鬼庭秀珍   幻想花、志津という女の物語





        第五章  
売られた女







 ボクは原稿をジッと睨みつけていた。

(なんてヤツだ、蛭田って男は……。あいつはきっと報いを受ける、そうでなきゃ世の中が間違ってる……)

 憤然として頭の中で呟いたボクの顔は股座
(またぐら)の分身以上に赤く膨れ上がっていた。そのことに気づいてドギマギしたところにまた雨息斎先生から声がかかった。

「キミ……。キミはその話の主人公に
(ひ)かれてはいないかね?」

「そ、そんなことないです……」

 咄嗟にそう答えたものの、心の中をスパーンと見透かされたような気がした。
(確かにボクは惹かれてる、先生の奥様とイメージが重なる志津さんに……)

「キミは今、ごまかそうとしたね」

 苦笑した先生は、半袖シャツからはみ出た
(ひじ)を手で覆っていたボクの腕を指差した。

「心理分析の専門家によると人はね……。本心を隠そうとすると同時に肌の露出した部分を無意識に隠すものらしい。今のがそれだったぞ」

 先生は白髪混じりのアゴ髭を撫でた。例の不気味に優しい笑顔になっていた。

「なにも『女を縛るのが好きなのか?』と
(き)いた訳ではないのだから気持ちを(いつわ)る必要はない。ところでどこまで目を通したのかね?」

「し、志津さんの縄を……、蛭田がほどかないで立ち去ったところまでです」

 確かにボクは志津さんの強いられたあられもなく恥ずかしい姿を想像していたし、美しい志津さんが顔をゆがめる辛い気持ちを思って感情移入していた。でも、卑劣な蛭田に憤っていたんだ。(志津さんを縛ってみたい……)なんて思った訳じゃない。

「そうか、なるほど……。それにしても酷い男だろう、蛭田という脇役は……。実在の人物がモデルなんだが、当人は軽蔑にも値しないような卑劣な男でね。私は憎いとまで思っている。あの男に
(もてあそ)ばれて酷い仕打ちを受けた彼女を抱きしめてやりたい心境だったな、この話を耳にした時には……。しかし見方を変えると、男に翻弄された体験が彼女を実に魅力的な女にしたと言えないこともない。今の私はそう思っている」

(えっ?)
 ボクは思わず首を伸ばしていた、先生の言葉の意味が理解できなかったから……。

「しかし、一般の小説とは趣が違うから刺激が強過ぎるのかも知れないな、キミには……。続けて読むつもりなら、登場人物の心理分析をするつもりで読むといいよ」

 そう言うと先生は、何もなかったように再び机に向かった。

 その時ボクは、ボクの左手が股間のものを握っていた。頭にカッと血が昇り、顔がまた真っ赤になった。それなのにボクは、(先生はきっと何か意図があって読めと言ってくれているのだから……)と、すぐに都合よく解釈して自分が性的な興味に引きずられていることを正当化した。




――蛭田に犯され
(はずかし)めを受けたあの日。虚脱状態に陥っていた志津は、しばらく身動きすら出来なかった。物音一つ聞こえない茶室に後ろ手に縛られた裸身を横たえていた。

 しかし、下腹部の妖しい
(うず)きがようやく治まった頃に戸締りができていないことに気づいてハッとした。あわてて縄をほどこうとしたが、結び目がゆるんでいるとはいえ素肌をきつく縛めた縄はなかなかほどけない。

(ああ、いけない。誰か訪ねてきたらどうしよう……)

 
焦燥(しょうそう)感にられた志津が、全身から玉の汗を噴き出させてやっと縄の縛めから逃れたのは蛭田が去って一時間半も後だった。

(もう二度とあんな思いはしたくない……)

 切れ長な眼に口惜し涙を滲ませてそう願っても、あの卑劣な男はいつ再び姿を見せるか分かったものではない。突然訪れて新たな無理難題を押しつけられたとしても、志津にはそれをね返す気力も体力もない。志津は蛭田の影にビクビクしながら日々を送った。

 志津は、無理やり犯された口惜しさに唇を噛み、素っ裸に
(む)かれて縄で縛り上げられた恥ずかしい姿を写真に撮られたことを思い出しては涙で頬を濡らした。忘れようとすればするほどあの(い)まわしい記憶が生々しく(よみがえ)る。眠れない日が続いた。

 ところが、案に相違して蛭田からは何の音沙汰もなく、ひと月余りが経った。
とはいえ志津には身動きがとれなかった。警察へ訴えたとしても「合意の上だった」と言い張られるのは目に見えている。その
(きょげん)(くつがえ)すだけの証拠もなければ証人もいない。被害者であるはずの自分が恥を晒すだけに終わり、あの浅ましい姿をした写真がばら(ま)かれる。もうこの先なにも起こらないで欲しい。悪い夢を見たと思って早く忘れてしまいたい。それが志津の正直な気持ちだった。

