第十章 な、なんてことなの!
箱根仙石原にある鬼頭仙八の別荘の南側は切り立った崖になっている。眺望はいいが、その崖を伝って下へ降りるのはロック・クライミングの経験でもないと難しい。敷地の東北と西北から山肌が迫り、外界に通じているのは北側の小山を切り通した取付け道路だけである。
尾上蔦子は、その隔絶された要塞のような場所にある別荘の地下室で、監禁されて三度目の朝を迎えた。
扉がギィーッときしむのと同時に天井の蛍光灯がパパッとついて、座敷牢の畳の上に身を横たえてぐったりしている蔦子を照らし出した。
蔦子は、全身に噴き出した玉の汗をキラキラ輝かせ、麻縄で後ろ手に厳しく縛められた裸身を小刻みに痙攣させている。その股間はベットリと濡れていた。ずいき縄に嬲られ続けて何度も気をやり、ドロドロに溶けた蔦子の肉体は意思には関係なく股間の縦縄に反応している。その姿は淫靡で妖艶だった。
武村と室田の二人は、思わず目を見張って立ち尽くした。断続的に小さな喘ぎ声を洩らしている蔦子の艶めかしい姿態に見惚れて動けなかった。
下半身が暴走しそうになっている。しかし、蔦子に手を付けることは鬼頭に禁じられている。ごくんと生唾を呑み込んだ二人は、さも苦々しげに座敷牢に足を踏み入れた。
「ほら蔦吉。朝飯を持ってきてやったぜ」
室田がオニギリとミネラルウォーターのペットボトルを載せた丸盆を畳の上に置いた。
「その前に風呂に入れてやれってよ。鬼頭の旦那のお情けをありがたく思うんだな。さ、起きるんだ、蔦吉」
昨日までは一目置いて「蔦吉姐さん」と呼んでいたこの連中までが、今は明らかに見下して「蔦吉」と呼び捨てにした。
「何様のつもりだい! 人様の名前を呼び捨てにするなんざ、お前たちにゃ十年早いよ!」
以前ならそう啖呵を切って柳眉を逆立てていたに違いない。が、今の蔦子にはその気力さえなかった。
「武村さん。お、お水を……。お水を飲ませてください……」
両肩に手をかけて抱え起こした武村に、蔦子はかすれた声で頼んだ。
「なんだ、喉が渇いてるのか。それも無理ねーな。よしっ」
ペットボトルを手に取った武村が口蓋を取って蔦子の口に運んだ。
紅い唇をボトルの口にあてた蔦子は、ゴクゴクと、五〇〇ミリリットルボトルの半分近くを瞬く間に飲み下した。
「もういいだろ。情けをかけてやったんだから素直に立ちなッ」
恩着せがましい武村の言葉にも、蔦子は反発を示さず、むしろ反射的にうなずいていた。
武村が蔦子を背後から抱きかかえるようにして立ち上がらせると、眼を血走らせている室田が蔦子を後ろ手に縛めている菱縄の縄尻を引いた。
「とっとと歩くんだ!」
室田は欲求不満を露わにして蔦子の背中をドンと押した。
あっ!
思わず腰をよろけさせた蔦子のむちむちした白い太ももを、今度はかたわらの武村が平手でピシッとしばく。
くっ!
唇を真一文字に結んで武村を睨み返した蔦子だったが、その視線には強さも鋭さもなく、恨めしげな眼差しにしか見えなかった。蔦子は身も心も疲れ切っていた。
「何だその顔は……。ぐずぐずしてるんじゃないよ。さ、風呂場へ行くぞッ」
先に立った武村が菱縄化粧の胸にかかった部分を握ってグイッと引いた。
蔦子は足をもつれさせながら引きずられるようにして牢格子をくぐり、扉が開け放たれた出入り口から地下室の外に出た。
「さ、自分の足でしっかり歩いて階段を昇るんだ」
武村は地上へつながる階段の下で蔦子の胸縄を握っていた手を放した。
うなずいた蔦子は階段を昇ろうと片足を上げた。が、その瞬間に小さな叫び声を上げてからだを前にかがめた。
ああ……。
股間を縦に割ったずいき縄のコブが女陰に深く食い入り花肉の襞を刺激していた。その縦縄を、室田が背後からつかんでグイッと持ち上げた。
「あっ、イヤっ。や、やめてっ。やめてください」
「ひひっ。さっさと昇らねーから手伝ってやってるんだ」
「昇ります。昇りますから……」
ニヤッと笑って室田が手を放すと、蔦子は奥歯を噛み締めて足を上げた。
一歩踏み出すごとに女陰に嵌めこまれたずいき縄のコブが威力を発揮する。女の秘所の柔らかな肉の芯が声にならない悲鳴を上げ、白い双丘の狭間にある微肉の筒が泣いた。
後ろ手に縛られ、股の前後におぞましい異物まで咥え込まされている自分の姿はいかにも浅ましい。その恥ずかしさと切なさに胸を緊めつけられながら、蔦子は階段を昇っていった。
ようやく階段上に辿り着いた蔦子は立ち止まり、ホッとため息をついた。が、休む猶予は与えられない。
「何やってんだ? 歩けなきゃ手伝ってやってもいいんだぜ」
「だ、大丈夫です。一人で歩けます」
「なら、とっとと歩けよ」
「……は、はい」
視線を足許に落とした蔦子は慎重に足を踏み出した。
膝を小さく上げて歩幅を狭くすれば股間の刺激は軽くなる。蔦子は廊下の床を滑るようにすり足で歩いた。
そのよちよちした歩みを見て、室田がいきなり蔦子の背中をドンと押した。
ううっ!
