた蛭田のような男はね。性衝動が強過ぎて相手を思いやる余裕を失った結果として女に屈辱を与える、と傍目には思われがちだ。けれども実際は、性欲を満足させることより女に屈辱を与えることが第一の動機であることの方が多いのだよ」

 先生は庭の立木の方角をギロッと(にら)み据えた。明らかに怒っていた。まるで立木の向うに蛭田和幸がいるみたいだった。ボクは、とりあえず首を縦に振った。

「ところでキミ。フロイドという精神病理学者の名前は知っているだろう? 精神分析学の基礎理論を確立した大先生だ。そのフロイドによれば、人間の心は〈超自我〉と〈自我〉と〈エス〉の三つに大別されるそうだ。そのうちの〈エス〉が厄介な曲者でね……」

 先生はニコッと鬼瓦顔を崩して話を続けた。

「なにせ普段は意識の下にじっと隠れている。その癖、時々思いがけない形で姿を現す、それも当の本人には何の断りもなく……。エスというのは、人間の(ごう)といわれるものと深く関連しているようだな。女の場合は(さが)と言った方がいいのかも知れないがね」

(なるほど、成る程……)と、ボクは首を何度も縦に振った。

「そんな女の性の一例として、被虐(ひぎゃく)体験による精神の変化というか、心の様相の移り変わりを憶測しながらまとめてみたのがその小説なんだが、思うところあって未発表のままにしてある。キミはたしか二十五歳だと言っていたね。そうか、もう衆議院議員選挙にも立候補できる年齢だな。それならいいか……。よしっ、最後まで目を通しても構わないよ、少々刺激が強いかも知れないがね」

 先生は気を取り直したらしく、例によって不気味に優しい眼差しになってそう言うと、ついと自分の机に向かった。放り出された恰好のボクは、改めて物語の余韻に浸った。

(あの後、志津さんはどうなったんだろう?)

志津さんが(はずかし)められる場面を想像しながらボクは厚紙でタイトルページをつくった。

(悪い男たちに(もてあそ)ばれたということは……。志津さんに(ひど)いことをする男が蛭田のほかにまた現われるってことか……)

 そう思った途端に胸がきゅーっと緊めつけられた。

 ボクは言われた通りに『ある女の物語』とタイトルを書き揃えた原稿に千枚通しで穴を穿って紐で綴じながら、卑劣な男たちに(なぶ)られる志津さんの心の(うち)をああかも知れないこうかも知れないとグダグダ考え続けた。

 先生から許しをもらって(せき)が切れたボクの意識は、妖しく刺激的な物語へとドッと流れ込んでいた。あふれ出た好奇心が志津さんの哀しい運命に思いを(は)せた。

(早く続きが読みたい……)

 とはいえ資料整理を放っておくわけにもいかない。ボクは必死になって、午前中に資料のほぼ半分を片付け終えた。

「お口に合えばいいのですが……」

 お昼に出てきたピザは奥様の手作りだった。感動した。感動でモノが喉を通らなかったと前に誰かが言っていたけど、ボクはガツガツムシャムシャと、あっと言う間に全部平らげてしまった。味は(おぼ)えていない。

 ひと息ついたボクは、(あと二時間もあれば残りの資料も全部片付くだろう)と思った。正直に言うと(二時間で片付けないと原稿を読む時間がなくなっちゃう)と思った。もっと正直に言えば、二時間で片付ける自信はなかったけど敢えて出来ることにした。ボクは、資料整理は後回しにしてあの妖しい物語の次のページをめくった。




――志津は、畳に腰を落として蛭田に背を向け、両手でしっかり胸を抱いて裸身を縮ませている。その背後でアタッシュケースの中から顔を覗かせた麻縄は、すでに何人もの女の汗と脂をたっぷりと吸ってどす黒く変色していた。


 アタッシュケースにぎっしり詰まった縄束のひとつを手にした蛭田は、ニヤついた顔で縄をほぐしながら志津の背中に軽く声をかけた。

「さ、両手を後ろに廻すんだ、志津」

(ええっ?)

 首だけひねって後ろを振り返った志津は蛭田の手許を見てたちまち顔色を変えた。

「ど、どうして……こんな姿のわたしを……」

「縄で縛るのかって? どうもこうもないさ。裸の女を縄で縛るのが俺の趣味でね。前からいっぺんお前さんを縛ってみたかったんだよ」

「そ、そんな……」

 ほぐした縄を二つ折りにして揃えた蛭田が志津ににじり寄る。

「ぐずぐず言ってないで、さ、早く両手を後ろに廻して背中で組むんだよ」

 蛭田は前屈みに身を縮めて怯える志津の背中を指先で突ついた。

 ああっ! 背中を震わせた志津は幼な子がイヤイヤをするようにかぶりを振って訴えた。

「お、お願いです。そ、そんなこと……やめてください」

「そうはいかないね」

 冷たく(うそぶ)いた蛭田は志津のうろたえぶりを愉しんでいる。卑猥(ひわい)な笑みを浮かべた口に縄の端を(くわ)えると、背後から覆いかぶさるように太い両腕を廻し、志津の華奢(きゃしゃ)な手首をつかんで後ろへ手繰った。

