第十二章 一幕芝居
(志津さん……)
とうとう心の底まで屈服させられてしまった志津さんが可哀相でならない。ボクには、その志津さんがいとおしく思えて仕方がなかった。今ボクの頭の中を美しく悩ましい志津さんが渦巻いている、それも白く光り輝く素晴らしい裸身を後ろ手に縛り上げられて身悶えしている志津さんの姿が……。
(島野はどうして志津さんを逃がしてあげなかっんだろうか? 彼は志津さんのことが好きなはずなのに……)
そう思って、ボクは小首を傾けた。
(蛭田のようにいたぶったりしなくても、黙って殿村老人の指示に忠実に従ってるだけじゃ、島野も結局は、志津さんを嬲ってるのと同じじゃないか……)
ボクは、志津さんの味方だと思っていた島野健史を罵(ののし)ってやりたくなった。
でもよくよく考えてみると、所詮、島野は殿村昭吾の飼い犬に他ならない。ならば仕方がない。島野を責めてもそれは無理筋というものだろう。
ようやくそう思い至って、島野に向けた怒りをボクは収めた。が、蛭田への怒りは収まらない。あの男が志津さんの人生をねじ曲げてしまったんだ、それも醜い情欲と金のために……。卑劣で卑怯で奸悪で底意地が悪くて汚くて……。
ボクは思いつく限りの悪口を蛭田に浴びせてやりたかった。
――志津の人生をねじ曲げた逢魔の秋から季節は一巡し、さらに冬を通り過ぎて、新しい春へと移り変わった三月中旬、殿村昭吾の西多摩山荘の敷地に古くから棲息している山桜が、例年よりひと足早く可憐(かれん)な花びらをそっと開いた。
気候不順というのか、二月がいつもよりうんと温かく、三月に入ってからも時折り真夏を思わせる陽気が訪れていた。そのせいなのかも知れない。その山桜が花開いた日の夜は、いつも閑寂(かんじゃく)としている山荘の広い居間が思いがけない喧騒(けんそう)に包まれていた。
政財界の裏の実力者でもある老獪(ろうかい)な殿村昭吾は年に一度だけ特別な晩餐会を催す。この日がたまたまそれにあたった。辺りが宵闇に包まれてきた時刻から続々と黒塗りの車が押し寄せ、広い庭一面が闇に溶け込むような黒一色に覆われた。
十五名の招待客はどの顔も日頃からテレビや新聞雑誌で見かける錚々(そうそう)たる面々である。彼らは、到着するとすぐ二階の居間そそくさと赴(おもむ)き、辞を低くして殿村昭吾に辞を低くした儀礼通りの慇懃な挨拶をした。そしてその後は思い思いの場所に座って談笑した。
そうこうしているうちに壁時計の針が午後七時を指し、殿村昭吾のかたわらに控えていた島野がすっと立ち上がって宴の開会を宣言した。
「軽輩の身ではありますが、主人に代わって、わたくし島野がご挨拶させていただきます。皆様、本日はお忙しい中を檜原村のこの館まで、ようこそおいでくださいました。日頃から格別なお引き立てを賜っております皆様方にこうしてご参集いただき、お礼の言葉もございません。その皆様方とこうして間近に接することが出来ますことを、主人・殿村昭吾は常日頃から楽しみにしておりました」
ここで一度言葉をとめて、島野は老主人の顔を見た。殿村がさも満足げにうなずく。
「年に一度のことではありますが、このひと時を思う存分にお楽しみいただきたいと存じます。尚、今宵は、昨年までとは趣の異なる特別な企画を用意させていただきました」
特別な企画と聴いて座がどよめいた。