蔦子は思わずその場にうずくまった。
「二つや三つのガキじゃあるめーによー。さっさと歩きな!」
室田に叱咤されて立ち上がった蔦子は、下唇を噛んで歩速を早めた。が、渡り廊下の上まで来ると再びうずくまった。
「武村さん。室田さん。お願いします。後生ですから、この縄を……。下の縄を、は、外してください」
すがりつくような眼差しで訴える蔦子の頬も首筋も朱に染まっている。が、薄笑いを浮かべた二人の男は冷やかな言葉で蔦子を突き放した。
「ああ、外してやるよ、風呂場に着いたらな」
「分かったろ? 分かったら早いとこ風呂場へ行きな」
非情な男二人に追い立てられ、蔦子の切れ長の眼の長い睫毛の間から涙がポロッとこぼれ落ちた。
呻き声と喘ぎ声を洩らしながらようやく風呂場に辿り付いた蔦子の腰は、脱衣所に足を踏み入れた途端に砕けた。
危うく前に倒れこみそうになったからだを、蔦子は、両膝を床に突いてかろうじて支えた。
菱に縄化粧された裸身が、浮かび上がった脂汗でキラキラ輝いている。股間は滲み出た女の蜜で濡れそぼっていた。女陰からはみ出してずいき縄のコブを咥える大陰唇が充血して赤味を増している。
荒い呼吸に合わせてふるふる揺れる絹糸のような陰毛、菱縄にくびられて突き出した豊満な乳房、赤く屹立した乳首、高々と背中に吊り縛られた華奢な白い腕……。その一つひとつが妖しく美しかった。
「さてと。それじゃここの縄を外してやるか……」
武村が、膝つき立ちになっている蔦子の股間を後ろから撫で上げた。
ひいっ!
ブルルッと震わせた白い双丘の上の結び目に手をかけた武村が、ずいきの縦縄をほどいていく。
あっ……。
微肉の筒に埋め込まれたコブが引き出され、女の秘裂が咥えていたコブを吐き出すと、蔦子は大きく深く息を吸った。
昨夜から股間の前後を嬲り続けていた淫靡な縄から解き放たれてようやくひと時の安堵を得ていた。
「ほらッ、耕平。これ見てみろよ、ベトベトだぜ」
武村が、ニタニタしながら蔦子の股間から外したずいき縄を室田にかざした。
「あ〜あ、ざまはねーな。綺麗な顔して取り澄ましていても、所詮は淫乱な女だったってことだよ、兄貴。なっ、そうだろ、蔦吉?」
「そうなのか、蔦吉?」
まともに返事が出来るはずもない。からかうように顔を覗き込む二人から、蔦子は赤く染まった顔をそむけた。しかし、皮肉にも、楽になった蔦子の下腹部は尿意を催した。
「あのう。お願いがあるんですが……」
「またお願いか。何だ? 言ってみな」
「おトイレへ……。おトイレへ行かせてください」
「おトイレ? 便所のことか? そうか。ションベンしたくなったんだな?」
蔦子は紅潮させた頬をさらに赤らめてうなずいた。
「へえー。蔦吉姐さんのようなすこぶる付きの別嬪さんでも、ションベンもすりゃクソも垂れるんだ」
室田はわざわざ「蔦吉姐さん」と呼んで蔦子の羞恥心を煽った。
余りの恥ずかしさに蔦子は、顔を伏せて後ろ手縛りの裸身を縮めた。しかし、それで尿意がおさまるはずもない。赤く染まった顔を上げて蚊の鳴くような声で再び頼んだ。
「お、お願いします……」
「いいだろ。耕平、お前が蔦吉を便所へ連れてってやれ」
「わかった。じゃ、立つんだ、蔦吉」
室田が蔦子の菱縄縛りの縄尻を引き上げた。
「ま、待って。待ってください。縛られたままじゃ用が足せないじゃありませんか。お願いですから縄を、せめて両手の縄だけでもほどいてください」
「縄をほどけだと? 何をほざいてるんだ? そのままやりゃぁいいじゃないか。この耕平がちゃんと後始末をしてくれるさ。なっ、耕平」
「そうだとも!」
急に甲高い声を上げた室田がニタリとした。
「そ、そんな恥ずかしいこと……」
「嫌なのか、耕平に下の世話をしてもらうのが? じゃ仕方がねー。こっちへ来な」
室田の手から縄尻を受け取った武村は、蔦子の背中を押して浴室に連れ込むと、立ちすくんでいる蔦子の前に湯桶を一つ置いた。
「腰を落としてこれに出しなッ。周りにこぼさねーようになッ」
ええっ!
武村の言葉に蔦子の赤らんでいた顔は色を失って白く凍りついた。
丸裸の肌身を後ろ手に縄で縛られて女の恥ずかしいところを露わに晒しているのに、そのまま他人が見ている前で放尿するような浅ましい真似がどうして出来ようか。そんなことをすれば全身の毛穴から血が噴き出す。
蔦子は激しく煽り立てられた羞恥心といよいよ強まってきた尿意に呻吟した。
「蔦吉ぃ。湯桶の中に出すのか出さないのか、早くはっきりしろよ。それともそこで立ちしょんべんでも見せてくれるのか? 男勝りのお前にゃ、その方が似合ってるかも知れねーがよう。あははははは」
余りに酷い言いざまに憤りがこみ上げてくる。しかし、その憤りによるものではなく、すでに限界に達している尿意が立ちすくんでいる蔦子の全身をブルブルと震わせた。
「どうするんだ?」
蔦子の顔は赤く膨らんでいる。下腹部に刺し込むような痛みに涙腺が刺激されて前が見えない。その横顔を意地悪く覗き込む武村たちの顔も霞んで見えなかった。
歯を喰いしばって懸命に尿意をこらえている蔦子は、長い睫毛の間から大粒の涙をポロポロこぼした。
そして、ついにその時はきた。
苦痛にゆがんだ顔を一旦仰け反らせた蔦子は、さっと腰を落として湯桶を跨いだ。
ああーっ!