「イヤっ、やめてっ!」

 抵抗を示した志津の両手を内側にひねりながら背筋に運んだ蛭田は、左右の手首を重ね合わせて片手で握り締め、もう片方の手で口の縄をつかんだ。

 と、その時志津は、思い切りからだを前に投げ出した。

 手首をつかむ力がわずかにゆるんだ(すき)に蛭田の手を振りほどいた志津は、畳に突いた両手をバネのように使って跳ね起きた。一瞬動きの止まった蛭田を尻目にさっと身を翻し、部屋の出入り口へ向かって畳を踏み鳴らした。

 しかし、茶の湯を(たの)しむために工夫を凝らした部屋の構造が志津に(わざわ)いした。利休風の茶室を(も)した出入りの引き戸は、腰を深く折り曲げてくぐらなければならないような高さしかない。逃げ足をゆるめ腰をかがめて引き戸に手をかけたところで、志津は捕り押さえられた。

「放してっ! 手を放してーっ!」

 肩にかかった蛭田の手を振り払い、志津はなおも身をよじって引き戸を開けようとした。
 その肩に再び手をかけて自分の懐に引き寄せた蛭田は、太い右腕を志津の細首に廻してそのまま抱え上げるようにして喉を緊め上げた。

 ああーっ、うっ、ううっ! 仰け反った顔がゆがみ、たちまち長い睫毛が濡れる。

 蛭田は呻く志津の耳元に口を寄せると、腕の力をゆるめながら囁くように訊いた。

どうだ? おとなしく言う通りにしないと痛い目に遭うことがよく分かったろう?」

……は、はい」


 かすれた声を震わせた志津は、蛭田の腕が喉首から外れると同時に涙に濡れた顔を両手で覆ってその場に崩れ落ちた。その脇で麻縄がとぐろを巻いている。

「分かればいい。さ、両手を後ろに組むんだ」

「お、お願いです。堪忍してください、こんな姿のままで縛るのは……」

「裸の女を縛るのが俺の趣味だと言ったろ? つべこべ言ってないで素直に縛られることだ。それともまた痛い目に遭いたいのか?」

冷酷な言葉が胸を貫き、淫らな視線が肌を刺す。志津はすすり泣きながら首を小さく左右に振った。もはや自分を諦めざるを得ない。たとえわずかでも抵抗を示せばこの男は凶暴になる。蛭田の望む通りにするしかなかった。


「わかりました……。あなたのお好きなようになさってください……」

 追い詰められた志津は、か細く悲しげに、蛭田に向かってそう言った。

 正座に直って白磁のような光沢のある両腕を静かに後ろへ廻す。華奢な両手首を背中の中ほどに重ね合わせると、志津は薄く眼を閉じて顔を伏せた。

「ほう、いい覚悟じゃないか」

 からかうように言った蛭田は、志津が自ら重ね合わせた手首にひと巻きふた巻きと、さも愉しげに縄をかけていく。かっちり縛り上げた両手首をググッと高く引き上げた。

 ああっ! 鋭く呻いた志津の細くなよやかな両腕は滑らかな背中にX字を描いた。

両手首を縛った縄尻が二の腕から前に渡され、ふっくら盛り上がった胸乳の上部を二重三重に緊めつけ、ぎゅっと後ろに引き絞られて結ばれた。

 うっ、ううっ、と呻き声を洩らしている間に背中でつながれた二本目の縄が前に廻って胸の下にもぐりこんで豊かな白い乳房を緊め上げた。

 あっ、ううっ……。縄がひと廻りして再び乳房の下にもぐり込んだ。

 ひしひしと素肌にかかる縄に志津の眉はきつくゆがんだ。

 たわわな真っ白い志津の乳房を絞り出した縄は、一旦背中に戻ると左脇から二の腕の内側をくぐり、乳房を下から緊め上げている縄にからんで後ろへ引かれた。右でも同じように縄がさばかれて両脇に抜け止めの(かんぬき)がほどこされた。志津の白く冴えた頬をひと筋、哀しみの涙が伝った。

「志津。お前のように均整がとれて柔らかいからだの持ち主には縄がよく似合うんだ。どの部分の肉付きも理想的だし、第一、肌が白くて肌理(きめ)が細かい」

 後ろ手の高手小手に厳しく縛められた志津は、裸身を立膝に縮めて震えている。女の秘所を覆い隠したいのにそれすら出来ない。素肌に縄を打たれたことが口惜しかった。その志津の思いを、背中でぎゅっと握り締めた両の(こぶし)がブルブル震えて訴えた。