 しかし、深まる秋にじっと身をひそめて暮らしていた志津を、悪夢は再び襲った。十月下旬の風が吹きすさぶ日の昼下がりに突然かかってきた電話がそれだった。

「はい、中澤でございます」

「もしもし、志津さんか? 俺だ、蛭田和幸だよ。ずいぶんご無沙汰してしまったけど、元気にしてるかね?」

「…………」
 驚きで声をだせないでいる志津に、蛭田はこんなことを言った。

「実は俺さぁ、あんたと紅葉を楽しみたいと思ってね……。付き合ってくれるよな? すっぽかしたらどうなるかは言わなくてもわかってるだろ? 今度の土曜日の午後二時。立川駅南口のターミナルホテルまで来るんだ。一階のロビーで待ってるから」

 一方的にそう指示した蛭田は、志津の返事も聞かずに電話を切った。

         *


 忌まわしい蛭田からの電話があって二日後の金曜日午後。昼川和夫という聞き覚えのない名前の送り主から宅配便が届いた。

 外包装をとると緑と赤のケバケバしい模様の紙に包まれた縦三十センチ・横二十センチほどの軽い箱が出てきた。恐る恐る箱を開けて見ると中に黒い下着類が入っている。メッセージが添えられていた。

『中澤志津殿。明日の土曜日はこの下着を着け、その上に直接コートだけを羽織ってくること。これは秘密を守る条件の一つだということをお忘れなく!』
 荷物の送り主はあの蛭田和幸だった。

 
慄然(りつぜん)とすると同時に志津は赤面した。黒いブラジャーとパンティ、黒のストッキングに黒のガーターベルト、そのすべてが透きとおって見える薄い生地で出来ていた。

(こんな恥ずかしいものを着て、わたし、出かけるなんてしたくない……)

 志津は、蛭田の意地悪な指示を無視したかった。しかし、逆らえばあの写真をばら撒かれる。志津には蛭田の指示に従うほかに選択肢がなかった。

(わたし、どうしてこんな目に遭わされなければならないの?)

 
歯軋(はぎし)りする思いに駆られると同時に、志津は、どこまでも羞恥心を煽ろうとしている蛭田の狡猾な意図に背筋を凍りつかせた。淫らなシースルー下着の自分を想像するだけでめまいを覚えた。

         *

 蛭田が指定した土曜日……。
 早めに昼食をとった志津はシャワーを浴びて身支度をはじめた。肌はサッパリしたが、からだは鉛を呑み込んだように重い。心はもっと重かった。


 最初にパンティを手にとった。それだけで頬が赤らんだ。

 左右の足を差し入れ、白く艶やかな膝から太ももへと上げていく。股上まで引き上げると、Tバックの薄いパンティは恥骨
(ちこつ)を噛むように柔らかい腹を緊めつけてぴったりと腰に嵌った。女の秘所を隠して茂る絹糸のように柔らかい繊毛の端がはみ出し、パンティに覆われた部分も透けて見える。後ろは悩ましくムチムチと膨らんだ二つの白い丘が剥き出しになっている。鏡に映る自分の下半身を見て、志津は赤らめた顔を小さく横に振った。

 次に、ブラジャーの細いショルダー・ストラップに腕を通してカップ部分を胸にあてた。乳首だけでなく乳輪までがはっきり透けて見える。小さく首を左右にふりながら、志津は両腕を背中に廻してバックベルトのホックを留めた。

 鏡に写ったその姿が、ひと月前のあの日に両腕をねじ曲げられて麻縄で後ろ手に縛られた記憶を
(よみがえ)らせる。志津の心は震えた。

 頬を赤らめ、にわかに高まってきた胸の鼓動に戸惑いながら黒いストッキングを穿き、紐のように細いガーターベルトをくびれた腰に巻いて、白く伸びやかな両脚を艶めかせる黒いストッキングを留めた。

 送り届けられた下着をすべて着け終わった志津は、まるで別人に変貌していた。黒一色の薄い下着が雪白の美肌を妖しく輝かせている。鏡の中に、それが自分とはとても思えない妖艶な女がいた。恥ずかしかった。

 志津は、その艶めかしい肢体の上に直接黒いカシミヤのコートを羽織った。

 志津の黒髪は背中の中ほどまでの長さがある。その髪を前に垂らすと胸にかかるが、それでも胸がはだけて見える。急いでエルメスのスカーフを取り出してきて首に巻くと、なんとか外見だけは普通の恰好
(かっこう)に見えた。しかし、コートの下は裸同然である。薄い透けたパンティ一枚の下腹部が心もとなかった。風に(あお)られでもしたらあられもない姿を人目に晒すことになりそうだった。

 志津は、タクシーを頼んで立川へ向かうことにした。人目は出来るだけ避けたい。電車に乗ってジロジロ見つめられることを想像するだけで涙がこぼれそうになった。

         *

 タクシーは午後一時五十分に立川駅南口のターミナルホテルに着き、志津はコートの襟と裾前を押さえておずおずとロビーへ入った。周囲の視線が気になった。誰も彼もが自分を見つめているような気がした。志津は、素っ裸で人中を歩いているような恥ずかしさに胸を
(か)(むし)られ、心臓が耳の鼓膜まで上がってきていた。

 蛭田はロビーの一番奥のソファに深く腰掛けていた。しかし、この卑劣な男は志津と目が合ったのに立ち上がろうともしない。顔を逸らし知らん振りを決め込んで、志津が歩み寄るのを待ち構えた。