政府の閣僚を歴任していても、経済団体の首脳であっても、要するに殿村昭吾に飼われている男たちである。殿村昭吾の底知れぬ力を知り尽くしているだけに、その殿村が支度した特別なものとあらば否が応でも期待が高まる。一座のあちこちで額が寄せられた。口をすぼめて囁き合う様々な声音がさざ波のように広がり、五十帖の和室を覆った。
「後ほどそれを皆さんにご堪能いただきますので、まずはお目の前の膳に箸をつけていただき、しばらくの間ご歓談いただきたく存知ます。尚、本日の膳を用意してくださいましたのは……」
島野が出入り口の方に視線を飛ばすと襖がすっと開き、白い上っ張りを着た中年の男が入ってきた。和食の世界では右に出るものがいないと呼び名も高い関西の調理人だった。
その調理人の説明がはじまった。今夜のために用意された料理の数々は、旬の食材をふんだんに使い、滅多にお目にかかれない山海の珍味が添えられているという。運び込まれてきたその膳は、見るからに涎(よだれ)が出そうな見事なものだった。
調理人が下がり、酒宴がはじまったが、芸者やコンパニオンはいない。隣り合わせたそれぞれが酌をし合って盃を重ねる。それがこの秘密会の流儀だった。
三十分余りの時が流れて参会者の顔が赤らんだ頃に、部屋の隅に控えていた島野が板壁の操作盤の前に立った。
「皆様。長らくお待たせいたしました。ただいまより本日の特別企画である一幕芝居をご覧いただきます」
島野のこの言葉で一瞬座がどよめいた。と同時に天井の明りがすっと照度を落とし、薄闇の中で皆が息を殺した。
するすると小舞台の幕が上がり、上下左右からスポットライトが舞台を照らし出した。が、そこに人影はない。白木の磔柱(はりつけばしら)が中央にデンと立ち据わっている。上下に斜交いの取りつけられたそれは、志津が蛭田に苛まれた地下シェルターにあったもののようだった。この日のショーのために移されたように見受けられた。
一礼して薄闇に溶け込んだ島野が出入りの襖の向うに隠れると、替わって二つの人影が襖の陰から現れた。
淡く気品にあふれた若草色の結城紬(つむぎ)の胸前を両手でしっかり押さえて身を縮めた女が、派手な色柄シャツを腕まくりしたずんぐりした体格の男に肩を抱かれるようにして座敷に入ってきた。
斜めに伏せた女の頬には哀しい翳りが射し、その横顔は清冽(せいれつ)なほど白く冴えている。女の余りの美しさに初老の男たちは皆、眼を大きく瞠って生唾をゴクンと飲み下した。
その美しい女、中澤志津を引き連れて舞台に上がった男はあの蛭田和幸だった。大切な役割を与えられた嬉しさからか、あるいは今また志津を嬲ることが出来る悦(よろこ)びからか、蛭田の細い眼はキラキラと輝いていた。
殿村昭吾は、今回の一幕芝居の志津の相方を島野にしようと考えないではなかったが、このところの島野の様子を見るにつけ、彼が志津に好意を抱いていることを敏感に感じ取っていた。となれば、島野健史は今夜の責め手として相応(ふさわ)しくない。彼の志津に対して抱いている情が芝居の邪魔をするだろうと思った。手心を加えずに責めてこそ志津の美しさは引き出される。中途半端な責めでは志津の被虐に燃える妖しい情念は表に現れてこない。そう考えて蛭田和幸に任せることを決めた。
「蛭田にしようと思うが、構わんかな?」
そう打診された志津は、あの苦しみ抜いた十日間を思い出して眉をひそめた。しかし、殿村老人の打診は形を変えた命令に他ならない。志津は間髪を入れずに首を縦に振った。