 羞恥と屈辱に震える志津を眺めながら一人悦に入っている蛭田の手が、またアタッシュケースへ伸びた。

 蛭田は、取り出したカメラのレンズを志津へ向けてファインダーを覗きこんだ。

「や、やめてっ! 写真を撮るのはやめてください!」

「なんだって? やめてくれだと? 好きなようにしてくれと言ったのは誰だった? お前だろ? さ、その綺麗な顔をちゃんとカメラの方に向けるんだ」

 パシャパシャと続けざまにシャッターが切られ、ストロボフラッシュが縄をまとった裸身を妖しく白く光り輝かせる。その度に志津の心はますます小さく(しぼ)んでいった。固く眼を閉ざして唇をぎゅーっと噛み締め、大粒の涙をこぼした。

 しかし、蛭田に容赦はない。泣き濡れた志津の顔がはっきり写るように角度を替え、距離を変えて、二十枚近い写真をカメラに収めた。

「立ち姿も撮っておくか……」

 ふふっと鼻先で笑った蛭田は、志津の両腕を背中に縛めている縄に別の縄をつなぎ、その縄尻をグイッと引いた。

「さ、立つんだ」

 志津は桔梗(ききょう)の一輪挿しが(はかな)げな床の間の前に連れて行かれ、床柱に立ち縛られた。

 左膝を斜めに持ち上げた志津は、白くむちむちした太ももを重ね合わせ、柔らかな繊毛に覆われた女の恥丘を隠した。が、畳に残した右足がよろけた。慌てて左を降ろして足の位置を変え、再び膝を上げて太ももをよじった。

 その志津の膝に蛭田は新たな縄をかけた。膝の上部をふた巻きして結ぶと、膝裏に手を差し入れてグッと持ち上げた。

「ああっ、イヤっ! やめてっ! こ、こんなこと……」

 
激しく左右に顔を振ってもすでに遅い。志津の左膝は瞬く間に斜め上に吊り上げられ、大きく開いた股間で女が息づく柔らかく膨らんだ繊毛の茂みが慄えた。

「見ないでっ。お願いっ、見ないで……ください」

 志津は顔を横に背けた。頬が熱く染まっている。

「ほう、股座(またぐら)(さら)すのがそんなに恥ずかしいとはね。社長夫人ともなると大変だなぁ」

 皮肉を言いながら蛭田は、志津の左膝を吊り上げた縄を床柱につなぎ止めた。

 ああ……と羞恥の吐息を小さく繰り返す志津の顔を下から覗き込んだ蛭田は、淫らな薄笑いを浮かべると、志津が脱ぎ落とした衣類の中から湯文字を手にして前に立った。

「恥ずかしいところを隠したいんだろ? これでも口に(くわ)えるか? どうするよ?」

 ひひっと下卑た笑い声を出した蛭田は、桜色に染まった志津の頬を湯文字の端で撫でまわし、震える唇に圧しつけた。

「どうするんだ、志津。これを咥えるか?」

 ああっ! 指先で乳房をつつかれ、志津の顎が突き出た。

 ニヤリと口の片端を吊り上げる蛭田は底意地の悪い辱めを何か考えているに違いない。が、湯文字を咥えればひとまず下腹部は覆われる。

 志津はコクンとうなずいて紅唇を開き、湯文字の端を咥えた。くの字に縛り広げられた左右の真っ白い太ももの内筋がピクピク引き攣り、その股間に垂れた水色の湯文字がゆらゆら揺れている。

「いい姿だ。実に色っぽい。ゾクゾクするよ。まるで浮世絵を眺めているような気分だ」

 満悦顔の頬をゆるめた蛭田は、再びカメラを手にしてシャッターを切った。

 ストロボフラッシュを浴びると志津は反射的に顔を背ける。その度に湯文字が揺れ動いて漆黒の茂みが顔を覗かせた。せめて片脚を吊り上げている縄だけはほどいて欲しい。しかし、その思いを口に出すと湯文字が落ちかねない。女の羞恥を隠す布は言葉を奪う猿轡の役割もしていた。志津は咥えた湯文字の端を噛み締めて、ぐううっと呻いた。

 志津の心の(うち)を見透かした蛭田は、案の定、新たな(なぶ)りを開始した。上下にきつく喰いこむ麻縄に絞り出された白い乳房を指の腹で満遍(まんべん)なくなぞり、膨らみを増した赤い乳首を(たなごころ)でくりくり弄んだ。