「蛭田さん……」

 
羞恥(しゅうち)心も(あら)わに身をすくめた志津がすぐそばまで歩み寄って小声で呼びかけると、たった今気づいたように、蛭田は「やあ」と立ち上がって笑顔をこしらえた。

「じゃ行きましょうか、車を待たせてあるから……」

 周囲の目にいかにも親しそうに見えるように、蛭田は笑顔を振りまきながら背中から腕を廻して志津の肩を抱き寄せた。そして耳元で囁いた。

「早めにやってくるとは、なかなかいい心がけじゃないか」

 顔を伏せて身を硬くした志津の肩を一度ぎゅっと強く抱き寄せた蛭田は、志津を急かせるようにして地下駐車場へ降りるエレベーターに乗った。そして、エレベーターの中に二人きりになると眉をしかめた。

「俺が送り届けたものをちゃんと着て来ただろうな?」

「……はい」とうなずいた志津の顔が強張っている。

「ところで志津。そのスカーフはどういうつもりだ? 俺は、メッセージカードにスカーフを首に巻いて来てもいいとは書かなかったはずだぜ」

「…………」
 志津は返事をしなかった。いや、出来なかった。まさか蛭田がそう攻めてこようとは思っていなかっただけに動揺していた。

「返事がないか。ま、いい。後で指示を守らなかった罰を受けてもらうから」
 そう嘯
(うそぶ)いた蛭田は、志津の背中を押してエレベーターを降りた。

 抱きかかえられるようにして地下駐車場を歩いていくと、一番奥の位置にシルバーグレイのベンツが停まっていた。ウインドウ全体にスモークフィルムが貼られていて内部は見えない。

 二人がベンツに近寄ると運転席側のドアがすっと開き、四十がらみの背の高い男が降りてきて後部座席のドアをうやうやしく開けた。

 志津の不安は膨れ上がった。空恐ろしい何かが待ち受けているような気がした。

「島野さん、ちょっとだけ時間をくれませんか?」

 運転手は島野という名前らしい。その島野に遠慮がちにそう言った蛭田は、志津を急いで後ろの座席に押し込み、自分もその横に乗り込んだ。

「スカーフをしてきた罰だ。コートを脱いでもらおうか」

「えっ、ここで……ですか?」

「そうだ。なにも恥ずかしがることはない、外からは見えやしないから」

「で、でも……」
 外から見えなくても運転手がいる。

「ぐずぐずするんじゃない。いつまで島野さんを待たせるつもりだ? さっさとコートを脱いで俺に背中を向けて両手を後ろに廻すんだ」

「ひ、蛭田さん。まさかここで……」

「ああ、縛らせてもらうよ。言いつけを破った罰だ」

「な、なにも……」
 車の中で縛らなくてもいいではないかと言いたかった。が、それを口にするともっと辛いことになるのは目に見えている。

 志津は唇を噛み締めて首のスカーフを外してコートを脱いだ。運転席の島野の視線がバックミラー越しに胸に注がれているような気がして、志津は咄嗟に胸を両手で覆った。

「なにしてるんだ。さっさと両手を背中で組めッ」

 今度もきっと縄で縛られるに違いない……と覚悟はしてきたとはいえ、他人の目があるここではさすがに恥ずかしい。
 しかし、それが蛭田の狙いである。志津の羞恥心を
(あお)れるだけ煽っておいて従わせる。恥辱を与え屈服を強いて心をズタズタに引き裂く。それが蛭田という卑劣な男のやり口なのだと改めて思い知った志津の心を暗雲が覆った。

 逡巡する志津の目の前に、蛭田は座席のポケットから麻縄を取り出して見せた。ということは、指示通りにスカーフをしていなくても別の理由をつけて志津を縛ったに違いない。

(好きにすればいいわ……)

 頼んでもムダだと悟った志津は捨て鉢になった。

 きゅっと腰をひねって蛭田に背を向けると、志津は、胸乳を覆っていた白くなよやかな両腕をすっと後ろへ廻し、これ見よがしに
(ひじ)を深く折って背中の高い位置に左右の手首を重ね合わせた。ささやかな抵抗のつもりだった。

 志津が自ら背中に重ね合わせた両手首をキリキリ縛った蛭田は、縄尻を二の腕から胸にかけ渡した。透けて見える黒いブラジャーに覆われた乳房の上下に縄を喰いこませて縄止めすると、スカーフを長く折りたたんで志津に目隠しをした。

「それじゃ島野さん。車を出してください」

 無言でうなずいた島野運転手がパーキングブレーキを解除してアクセルを踏み込んだ。すーっとホテルの駐車場を滑り出たベンツはゆっくりと走り、一時停止した後に右に曲がってスピードを上げた。

 淫靡な黒いランジェリー姿で後ろ手に縛られ目隠しまでされてシートに沈めている志津は、神経を耳に集中した。しばらく走ると川に架かった橋を渡ったのが分かった。その後、車はゆったりと走行するクルージングドライブに移った。

 運転席の島野はもとより志津の隣りに座っている蛭田も口を開かない。路面を滑るように走行するタイヤの音と車体を巻き流れる風の音だけが耳に響く中、重苦しい空気が志津の不安を増幅した。

