鬼庭秀珍 呪縛の俘囚 |
第一章 父の面影 東京都港区高輪台。午後九時過ぎ。高層マンションの最上階から眺める夜景は、さながら光の海である。様々な色の光に彩られ、美しい絵画を鑑賞するような趣があった。 一枚ガラスの大きな額縁のような窓から見下ろす首都高速道路を、白いヘッドランプと赤いテールランプが右に左に忙しく行き交っている。左手には闇に沈んだ東京湾を跨ぐレインボーブリッジがとりわけ明るく浮かび上がり、遠く右手の羽田方面では一定間隔で点滅する赤い光が斜めに上下していた。 しかし、今はその美しい光景も目に入らない。淡いオレンジ色をした薄いショーツ一枚のあられもない姿をした正木蘭子は、ダブルベッドの上で横座りになって、熱く燃え上がった激しい行為の余韻に浸っていた。 「ずいぶん激しかったじゃないか、今夜は……」 そう言って微笑んだ中井啓二に、いつもは凛として男を寄せ付けない印象の蘭子が陶酔覚めやらぬ面持ちで曖昧な笑みを返した。すっきりした茶褐色に染めている長いストレートヘアに縁取られた端正な顔も今は惚けている。心持ち背中を丸めた肩からダランと腕を垂らし、官能の炎がまだくすぶっている瞳をトロンとさせていた。 正木蘭子、二十九歳。福島県は会津若松の生まれである。明治維新の折に旧幕府派として官軍と戦った、戊辰戦争の最中に城が火炎に包まれたのを落城と見誤って飯盛山で自刃して果てた少年たちの白虎隊悲話が語り継がれており、今も中央の権威に対して反発心の強い土地柄である。蘭子が気丈なのはその風土に所以しているのかも知れない。 蘭子の父・正木信行は会津藩の御書院番を務めていた武家の末裔らしく、極めて勤勉な人だった。公認会計士として活躍し、年々事務所の規模を大きくしていった。その傍ら、自宅敷地内に設けた剣道場で地元の子供たちの育成にも力を注ぐ武道家でもあった。礼節を重んじ、義理にも情にも厚く、周囲の人たちから慕われていた。蘭子は、高校一年生の時に他界したその父から薫陶を受けて育った。また、信行亡き後の会計事務所は、信行に育てられた会計士たちの協力を得て、母の菊枝が守り続けている。 蘭子は、高校卒業と同時に上京して名門私立女子大学の国際学部で学んだ。その頃にファッション雑誌のモデルをしてみないかと何度も誘われたほど、蘭子の容姿は際立っており、中高の整った面立ちと見事に均整の取れた肢体をしていた。雪深い会津で生まれ育ったこともあって色白で肌理も細かい。その蘭子にも一つだけ悩みがあった。ずうずう弁と揶揄されがちな会津なまりである。 「えっ! 蘭子さん、今なんて言ったの? あら、そう。そういう意味なの……」 「会津の言葉っておもしろ〜い!」 「蘭子さんは、黙ってる時と話してる時の印象がすごい違うもんね」 級友たちは遠慮会釈なく蘭子のお国なまりを上げつらった。悪気はないにせよ、笑われた方は辛い。蘭子は次第に寡黙になっていった。明るく弾けるようだった笑顔も影をひそめ、端整な横顔に暗い翳が射すようになった。しかし、そのまま沈み込む蘭子ではなかった。懸命に努力して、東京で迎える三度目の正月には会津なまりを克服していた。今は、同郷人と親しく話す時を除けば、なまりが出ることはない。 大学を卒業すると同時に蘭子は、大手航空会社に就職し、幼い頃から憧れていた国際線の客室乗務員になる夢を叶えた。肉体的にかなりハードな仕事だが、高校時代にバレーボール部で活躍した蘭子には苦にならない。水を得た魚のように活き活きと働いた。 プライベートタイムの蘭子は、背中まで伸びた長い髪をそのままに過ごしている。たまに外出すると、その長い髪がふわっと風に浮いて靡き、通りすがりの男たちの視線を引き寄せた。そして、見事なプロポーションが男たちの目を釘付けにした。 一方、乗務中の蘭子は長い髪を後ろに束ねてさっぱりと結い上げている。