第十章 逃 亡
憤然(ふんぜん)としたと言うより、ボクは唖然(あぜん)としていた。
(なんてやつなんだ、蛭田って男は……。殿村老人もどうかしてる、こんな変態男に志津さんを委(ゆだ)ねるなんて……。出来ることならこのボクが志津さんを救ってあげたい……)
その思いが募った。淫らな縄をかけられた志津さんは、からだだけでなく心も縛られていよいよ追い詰められている。恥辱と屈辱に苛まれている志津さんはどんなに辛く切ないことかと、その心情を思ってボクは焦りを感じた。
(なんとかしなくちゃ、早く救いの手を差し伸べてあげなくては……)
目の前で起きている現実ではないことを頭で承知していながら、感情がコントロール出来ない。今にもすべてを投げ出してしまいそうな志津さんの気持ちがひしひしと伝わり、ボクの心が泣いた。胸を掻き毟(むし)られるような焦燥感に駆られながら、ボクは残り少なくなった原稿を貪(むさぼ)るように読みすすんだ。
――長く狂おしい夜が明けた。
股を緊め上げるずいき縄に何度も昇りつめさせられて気を失った志津は、ボロ雑巾のようになって眠りこけていた。その志津の頬を突っつくものがいた。
「……蛭田さん」
いつの間にか地下シェルターに降りてきていた蛭田に眠りを破られた志津は、しどけなく投げ出していた両肢をあわてて縮め、後ろ手に縛られた裸身を丸めた。
あっ……。ずいき縄のコブが女陰を嬲り、志津は喘ぎ声を洩らした。その女陰から女の蜜液があふれ出ている。志津の股間はぐちゅぐちゅに濡れていた。
「ふ〜ん。ずいぶんと気をやったようじゃないか……。やはりな。それが証拠だよ志津、お前のからだは縄に縛られることで燃えるという」
満足げな笑みを浮かべた蛭田は、志津の股間からぐっしょり濡れたずいき縄を外しとると、志津を抱き起こして後ろ手縛りの縄をほどいていった。
「腹が減っただろう。さ、これで腹ごしらえをしな」
蛭田が差し出した握り飯を頬張りペットボトルの水をゴクゴク飲んだ志津は、ようやく生き返ったような気がした。
しかし、志津の調教はまだ始まったばかりである。粗末な朝食を終えた志津の裸身には、再び、当たり前のように縄がかけられていった。
この朝蛭田は、いかにも愉しげに、ゆっくりと時間をかけて志津の柔肌に亀甲(きっこう)縛りをほどこしていった。菱縄より縄目の数は少ないが、見た目はこちらの方が美しい。勿論、前の花肉の秘裂と後ろの微肉の筒口に縄のコブを咥えさせることを蛭田は忘れない。
後ろ手高手小手の亀甲縛りに股縄で飾り立てた志津を、蛭田はそのまま磔柱(はりつけばしら)につないで、下肢を左右に大きく開いた人の字型に縛った。その上で、淫らな手でどす黒い縄の枷に喘ぐ真っ白い乳房を喘がせ、縄のコブで股間に息づく志津の女の肉を嬲(なぶ)った。
柔肌を嬲っては縄をほどき、別の形に縛り直す。蛭田は一日中、麻縄をまとわせた志津の肌身を責め苛(さいな)んだ。