 うっ、うううっと呻くことは出来ても、やめてくれと言葉にすることは今の志津には出来ない。そのやるせなさと苛立ちが刻々と募った。何度も、「嬲るのはもうやめてっ!」と叫びそうになった。が、強い羞恥心がそれを抑えつけていた。

 んっ、うっ、んんっ、ううっ……。眉をひそめ喘ぎ声を漏らしながらのけ反る志津の首筋に蛭田の舌がヌメヌメと這う。その感触がおぞましい。

 ああっ……と小さく開いた口から水色の布が滑り落ちそうになる。それをかろうじて唇の先で捕らえた志津は、湯文字の端を咥え直し、大きく鼻で息を吸った。途端に乳房の上下がぎゅっと緊まった。


(ああ、縄が……、この縄がめしい……)

 
志津は、浅ましい姿にされた恥辱と縄に自由を奪われている屈辱を改めて強く感じた。それ以上に自分が女であることが恨めしかった。蛭田の執拗で巧妙な愛撫に(あお)られ、女陰の奥では妖しい官能の炎が燃えはじめていた。

 ああっ! 湯文字を咥えた唇がゆるんだ。蛭田の節くれ立った手が両の乳房をぎゅっと握り、揉みしごきはじめた。

 眉根を寄せ奥歯を喰いしばって何とか気をそらせようとするが、火を着けられた官能の昂ぶりは容易には抑えられない。

 志津の額に脂汗が滲んだその時、蛭田の片手がふっと乳房から放れ、つーっと指先で脇腹をなぞった。

 ひいっという叫びと同時に志津が口に咥えていた湯文字がパラリと足元に落ちた。

「ほう、落としたか……。いよいよ股の奥まで見せてくれる気になったな」

「ひ、蛭田さん……。こ、これ以上(なぶ)るのはやめてください……。お、お願いします」

「ふっ、ふふっ……」

 蛭田に聞く耳はない。いかにも愉しげにカメラのシャッターを切り続ける。

 お願いしますと懇願を続ける志津の、片脚立ちの畳に突いた爪先にかかった水色の腰布が流れ落ちた涙で濡れた。一糸まとわぬ肌身を後ろ手に縛り上げられたのみならず、床柱を背負って片脚を高く引き開らかれている。股間を覆い隠していた布も失った。露わに晒した黒い繊毛の茂みに女の密がすでにジワッと滲み出ている。その恥ずかしさは狂気しそうなほどに志津の心を嬲った。

「これでよし!」

 フィルム一本を使い切った蛭田は涙をすすり上げている志津の顔を覗き込んで凄んだ。

「警察に訴えるような馬鹿はしないよな、志津。その方がお前のためだぜ。この写真がご主人の実家へ届いてもご近所にもばら撒かれてもいいのなら別だがな」

 蛭田の恐ろしい言葉に、羞恥に赤く染まっていた志津の顔がたちまち蒼白に変わった。

「これがある限り、俺の身も安全というものだ。違うかな?」

「…………」

 志津は言葉を失い、新たな恐怖に胸を緊めつけられていた。身を震わせると縄が柔肌を緊めつける。美しい裸身をからめとった麻縄は、女であることの悲哀と絶望感を志津の心に植えつけた。

「お陰でいい写真が撮れたよ。ははははは……。それじゃ、これで失礼するよ」

 脂ぎった頬を皮肉っぽくゆがめて志津の顔を覗き込むと、蛭田はこのまま立去ろうとした。志津は慌てて喉から声を絞り出した。

「ま、待ってください、蛭田さん。な、縄を…。この縄を……」

「そうか、そうだったな。その縄をほどいてくれる人間はいないって訳だ。よし、武士の情けをかけてやろう。ありがたく思うんだぞ」

「あ、ありがとうございます」

 志津は蚊が鳴くような声で礼の言葉を口にした。

「ちゃんと礼が言えたじゃないか。そうでなくちゃな」

 鷹揚(おうよう)に「よし!」とうなずいて胸を張った蛭田は、片膝を吊り上げた縄を外し、立ち縛りに床柱につないだ縄をほどいた。そして、抱きかかえるようにして志津を畳の上に降ろすと崩れかかる背中の両手首を縛った縄に手をかけた。が、結び目をゆるめただけで縄をほどこうとはせず、薄い唇をゆがめてニヤッと笑った。

「あとは自分で何とかするんだな」

 そう(うそぶ)いた蛭田は、高笑いしながら立ち去っていった。

 最後まで志津を嬲りぬいた卑劣な男の後ろ姿が視界から消えた時、まだ裸身を縄に縛められている志津を不思議な安堵感が包んでいた。志津を狼狽させた下腹部の甘い疼きも続いている。

 しばらくの間、まるで緊縛遊戯の余韻を愉しんでいるかのように、志津は素肌にかかった麻縄に甘く身を委ねていた。――



                                                    つづく