目鼻立ちがはっきりしているだけにキリッとした美しさを感じさせた。見目麗しいだけでなく頼りになる客室乗務員だと評価も高い。それだけに秋波を送ってくる搭乗客も少なくなかった。 あれは二十四歳の夏だった。乗務したニューヨークからの帰国便に三十歳代半ばの商社マンが搭乗してきた。蘭子が彼の姿を目にしたのはこれで三度目だった。 「やあ、またお会いしましたね。今回もよろしく」 彼は、懐かしげにそう言って、深みのある優しい眼差しを蘭子に向けた。 (亡くなった父に似てるわ……) 蘭子は心が揺れるのを感じた。 その彼が、搭乗機から降りる時に「お世話になりました」と軽く会釈をしながら、小さく折りたたんだメモをそっと蘭子の手に握らせた。《南青山にシャレたレストランがあります。一度そこで食事でもどうですか?》と走り書きがしてあり、携帯電話の番号が添えてあった。 似たようなことは過去にも何度かあったが、もらったメモはすぐに細かく破ってゴミ箱に捨てていた。が、この時の蘭子はそうしなかった。そして次のフライトが終った翌日に彼と夕食を共にした。その後、乗務が明けるたびに彼との楽しいひと時を過ごし、いつしか蘭子は恋に落ちていた。 しかし、初めて肌を許して半年後、急な乗務変更を伝えるためにかけた彼の携帯電話に思いがけずも女性が出た。「主人に何か御用でしょうか?」と訝しげに問い返す声に蘭子は衝撃を受けた。独身だと信じきっていた彼は妻帯者だった。蘭子は自分がからだを貪られ心を弄ばれていたことを悟った。騙されていたとはいえ、人の道に反する不倫を自分がしていたことが蘭子の心を引き裂いた瞬間だった。思い起こしてみれば結婚という言葉を彼が口にしたことは一度もなかった。匂わせていたに過ぎない。卑劣な男の巧妙な手管に操られた自分が哀しかった。 それから五年の歳月が流れ、頑なに男を遠ざけてきた蘭子の心に変化が起きていた。昨年秋の小さなハプニングがその契機だった。 空が抜けたように高い秋晴れの日の午後、蘭子は学生時代の友人の結婚披露宴に招かれ出席した。都心のホテルでの宴が開いて、嵩張る引き出物の袋を提げてバンケットホールの廊下を出口へと向かっている時にそのハプニングは起こった。カーペットの小さな窪みを踏んだハイヒールの踵が折れてしまったのである。が、バランスを失って倒れかかったその時に、偶然そばを通りかかった背の高い男性が手を差し伸べて蘭子を支えてくれた。 「ありがとうございました。お陰で転ばずに済みました」 もう片方のハイヒールを脱いで姿勢を整えた蘭子は深く腰を折りながら礼を述べた。 「お困りでしょう。ちょっとここで待っててくれますか」 蘭子にそう告げた男性は小走りにバンケット・レセプションへ引き返し、まもなくバンケット・マネジャーを伴って戻って来た。 「一時間もあれば修理をしてくれるそうですよ」と微笑む男性の傍らからマネジャーが「お待ちいただけるのでしたらすぐに手配いたしますが、いかがなさいますか?」と尋ねた。 「お願いしたらどうです? お茶でも飲みながら待っていればじきに済みますよ。ご迷惑でなければ僕もお付き合いさせてもらいます、この後は何の予定も入っていませんので……」 バーバリーのブリーフケースを手にした男性は、蘭子の眼を優しく見つめて微笑んだ。 (似てるわ、父の眼差しに……) そう感じた蘭子は素直にうなずいて、「お願いします」と答えていた。 「承知いたしました」と応じたバンケット・マネジャーは、二人をカフェテラスに案内し、席に着いた蘭子の足元に客室スリッパを置いて、ハイヒールを預かって行った。 その時の男性が蘭子よりひと回り年上の中井啓二だった。中井は社内研修の講師を押し付けられたとかで、二時間の講義を終えて自宅へ帰ろうとしていたとのことだった。 ハイヒールの踵の修理はあっと言う間に終った。蘭子にはそう思えた。