蛭田は、志津の全身にぬるぬると舌を這わせ、股縄を外した女陰の内部に指を差し入れてかき回し、花肉の芽をヤニ臭い口で吸い上げる。志津の官能の炎が燃え盛るとさっと退いて水を浴びせ、消えかけると油を注いだ。昇ってはくだり、くだっては昇る志津の肉体と意識が次第に引き離されていく。
「ああ、イヤっ」とむずかる口の下で志津の女の肉は甘くうねった。
*
地下シェルターでの二日目の夜……。前夜同様に股間にずいきの縦縄をかけられた志津は、女陰の奥の花芯を疼(うず)かせる縄のコブに喘ぎ、両手を背後に縛められた裸身を悶えさせながら眠りに落ちた。
そして調教も三日目……。
志津と交わることを禁じられている蛭田は、知り合いのアダルトショップの店長に持ってこさせた様々な性具を使った。
男根の形をした太いバイブレーターを女陰に挿入して緊縛裸身を泣かせ、胡坐(あぐら)縛りを前に転がした尻の穴をアヌス棒で掻き回して志津を失神させた。磔柱に大の字縛りにした志津の性感帯を太い毛筆でくすぐり、気が狂わんばかりに志津を泣き叫ばせた。
どんな時でも蛭田は女の秘所を嬲る。さもなくば股間を縦に縛った。
淫らないたぶりの連続に肉体の反応が徐々に変わっていく。志津は、女である我が身の脆(もろ)さと儚(はかな)さを骨の髄にまで思い知らされた。
蛭田の志津への仕打ちは調教というより色責めと言った方がいい。従順にしているつもりでいた志津も次第に耐え難くなってきていた。何よりも自分自身が愉(たの)しむことを優先して、女の心を一切斟酌(しんしゃく)しない傲慢さに志津は耐えられなかった。志津は、蛭田の隙を窺って逃げ出すことを考えた。
*
地下シェルターに監禁されて四日目の朝、思いがけず、志津に逃亡のチャンスが訪れた。
前夜の蛭田は、志津の調教を早めに終えて殿村老人のところへ中間報告に行き、老人から酒を振舞われた。志津が縄に悶えながら次第に従順になっていく話を酒の肴(さかな)にして、しこたま呑んだ。
そのために二日酔い状態でシェルターに降りてきた蛭田が、出入り扉の鍵を閉め忘れたのである。振舞われた酒の旨さと日々従順さを増していく志津への安心感がついそうさせたのかも知れないが、志津にとっては千載一遇(せんざいいちぐう)のチャンスだった。
とにかく縄をかけられる前に何とかしなくてはならない。
(油断させておいて、思い切り突き飛ばそう。蛭田が怯(ひる)んだ隙にここから抜け出せば後はなんとかなるわ、きっと……)
志津はそう考えた。しかし、気取られてはならない。今まで以上に従順に振る舞った。
「お早うございます、蛭田さま。本日もご調教、よろしくお願いします」
志津は檻の中で三つ指を突いて蛭田に朝の挨拶をした。
思いもよらない志津の態度に、蛭田は細い眼をさらに細めた。
「そうか、お前もやっと自分の立場が分かってきたか……。そうこなくちゃなぁ。これでやっと俺の顔も立つよ」
蛭田は嬉しそうに笑って鉄檻の鍵を外した。
そもそもの予定を一日か二日早めて調教を終えることが出来れば、自分の信用もさらに高まる。そう考えている蛭田の顔つきだった。いつもの厳しい表情とは違って妙にだらけた顔をしている……。志津はそう思った。
(今だわ、この機会を逃しちゃダメよ!)