次の瞬間、蔦子の股間から激流がほとばしり出た。
「いひひっ。兄貴よう、どんな別嬪さんのもんでも下のもんはやっぱりくせーなぁ」
厭らしい笑いを浮かべた室田が湯桶を持って手洗い所へ走った。
礼節を重んじ凛と生きてきた蔦子のような女にとっては、素肌に縄を打たれているだけでも耐え難い。その屈辱余りある姿のまま放尿させられた恥辱は筆舌に尽くしがたい。
蔦子は、菱縄をまとわされた裸身を震わせて涕泣した。しかし、思い切り泣くことすら、今の蔦子は許されない。
「めそめそしてんじゃねーよ!」
武村は、あふれ出る涙で眼を腫らした蔦子は風呂イスに腰掛けさせ、手桶にすくった湯を縄に縛められた蔦子のからだに浴びせかけると、石鹸を沁みこませた日本手拭いでゴシゴシと股間をこすった。
あ……、ああ……。
顔が火を噴くような恥ずかしさに、蔦子は身も世もなく、緊縛裸身を狂おしくよじった。
武村は、股間の汚れを洗い清め終えると、縄付きのまま蔦子を浴槽の湯に浸からせた。そこに湯桶の尿を処分してきた室田が戻ってきた。
蔦子を洗い場に引き上げた二人は、両脇に片膝を突いて交互に湯を浴びせかけ、石鹸を沁みこませた手拭いで蔦子の全身に滲み出ている脂汗と垢をこすり落としていった。
が、勿論この二人がからだを洗い清めるだけで済ますはずもない。どす黒い縄に絞り出された乳房を揉み、豊かに実った白い尻を撫で、女の恥丘に密生している繊毛をまさぐった。
しかし、蔦子は唇を真一文字に結んで奥歯を噛み締め、洩れそうになる声を必死に殺した。
両手の自由を奪われて抵抗できないことにつけ込んであれほどの辱めを自分に与えた卑劣な男たちに弱みを見せたくなかった。とはいえ、女陰に指を差し入れられた時には悲鳴に近い声を上げた。
連中の淫蕩ないたぶりに蔦子の心はズタズタに引き裂かれていた。
硫黄泉をたっぷり吸った麻縄がヌルッと緊めつける。
そのおぞましい感触が蔦子の肌を粟立てたが、渡り廊下を吹き抜ける爽やかな朝の風がそれを鎮めてくれた。
二人に挟まれて地下室に戻った蔦子は、座敷牢の畳の上に正座をさせられた。その上半身にきつく喰いこんでいる菱縄をようやく二人はほどきにかかった。
しかし、鏑木がかけた縄は鏑木本人でなければ容易にはほどけない。汗をかきながら四苦八苦して、二人がかりでようやく蔦子の縛めをほどいた。
「やれやれ」とひと息突いた武村は、鬼頭が週初めの仕事を片付けるために東京に引き返したことを蔦子に告げた。ここに戻ってくるのは午後三時過ぎになるという。
「旦那の言いつけだから午前中はゆっくり休ませてやるよ。その代わり、昼飯を食ったらちょいと楽しませてもらうぜ。おめーのあそこに突っ込みさえしなきゃ、オモチャにしてもいいってよう。ま、そんなわけだから昼まで精々からだを休めておくことだな」
そう言い渡した武村と室田は、
「なんだか手持ち無沙汰だなぁ、耕平……」
「兄貴。蛇の生殺しってぇのはこういうことなんですかい?」
と、ぼやきながら地下室から出て行った。
風呂場を出る時にチラと目に入った壁時計の針が午前八時半を指していた。だから今の時刻はおおよそ九時。
(あと三時間経ったらまたあの下司な連中に……)
丸盆に載せられた握り飯を頬張りながら蔦子は、際限なく我が身を苛む淫らな責めを想って身を震わせた。
点灯されたままの蛍光灯の青白い光が雪白の柔肌に赤く刻まれた縄の痕を浮かび上がらせている。
縄痕は首の左右から鎖骨を跨いで熟した白桃のような乳房を取り囲み、柔らかな腹部をくびっていた。形よく縦に切れたヘソのあたりから垂直に下る縄痕が漆黒の繊毛の茂みの奥へと消えている。
蔦子はいまだに素肌を縛り上げられているような気がした。
縛めをとかれた裸身を横座りに休める蔦子の姿態はこの上なく妖艶だった。
右腰に重心を乗せ、手首の縄痕が生々しい華奢な右手を畳に突いて上半身を支えている。下肢を斜め横に流し、左手を白く艶々しい両もものつけ根に添えて女陰を隠し、顔を右下に伏せていた。
右肩にかかった長い黒髪が呼吸をするたびに揺れ、時折天井を見上げる責めやつれした顔が蒼白く冴え渡っている。
ぼーっと白く妖しい光を放っている太ももの奥に暗い翳りが指の隙間からチラチラと見え隠れしている。
無意識のうちに被虐官能の喜びを知ってしまった女の肉体がそこにあった。
縄の縛めから解放されたことは蔦子に何の感慨も与えなかった。きつく縛められている方が今は落ち着ける。裸身に縄をまとっている方が今の蔦子の心は納得できた。
(あたしが自分から膝を折ったんじゃない。身も心も雁字搦めにされちまったんだ、卑劣な鬼頭仙八に……。でも、あの溝鼠もあたしの命までとるつもりはなさそうだし、きっとじきに解放される……)
そう思うことで蔦子は、ともすれば狂気へと飛翔しかかる自分を現実世界に踏みとどまらせていた。
青白い蛍光灯の光が、蔦子にはやがて訪れるはずの救いの光に見えていた。
それほどまでに今の蔦子は何にでも縋ろうとする心の動きがごく自然なものになっている。
以前の凛々しい蔦子はすっかり影を潜めていた。その一方で、生きることへの執着はむしろ強まっていた。
(一体あの溝鼠は、あたしをどうするつもりなのかしら?)