 どこへ連れて行かれようとしているのか皆目見当がつかない。しかし、川を渡ったことやスピードの変化で、西多摩のあきる野市を経て日の出町か桧原村へ向かっていると志津は推測した。亡くなった慎一と二人で何度かドライブしたことのある道だと思った。

 三十分余り走っただろうか……。
 ベンツは急な坂を登り始め車体が右に左に傾いた。くねくね折れ曲がった坂道を進んでいる。
 まもなく耳がツンと鳴って走行音が消えた。かなり標高の高い場所へ向かっているようだった。
 しばらくするとタイヤの音が変わり、舗装されていない道に入ったのが分かった。土や砂利を弾き飛ばすような音が落ち葉を踏みしめるような音に変わると、ベンツはスピードをゆるめ、ゆっくりとゆったりとすすんで静かにどこかに滑り込んで停止した。ベンツは一旦バックして静止し、パーキングブレーキが踏み込まれてエンジンが切られた。


 目隠しをとり外した蛭田が、後ろ手に縛った志津の片方の二の腕をつかんだ。

「さぁ降りるんだ」

 ドアが開くと、志津の眼に屋根つきの立派な駐車場が映った。乗せられてきたベンツの隣りに、同じシルバーの大型ベンツと黒塗りのセルシオが停まっている。そしてもう一台、黒豹を想わせるフルスモークのワンボックスカーが並んでいた。

 車外に引き出された志津は後ろ手に縛められたランジェリー姿をブルッと震わせた。風が肌を刺し鳥肌が立った。その肩に蛭田がコートを羽織らせて前のボタンを嵌めた。

 コートの裾から吹き上がってくる風の冷たさに震えながら首をめぐらせると、大きな山荘が目に入った。建物の二階の奥の方に望楼(ぼうろう)と思しき部分が周りを取り囲む木立の上に頭を出している。そこからの眺望は開けているのだろうが、山荘を取り巻く周囲の林は深い。どの方向へ目を凝らしても、樹木と下草以外は見えなかった。

「あそこで偉い人が、志津、お前を待っておられる……」

 望楼のあるあたりを指差した蛭田は、「さ、行くぞ」と、コートの下で後ろ手に縛られている志津の背中を押した。まるで捕えた罪人を移送する江戸時代の牢役人のように志津を追い立てて山荘の中へと向かった。

 山荘の玄関は、大理石の三和土(たたき)絨毯(じゅうたん)を敷き詰めたロビーも広々としていた。ロビーの右隅をゆるやかな傾斜の階段が二階へと昇っている。天井は吹き抜けになっていた。

 正面の壁に大きな油絵がかかっている。このあたりの山頂から南を展望したような、遠くに小さく海が見える風景画だった。壁の脇を奥に向って二間幅の廊下が真っ直ぐに伸びている。途中から薄闇に溶け込んでいるように見えた。

 島野に続いて玄関に足を踏み入れた志津と蛭田を、皺だらけの顔に薄い笑みを浮かべた老女が三つ指をついて迎えた。

「お約束の時間に間に合いましたわね、蛭田さま。御前様がお待ちですよ」

 猫のように背中の曲がった老女は針金さながらの腕で階段上を指差してそう告げ、肩からブラリと垂れ下がっている志津のコートの両袖を(いぶか)しげに見つめると、ニッと口の端が吊り上がる気味の悪い笑みを残して奥に下がった。

「さ、二階へ上がるぞ」


 蛭田に背中を小突かれてロビーフロアに上がった志津は、島野の背につき従って階段を二階へと昇った。その二階も踊り場から奥に向かって広い廊下が真っ直ぐに伸びていた。

 この山荘は外から眺めた印象以上に大きい。どれほどの広さがあるのか、志津には見当もつかなかった。小学生なら徒競走が出来そうなくらい広く長い廊下の中央の絨毯を踏みしめ、右に小山の斜面を見ながら志津は追い立てられていった。

         *

 廊下が突き当る左手前に格子戸があった。内側の坪庭(つぼにわ)の先に一段高い八帖ほどの畳敷きがあり、その左に望楼(ぼうろう)へつながっているらしい階段が見える。畳敷きの正面は水墨画のかかった一枚板の壁で、その右に襖が立っている。志津はその襖の前でひざまずかされた。

「失礼します、御前。お二人を……」と到着を報告しようとした島野の言葉を遮(さえぎ)って、蛭田は「蛭田でございます。例の女を連れて参りました」と声を張り上げた。

「来たか……。入れっ」
 低くしわがれた声が入室を許した。

 島野がすっと(ふすま)を引くと、五十帖はありそうな広い和室の青畳が目に飛び込んできた。天井が高い。正面の幅広な障子戸に木立の影が揺れている。

 視線を左にずらすと障子を嵌めこんだ腰高窓があり、そこでも木立ちの影が揺れている。光が柔らかかった。

 左の壁の残る半分を埋め尽くす大きな書架の前に、渋い縞柄(しまがら)の丹前に身を包んで脇息(きょうそく)に肘をかけている小柄な老人の姿があった。書見台に置いた本を閉じようとしていた。

