鬼庭秀珍    残り香闇に溶けた女





        第三章 手がかり






 水死体のことを衛門というのは、江戸時代の力士「成瀬川土衛門」に由来している。相撲取りの成瀬川は色が白くぶよぶよと肥満した「あんこ型力士」で、水死体の膨れ具合が彼の外見によく似ていたことからそう呼ぶようになったらしい。

 死んだ人間は、水の中では一旦底に沈む。しばらくして腐敗がはじまり、タンパク質が分解してガスを発生し、膨張した体細胞に浮力がついて水面に浮かんでくる。ちなみに男の土左衛門はうつ伏せに浮き、女の土左衛門は仰向けに浮く。真鶴岬に漂着した全裸死体は仰向けに浮いていた。

 また、生きた状態で溺死すると水が肺に入りこんでプランクトンなどの不純物が肺胞壁から血中に入り臓器細胞に取り込まれる生活反応が残るが、死んでから水没した場合は肺に水が満ちていても生活反応はない。真鶴岬の漂着死体からは生活反応が出なかった。それ故に警察はどこか他の場所で殺されたものと判断していた。


 被害者は三十後半から四十代前半の女性である。
頚部を水平に走るとその一部に表皮剥脱が見られたことから、死因は頚部圧迫による窒息死と見られる。つまり縄のようなもので絞殺された後で海に投棄されている。
 しかし、なにぶん遺体が全裸だったこともあり、身元の特定に難渋した。
 長田係長は全国の行方不明者と捜索願のリストを片っ端からあたり、石踊刑事は真鶴を中心に小田原から熱海までの相模灘沿岸にある町での聞き込み捜査に専念した。しかし、それらしい情報は一向に浮かび上がってこなかった。


 遺体漂着から一か月経った二月中旬。協力を要請していた科学捜査研究所から被害者の復顔が完了したとの知らせが入った。復顔模型に基づいて彩色された似顔絵も作成されていた。
 そこに描かれた被害女性はため息が出そうになるほど美しい顔をしていた。遺体が全裸であったことを考え合わせると、長田も石踊もなにやら猟奇的な匂いを感じずにはいられなかった。長田はその似顔絵を公開するよう植松一課長に進言した。


 数日後。中国の最高指導者・ケ小平氏が死去したニュースが新聞各紙の夕刊一面トップを飾った二月十九日に、『デイリー神奈川』と『静岡タイムス』の地元二紙の社会面に似顔絵は掲載された。
 手詰まりの捜査チームにとって事件解決への望みはこれ以外になく、長田も石踊も祈るような気持ちで一般市民からの情報提供を待った。


           *

 似顔絵が新聞に載った翌々日の金曜日朝。
真鶴署の刑事課に一本の電話が入った。

 病気療養中の棚橋冨美子という五十代の婦人からの通報で、彼女の知り合いに被害者によく似た容貌をしている女性がいるという。

 石踊俊介刑事は、聞き込み捜査のために自宅から直行した大磯港でその連絡を受け、早速、棚橋冨美子が入院しているという相模原の病院に急行した。

 頬がこけ落ちていて顔に生気がない。病のせいでからだが縮んでしまっている。しかし、生まれも育ちも良いらしく気品がある。石踊がそんな印象を受けた棚橋冨美子は蒼白い顔の眉をひそめてこう語った。


「私の知り合いの方というのは尾上蔦子さんとおっしゃっいましてね。年齢はたしか三十七歳になられたと思います。それはお綺麗な方でしてね。女優さんだと紹介されても誰も疑わないほど美しいお顔をしておられます。十年ほど前までは深川で芸者さんをなさってたのですけれど、今は文京区の根津で芸事のお師匠さんをしてらっしゃるはずですわ。とても義理堅い方でしてね。私どもがいっときお世話して差し上げたことをいつまでも恩義に思ってくださって、こんな私を毎月一度は必ず見舞いに来てくださっていました」

 その尾上蔦子が、去年の八月末の来院を最後に、パタッと姿を見せなくなったのだという。
 心配になった棚橋冨美子は、昨年の十月初めから年末にかけて何度も尾上蔦子の自宅に電話をかけてみた。しかし、いつも留守番電話が応答するだけだった。
 電話する度にメッセージを残すのだが一向に連絡が来ない。不思議に思ったが、何か特別な事情が出来て家を空けているのだろうと解釈していた。
 ところが、新聞に載っていた真鶴岬に漂着したという女性の似顔絵が余りによく尾上蔦子に似ているので、もしやと思って真鶴署に通報したのだという。