自分を素っ裸に剥き上げ縄をかけて肌を嬲る男が蛭田ならば、かえって我を忘れて思い切り淫らになれる……。志津はそう思って覚悟を決めていた。
「奥さん。いつまでそうやってぐずぐずしてるつもりなんだ? 俺は構わないんだぜ、あんたがどうしようと……」
「ま、待ってください。お願いです、父や母のところへ行くのだけはやめてくださいっ」
「だからさぁ。あんたが素直に俺に身を任せるというのならそんなことはしないと、さっきからそう言ってるだろ?」
「あなたのおっしゃる通りにすれば、本当に両親に迷惑がかかるようなことはないですね? それに、あと一か月の猶予をくださるのですね?」
「ずっとそう言ってるじゃないか。俺も男だ。約束を違えるようなことは絶対にしないよ」
「…………」
女はうつむいて下唇を噛んだ。まだ迷いを吹っ切れないでいる様子を見せた。
その女を演じている志津は、すでに悲劇のヒロインになり切っていた。
強いスポットライトの光が眩しく降りそそぐ舞台からは、薄明かりの中にいる一座の人たちの顔の表情を窺い知ることは出来ない。膳を前にして座っている輪郭がおぼろげに見えるだけである。そのことが志津の感情移入を容易にさせていた。
志津が演じさせられている一幕芝居のストーリーはこうである。
不運な女の亡くなった事業家の夫が多額の負債を残した。銀行からの借入金は家屋敷を処分することでなんとかなったが、一時凌(しの)ぎの運転資金として借りていた高利の二千万円はまだ返済の目途が立たず、その期日は過ぎた。利息だけでも払えと迫られた若い未亡人は、せめてあと一か月の猶予をと頼んだが相手の貸主は承知しない。お前のそのからだで利息を払え、さもなくば実家の両親に肩代わりさせると脅してきた。田舎で慎ましく暮らしている夫の両親に多額の借金を肩が割りできるような余裕があるはずはなく、住んでいる家を処分するしか方法はない。そうなると両親が路頭に迷ってしまう。苦悩の果てに未亡人は金貸しの意のままになることを決心するというありきたりなストーリーである。
この一幕芝居の主眼は、物語の展開を楽しむことではなく、ヒロインである美しい未亡人が責め苛(さいな)まれる情景を見せて招待客の欲情をそそり立てることにあった。いつも紳士ぶった招待客の仮面を脱がせ、普段は巧妙に隠している、淫蕩(いんとう)な実体を赤裸々に晒させることにある。それがまた黒幕・殿村昭吾の力を強くする。それゆえに芝居の筋書き自体はさほど重要でない。演技が真に迫れば迫るほど殿村の目論見(もくろみ)は成功するという次第である。
「どうするんだ? さっさと着物を脱いで裸になるのかならないのか、どっちなんだッ」
「ぬ、脱ぎます。着物は脱ぎますから、どうか両親に危害を加えるようなことだけは……」
「奥さん。あんたもしつこいなぁ。それほど俺が信用できないというんなら、この取引は止めにするかッ」
「ま、待ってっ! 待ってください……」
志津は、若草色の気品ある結城紬の訪問着に締めた市松柿の袋帯に手をかけた。震える指で帯揚げを抜き取り、帯締めをほどいていく。
するすると袋帯をとき外して落とした志津は、和装を支えている着物の紐をつぎつぎに抜き取ると、若草色の着物を肩先から滑るように脱ぎ落とした。そして、薄紅地に白い小梅を散らした艶っぽい長襦袢の胸を抱いて立ちすくんだ。
おおーっ!