志津は慎重に事を運んだ。檻を出て蛭田に向って正座をすると、さも哀れみを乞うようなか細い声で尋ねた。
「蛭田さま。お縄を頂戴する前に、お水を一杯いただいてもよろしいでしょうか?」
「水? ああ構わんよ、それぐらいなら……」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げて礼を述べて、志津は静かに立ち上がった。わざとよろけて冷蔵庫の方向へ足を踏み出した。
すっかり安心している蛭田は、いつも使っている木製の三脚椅子に腰掛け、ポケットからつまみ出した煙草を口に咥えてジッポーライターの火を着けた。
丁度そのタイミングに志津は蛭田の脇まで歩みをすすめ、よろよろと覚束ない足取りで通り過ぎるかにに見えた。が、そこで志津は反転した。
素早く蛭田の背後に廻り、志津は思い切りドンと蛭田の背中を突き飛ばした。
虚を突かれた蛭田は前にどうと倒れ、顔を磔柱の角にぶつけて昏倒(こんとう)した。
それを見て一瞬戸惑った志津だったがすぐに身を翻(ひるがえ)し、布切れ一枚身に着けていない素っ裸のまま、地上への階段を一気に駆け上った。
眩暈(めまい)と鈍痛でぼやけた視界を遠ざかって行く裸の志津に、蛭田は慌てた。が、すぐには起き上がることが出来ない。それでも蛭田は必死に立ち上がろうとした。額を押さえて痛む頭を振り、志津の姿が消えて数十秒後に鬼の形相で立ち上がった蛭田は、麻縄をつかんで地上へ逃げた志津の後を追った。
考えた通りに事を運ぶことが出来た志津の心は躍(おど)った。が、無闇に動き回れば折角の逃亡を無に帰してしまう。
(あわてちゃダメ。落ち着くのよ)
自分自身にそう言い聞かせた志津は、広い庭に人影がないことを確認した。
誰もいないことにひと安心した志津は裏山の方角を振り返った。が、見た目以上に傾斜がきつい。到底自分の足では登れそうもなかった。裏山に逃げ込むつもりだったのにそれは断念せざるを得ない。
事ここに至ってどうしていいものか、志津には咄嗟の判断がつかなかった。
致し方なく志津は、山荘の窓からは見えない場所を選んで、玄関に近い庭の潅木(かんぼく)の大きな茂みに一旦身をひそめた。
茂みの隙間から息を殺して覗く志津の眼に、地下シェルターから麻縄の束を片手に飛び出してきた蛭田の姿が映った。
思わず身震いが出たが、蛭田が志津のいる場所とは反対の方角へ駆けて行ったのを見て胸を撫で下ろした。
山荘の南側には殿村昭吾自慢の日本庭園がある。築山を中心に瓢箪型の池が配された庭園を抜けると、どこまでも深い林が続いている。蛭田は、志津が人の出入りがある玄関を避けてその林の中に紛(まぎ)れ込もうとしていると思ったようだった。
カサとも音を立てないよう気を配りながら、枝葉の隙間から志津は玄関の方角へ視線を走らせた。とその時、ロビーを横切る島野の姿がチラリと見えた。
(あの人なら……、島野さんならきっとわたしを庇ってくれる)
そう思った志津は辛抱し切れなくなって茂みの陰からさっと飛び出した。玄関まで三十メートル余りある芝の上を力の限り懸命に走った。
「そっちかッ。待てっ! おい、待つんだッ!」
懸命に駆ける志津の足が芝生に散らばった落ち葉を踏み鳴らす音が耳に入ったらしく、蛭田が引き返し、白い裸身を目標に猛然と追ってきた。志津は、伸びた芝に足をとられてよろけ、後ろを振り返りながら玄関に飛び込んだ。
「助けてっ! 島野さん、志津を助けてっ!」
大声を出してそう叫んだ志津だったが、そこに頼む島野の姿はなかった。志津の両眼に飛び込んできたのは、あの意地悪い老女、田野倉カネの驚いたような顔だった。そのカネが、針金のような両腕を広げて立ちはだかった。