 また棚橋冨美子は、尾上蔦子は現在独身であり、両親はすでに他界していてこれといった身寄りはないはずだとも話した。

 そうであれば、家出人や失踪者としての届出もなければ捜索願いが出ていないことも、石踊にはうなずけた。

「間違いであって欲しいのですけれど……」
 棚橋冨美子は最後にそう呟くと蒼白い顔を曇らせた。

               *

 長田平吉警部補は、時計の長針と短針が真上に重なる直前に石踊刑事から電話報告を受けた。
 植松課長に警視庁への連絡を頼んで県警本部を飛び出し、午後一時過ぎに横浜駅で落ち合った石踊を伴って文京区の根津へ向った。


「チョーさん……」
 石踊に限らず若い刑事たちは敬愛の情を込めて長田をそう呼んでいる。

「なんだ、俊介」と答えた長田は以前、新人刑事研修の講師を勤めた折に石踊を教えたことがあった。

「チョーさん。実はですね。ジブン、こう見えても学生時代にミステリー作家になりたいと思ったことがありましてね」

 渋谷へ向う東急東横線の車中で石踊は意外なことを話しはじめた。渋谷から先は地下鉄銀座線で表参道まで行き、そこで千代田線に乗り換えて根津へ向う。

「ふ〜ん。俊介も昔は文学青年だったてぇわけだ」

「そんな大袈裟なもんじゃありませんよ。気の迷いだったんです。トライしてすぐに、ジブンには小説を書けるほどの才能がないと悟って警察官になったんですから」

「警察官は小説家志望者の成れの果てだってぇことか?」

「ち、違いますよ。そういう意味で言ったんじゃなくて……」

「そりゃそうだろうな。……で、俊介。その顔つきは何かいたってことだな」

「ええ、そうなんです。ジブンは江戸川乱歩が好きでしてね。乱歩の著作はほとんど読んでるんですけど、初期の作品の中に『D坂の殺人事件』というのがあるんです」

「ほう、それが今度の事件と何か関係があるのか?」

「ええ。D坂というのは根津の北にある団子坂のことでしてね……」

 団子坂は正式な名称を千駄木坂という。
 しかし、あまりに急な坂であるために通行人が団子のように転げるからとか、団子のような小石が多かったからとか、団子坂という呼び名の由来は諸説紛々としている。二葉亭四迷の『浮雲』や夏目漱石の『三四郎』、さらに室生犀星の詩『坂』にも取り上げられ、昔の第一高等学校や東京大学にも近く、明治時代の知識人と縁が深いところでもある。

 かの江戸川乱歩自身も住んでいたことのあるその千駄木の団子坂上に、乱歩がまだ本名の平井太郎で書いていた頃の大正二年に、古本屋『三人書房』が開業した。名探偵・明智小五郎がデビューする『D坂の殺人事件』の舞台はこの『三人書房』がモデルになっている。


 元文学青年の石踊刑事は、世の大人たちを官能の世界に誘い、その一方で多くの少年少女を夢中にさせた謎が謎を呼ぶ乱歩ワールドのルーツはこの界隈にあると大先輩の長田警部補に話した。

「ふ〜ん。俊介、お前さんもなかなか博学だなぁ。おそれ入ったね。俺なんざ、小説なんつう高尚なものとはとんと縁がねぇから、これからはお前さんに色々教えてもらわなきゃいけねぇなぁ」

「やだなぁ、いつもこうなんだから……。若いもんをからかっちゃいけませんよ、チョーさん。ジブンはたまたま乱歩に凝ってただけなんですから。それは置いといてですねチョーさん。『D坂の殺人事件』は十年ほど前に映画化されてましてね。映画の方の筋立ては乱歩の原作とはかなり違うんですけど……」
 おおむねこうだったと、石踊は長田に説明した。

 下町のD坂にある古本屋の女主人時子が絞殺され、第一発見者である従業員の斉藤が容疑者として逮捕された。が、斉藤は時子が隠し持っていた金を盗んだことは認めたものの殺してはいないと容疑を否認し続ける。
 予審判事の笠森は伝説の責め絵師
大江春泥による肉筆の絵が不思議なことに二組あることに注目し、絵師の蕗屋清一郎を疑う。笠森は事件解決のために蕗屋に心理試験を行ったが、犯人と断定するだけの確信は得られない。その心理試験の結果に疑問を持った笠森の友人明智小五郎が事件の究明に乗り出す。

「物語の殺人事件が起きたのは戦争前の昭和二年ということになってましてね。責め絵なんてものは禁制されてる時代でしょ? だからこそ高値で売れるわけですよ、好事家ってのはいつの時代にもいるようですから。そこに目をつけた古本屋の女主人は大儲けを企んだわけです」

