第五章 根津〜門前仲町〜神田
この頃巷では、女子高生を中心に、何でもかんでも短縮省略して話す風潮がますます高まってきている。その影響を受けた訳でもなかろうが、東京の下町の中でも、いかにも下町らしい風情を今も残している台東区谷中とそこに隣接する文京区根津・千駄木周辺のことを『谷根千』と呼ぶらしい。
このあたりは関東大震災や戦災にも耐えて残った文化遺産が多く、森鴎外・夏目漱石・高村光太郎らの文人が足跡を残した土地であり、庶民の暮らしの中から生まれた生活文化や知恵が何代も受け継がれて今も貴重な手仕事を守り続けている職人たちが大勢いる町でもある。
神奈川県警の長田平吉警部補は、若手刑事の石踊俊介を伴って、『谷根千』の一角をなす根津へ向っていた。真鶴岬全裸死体漂着事件の被害者かも知れない、尾上蔦子の住まいがそこにあるとの情報を得たからである。
渋谷で東急東横線から地下鉄銀座線に乗り換え、さらに表参道で地下鉄千代田線に乗り換えて約三十分。根津駅の地上に出ると目の前を不忍通りが南北に走っている。そこから徒歩で数分のところに尾上蔦子の自宅はあるとのことだった。
文京区根津はJRの上野駅からゆっくり歩いても二十分もあれば辿り着ける。上野公園や不忍池も近く、駅から歩いてすぐのところに毎年ツツジ見物の人波が出来る根津神社がある。
神社の境内には約二千坪のツツジ苑があり、おおよそ五十種三千株のツツシが咲き競う。甘酒茶屋やら植木市やら露店やらがずらっと並んで賑わう最盛期は毎年四月の下旬前後だが、ツツジの種類が多く、早咲きから遅咲きへと花が移り変わるから長い間様々なツツジを楽しむことができる。
しかし、まだ二月である。ツツジ見物が出来るのはまだ遠い先のことだ。とはいえ、折角ここまで来たのだからと、長田たちは根津神社にお参りすることにした。
根津神社の歴史は古い。今から約千九百年前に日本武尊が創祀したと伝えられている古社であり、主祭神は素戔鳴命である。他に五体の神が祀られている。普段は神仏を信じていない長田と石踊の二人だが、この日ばかりはここの神様に、事件解決の手掛かりがどうかこの町にありますようにと、ご利益をお願いした。
不忍通りを東に入り、最初の十字路を右に折れ、次の角を左に曲がって入った狭い路地の中ほどに尾上蔦子の自宅はあった。二十坪程度の敷地に建つ二階家だった。
このあたりでは珍しく、板塀に囲まれた中にそこそこ広く見える庭がある。その庭一面に形が崩れて腐葉土になりかかっている茶褐色の落ち葉が積もっていた。庭の両端から玄関を挟むように、冬枯れ時の現在は葉っぱをすっかり落として裸になった枝をくねらせている柿の木が一本と、あとひと月半もすれば開きそうな堅いつぼみを枝いっぱいにつけた桜の木が一本立っていた。
家の入り口は格子のくぐり戸になっており、鍵はついていない。無用心なようだが、近所付き合いが親密な下町ではそれが当たり前なのかも知れない。
その格子戸を引いて庭に足を踏み入れた二人は、敷いてある飛び石を渡って玄関前に立った。長田がインターフォンを繰り返し押してみたが何の返事もない。ここには鍵がしっかりとかけられていた。
「尾上さん! いらっしゃいませんかーっ、 尾上さ〜ん!」
石踊が声を張り上げた。が、虚しく隣家の壁に響くだけで返事はない。家の中に人のいる気配もしなかった。
念のために裏手に回って確かめてみようとしたが、右も左も隣家との隙間がほとんどなく、通り抜けは難しかった。そうこうしているところに背後から甲高い女の声がかかった。
「うるさいねぇ。なんなのよ、あんたたちは……」