行き場を失った立ちすくむ志津の背中に蛭田が駆けつける足音が迫っていた。
「おカネさん、お願いっ! そこをどいてっ!」
志津がカネを払いのけようとしたその時、背後から伸びた節くれだった大きな手がガシッと志津の腕をつかんだ。
「ああーっ、イヤっ! 放してっ、その手を放してっ!」
泣き叫ぶ志津のしなやかな両腕が荒々しく後ろにねじ上げられていく。太い指にぎゅっとつかまれた華奢(きゃしゃ)な両手首が背中で重ね合わせられた。その両手首にキリキリと縄がかかってくる。
志津の両手を素早く後ろに縛った蛭田は、その縄尻を首に廻した。
うっ! 鋭く呻いた細首をくるりと巻いた縄がグイッと背中に引き下げられ、志津は顔を仰け反らせた。
ぐううっ、うぐっと、濁った呻き声を立てる志津の肩甲骨の下でからめた縄を、蛭田は右脇に通して返し、二の腕を巻き緊めた。その縄尻を左へ走らせて、左の二の腕を同じように巻き緊め、背中の高い位置で縄止めした。
いわゆる早縄である。江戸時代の岡引(おかっぴき)や捕り方が逃亡しようとする咎人(とがにん)に素早くかけた捕縄術の一つだが、蛭田はその早縄がけにも熟達していた。
「お願いっ。もう許してっ」という志津の悲痛な叫びも、「うっ、ぐううっ」と濁った。
背中に吊り上げられた両手のきつさをゆるめようとすると喉首がぎゅっと緊まった。
早縄は、前から眺めれば首にひと筋と左右の二の腕にふた巻きかけただけの簡単な縛り方だが、その縄をかけられた者に身動きを許さない厳しい縄がけである。顔を仰向けた志津の頬を涙が伝い、こぼれ落ちる口惜し涙が半開きの口に流れこんだ。
「志津。逃げ出そうなんて馬鹿な料簡(りょうけん)をお前が起こすからこうなるんだッ」
喉にかかっていた縄を首のつけ根まで引き下げた蛭田は志津をねめつけた。幾分か呼吸が楽になった志津は涙に濡れた唇を噛んだ。
蛭田は、田野倉カネを振り返り、血の滲む額を押さえながら礼を言った。
「おカネさん。お陰で助かったよ。この女、突然俺を突き飛ばして逃げ出したんだ」
丁度そこに島野が二階から降りてきた。
「島野さん、助けてっ!」
そう叫ぼうとした志津の口を蛭田のごつい手がふさいだ。それを見たカネが、懐からタオル地のハンカチを取り出してさっと蛭田に渡す。蛭田はそのハンカチを志津の口にグイグイ押し込んだ。
ぐううっ! 再び濁った呻き声を洩らして涙に頬を濡らす素っ裸の志津を島野は唖然として見つめた。後ろ手に縛り上げられて震えている姿が痛々しい。
「蛭田さん。こんなところで一体なにをしてるんです?」
島野の声は怒りの感情を含んでいた。しかし、やはり蛭田の方が上手であることは否めない。蛭田は、つるっとした顔になって島野の質問をかわした。
「いやね島野さん。こいつが……、いえ、志津さんが逃げ出したものだから……。おカネさんに手助けしてもらってやっとこさ捕まえたところなんです。あとですぐに報告にあがりますから、御前にはよしなにお願いしますよ」
島野にそう頼んだ蛭田は、「さ、シェルターに戻ろう」と、志津の縄尻を手繰った。
蛭田に追い立てられていく志津の哀れな姿に、島野は眼を潤ませた。が、カネにそれを悟られてはまずいとばかりにさっと踵(きびす)を返し、階段を昇って行った。
*
蛭田は、地下シェルターに連れ戻した志津の縄尻を天井の梁(はり)からぶら下がっている滑車につないだ。
千載一遇のチャンスを逃した今、志津はいつまでも止まらない涙に顔中を濡らしてさめざめと泣いた。もはや蛭田のなすままになるしかない。