蔦子を逆恨みしている鬼頭仙八が、自分の気が済むまで蔦子を嬲ろうとしていることは分かる。が、決して意趣返しや気晴らしだけではないような気がした。何か別の意図を持っているような気がしてならなかった。
しかし、蔦子にはその何かが分からない。地下の座敷牢にひとり閉じ込められ、しわぶき一つ聞こえない静寂の中で蔦子は思いあぐねた。
三時間余りの煩悶の時はどやどやと乱暴に階段を踏み降りてくる足音に破られた。出入り扉がギイーッと鳴き、武村と室田が興奮気味な面持ちで地下室に入ってきた。
二人を目にした蔦子は、横に流していた二肢を引き寄せて正座に直った。
「ほう、いい心がけじゃないか蔦吉」
武村が頬をゆるめて大袈裟に感心して見せるかたわらで、
「兄貴。やっぱりゆんべのずいき縄が効いたんですぜ」
と室田がホクソ笑んだ。
口の端を厭らしく吊り上げたチンピラ顔の室田は、手にしたパック詰めのサンドイッチとオレンジジュースのペットボトルを格子の隙間から座敷牢に差し入れた。
「さ、これを食べな。握り飯ばっかりじゃ精がつかねーだろうと思って、わざわざ買ってきてやったんだぜ。ありがたく思いな」
この別荘を訪れた日の夕餉では旬の食材をたっぷり使った料理を満喫した。しかし、夜更けに武村たちに捕り押さえられて地下室に監禁されて以降、オニギリ以外は口にしていない。
蔦子はコンビニサンドイッチを本当に美味しいと思った。オレンジジュースの甘みが体内に活力を与えてくれたように感じていた。
「よしっ。それじゃここへ出てきな」
武村に促がされた蔦子は、片手で胸を抱きもう片方の手で股間を覆って牢格子をくぐり出ると板床に正座をした。
「さ、両手を後ろに廻しな」
鏑木を真似て縄をさばく武村に、蔦子は願いを一つ聞いて欲しい言った。
「武村さん。後ろ手に縛るのはしばらく堪忍してもらえないでしょうか? ずっと後ろ手だったもんですから、今も腕が痛くてたまらないんです。出来たら前で縛っていただきたいんですが……」
「ふ〜ん、そうかい。おい耕平、どうするよ?」
「いいんじゃねーですかい、前で縛っても。イテーイテーつって泣かれちゃ、こっちの気分も盛り上がらねーし」
「そうだな。いい声を出してもらわなきゃ艶消しだな」
ニッと笑った武村は、両手を揃えて前に突き出した蔦子の手首に縄をかけていった。
くるくるとふた巻きして縄を引き締めた武村は、両手首の間に縄を通して抜け止めの閂縄をほどこしてかっちりと結んだ。鏑木の縛り方を学んでいた。
「これでよしと……。ところで耕平。俺、催して来ちまったから、ちょいと便所まで行ってくらあ。俺が戻ってくるまでに、蔦吉を柱の真ん中に立たせて万歳させときな」
「分かった。やっとくから早く行ってきなよ。蔦吉みてーによう。途中で洩らしちゃみっともねーぜ。あはははは」
自分たちが強制しておきながら、あたかも蔦子が粗相をしたように蔑んだ物言いをする室田に蔦子は憤りを感じた。と同時に、室田一人になれば逃げ出せると思った。
室田はすっかり油断している。あれだけ責め苛まれてきた蔦子に抵抗する気力はないと高をくくっていた。余裕綽々に、「さ、立ちな」と手首を縛った蔦子の縄尻を引いた。
ゆらっとからだを左右に揺らして立ち上がった蔦子は、前で縛られた両手で股間を隠して二本の柱の真ん中までのろのろと歩をすすめながら、耳を澄まして武村の足音が遠ざかるのを待った。
「おい蔦吉。両手を真っ直ぐ上にあげなッ」
縄をさばき直しながら背後に廻った室田がそう言った時、蔦子はくるっとからだの向きを替えた。
あれっ?
虚を突かれてと身じろいだ室田を、蔦子は足を上げて思い切り蹴飛ばした。その足は室田の鳩尾に入っていた。
ぐえーっ!