小太りで気の強そうな五十年配の女性が、胡散臭く怪しいものを見つめるような目つきで二人を睨みながら近寄ってきた。これぞ下町のオカミさんという身なりをしている。
「申し訳ございません、つい大声を上げてしまいまして。奥さんはこちらのご近所の方ですか? 私たちはこういうものでして……」
長田が示した警察手帳を見て目を丸くした年配女性は、急に言葉遣いを改めたが、「刑事さんだったんですか。そうならそうで警察ですとかなんとか言ってくれりゃよかったのに……」と口を尖らせた。
「もしかして尾上さんになにかあったんですか? ここんとこずっと留守にしてるもんだから、一体どうしちゃったんだろうって、ご近所の皆さんも心配してたんですよ」
「いえ、それがそのう……。尾上さんに関係があるのかどうか、私らもそれを確認したいと思ってこちらを訪ねてみた次第でして……。奥さん、尾上さんのことを幾つかお伺いしてもよろしいでしょうか?」
聞き込みをする時の長田平吉は常に丁寧な言葉を遣う。上背のある長田がその背中を猫のように曲げて自分の眼を相手の目線の高さに合わせ、優しい眼差しで問いかける。
隣家の主婦だという彼女は、長田の辞を低くした接し方に気を良くしたのか、ペラペラと喋りはじめた。
「尾上さんは三年前にここへ引越してきたんですがね。そりゃまぁ、女優さん顔負けの別嬪さんだから結構男出入りも激しいんじゃないかって、越してきてしばらくは、わたしら近所のものは皆して気を揉んでたんですよ。素性の知れない怪しい男にここいらをうろつかれちゃ迷惑でしょ? 警察はちっとも頼りにならないし……。あら、ごめんなさい、余計なこと言っちゃって」
隣家の主婦は慌てて片手で口を押さえた。
「でもね蔦子さんは……。そうそう、尾上さんは蔦子って名前なのよ。なんでも前に深川で芸者をしてたことがあるとかで、その頃は蔦吉って名乗ってたそうよ。いい名前じゃない? 粋で……」
話し好きは下町の特徴でもある。隣家の主婦の話はどんどん脱線して行ったが、長田は嫌な顔ひとつ見せずに相槌を打ちながら話を聞いている。内心イライラしながら聴いていた石踊は、(俺にゃこの真似ができないんだよなぁ)と頭の中で呟いた。
隣家のオシャベリ主婦の話によると、尾上蔦子は古くからの住民の予想に反して、ことのほか身持ちが堅く、浮いた話も悪い噂も一切なかったという。粋で気風のいいさばけた性格で、しかも礼儀正しく義理堅いものだから、ご近所では誰も悪口をいう者がいないほど評判の器量佳しであるとのことだった。
その尾上蔦子が去年の残暑がまだ厳しい頃に、「ひと晩、家を空けますので……」と隣家の彼女に留守の間の用心を頼んで出かけたきり、いまだに戻って来ていないのだとオシャベリさんは眉を曇らせて見せた。
「どうしちゃったのかしらね蔦子さん……。なんともなきゃいいけどねぇ」
隣家の主婦はそう言葉を残すと、不安げにしかめていた顔を何の心配事もないような明るい顔に替えて、さっさと自分の家に戻って行った。
長田が隣家の主婦から聞き出した中に重要な証言がひとつあった。それは、尾上蔦子が言い残した「ひと晩家を空けます」という言葉である。つまり、彼女は出かけた翌日には帰ってくる予定であったということである。
それがそのまま半年も家に戻って来ていないということは、やはり事件に巻き込まれて失踪したとしか考えようがない。尾上蔦子が真鶴岬全裸死体漂着事件のガイシャである可能性が高いと石踊俊介は判断した。しかし、それが断定できるだけの物証はまだない。
「俊介。どうやら取っ掛かりが出来たようだな」
「そうですね、チョーさん。とすると次は……」
「深川だな」