時ならぬどよめきが人息でむせかえっている部屋の壁にこだました。
「その長襦袢も脱ぐんだよ、奥さん……。さ、早くしないかッ」
蛭田に叱咤(しった)された志津の切れ長の眼はすでに潤んでいた。
白く冴えわたる頬にかかったほつれ毛が哀れみを誘う志津は、小さく身を震わせながら伊達巻をほどいた。口を真一文字に結んで薄く目を閉ざすと、薄紅色の長襦袢を白木綿の肌襦袢とあわせて一気に脱ぎ落し、その場に崩れ落ちるように屈んだ。
志津は、目が醒めるようにまぶしい緋色の湯文字一枚の半裸になった身を縮ませ、両手でしっかりと胸を抱いて震えた。その足元の足袋の白さがまぶしい。足袋の白さに劣らない肌の白さが観衆の目を惹いた。
志津と蛭田の演技には迫真性が問われている。幸か不幸か、志津には蛭田に対する強い嫌悪感がある。加えて地下シェルターで責め苛まれた時の怯(おび)えがいまだに心の隅に残っていた。役柄への感情移入とあいまって、口にする言葉も身じろぐ所作も、それらが演技とは見えない迫力を生んでいた。
「思った通りだ。綺麗な肌をしてるじゃないか。なっ、奥さん」
「…………」
「よしっ、それじゃあ、両手を後ろに廻してもらおうか」
「な、なにをなさるの?」
「あんたをこの縄で縛るんだよ」
蛭田はさっと手にした麻縄の束を志津の鼻先に突きつけた。
「そ、そんな無体な……」と、志津は顔を左右に振りながら後ずさりをした。
「言われた通りにするんだよ、奥さん……。それとも俺に、今からすぐに新幹線に乗れって言うのか?」
「やめてっ! そ、それだけは、お願いですから……。やめてください……」
「じゃ、おとなしく両手を後ろに廻すんだなッ」
蛭田にそう迫られてポロリとこぼれ出た涙の粒が志津の頬に糸を引いた。
「わ、わかりました。あなたのお好きなようになさってください……」
さも悲しげにそう返事をした志津は、うな垂れて正座に直った。白磁のような光沢のあるたおやかな両腕を静かに後ろへ廻していく。華奢な両手首を背中の中ほどに重ね合わせると、志津は薄く眼を閉ざして顔を伏せた。
「ほほう、いい覚悟じゃないか」
口の片端を吊り上げてそう言った蛭田は、志津が自ら重ね合わせた手首にキリキリ縄をかけ、かっちり縛り上げた両手首をググッと高く引き上げた。
あの忌(いま)わしい秋の日の情景に酷似した展開で芝居は進行している。あの時と違っているのは、スポットライトの眩しい光を浴びて大勢の目の前に肌を晒していることと、被虐官能の悦びを覚え込まされてしまった志津の肉体が縄に敏感に反応することだった。
縄が手首に巻きついてくると、志津はなにやら甘いざわめきを胸に覚えた。胸の上部に縄が渡されると下腹部で妖しい蠕動(ぜんどう)がかすかにはじまる。柔らかな乳房の下に縄がもぐり込むと花芯がトキンとかすかに疼いた。背中に戻った縄をグイッと引き絞られて、ううっと呻いた時にはもう女陰の奥が潤っていた。
志津のたおやかな両腕は背中にX字を描いている。ふっくら盛り上がった形のいい白い乳房が黒ずんだ縄に絞り出されて震えていた。顔の見えない観衆の淫らで熱い視線を感じるのか、肌理(きめ)の細かい美肌が上気したように桜色に染まってきていた。
ああっ、う……。たわわな乳房を絞り出した縄は手首の縄にからむと左脇をくぐり、乳房を下から緊め上げている縄にからんでぎゅーっと後ろへ引かれた。右でも同じように縄がさばかれて胸の縄に抜け止めの閂(かんぬき)縄がほどこされ、志津の白く冴えた頬をひと筋、哀しみの涙が伝った。
「奥さん……。あんたのように色が白くて肌理が細かい肌の持ち主には縄がよく似合うんだよ。からだの均整も取れてるし、どの部分の肉付きも理想的だ。縄が喜んでるよ」