「なんてことをしてくれたんだよ志津……。ヘタすりゃ俺の信用がガタ落ちになるところだったんだぜ。お前にゃ今から、その償いをしてもらうからなッ」
細い眼を三角に尖(とが)らせた蛭田は、腰をかがめて志津の左足首を縄で縛った。その縄尻をもう一つの滑車にかける。そして引き下げた。
志津の伸びやかな左肢がグイグイ後ろへ持ち上がっていく。その足首が肩の高さまで上がったところで蛭田は縄をくくり止めた。志津の右足は床についたり離れたりして、たたらを踏んだ。その右の足首にも蛭田は縄をかけた。
今度は右肢が後ろへ引き上げられていく。わずかな間に志津はからだの前面を床に向けた逆海老の形に宙吊りされた。
「うっ。くくっ……」
呻き声を洩らした志津の口からハンカチを引き出すと、蛭田は、はあはあと喘いでいるその口に別の麻縄を咬ませた。
女の汗と脂にまみれて黒ずんだ麻縄が紅い唇を割りふっくらと白い頬をくびってうなじで結ばれ、その縄尻もまた梁の滑車につなぎ止められた。見事に均整のとれた美しい肢体は後ろに弓反る形に宙吊りされ、苦痛が志津を襲った。
「苦しいか? ふん、それも自業自得だ。これから御前にお前がやったことを報告してくるからしばらくそうしてろッ」
なんて馬鹿な女なんだと吐き捨てた蛭田は、血が滲んだ額を片手で押さえながら苦々しい眼差しを投げつけた。そして志津の宙吊り裸身の肩を突くと、さっと身を翻(ひるがえ)して殿村老人の元へ向った。
逆海老の形で浮いているからだがゆっくりと回転し、緊縛裸身を吊り上げる四本の縄がからみつくようによれていく。限界までよれた縄は矯(た)めた力を解き放ち、宙に浮いた志津のからだを今度は逆方向に回転させた。
うっ、ぐうっ、ううっ、うぐっ。縄に口を縛られている志津は苦痛を言葉に出来ない。ただ呻き、次第に強まる痛みに涙を溢れ出させた。
*
十分ほどで戻ってきた蛭田は、宙に浮かんで呻き声を洩らし続けている志津に殿村老人の指示を伝えた。
「御前がずいぶん怒ってたぞ」
蛭田は口を開くとそう言った。
「またワシを裏切ろうとしたのか……とおっしゃってな。俺なんとかとりなしてやったお陰で三日の調教延長で済んだものの、お前、大変なことになるところだったんだぞ。俺の言うことをおとなしく聞いて、今度こそ素直で可愛い女にしてもらえというのが御前からの伝言だ。分かったな志津」
調教は三日間延長された。志津はこの日を含めてあと一週間ここに監禁されることになった。が、それよりも老人が怒っていると聞いて志津は慄えた。
しかし、それは蛭田の巧妙な嘘だった。額に傷を負わされた蛭田は志津への仕返しを考えた。同時にこの美しい女を出来るだけ長く思いのままに弄(もてあそ)びたいという欲望に駆られていた。とはいえ、無闇に長い期間延長を提案すれば真意を疑われる。蛭田は、調教が振り出しに戻ったつもりで今度こそきっちりと教え込みたいと願い出て、殿村昭吾の了承をとりつけた。その結果の三日間延長である。
志津は蛭田の説明を真に受けていた。天井に吊られ麻縄に口を割られた顔をわずかに縦に振り、「ぐうっ」と呻いて蛭田に従うことを誓った。
「逆らったらどうなるかが骨の髄まで沁み込むように、あと一週間しっかり教えてやるよ」
薄笑いを浮かべた蛭田は、宙吊りにした梁の縄を外して志津の緊縛裸身を床に横たえ、後ろ手に縛った縄もほどいた。
「三十分ほど休憩だ。俺が腹ごしらえしてくる間に今度こそ覚悟を決めておくんだな」
縄からとき放った素っ裸の志津を鉄檻の中に突き入れた蛭田は、施錠に誤りがないか丹念に確かめてから地上へ向った。
(こんな苦痛、もう二度と味わいたくない……)
それが今の志津の嘘偽りのない気持ちだった。