大袈裟に呻いて鳩尾を押さえた室田の手から縄が放れた。その縄を両手の先で素早く手繰った蔦子は、さっと身を翻した。
「ま、待てッ!」
あわてて蔦子の背中にひと声浴びせたものの、蒼ざめた顔の室田はまだ立ち上がれない。
「この野郎、待ちやがれ!」
ようやく片膝をついて叫んだ室田を尻目に、出入り扉を開け放った蔦子は一気に階段を駆け上った。が、どっちへ向えばよいのか判断に迷った。
武村は多分母屋のトイレにいる。とすると、誰もいないのは離れということになる。蔦子は離れの方角へ向かった。
庭池を跨ぐ架け橋を渡ったところで南側の地面に降り、建物の陰に身を隠しながら風呂場の近くまで移動して、そこの床下に一旦身を潜めた。
「兄貴ぃーっ! 亮次兄貴ぃーっ!」と叫ぶ室田の声が遠くに聞こえ、
「馬鹿野郎! お前、何やってやがんだッ!」と叱り飛ばす武村の怒声が耳に届いた。
一刻の猶予もならない。蔦子は両手首を束ねる縄の結び目に歯を立てた。
離れの廊下を駆ける足音が耳に響いて胸が震えた。
一つひとつ確認しているらしく部屋の扉を乱暴に開け閉てする音が近づいてくる中、蔦子は必死に口を使って手首の縄をほどこうとした。
両手さえ自由になれば、崖を下りることは無理でも、山肌を伝って逃げ出すことが出来る。
ようやく結び目がゆるんで両手の縄をほどくことが出来た蔦子は、縄痕のついた手首を揉みほぐしながら床下から飛び出すタイミングを窺った。
と、その時。抑揚のない研ぎ澄まされた声が蔦子のいる床下に侵入してきた。
「蔦吉姐さん。ここに隠れていたんですか……」
「か、鏑木さん……」
床下を覗き込んだ声の主は鏑木四郎だった。
「鏑木さん。お願いっ! このまま見逃してっ。お願いしますっ」
咄嗟にそう小声で言った蔦子は、顔の前に両手を合わせて鏑木にすがった。
「姐さんも無茶をしますねぇ、お気持ちは分かりますが……」
腰をかがめて冷静な声音でそう言葉を返した鏑木は、哀れみを込めた眼差しで言った。
「今逃げ出してどうするんです? 棚橋さんの奥さんの治療費はどうなるんです?」
蔦子はハッとした。鬼頭にならまだしも下司な腰巾着たちの余りの蔑みように、思わず憤ってそのことを忘れていた。
前後の見境を失っていた自分に気づいた蔦子は、下唇を噛み締めた。
涙があふれ出てくる。口惜しかった。
が、口惜し涙をしたたらせながら棚橋冨美子のためと覚悟を決めた時の自分を取り戻していった。
「そうだったわ……」
「姐さん。確かに鬼頭の旦那は姐さんを嬲り抜こうとしているけど、いまだに姐さんにゾッコンなんじゃないですかねぇ」
鏑木四郎は蔦子が思いもしなかったことを口にした。
「今は可愛さ余って憎さ百倍かも知れないけど、一旦溜飲が下がれば扱いも変わってくるんじゃないですか……。そう思っているから俺も旦那の依頼を引き受けているわけでしてね。いくら商売だからといっても、姐さんのような素人さんを縛るのは気が咎めます。だからもう少しの辛抱だと思いますよ」
鏑木四郎は淡々と諭した。蔦子はこぼれ落ちる涙を振り払って床下から這い出た。
「わかったわ、鏑木さん。あたしを地下室に連れ戻してください」
「姐さん。両手を縛らせてもらいますよ」
「ええ、縛ってください」
鏑木に背を向けた蔦子は、顔をキッと立てて遠くに見える河口湖の湖面を見つめ、土埃に汚れた白くなおやかな両腕を静かに後ろへ廻していった。
両手首だけ縛って地下室に連れ戻した蔦子を、鏑木は改めて縛り直した。
鏑木が蔦子に縄をかけているそばで武村が室田を叱り飛ばし、室田は小柄なからだをさらに小さくして恨みがましい眼を蔦子に向けている。
蔦子が地下室に連れ戻された時にいきり立って手を上げようとした二人を半ば脅しながらなだめた鏑木は、すっかり観念した蔦子の伸びやかな両腕を背筋に手繰り、高手小手に重ねさせた両手首をキリキリと縛った。
その縄をふた手に別けて肩越しに前に渡して一旦結び、胸の谷間に垂らした下にもう一つの結び目をつくった。縄尻をまたふた手に別けるとくびれた腰に喰いこませて背中で結び、余った縄を左右の脇腹から前に廻す。その縄を胸の前にたるんでいる縄の二つの結び目の間をくぐらせてぎゅっと後ろに引き絞った。
うっ!
顔をしかめて身悶えた蔦子の白い乳房は大きな菱を描く縄に囲まれ、ゆさゆさと揺れた。本縄と呼ばれる縛り方の変形だが、二の腕に縄をかけなかったのは少しでも肌の痛みを軽減しようという鏑木の配慮である。
鏑木は、後ろ手の高手小手に縛り上げて胸に大きな菱縄をまとわせた蔦子を、板床の片方の柱の前に正座をさせると犬の首輪のように縄を首に巻いて結び、その縄尻を柱につないだ。
首に縄を巻かれると屈辱感が強まった。が、蔦子はそうした鏑木に何らかの意図があるに違いないと思って諾々と従った。
鏑木の方は、蔦子を縛り終えるといつも通りの無表情な顔をして板床の隅に控えた。
そこに鬼頭仙八が戻ってきた。
「どうしたんだ? 蔦吉がずいぶん汚れているようだが……」
怪訝な表情を見せた鬼頭のそばに武村がつつっと寄った。
顔を蒼くして鏑木には聞こえないような小声で言い訳がましい報告をした。
それを聞いている鬼頭の溝鼠顔が見る見る変わり、その苗字の通りに鬼の形相になった。
「蔦吉ぃ。お前、逃げ出そうとしたんだってなッ!」
「…………」
蔦子は口をきゅっと結んで眼を伏せた。
「蔦吉ぃ。どうしてそんな馬鹿な真似をしたのか、私の目をしっかり見て答えるんだッ!」
いきり立つ鬼頭は蔦子に歩み寄ろうとした。その間に鏑木がすっとからだを入れた。