舌なめずりしながら皮肉っぽい台詞を口にする蛭田の前に正座した志津は、後ろ手の高手小手に厳しく縛められた上半身を前にかがめて縮こまっている。まだ上半身だけとはいえ肌を晒している恥ずかしさとその素肌に縄を打たれた辛さに、背中に束ねられた両手首の先でぎゅっと握り締めた両の拳をブルブルと震えさせた。
ふふっと鼻先で笑った蛭田は、志津の両腕を背中に縛めた縄に別の縄をつないだ。
「さ、立つんだ!」
つながれた縄を強く引かれてよろよろと立ち上がった志津の湯文字の裾が乱れて真っ白な脛がチラリと覗き、ゴクンと生唾を呑みこむ音が部屋のあちこちで上がった。
志津を舞台の中央に立たせた蛭田は、縄尻を天井の梁に渡してその縄を強く引き下げた。
ああっ! 後ろ手に縛られたからだが前のめりになりながら持ち上がり、志津は爪先立ちになった。かろうじて床についている足袋の白い足先が右に左に動いて落ち着き先を探した。爪先が浮くと胸の縄が緊まった。
ううっ、う……。呻き声を洩らした志津の額に脂汗が滲みはじめた。
その背後に立った蛭田は、志津の縛られたからだの両脇からすっと腕を前に廻し、縄に呻いている二つの真っ白な乳房をワシづかみにした。
「ああっ、イヤっ!」
首を振る志津の乳房を蛭田の淫らな手が揉みしだく。白く柔らかな乳房を揉み上げながら指先で赤い乳首を弄んだ。
あっ、あ……、はあっ、ああ……。
まもなく志津の口から喘ぎ声が洩れてきた。
感情の昂ぶりをこらえきれない志津は、爪先を浮かせて呻きと喘ぎを繰り返した。緋色の湯文字が艶(なま)めかしく揺れ、真っ白い足袋がまるで蝶が蜜を吸う花を探しているように上下に羽ばたいた。
広い部屋をむっと湿った熱気が覆い尽くしていく中で、蛭田の執拗な肌嬲りは続いた。
「そろそろご開帳といくか」
官能を刺激され、麻縄をきつくまとった身をよじって悶える志津の瞳には霞がかかりはじめている。その様子を見た蛭田は、湯文字の腰紐に手を伸ばした。
「あっ、お願いですっ! よしてっ、それだけは……。それだけは許してください……」
我に返って許しを乞う志津の顔を見上げて、蛭田はニヤッと笑った。
「ダメだね。あんたのお道具がどんな形をしているか、とっくりと見せてもらうよ」
蛭田は慣れた手さばきでするする紐をほどくと、観衆の気を惹くようにひと呼吸おいてから、緋色の腰布を空中に泳がせるようにして一気に剥ぎ取った。
ああっ、イヤーっ! 絹を引き裂くような悲鳴が上がり、一座は突然シンと静まり返った。血走った眼が志津の股間に注がれている。あちこちで生唾を呑み下す喉鳴りが異妖な熱気を帯びてきた空間を占拠した。
*
しばらく居間から退出することにした島野健史は、玄関ロビーにあるソファに深く腰を沈め、田野倉カネに淹れてもらった熱いコーヒーをすすっていた。
あと一時間半余りの間、自分の出番はない。そのことよりむしろ、あの場の膝を揃えて控え、芝居とはいえ蛭田に責められる志津の姿を見ていることが辛かった。この頃そんな自分の心を持て余している島野は、深いため息を洩らしながら腕時計の文字盤に目を落とした。午後七時四十五分を指していた。
「おい、タケちゃん!」
唐突に自分の名を呼ぶ耳馴れた声に顔を上げると、幼馴染みの殿村昭二が玄関に足を踏み入れたところだった。
「おやっ、昭二さんじゃないですか。こんな時間にどうしたんですか?」
「どうもこうもないよ、タケちゃん……。俺さぁ、昼間あんたに電話したんだぜ。なのにいなかったけど、一体どこをほっつき歩いてたんだ?」
ニヤニヤ笑いながら、殿村昭二は島野健史の前のソファに腰を沈めた。
「口が悪いのは直んないみたいですね、昭二さん。今夜の支度であっちこち飛び回ってたに決まってるじゃないですか」