 老人の正面にあたる右の壁際は、見るからに立派な床が奥に切ってある。著名な墨絵師が手がけたに違いない山水の掛け軸が飾り気の少ない空間に落ち着いた(おもむき)(かも)し出している。その手前の中央部部分に、紫紺地に夜明けの富士を描いた横広の幕が垂れ下がっている。壁を飾るタペストリーのようだが、部屋全体の調和を考えるとその部分だけに違和感がある。

 そう感じながら志津は横目づかいに視線を走らせた。その目の前を島野の影が横切り、部屋のたたずまいに気をとられている志津の脇に片膝を突いた蛭田がコートの前のボタンを素早く外した。その手がコートの襟をつかんだ。

 あっ……。前置きもなくコートを剥ぎ取られた志津は、咄嗟にからだを前に屈めて丸め、背中に縛り上げられている両手の指を固く握り締めた。

「何をしてるんだ。さっさと立って中に入らないかッ」

 苛立(いらだ)ちを見せた蛭田は、あられもない姿を晒した羞恥に身を震わせている志津の背中の縄をつかんで強引に立ち上がらせ、高手小手に縛った両腕をドンと突いた。

 ああっ! 不意に背中を押された志津は、たたらを踏んで部屋に足を踏み入れた。前のめりに倒れかかるのをかろうじて支えて青畳に膝を突いた。

「これ蛭田。ワシが乱暴なことを好まないのはよく知っておるだろうが……」

ゆったりと言葉を繰り出す老人の声は太くはないが響きに威厳が満ちていた。眼光が鋭い。深い皺の刻まれている引き締まった顔には強い意志が滲み出ている。

 片膝を立てて前屈みになった志津は、上目づかいにチラチラと、老人と蛭田の顔を交互に眺めた。

 すでに古希(こき)を過ぎていると思しき老人は、小柄でせぎすな体躯(たいく)なのに重みを感じさせる。その姿が次第に大きくなっていくように志津は感じた。島野は黒子(くろこ)のように存在を薄くして老人から離れた腰高窓の前に控えていた。

「お、お許しください、御前……。つい不作法をいたしまして……」

 両手を畳に突いて深々と頭を下げた蛭田の顔は蒼ざめていた。怯えているように見えた。

 一瞬にして卑屈な態度に変わった蛭田は、「俺が叱られたのはお前のせいだ」と言わんばかりの恨みがましい眼で志津を睨みつけた。
 背後に廻ると背中の縄の間に手を差し入れ、「さ、御前様によく見ていただくんだ」と志津のからだをグイッと持ち上げた。


 老人に叱責(しっせき)された緊張からか、声が少しかすれていた。しかし、志津の扱いに容赦はない。蛭田は、麻縄に乳房の上下をくびられた艶めかしいランジェリー姿の志津を老人の前に荒々しく引き据えた。

「ほほう……。写真で見たより美形ではないか。ゆっくり見せてもらおうか」

「はっ、承知いたしました」

(どういうこと? なにをさせるつもりなの?)

 戸惑う志津の背後で老人に一礼した蛭田は、手早く志津を後ろ手に縛った縄をほどくと、口調を一変させて命じた。

「さぁ脱げッ。下着をすべてとって素っ裸になるんだ」

(そ、そんなこと……)
 裸にはなりたくない。たとえ透きとおっているものであっても、せめて下着だけは身に着けていたい。激しい羞恥心が志津の胸をきゅっと締めつけた。
(こんな辱めを受けるのなら、あの時警察に駆け込んでいればよかった……)

 出来もしなかったことが頭の中を駆け巡った。
 すべては志津自身の心の弱さが蛭田をつけ上がらせ、今こうして衆人環視の中で生まれたままの姿を晒す羽目に陥っている。しかし、事ここに至っては命令されたようにするしか他にどうしようもない。志津は口惜しさを奥歯で噛み締めて腰をかがめた。

 小刻みに震える手でガーターベルトを外し、黒いストッキングを丸めながら下ろしていく。次第に表れる白い陶器のような美しい脚が老人の目を(ひ)いた。

 両脚のストッキングを脱ぎ終えると、志津は両手を背中に廻してブラジャーのバックベルトのホックを外した。黒いブラジャーのカップ部分がふわっと浮いて、真っ白い乳房がこぼれかかる。その胸をおさえて志津は再びためらった。

「どうした? 今更恥ずかしがっても仕方がないだろう。さ、早くブラジャーをとって、パンティも脱ぐんだ」

 女心に無頓着(むとんちゃく)な蛭田の冷酷な言葉が胸に痛かった。
 痛むその胸からブラジャーを取り外した志津は、口を真一文字に結び、白く柔らかな肉に喰いこむようにピチッと嵌っている腰のパンティに手を伸ばした。

 パンティをするっと太ももに下ろすと白い膨らみの中央に漆黒(しっこく)の茂みが浮かび出た。それを隠すように閉じ合わせた両脚は白磁のような光沢を放っている。その白く伸びやかな二肢をすーっと黒いパンティが滑り降りる。老人は目を細めた。