「鬼頭の旦那。ちょっとした気の迷いですよ、人間なら誰にでもある……。姐さんは納得して自分からここに戻って来たんですから、大目に見てあげちゃどうです?」
「ん? ……ははぁ、そうだったか。お前が蔦吉を連れ戻してくれたんだな。だから薄汚れちゃいても肌に傷がついてないわけだ。この二人が捕まえて連れ戻したのなら青痣の一つや二つはついていても不思議はないから、やっぱりそういうことか……」
「ええ。姐さんもやっと本物の覚悟が決まったようですから、これからはもっと素直に旦那の言うことを聞くんじゃありませんかねぇ」
「なるほど。縄を首輪にして柱につながれているのもその覚悟の表れというわけか……。よし分かった。私も乱暴なことは嫌いなんだ。今回のことは許してやることにするよ」
納得がいったらしく頬をゆるめた鬼頭は、試すような眼差しで鏑木の顔を見つめた。
「でもな鏑木。お前の言うように蔦吉が本当に素直になったというのなら、今ここで何もかもすっかりさらけ出す縄をかけて見せてくれないか」
「分かりました」
軽くうなずいた鏑木は、蔦子にかけた縄をするするとほどいていった。
縄の縛めめから解放されてかえって戸惑っている蔦子の耳元で、鏑木は「きついでしょうから後ろ手はやめておきます」と鬼頭たちには聞こえない小さな声で囁いた。
思いがけない言葉に蔦子はコクンとうなずいていた。地獄で仏に会ったような気持ちだった。
これからまた蔦子を縄で縛り上げて責め苛むのは当の鏑木である。それを忘れ、あたかも鏑木だけは自分の味方であるかのような錯覚に陥っていた。
「姐さん、そこへ立ってくれませんか」
鏑木は二本の柱の中央を指差した。
その指示に従ってふらふらと腰を上げた蔦子は、足をよろめかせてその位置まですすむと、左右の手で胸乳と股間を隠して立ちすくんだ。
「両手を前に出してください」
優しく促された蔦子が素直に胸乳と股間の茂みを覆っていた両手を揃えて前に突き出した。その右の手首に先ず、縄はかかった。
右手首を縛った縄は梁の端の鉄環から逆端の鉄環に渡されて引き降ろされ、左の手首を縛るとピンと引き張られた。
両手を高く大きく広げてYの字に立ち縛られた蔦子は、女の恥部を隠すことの出来ない恥ずかしさに頬を赤らめ、白く滑るような光沢を放つ伸びやかな下肢をからめるようにして肉づきのいい太ももを閉じ合わせた。
が、その足首にも縄がかかった。
新しい縄で蔦子の右足首を縛ると、鏑木はその縄尻を柱の下の小振りな鉄環に通した。
「ゆっくりと縄を引っぱりますから、姐さんも少しずつ右足を開いてくれませんか」
再びコクンとうなずいた蔦子の右足のかかとが少しずつ柱の方へずれていく。
鏑木は、右の足首を縛った縄を柱の下の鉄環から中間の鉄環に渡して返し右膝の上を巻き縛るとピンと張って縄止めし、蔦子の右脚を斜めに大きく開き、続いて左脚に取りかかった。
左の足首にくるくると縄が巻きつく。
今の蔦子には鏑木を信頼するほかに道はない。鏑木のするに任せようと心に決めた蔦子は、自ら左足を開いていった。
柱の二つの鉄環を通って戻された縄尻が左膝の上を縛り、蔦子の四肢は縄にからめとられて大きく引き開かれた。
左右に大きく拡げた両脚のかかとが少し浮いている。
艶々と妖しく白く輝く豊かな乳房、その頂上で恥ずかしげに赤く膨らんだ乳首、ふんわりと柔らかく陰部を覆う悩ましい漆黒の茂み……。
女の恥ずかしい部分を隠す術はすべて奪われた。息をするたびに揺らぐ絹糸のような繊毛の下に肉の花びらがチラチラ覗いた。
蔦子は、何もかも男たちの目の前にさらけ出していた。
瑞々しく膨らんだ乳房をマシュマロのようにプルプル揺らして荒い息をし、白く妖しい光沢のある太ももの内側の筋肉をブルブル痙攣させた。
四肢を引き伸ばした縄がもしも限度一杯に引き張られていたのなら、蔦子は肉体的な痛みに苦しんだことだろう。
しかし、鏑木の縄がけは縛めたそれぞれの箇所に少しずつたるみがつくってあった。わずかだが動きの自由がそこに残されている。そこにプロの縄師の巧みさがあった。
太ももを閉じようと膝を内側に寄せると足が開き、足を引き寄せようとすれば膝が開く。
右手を引けば左手が吊り上がる。手足のどこかを動かすことで別の部分が自分の意に反して動いた。
それを繰り返しているうちに自分の意思までが縄に操られているような感覚に陥る。
否が応でも自分をからめとった縄の存在を意識し、自分の意のままにならない四肢が囚われた身の冷徹な現実を告げる。
鏑木の巧妙な縄がけは蔦子に、からだだけでなく心までも縛られていることを改めて知覚させた。
屈辱感に苛まれ、羞恥心を煽られて滲み出た脂汗が乱れた髪を頬や肩先に貼り付かせている。嬲りに耐えて鬼頭を見返してやるんだという、蔦子の決意はすでに崩れかけていた。
「さすがにプロの縄師は違うなぁ……。どうだ蔦吉。そうやって大の字縛りにされちゃ、やっぱり辛いだろう。それとも恥ずかしいか?」
それにしてもいい眺めだ、と鬼頭はさも愉快そうに腹を抱えて笑った。
口を真一文字に結んだ蔦子の長い睫毛の間から大粒の涙が一つ、ポロリとこぼれ出て頬に糸をひいた。
鬼頭の真意が分からない。鏑木が言ったのとは違って、どう考えても鬼頭は自分をいたぶることに血道を上げているようにしか蔦子には思えなかった。
その鬼頭が室田を振り返って命じた。
「階段の上にしみったれた男が一人控えてるはずだから、そいつをここに連れてきてくれ。お前も何度か顔を合わせたことのある男だ」
「旦那。もしかしてあの棚橋……」
(ええっ!)