そのためには蛭田の言うまま為すままに従うしかない。しかし、自分の心が二度と再び抗(あらが)わない保証はない。こんな仕打ちを受けて反発するのは当然のことなのに今の志津はそれさえ許されなかった。
個人の尊厳を踏みにじられ、人格まで否定されようとしている。こんな非道なことがまかり通っていいはずがない。確かにそうなのだが、それを口にすればもっと酷い目に遭わされるのは目に見えている。志津はいよいよ追い詰められていた。
(どうすればいいの、わたし……)
考えれば考えるほど出口は狭まってくる。多治見に隠れ住んでいるところを蛭田に見つかり、厳しく縄がけされてトランクに詰め込まれた時に、志津は夫・慎一との満ち足りた日々の思い出に溢れた過去を捨てようと思った。しかし今度は、過去だけでなく中澤志津という自分自身を捨てることを要求されているような気がした。
「どうだ、覚悟は決まったか?」
腹ごしらえを終えて地下シェルターに降りてきた蛭田は、視線鋭く志津にそう訊いた。その顔を見上げてコクンとうなずいた志津に、蛭田は鉄柵の隙間から、背中に隠し持っていたサンドイッチと缶ジュースを差し入れた。
「おカネさんが用意してくれたものだ。いい味だったぜ」
なにやら意味ありげな笑いを浮かべて三脚椅子に腰掛け、蛭田はタバコをくゆらせた。
「ありがたくいただきます。おカネさんにお礼を申し上げてくださいませ」
「いい心がけだ、志津。それを食って腹ごしらえが済んだら調教を再開するからな」
「はい」と短く答えた志津は、一口ずつ噛みしめるようにしてサンドイッチを食べ、缶ジュースで喉を潤した。
「よしっ、そこから出てくるんだ」
鉄扉の鍵を外した蛭田はすっと後ろに下がり、慎重に間合いをとってから志津を檻の外へ手招きした。
鉄柵の扉を押し開いて檻から出た志津は蛭田の前に後ろ向きに正座した。しなやかな両腕を静かに後ろへ廻し、華奢な両手首を背中の中ほどで自ら重ね合わせる。
「よしっ。それでいい、挨拶が抜けたけどな……」
「そうでした、ごめんなさい。蛭田さま。どうぞ志津にお縄をかけてくださいませ」
志津は改めて両肘を深く折り、背中に組んだ左右の手首をさらに上にずらして高手小手の姿勢をとった。
自ら背中高く重ね合わせた両手首を蛭田の縄がキリキリ巻き緊める。前に廻った縄が白い胸のなだらかな傾斜に溝を掘った。志津は下腹部が熱くなってくるのを感じた。
背中に戻された縄は再び前に廻って乳房の下に潜り込み、一旦背中に戻って左右の脇で抜け止めの閂(かんぬき)縄となる。熱を帯びた女陰の奥で何かが蠢(うごめ)きはじめた。
足された縄が左右の首のつけ根をえぐって胸の谷間を降る。乳房の下の縄にからめて引き上げられ、熟れ切った瑞々しい乳房を絞り出した。早くも女の花芯が疼きはじめ、志津は訝(いぶか)しげな表情になった。
「気づいたようだな志津、ちょいと細工をしておいたのを……。あのサンドイッチのマスタードにな、おカネさんに頼んで女を色狂いさせる媚薬(びやく)を練りこんでもらったんだ。お前が思い切り淫らな女になれるようにと思ってさ。うんといい声が出るようになるぜ」
ははははは……と、蛭田は下卑た顔を淫らな赤黒い色に染めて高笑いした。
(な、なんてことを……)
絶句した志津の下腹部で花芯の疼きが急速に高まってきた。媚薬がその効果を発揮しはじめていた。志津は、自分が一人の人間としての殻を脱ぎ捨てて一匹の牝の性獣へと変貌していく姿を想像して、後ろ手に縛られた美肌を粟(あわ)立てた。妖しい性の扉が開いていくのを感じていた。――
つづく
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