長田と石踊は、芸者時代の尾上蔦子が籍を置いていたという深川の芸者置家『吉兆』へと足を向けた。
*
根津から再び地下鉄千代田線に乗り、大手町で同じく地下鉄の東西線に乗り換えると、深川地区の玄関口である門前仲町まではさほど時間はかからない。入手した情報を整理する暇もなく、電車は門前仲町駅に到着した。
門前仲町は、富岡八幡宮の別当である永代寺の門前町として栄えてきた町である。しかし、永代橋から富岡八幡に至る道の両側に広がる地域にあって、深川七場所と呼ばれた岡場所(=非合法な女郎屋のある花街)の一つでもあった。そもそも、徳川家康が江戸に入った頃の深川一帯はまだ葦の生い茂る海浜だった。摂津生まれの深川八郎右衛門ほか六人の上方者がその深川にやってきて、一面の湿地帯を開拓する事業をはじめた。そこへたまたま鷹狩りの足を伸ばした家康が、うやうやしく出迎えた八郎右衛門たちに地名を尋ねたが、まだ地名はついていないという。そこで「では、そちの苗字を地名にせよ」と家康が命じて、深川という地名が出来たと伝えられている。
深川の位置は江戸城から見て辰巳(=東南)の方角にあたる。それゆえに深川の芸者は『辰巳芸者』と呼ばれたが、『羽織芸者』という別名もあった。
「かつては男装して男物の羽織をまとい、芸名も男名前を名乗っていた。彼女たちは常に薄化粧し、華美な衣装はさけ、イキ(粋)とハリ(張り)を大切にし、キャン(侠)であった」と江東区史にある。
男名前の芸伎名で男言葉を遣うことをよしとしていた彼女たちは、粗野のようだが実意を尽くして意地を張り通す、粋な江戸っ子だったらしい。
しかし、芸だけでなくからだも売る二枚看板の芸者が出てくるのは岡場所のある街の止むを得ない成り行きである。
それを嫌った徳川幕府は、芸ではなく色を売る女郎まがいのことをすることを固く禁じ、違反した芸者を捕えて吉原に送った。
さらに芸者置屋が女の奉公人を雇うことを禁じたために、置屋は新しく雇った芸者に羽織を着させ男名前をつけるという方便を用いた。それが『羽織芸者』という異名が生まれた所以である。本来、芸を売るのが芸者の仕事であり、その伝統は今日まで脈々と受け継がれている。
尾上蔦子はそうした「粋と張りを大切にする」伝統を受け継ぐ「お侠な」辰巳芸者のひとりだったわけである。
地下鉄の駅を出て永代通りから一歩足を路地に踏み入れると、そこにはまだ昔の花街の匂いが漂っているような気がした。
目当ての『吉兆』は大通りから少し離れた場所にあった。すでに午後四時。曇り空なこともあったが、あたりはかなり薄暗くなっている。
還暦を幾つか過ぎていると思しき『吉兆』の女将は、刑事が訪ねて来たことに驚いていたが、すぐに持ち前の如才なさを発揮して長田たちの質問に明確かつ流暢に答えた。
しかし、尾上蔦子が芸者を引いてから後は、盆暮れに贈答品を携えて訪ねて来る彼女と束の間の世間話に興じるだけの関係になっており、最近のことについてはあまりよく承知していない様子だった。とりわけ真鶴岬に漂着した全裸死体と結びつく情報は何一つ持っていなかった。ただ、女将が語った彼女の生い立ちには長田も石踊も少なからず興味を惹かれた。
「蔦ちゃんはね刑事さん。可哀相な身の上なんですよ」
そう切り出した女将は、急に声をひそめて、尾上蔦子は妾腹の子であると明かした。
「蔦ちゃんは、昔うちにいた菊弥さんと人形町の老舗の旦那さんとの間に生まれた娘でしてね。あの子がお腹に宿ったことを知った菊弥さんは、芸者を引いてその旦那さんのお世話になることにしたんです。でも、蔦ちゃんが小学六年の夏に、頼りにしてた旦那さんが脳溢血でぽっくり死んじまったものだから月々のお手当ても途絶えちゃって……。それからというもの、菊弥さんは生活に追われましてねぇ……」