棚橋という名前を耳にした蔦子の顔色が変わった。
「ああそうだ」と答えた鬼頭が、狼狽する蔦子の顔を眺めてホクソ笑んだ。
(あの人がここへ……)
ほどよく膨らんでいた蔦子の頬は瞬時に硬く凍りついた。
蔦子は、棚橋良一に頼み込まれてこの別荘へ来ることを承知した。その棚橋にはこの別荘に来る予定などなかったはずである。
しかも、棚橋は蔦子が七年間も閨をともにした相手でもある。その男に一糸まとわぬ素っ裸を縛り広げられている浅ましい姿を見られるのはさすがに恥ずかしい。
一気に羞恥心を昂ぶらせた蔦子は、四肢を縛り広げている縄をギシッときしませた。
室田の後について肩をすぼめて地下室に入って来た棚橋は、二本の柱の中央に大の字に縛られている蔦子の姿を見て驚きの眼を見開いた。
「こ、これは……」
息を呑み込んだきり言葉が出ない。棚橋は蔦子から目を逸らせた。
「ど、どうして? どうしてあなたがここへ……」
蔦子は縛り広げられた裸身をよじりながら悲痛な声を出して問い質した。
「蔦ちゃん、申し訳ない」
蚊の鳴くような声でそう言うと、棚橋はペコッと頭を下げた。
が、申し訳ないと口にしながら物腰には悪びれた様子がなかった。
その棚橋の態度を見て、蔦子の羞恥心は一瞬にして怒りに変わった。
「なにが申し訳ないだよ、棚橋さん! あんた、あたしを騙したねっ! グルになってあたしを騙して罠に嵌めたんだねっ!」
蔦子の舌鋒は鋭かった。
棚橋は、蔦子から逃げ出すように鬼頭の後ろへ隠れた。
「冨美子姉さんの入院費の話も嘘だったんだねっ!」
「いや、蔦ちゃん……。それは本当だ。嘘じゃない」
「じゃ、何のためにここへ来たのさ!」
「鬼頭さんから呼ばれて……」
棚橋は口を濁して小さくなった。
その棚橋を庇うように鬼頭が身を乗り出した。
「ま、そんなことはどうでもいいじゃないか、蔦吉ぃ。現にこうしてここに来ているんだから、今更帰れと言う訳にもいかないだろう? 最初はな、明日にでも新宿の喫茶店で渡すつもりだったんだが、気が変わってねぇ。ここまで金を取りに来させたってわけだよ」
「そ、そうなんだよ、蔦ちゃん……」
棚橋はどもりながら口裏を合わせた。
うなずいた鬼頭が口の端を歪めた。
「それに……。その悩ましい姿をさ、お前も棚橋に見てもらいたいだろうと思ってね」
「な、なんてこと言うんだい! だ、だれがそんなことを……」
蔦子は肩を震わせて顔を斜めに伏せた。
「ほほう、鉄火芸者の蔦吉姐さんも、素っ裸をふん縛られた姿を昔の旦那の前に晒すのは恥ずかしいと見える。それとも嬉しいのかな?」
「よ、よくもそんなことを……」
下唇を噛んだ蔦子は、突然堰が切れたように言い放った。
「こんなことまでしてあたしを辱めるなんて。鬼頭さん、あんたは本物の人でなしだよ。棚橋さん、あんたも同類だよっ! 冨美子姉さんの病気を引き合いにしてあたしを騙したんだから。んん? ……ま、まさか。棚橋さん、あんたの知恵じゃないだろうね?」
「…………」
棚橋はうつむいて言葉を発しない。
それを鬼頭が引きとった。
「さすがにいい勘をしているねぇ。事のついでに教えてやるとするか。たしか二週間ほど前だったな、あれは……」
鬼頭は問わず語りに事の顛末を話しはじめた。
妻の入院治療費を払わなければいけないからと金を借りに来た棚橋に、鬼頭は、「お前にこれ以上貸す金はないよ!」と断った。
前にも百万円ずつ二回借しており、その返済もほとんど滞っている。この上さらに二百万円も追い貸しするなど、余程の酔狂者以外は誰もそんなことをする者はいない。
鬼頭は、「消費者ローンでも借りればいいじゃないか、それがダメな闇金融へ行くんだな」と棚橋を突き放した。闇金融と聞いて震え上がった棚橋は、鬼頭しか頼める相手がいないんだと泣いてすがったという。
「さてその次だよ蔦吉、私が驚いたのは……。お前の昔の旦那はね。『前に鬼頭さんは蔦吉にご執心だったけど、今もその気持ちはありますか?』ときた。そりゃ私はお前に惚れていたよ、心をズタズタに切り裂いてくれたお前に……。だから、『蔦吉がひと晩でも鬼頭さんに抱かれることを承知したらお金を貸してくれますか?』と棚橋が言った時にはもう、一も二もなく承知したよ。私を袖にしたお前にたっぷり仕返しが出来ると思ってね」
(ひ、ひどいっ! なんてことなの……)
蔦子は言葉を失った。七年もの歳月をともに過ごして心と肌身を預けてきた男が、いかに零落したとはいえ、自分を金で売るような真似をしようとは想像も出来なかったからである。
(ああ、なんてことなの。先にそうと知ってさえいれば……)
棚橋の思いも寄らぬ裏切りを知って、蔦子は深くて暗い人間不信の谷底へと突き落とされていた。
激しい怒りはどこかへ消え失せていた。虚ろな目に涙はない。涙は涸れてしまっていた。
蔦子の、凛として涼やかだった黒い瞳は茫漠とした風穴に変わり、意志の強さを感じさせていた口許はしどけなく半開きになっている。
ほどよく膨らんでいた頬が凍りつき、さながらロウ人形のように冷たく蒼白い光沢を放っていた。
「おい武村ッ、蔦吉に猿轡をかませろ!」
蔦子の表情に異変の兆しを感じとった鬼頭が鋭く命じた。
鬼頭の形相にあわてた室田は、床にあった麻縄を素早く手にして蔦子の唇を割った。凍てついた頬をくびり、うなじに巻いてもう一度口に咥えさせ、うなじの上で結び止めた縄尻を背中の手首の縄につないだ。
「舌を噛もうなんて馬鹿な料簡を起こすんじゃないよ、蔦吉。お前にはまだまだ味わってもらいたいことがタンとあるんだから……」
「…………」
蔦子は何の反応も見せない。薄く眼を閉ざしている。
鬼頭はイラついた。
「蔦吉。お前の立場がよく分かっただろう? お前が私に従順な女になるまでずっとここにいてもらうからね。こうやって四六時中裸のまま縄で縛られて暮らすことになるが、それが嫌なら早く私に素直に従うようになることだ。そうなりゃ棚橋のカミさんの治療費は今後も含めてずっと私が負担してやってもいいんだよ」
脅し賺しの言葉を繰り出す鬼頭に、蔦子は依然として反応しなかった。
眼を閉ざしたままピクリとも動かない。麻縄にくびられた白い頬が妖しく冴えわたっていた。
「このままじゃ埒が明かないなぁ。それじゃ次の仕掛けに……。おおそうだ。その前に蔦吉のからだに火をつけてやらなきゃいけないね」
蔦子を嬲り抜くことだけを考えているように見える鬼頭仙八は、棚橋の顔を見てニヤリと頬を歪めた。
「火をつけてやれよ、棚橋。蔦吉の性感帯はよく知っているだろう?」
鬼頭の下僕と化している棚橋に否も応もない。むしろ蔦子を抱けることで色めき立った棚橋は、欲しかったオモチャを与えられた子供のように「はい!」と大きく答えた。
その声を耳にして我に返った蔦子は、激しく狼狽し、四肢を柱につなぐ縄をギシギシきしませた。
その蔦子の背後に棚橋が立った。
(やめとくれっ! あんたに触られるなんて金輪際イヤだよっ!)