 足元まで下ろしたパンティをさっと足首から抜き取ると、志津は両手で股間を覆ってその場にうずくまり、ほんのりと桜色に染まった全身を小刻みに震わせた。

「なにをしているんだ? そこにしゃんと立って、しつかり裸を見ていただかなきゃダメじゃないかッ」

 たたみかける蛭田が恨めしい。叱咤(しった)された志津は、右腕で両の乳房を抱き隠し左手で股間を覆っておずおずと立ち上がった。

「手が邪魔だろう。横に置けよッ」

 きつい言葉にはじかれ、志津は震える両手をからだの脇に垂らして固く目を閉じた。

「よいからだつきをしておるな。実に見事に均整がとれておる……」

「はっ、御前。中澤志津、三十歳。まだ子供は産んでおりません」

 志津の恥ずかしさにも哀しみにもこの悪辣(あくらつ)な男は関心がない。蛭田は醜悪(しゅうあく)な顔の真ん中の細い眼を輝かせ、別の何かに期待をかけているように声を弾ませた。

(やはりこれがこの男の正体なんだわ……)
 志津は心の中で蛭田を軽蔑した。しかし、こんな下司な男の意のままにされている自分が情けなかった。

 そうは思ってもここから逃れるすべはない。羞恥と屈辱に(いろど)られた哀しみが白く豊かな胸から湧きあがって双眸(そうぼう)ませた。切なさがきゅーっと腰をくびれさせ、口惜しさが柔らかく膨らんだ茂みの繊毛を震わせた。

「さ、こっちへくるんだ」

 蛭田は乱暴に手を引いて裸の志津を床の間の右横に垂れ下がっている紫紺の幕の前まで連れて行った。

 いつのまにか右隅の壁の前に立っていた島野が、手を伸ばして壁の操作盤のどこかを押すとするすると幕が上がった。そこは床の間と同じ高さの小さな舞台のようになっていた。真紅の絨毯が敷きつめてある。上部に太い(はり)が一本走り、幾つものスポットライトが舞台の中央を(にら)んでいた。

 肩を小突かれてそこに踏み上がった志津は、布切れ一枚まとっていない身を晒している恥ずかしさに心を震わせた。両手で胸乳を抱いたからだを縮めて舞台の隅の方で背を向けて立ちすくんだ。

 その志津の肩に手をかけて舞台の中央に引き出した蛭田は、志津を老人の方に向かせた。

「さ、両手を揃えて前に出すんだ」

 蛭田のぞんざいな扱いに反撥心が頭をもたげる。しかし、いまさら逆らったところでどうなるものでもない。志津は素直に両手を揃えて前に差し出した。

 両手首をキリキリと巻き縛って縦に抜け止め縄を入れると、蛭田は縄を頭上の梁に架け渡した。その縄尻が思い切り引かれた。

 ああっ! 束ねられた両腕は上へ伸び切り、二本の腕に挟まれた端整な顔の涼しい眉がきつくゆがむ。爪先立ちにされた志津の顔に苦悶の表情が浮んだ。落ち着き先を探す爪先の動きに合わせて白く柔らかな乳房が揺れ、乳首が急速に膨らみを増してくる。肉付きのいい乳白色をした太もものつけ根の漆黒の茂みが妖しく(なび)いた。

「相変わらず乱暴な男じゃな、蛭田……。乱暴というよりあれじゃ。お前の場合は無粋(ぶすい)そのものじゃ。女の扱い方が分かっておらん」

「はっ、御前……。申し訳ありません」

 また深々と頭を下げて謝った蛭田の表情から先ほどまでの卑屈さが消えていた。蛭田は志津を吊り縛ることに夢中になっている。

(仕方のないやつじゃ)と言わんばかりの苦笑いを見せた老人を尻目に、蛭田は高く伸ばしている両手の間から志津の首に新たな縄をかけた。

 桜色に染まったうなじにかけて前に垂らした縄を鎖骨(さこつ)の中央で結び、胸前で揃えると幾つも結び目をこしらえていった。最後の一つを重ねて結び大きなコブにする。その縄を志津の股間にくぐらせようとした。

「あっ、イヤっ!」
 思わず腰をひねった志津の白い太ももの間を縄がすり抜け、尻の割れ目から背筋を真っ直ぐ上へ走ってうなじにかかる縄に止められた。

 足された縄がふた手に別れて左右の脇腹から前に廻る。胸乳の上の二つの結び目の間をくぐって後ろへグイッと引かれた縄は胸の谷間の真上に菱形をつくった。縄は乳房の上部を緊めつけて背後に引かれ、背中で交差すると前に廻ってまた結び目の間をくぐった。

 蛭田の操る縄は胸を下から緊め上げて背中へ戻り、まだ瑞々しく白い乳房をどす黒い縄の(かせ)で絞り出し、志津の乳白色の美肌を瞬く間に縄の菱で飾っていった。

 あ……。菱の数が増えるにつれて股間にたるみを残していた縄が少しずつ持ち上がり、縄のコブが志津の敏感な部分にあたった。
 背中から廻ってきた縄がヘソの上の縄をくぐり、ググッと腰骨に沿って左右に強く引き絞られる。
 ひいっ、と志津に小さな悲鳴をあげさせた縄のコブを蛭田は下腹部の的に沈み込むように指で押し込んだ。