もう四十歳が近い年齢になっていた元辰巳芸者・菊弥こと尾上菊子は、今更芸者に戻るわけにもいかず、かといって一般の事務仕事が勤まるはずもなく、スーパーのパート勤めに精を出していたという。
「それも昼間はスーパーのレジをやって夕方からは割烹料理屋の下働きでしょう。無理がたたっちゃったんでしょうねぇ。人形町の旦那さんの三回忌が終ってまもなく、まるで旦那さんの後を追うように逝っちゃったんですよ。あれは確か、蔦ちゃんが中学二年の時だったわね」
頼れる身寄りをすべて失くした尾上蔦子を憐れに思った『吉兆』の女将は、せめて中学を卒業するまではと、蔦子を自分の家に引き取ったのだと話した。
蔦子が母親と同じように芸者になりたいと言い出し、中学を出ると同時に半玉と呼ばれる見習い芸者として雇ったとのことだった。『吉兆の蔦吉』こと尾上蔦子の芸者生活はこうしてはじまっていた。
「それから刑事さん。蔦ちゃんには十歳ほど年齢のはなれた畑違いの妹が一人いるんですよ。由美子ちゃんていうんですけど、亡くなった旦那さんと正妻さんとの間に出来た娘でしてね。顔もスタイルも蔦ちゃんに負けないくらい綺麗な娘ですけど、なんだか幸せ薄いというか……。その由美子ちゃんもずいぶん苦労したんですよ。何代も続いてきた老舗とはいっても時代が時代でしょ。人形町のお店は旦那さん一人の才覚でやっと持ちこたえていたようなもんだったから、その旦那さんがいなくなれば自然と傾いちゃうわよねぇ。五年も経たないうちに潰れちゃって……。大きな借金が出来てたみたいで、その借金のかたにお店だけじゃなくて住まいまでとられちゃいましてねぇ」
家の大黒柱を失った母娘二人は路頭に迷うような苦境に陥ったという。
そのことを知った尾上蔦子は、まだいかほどでもなかった少ない給金の中から二人の月々の生活費を援助していたらしい。
女将の話が事実だとすれば尾上蔦子という女性は、芯が強くて情に厚い、その上に美しい、素晴らしい女性である。
まだ若い石踊俊介刑事は、女将の口から語られる尾上蔦子の人となりを聴きながら、あの真鶴岬の全裸死体が彼女ではないことを祈った。
「そうそう、刑事さん。蔦ちゃんのことなら、私なんかよりずっと詳しい人が一人いますよ」
女将はハタと膝を打った。
「うちの芸者さんじゃなかったんですけどね。孝蝶って源氏名で出てた芸伎で、蔦ちゃんが引く少し前に引いたんですけど、今は神田の駅前でお母さんから引き継いだ居酒屋をやってるはずですよ。孝蝶さんは蔦ちゃんより幾つか年上なんですけど、初めて一緒に上がったお座敷で意気投合したらしくて、それからはもうしょっちゅう連絡を取り合ってあちこちへ出かけてたもんです。それはいい朋輩でしたよ。そんなもんだから蔦ちゃんもちょくちょく覗いてるって言ってましたし、あの店で聞けば何か知ってるんじゃありませんかねぇ。じゃ刑事さん、ちょっとお待ちになってくださいな。たしか孝蝶さんのお店のマッチがあったはずだから……」
すっと腰を上げて奥に下がった女将は一分もすると微笑みながら戻ってきた。
「これがそこのマッチですよ。住所と電話番号しか書いてないけど、刑事さんたちならすぐに見つけられるんじゃありません?」
小さなマッチ箱を一つ手渡してくれた女将に協力に感謝する言葉を述べた長田と石踊の二人は、元辰巳芸者の孝蝶が営んでいるという神田駅前の居酒屋へ向った。
つづく
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