懸命に叫んだ蔦子の声は縄の猿轡に阻まれて濁った。
その蔦子の揺れる柔らかい乳房を棚橋は、後ろから廻した両手でむにゅっと鷲づかみにした。
うっ、うぐっ!
身をよじって嫌がる蔦子の乳房をしばらく揉みしごいた棚橋が前に廻った。
両手で乳房を揉み上げながら赤い二つの乳首を交互に口に含んで軽く歯を立て、舌先で舐め弄んでからその舌を滑らかな鳩尾に這わせた。
さらに舌を縦長に窪んだ可愛いヘソの周囲に移すと、ヘソに舌先を差し入れながら指を脇腹に這わせ、あばらが浮き出た薄い皮膚をなぞった。
くっ、くくっ、くうっ、くうーっ。
蔦子は、口に咬まされた縄の隙間から、嫌悪感もあらわに、いかにも口惜しそうな呻き声を洩らした。
蔦子の股間に顔を埋めた棚橋は、豊かに実った白い女の肉がきゅっと引き締まった尻たぶを両手でつかんで揉みしごきながら、鼻先で柔らかい繊毛の茂る恥丘に「す・き」と文字を書いた。
が、裏切り者の身勝手な気持ちが蔦子に伝わるはずもない。
ああっ、ううっ、く……。
蔦子は顔を一度左右に大きく振った。
しかし、昔ならすぐに洩れ出ていた昂ぶりの声を必死に口の縄の中に噛み殺した。
その蔦子の肉の花びらを舌先で探り当てた棚橋は舌をずずっと花肉の秘裂に差し入れた。
ひっ!
鋭く叫んだ蔦子は眉間にきつく皺を寄せた。額に脂汗を滲ませて切れ長な眼を固く閉ざして必死に耐えた。
棚橋は、その昔に自分が愛撫した蔦子の感じやすい箇所を次々と攻め立てた。
しかし、蔦子は益々からだを強張らせていく。棚橋への強い嫌悪感が憎しみの感情を伴って、蔦子の性感を抑え込んでいる。
棚橋は焦った。が、どうにもこうにも蔦子を感じさせることが出来ない。
ついに手を止めて、(こんなはずはないのに……)と首をかしげた。
予想外の光景を見せられた鬼頭は、かつて睦みあった男を使って蔦子の羞恥心を煽り立て、手慣れた愛撫で蔦子をよがり泣きさせようとした企みが失敗したことを悟った。
(昔の旦那だからといっても、こうも嫌われちゃ女の肉に火をつけるのは無理なようだな……)
鬼頭は棚橋に落胆すると同時に蔦子の強情ぶりに舌を巻いた。
「分かった。もういい、棚橋。お前、これを持って東京へ帰れ!」
呆然と立っている棚橋に、鬼頭は懐から取り出した帯封つきの札束を投げ渡した。
「鬼頭さん、残りの半金は……」
「なに? 自分の昔の女を感じさせることも出来なかった役立たずが何を贅沢なこと言っているんだ! それでも大盤振る舞いしてやっているんだぞ、情報提供料だと思って」
「で、でも……」
「デモもストライキもない! 残りの金は蔦吉が私の女になることを承知してからだ!」
(ええっ!)
鬼頭の口から飛び出した意外な言葉を聞いて、蔦子は心底驚いた。
自分をこの地下室に監禁し、丸裸に剥いて縄目の恥辱を与え、今もこうして大の字縛りにして嬲り続けている鬼頭仙八が、よもやそんなことを考えていたとは思いも及ばなかったからである。
蔦子は、猿轡の縄をガリッと噛んだ。
目を大きく見開いた蔦子の脳裏に鬼頭に抱かれた土曜の夜の情景が浮かび上がっていた。
ぬめぬめと柔肌を這い回る淫らな舌の感触を甦らせた全身が総毛立ち、蔦子の四肢を柱につないだ縄がギシッと鳴いた。
「さっさと東京へ戻れよ、棚橋。憎いお前がここにいちゃ、蔦吉だって燃えようがないだろう」
皮肉を込めて突き放す鬼頭仙八に、棚橋良一は言葉を返せない。うな垂れ萎れ切って手の中の札束を見つめた。
ふうーっ。
弱々しい息を吐き出した棚橋は顔を上げて軽く鬼頭に会釈した。
棚橋良一は、柱の中央に大の字に縛られている蔦子をチラチラ振り返りながら、すごすごと地下室から出て行った。
つづく
|