「ま、禁止されりゃかえって欲しくなるのが人間のつうか、哀れなってもんだからな。そいつを利用して金儲けを企む奴がいても仕方ねぇやな。昔も今も何ひとつ変わっちゃいねーよ」

 苦虫を噛み潰した長田にうんうんと相槌を打って、石踊は説明を続けた。

 天才贋作師の蕗屋は古本屋の女主人の時子から大江春泥の責め絵十二枚の贋作づくりを依頼されて完成させたが、時子はモデルを提供するからもう一枚作ってくれと言う。そのもう一枚というのは現存しないと言われいている幻の作品で、もしそれが発見されて売りに出されれば間違いなく法外な高値がつく代物である。蕗屋は時子のその頼みを引き受けて贋作づくり、というより創作にのめり込んだ。そうやって一連の責め絵を描いているうちに、蕗屋は倒錯した性に目覚める。
 約束の期日より早く仕上げた蕗屋が出来上がった絵を持って時子を訪ねたが、突然のことで時子の方は礼金の支度が出来ていない。二日後の支払いを約束した時子は、ムダ足を踏ませた詫びにと取り出した一冊の古い写真集を蕗屋に見せる。そこには縄で縛られて喘ぐ若い頃の時子がいた。古本屋からの帰り道、蕗屋は時子の緊縛されためかしい姿態を思い描いて淫らな妄想を募らせていった。

「乱歩の原作では、古本屋の二軒隣りのそば屋の主人が嗜虐趣味のある男で、古本屋の女主人の方は縄で縛られて喜悦する被虐官能を悦ぶ女として描かれてましてね。その二人にはサドとマゾの男女関係があって、そば屋が時子を絞め殺したという結末になってるんですが……」

「ですが……って、映画じゃ違うのかい?」

「ええ、違うんです。そば屋が裸にした女を縄で縛っていたぶる嗜虐趣味者だというのは原作と同じなんですが、時子を殺したのは真田広之が演じた絵師の蕗屋清一郎ということになってます。蕗屋は自分が現存しない幻の責め絵をでっち上げたことを隠するために依頼主の時子を絞め殺したわけでして、そのことを名探偵・明智小五郎が見破るんです」

「テレビのミステリードラマでよくある筋書きだな」

「そうですね。でもそれは無理ないんですよ、チョーさん。なにせ乱歩はミステリーの元祖みたいなもんですから。今のミステリー作品は小説であれドラマであれ、皆少なからず影響を受けてますから……」

「ふ〜ん。そんなもんかい?」

「そうなんですって。ま、それはともかく、あの映画じゃ真田広之の妖しい演技も凄かったんですけど、女主人の時子役を演じた吉行由美がもっと凄かったんですよ。上半身裸で縄に縛られて天井から逆さに吊るされたり猿轡まされて呻いたりするシーンがありましてね。その時の陶酔し切った表情がそれはもう妖艶そのもので、まるで別人のように綺麗な顔になるんです。思わずジブン、女ってのは怖いなぁと思っちゃいました。今度の事件のガイシャもすごい美人じゃないですか。それでなんでしょうかねぇ。なんかこう、ついイメージが重なってしまうのは……」

 石踊俊介はこの『D坂の殺人事件』の筋立てに今回の事件との共通性がありそうに思うと言った。つまり犯人は倒錯した性癖の持ち主であり、衣服を剥ぎ取った裸の女を縄で縛り上げて責めんでいるうちに首を絞めて殺してしまい、その遺体を隠すために海に投棄したのではないかというのが彼の見解だった。

 真鶴岬の全裸死体には、首にだけではなく乳房の周りと両手首にもかすかな索条痕が残っていた。警察はそのことを公表していなかった。

「ふ〜ん、そうだったか……。俊介もそう思ってたのか。俺もその線が濃いんじゃねぇかなとずっと考えていたところだ、俊介みてえに江戸川乱歩大先生の小説のことは知らなかったけどよう」

「チョーさんもそう睨んでたんですか? ジブンは絶対にそうだと思います」

「だけどな俊介。仮にそれが事件の真相だとしてもだ……。ガイシャがどこの誰かもまださっぱり判らねぇし、変態らしいホシに至っちゃ、その影すら見えてこねぇ。ホシが女ってこともないとは言えねぇしな。とにかく今のところ手掛かりはまったくねぇ訳だから、この根津の線をとことん追いかけてみるより手はねぇな」

 落しのチョーさんがため息混じりにそう言って、元文学青年に微笑みかけた丁度その時、二人を乗せた東横線の急行電車が渋谷駅のホームに滑り込んだ。



                                               つづく