「今夜の支度? おっ、そう言われてみりゃ黒塗りがいっぱい停まってるよな……。そうだったのか、今日が例の日だったんだ。すっかり忘れてたよ。俺……。ま、憶えてたって俺にゃ関係ねーけどな」
「……で、昭二さん。こんな時間にわざわざ、どうしたんですか?」
「いや、あのな……。オヤジのお茶の先生だとかいう人がいたろう?」
「ええ。中澤志津さんですけど、その中澤さんがなにか?」
「俺のボロアパートから近い国分寺に住んでるって言ってたじゃねーか」
「ええ、確かに……」
「相変わらず独り身の俺としちゃ、たまにゃ綺麗な女の人と一緒にメシを食ってみたくもなるさ。分かるだろタケちゃん、この気持ち? あんたも独り身なんだから……」
「…………」
島野は意外だった、殿村昭二が志津に興味を示していることが……。
「そう思いついたもんだからタケちゃんに電話を入れたって訳さ。あの中澤さんの住所と電話番号を教えてもらおうと思ってな」
(やっぱり親子だ。美しいものを見分ける眼が一緒だ……)
「そしたらカネが電話に出て、タケちゃんとは連絡がつかねーって言うんだよ。それでさぁ、俺、カネに聞いてみたんだ、お前オヤジのお茶の先生の電話番号知らねーかって」
「おカネさん、どう答えました?」
「あのババア、知らぬ存ぜぬの一点張りさ。けどさ、ガキの頃からあのバアさんを知ってる俺としちゃ、ピンと来たね」
「何がです?」
「カネは絶対に知ってるはずだって……。それでな、ちょいと脅かしてやったんだ、カネを……。今日は確かオヤジのお茶の稽古日のはずだから、これからすぐそっちへ乗り込んで自分で本人に聞くからいいや、ってな」
「そしたら?」
「ババア、あわてちまってパニックだ。訳の分からねーことをゴネゴネナ抜かして、挙句の果てに、お茶のお稽古は中止になりましたって抜かしやがった」
「…………」
「ますます怪しいじゃねーか。よっぽどのことがない限り、あの性悪ジジイが自分の好きなことを止める訳がねーし。ましてやあんな別嬪(べっぴん)さんに教えてもらってるんだぜ……。そうだろ、タケちゃん?」
「はぁ……」
「それでさぁ。俺、つい奥の手を使っちまったよ」
「奥の手ですって? それ、何です?」
「去年。オヤジが大事にしてた野々村仁清(にんせい)の壺を俺が割っちまったことがあったろ?」
「ええ、あの時は御前もカンカンに怒ってましたよね」
「そう。それだよタケちゃん……。実はな。あれを割ったのはカネなんだ。オヤジに綺麗に磨いとけとかなんとか言われて二階から下へ持ってくる途中でつまずいたんだよ。階段の脇でガシャンさ。丁度そこにいた俺がそいつを見てたんだ。血の気が失せて真っ青になってるあのババアが可哀相になっちまってな。そりゃそうだろうよ、五百万円は降らない仁清の壺を割っちまったんだから……。それで俺はさぁ。『ほう、結構高そうないい壺じゃないか。ちょっと見せてみろ』って無理やりカネから取り上げた壺を俺が手を滑らせたったことにして、カネを庇(かば)ってやったんだ。そいつをオヤジにバラしてもいいのかって、あのババアを脅かしたって訳さ」
「そうだったんですか……。じゃぁおカネさん、弱ったでしょうね」
「うん。周章狼狽(しゅうしょうろうばい)してんのがさ、電話越しにありありと分かったよ」
「それで……」
「あはははは。ババアめ、とうとう白状したね。お茶のお稽古はないけれど、中澤さんは夕方にはお出でになりますってな」
「そんなこと言ったんですか、おカネさんが昭二さんに……」