 あ、ああーっ! 志津の花肉の秘裂は異物の進入に悲鳴を上げた。

 ううっ、くくっ、くっ……。股間をえぐった縄はさらにグイッと引き絞られ、喰いしばった志津の歯の間から呻き声が漏れる。眉根を寄せた志津の顎が突き出た時、女の恥丘を縦に割ったおぞましい縄は腰の後ろで結びとめられた。

 きつく引き絞られた縄は股間の柔らかな繊毛の中央で姿を消し、後ろに白く盛り上がった二つの丘の谷間の途中から姿を現わしている。縄のコブは女の秘所に完全に埋没していた。入念な縄化粧をほどこされて爪先立っている優美な志津の肢体が左右に揺れ、にかかった縄がギシッと鳴いた。

 志津は股間をえぐる縄がおぞましかった。怖気(おぞけ)が走る白く艶やかな太ももをよじると、その縄が女陰の花びらの内側に小さく突き出した肉の芽を刺激する。腰を動かせば異妖な刺激が強まった。

 花肉の秘裂に(くわ)えさせられた大きな縄のコブが、志津の羞恥心をりながら女の息づく下腹部をかせていく。志津の長い睫毛の間からこぼれた涙が一筋、ほんのりと赤く染まった頬を伝った。

 志津は唇を噛み締め、伸びきった両腕の間から顎を突き出して羞恥の縄に耐えている。その苦悶する顔が妖しく美しく輝いて見えた。

「わかった、もうよい。蛭田、写真とネガはすべて持ってきておるだろうな」

「はっ、御前。お約束どおりに……」

「それを島野に渡して金を受け取れ」

(ええっ!)
 まさか自分が金で売られようとは思いも及ばなかった志津は愕然とした。急にこみ上げてきた悲しみに目頭を熱くして、(ひどい……)と呟いていた。

「分かっておるだろうが蛭田。今後この女にかまうことは(まか)りならんぞ」

「重々承知しております」

それならよい」と蛭田の目を鋭く見据えた老人は一転して頬をゆるめ、蛭田に命じた。

「そうじゃ。あのベンツはお前にくれてやろう。この女を家まで送ってやれ」

(えっ、わたし、うちに帰してもらえるの?)
 意外だった。金で売り渡されたからにはこのままこの山荘に幽閉(ゆうへい)されるのだと思いこんでいた志津は、老人の真意を測りかねた。が、とにかく家に戻れることを知った志津の心の闇にかすかな希望の光が射し込んでいた。

「あとは任せたぞ。ワシは寝間でひと眠りしておる」

 島野に向ってそう言うと、老人はすっと立ち上がった。何事もなかったようにゆっくりと部屋の出入り口へ向かった。が、さっと立って襖を開けようとする島野の前で立ち止まり、小舞台に立ち縛られて顔をゆがめている志津を振り返った。満足げな笑みを浮かべた顔の表情が柔らかい。

「志津というたな……。週に一度でよい。ここに来てワシの相手をしてくれんか? それ以外は何をしておろうとお前の勝手じゃ。この島野にお前を送り迎えさせるからその車で来ればよい。分かったな。それとじゃ。今度は着物を着て来てくれんか。お前には着物が一番似合うはずじゃ。明日にもワシがお前によう似合う着物を見立てるによって、次にここに来るのはその着物が届いてからでよいぞ」

 志津に優しい言葉をかけた老人は、「うん、これは楽しみじゃ」と相好を崩して部屋を出ていった。島野と蛭田がそのあとを追った。

 志津は呆気にとられた。淫らな縦縄に苛まれていることを忘れ、老人の言葉に救われた思いがしていた。が、現実に変化はない。志津を(もてあそ)ぶ相手が蛭田から老人に代わったに過ぎない。それなのに志津はある種の安堵感を覚えていた。
(わたし、このお年寄りになら……)と、いつの間にか、夫以外の男に組み敷かれることもいとわない、娼婦のような感覚が心の奥に芽生えている。そのことに志津は気づいていない。


 三人の姿が襖の陰に消えるとすぐに志津は我に返った。
 伸びきった腕が痛かった。二の腕の(けん)が切れてしまいそうな気がした。息をすると乳房に嵌められた縄の枷が胸を緊めつける。
 あっ、と小さな悲鳴が洩れた。
 縄化粧された裸身を支える爪先が痺れてきている。足がよろけると女陰に喰いこんでいる縄のコブが花肉の
(ひだ)(なぶ)った。

 ああ……。洩れ出た喘ぎ声になにやら甘い響きが混じった。

         *

 そのまましばらく時が経ち、蛭田が
(いや)らしい笑みを浮かべながら一人で戻ってきた。

「待たせたな」
 上機嫌な表情の蛭田は、ひと声かけると志津を爪先立ちに吊り上げている梁の縄を外した。小舞台の床に崩れ落ちた志津の両手首の縄をほどくと、そのまま肩にコートを羽織らせた。

 一片の布も着けていない柔肌にはまだ菱縄が喰いこんでいる。下腹部は縄のコブを咥え込んだままである。その志津を曳きずるようにして山荘から連れ出してベンツの助手席に押し込んだ蛭田は、股間の刺激に顔をゆがめている志津をよそ目にベンツを発進させた。