「そうさ。おかしいかい、タケちゃん? おかしいと思ったのは俺の方でさ。あの狒々オヤジが夜ここに女を招き入れる時は大抵良からぬことを仕出かしてやがる。全部お見通しなんだ、俺には……。すぐにここに来て意見してやろうと思ったんだけどさ。中澤さんが着いてねーんじゃつまんねーし、夕飯時に来てあの因業(いんごう)ジジイの顔を見ながらメシを食うのも片腹痛いからさ。それで、ま、こんな時間にしたって訳だ」
「そうだったんですか……」
「んん? タケちゃん、お前さん、なんでそんな暗い顔してんだ? そうか、分かったぞ。あの人はやっぱりお茶の先生なんかじゃねーな。大体、オヤジにケツの穴の毛まで抜かれてる連中が集まる日に呼ぶなんざ、良からぬ魂胆があってのことだ。間違いねー!」
そう言って殿村昭二はすっくと立ち上がった。
「よしっ。オヤジの面子が潰れようが大恥をかこうが、そんなこたぁかまやしねー。今からすぐに皆の前で意見してやる!」
「ダメです! 昭二さん、今はいけません!」
「タケちゃん、そこをどけよ!」
「ダメです、どきません! 今はダメです!」
「そこをどけよ。オヤジに意見してやるんだよ、また悪い癖を出してるに違いねーから」
「昭二さん。気持ちは分かるけど今は上へ行っちゃいけません!」
幼馴染みの殿村昭二と島野健史は、悪ガキだった昔のように、互いが本気になっても見合った。
*
ずんぐりと横幅のある殿村昭二と筋肉質で上背のある島野健史が玄関ロビーで揉みあっている頃。志津は両手を高く斜めに広げて磔柱に縛られていた。
うっ、ぐううっ、と小さな呻き声が洩れる口を薄桃色の鹿の子絞りの帯揚げが割り、白い頬をくびっていた。
ぐっ、うぐぐっと、しきりに志津はなにかを訴えている。眉根を寄せたその顔一面が、そしてしなやかな細首までが朱に染まっていた。
「奥さん。股座(またぐら)をさらけ出してんのがそんなに恥ずかしいかい」
志津は帯揚げの猿轡を咬まされている顔を縦に振った。
「そうか、やっぱりな。それじゃ、あんたの大事なところをこいつで覆ってやるよ」
蛭田は、手に取った新しい縄を志津の目の前でひらひらさせた。それを見た志津の顔色が変わった。
(やめてっ、それだけはやめてっ!)
必死に叫んだ志津の思いは猿轡に阻まれて言葉にならない。
蛭田はその志津のくびれた腰に縄を巻きつけ、ヘソの上で一旦結んで縄尻をそろえると、くるくるっと縄をからめて結び目を二つこしらえた。大小二つの縄のコブが並んで志津の股間を睨んでいる。
(ご、御前さまーっ!)と、志津は思わず殿村老人を探した。
しかし、スポットライトの強い光の中にいる志津からはどの影が殿村昭吾なのか判別がつかない。例え見つかったとしても蛭田を止めてくれるはずはないのだが、志津は老人にすがりたかった。その志津の花肉の秘裂に大きい方の縄のコブが潜りこんだ。
(あっ、イヤっ!)
志津の眉間に皺がきつく寄った。が、その間に縦縄は股間を後ろへすり抜け、小さい方の縄のコブが微肉の筒口にあてがわれた。
(ああっ、またそんなところにも……)
志津は言い知れぬおぞましさを感じた。が、それも束の間。縄のコブがググッと押し込まれ、異物を埋め込まれた微肉の筒が悲鳴を上げた。
四肢を大きく開いて柱に磔(はりつけ)にされている志津は、言葉にならない濁った声をあられもなく出して涕泣(ていきゅう)した。切れ長な目の長い睫毛の間から大粒の涙をポロポロこぼれ、薄紅色の猿轡を濡らした。しかし、まもなく志津の、縄のコブを咥えさせられ縦一文字にえぐられた恥丘を覆う柔らかな繊毛が湿り気を帯びはじめた。
スポットライトに照らされて浮かび上がった白い裸身が悶えながら次第に赤味を強くしていく。その妖しく官能味あふれる姿態は、殿村昭吾が招いた初老の男たちの心をねっとりと蕩(とろ)けさせ、淫らに燃え上がった彼らの魂をワシづかみにしていた。
つづく
|