 うっ、ああっ……。車が加速すると縄のコブが花肉の秘裂に深く喰いこんだ。

 蛭田が運転するベンツは、くねくねと折れ曲がった狭い山道を右に左に傾きながら下り、脂汗を額に滲ませる志津の股間をなぶり続けて五日市街道に出た。

「あのジイさんは
殿村
(とのむらしょうご)といってな。政財界の裏の大物なんだ。あのジイさんに逆らうと命はとられないまでも間違いなく社会的に抹殺される。怖いジイさんなんだぜ」

 蛭田は呻き声を漏らし続ける志津に老人のことを話した。

「ジイさんにまともに歯向かえるのは次男坊の(しょうじ)さんだけらしい。もっとも、その昭二さんは家を飛び出して、どこかで勝手気ままに暮らしてるらしいがね」

 そんな内輪な話を聞かせられても耳に入らない。志津の意識はおぞましい縄のコブを咥え込んだ下腹部に集中している。両手を座席の端に突いて心もち腰を持ち上げ、車の揺れが股間に与える衝撃をなんとかゆるめようとした。

 五日市街道へ出てまもなく、蛭田はベンツをJR武蔵五日市駅の構内へ入れて停車した。

 志津の財布から札を抜き取った蛭田は、小銭だけになった財布を志津に渡して、冷たく言い放った。

「下着の代金を返してもらったよ。ここからは電車で帰るんだな」

(ええっ! こ、こんな恥ずかしい格好で……)
 唖然(あぜん)として声の出ない志津に、ケロッとした表情の蛭田は親切ごかしを言った。

「奥さん、それだけあれば電車を乗り継いで国分寺まで帰れるよ。もっと愉しみたかったのに名残惜しいけど、これでお別れだ。ま、せいぜいジイさんに可愛がってもらうことだ」

 蛭田はからかうように「奥さん」と呼び、急きたてるようにして志津を車から降ろした。

「そうだ。これは記念にもらっておくよ」

 志津のスカーフを自分のコートのポケットにねじこんだ蛭田は、薄い唇の片端を吊り上げ、立ちすくむ志津を嘲笑(あざわら)いながらさっとベンツを発進させた。

(こ、こんな姿で……どうやって帰れというの?)
 駅前に一人たたずむ志津の目頭が熱くなり、瞳に涙が滲んだ。

 志津は涙がこぼれ出て糸を引いた端整な白い頬を拭った手でコートの襟を立て、もう片方の手でコートの裾前を押さえた。その下には何もまとっていない、いや、柔肌を噛む菱縄をまとっている。それも股間に縄のコブを咥えて……。

 口惜しかった。が、それ以上に恥ずかしかった。
 しかし、コートの下で素肌をきつく縛めている縄は家に帰り着くまでは外しようがない。女の花肉の秘裂に喰いこむ縄のコブが下腹部を脈打たせ、甘い疼きと異様な痺れが志津の思考力を奪いつつあった。

 空いた車両の、それも乗客の少ないところを選んで立ちすくみ、志津は電車の縦揺れに呻き横揺れに喘いだ。つい漏らしそうになる昂ぶった声を必死に呑み込んだ。が、淫蕩な女を蔑むような白い視線があちこちからコートを通り抜けて厳しく縄に縛められた素肌を鋭く突き刺してくる。そう感じられて顔が火照った。

 縄のコブをねっとり咥えこんだ花肉の襞から女の蜜が滲み出し、妖しい痺れを全身に拡げていく。志津は、「誰かお願いっ。誰でもいいから早くこの縄を切りとってっ!」と、何度も叫び出しそうになった。

 狂わんばかりに心を乱れさせて二時間後……。
 荒く弾む息を懸命に抑え、淫らな喘ぎ声が洩れそうになる口を必死につぐんで、志津はようやく国分寺の自宅に辿り着いた。

 玄関の扉の鍵を開けるのももどかしく、扉を開ける同時に志津は三和土(たたき)に倒れこんだ。

 腰が痺れ足は棒のようになっているが、そうはしておれない。玄関の施錠を慎重に済ませた志津は、股間を苛む縄に耐えながら小走りにキッチンへ向った。

 急いで刺身包丁を取り出し、志津は素肌に喰いこんでいる縄を遮二無二(しゃにむに)切り裂いた。

 うっ、ああ……。縄が包丁に持ち上げられると縄のコブが股間を緊め上げる。その度に淫らな喘ぎ声を発して顔をゆがめた。

 やっとのことで切り外したおぞましい縄には脂汗がべっとりと滲んでいた。縄のコブはベトベトに濡れている。その縄をゴミ箱へ投げ捨てた志津は、小走りに浴室へ向かった。

 熱いシャワーを浴び、からだから滲み出た脂汗といまだにまとわりついている屈辱と羞恥の残滓(ざんし)をボディソープで洗い流し、ようやく落ち着きを取り戻した。

 しかし、鏡に映った自分の姿に、志津は目を
(みは)った。
 志津の上半身をきつく緊め上げていた菱縄の(あと)が雪白の肌にくっきりと浮かび上がっている。鏡の中の志津はまだ縄に縛られていた。――



                                                  つづく