中井の機転の利いた会話に楽しい時間を過ごした別れ際に、蘭子は「中井さん、私に改めてお礼をさせてください。お願いします」と夕食をともにする提案をした。 蘭子はその後も繰り返し中井と会い、中井と会える日を心待ちするようになった。二人の間の垣根は日を追って低くなり、男女の深い中になるのにさほど時間はかからなかった。 信州穂高の素封家の次男として生まれた中井は、東京湾を見下ろす高輪台にある高層マンションの最上階で一人暮らしをしている。実家の家業は四つ年上の兄に委ね、相続権も数年前に放棄した。その見返りに両親が買い与えてくれたのが、占有面積が六十坪もあるこの豪奢なマンションだと中井は蘭子に説明した。 大手食品メーカーの副部長をしている中井は四十歳を過ぎた今も独身である。結婚の前歴もない。仕事にかまけているうちに婚期を失っていたと照れながら蘭子に話した。その照れた表情が亡くなった父信行によく似ていた。男に対して人一倍警戒心の強い蘭子が、不思議なことに、どこかに父との共通点を持つ相手にはいとも簡単に心を許してしまう。そのことに蘭子自身はまだ気付いていない。 中井は、蘭子の亡父にとてもよく似た表情と雰囲気の持ち主であるだけでなく、痒いところにも手が届くような気配りをしてくれる。時折顔に暗い翳りが射すが、それもまた魅力の一つだった。いつも優しく扱ってくれ、ベッドの上でも満足させてくれる。そんな中井にプロポーズされる場面を、この頃、蘭子は繰り返し想い描いていた。 半ば放心状態の蘭子を眺めながらトランクス一枚でベッド脇の椅子に腰かけてタバコをくゆらせていた中井がすっと腰を上げた。チェストから束になった縄のようなものを取り出してきて蘭子のかたわらに腰を下ろし、うっとりと酔い痴れている耳元で囁いた。 「いいだろっ?」と顔を覗き込んだ中井の何気ない口調に、蘭子はコクンとうなずいていた。エステティックサロンに通って磨き抜いた肌理の細かい肌は白くすべすべと輝いている。その柔肌をしなだりかかるように寄せて、蘭子は上半身を中井の厚い胸板に預けた。 部屋の照度が落としてあるとはいっても、明るい場所でいつまでも素肌を晒していることは恥ずかしい。ましてやその素肌に縄をかけられるとなれば嫌悪感が先に立ち、虫酸が走って鳥肌が立つ。しかし今夜の蘭子は違った。 背後からたくし上げるようにして両腕を背筋へねじ曲げられた蘭子は、背中の中ほどで重ね合わされた両手首に縄をキリキリ巻きつけられながら頭の中で呟いた。 (いいの、中井さんにならどんなことをされても……) 前に廻された縄は胸乳の上部に渡されて後ろへ手繰られ、もう一度前に廻って弾力のある豊かな乳房の下に縄がもぐり込む。その縄が後ろに強く引き絞られ、蘭子は「うっ!」と小さく呻いた。痺れていた脳が急速に目覚めていき、蘭子はかすかな不安を感じた。が、同時に、こうして縄で縛られることで中井との距離がまた縮まったような気がした。 きゅっとくびれて滑るような腰にも縄を打って結び止めた中井は、薄く目を閉ざして口を半開きにしている蘭子の顔を覗きこんだ。 「蘭子。汗を流そうか」 「えっ、このままで?」 「そう。キミの汗は僕が綺麗に洗い流してあげるよ。さ、行こう」 「そんなのわたし……」恥ずかしいと言いながら立ち上がった蘭子の、縄に絞り出された二つの白い乳房がゆさゆさと揺れた。その乳房を中井が指先で軽く突つく。 「うふっ、くすぐったいわ」と、蘭子は縄に縛められた裸身を甘くよじった。 広いフローリングのリビングから廊下を追い立てられていく途中、蘭子はわざと足を止めて嫌がって見せた。その柔らかな尻を中井が縄尻で軽くしばく。蘭子は、「ああ、許してっ」と薄いショーツに覆われた豊かな双丘をくねらせて風呂場に入り、脱衣場でショーツを脱がされて羞恥を露わにし、後ろ手縛りの背中を押されて浴室に足を踏み入れた。 浴槽の手前の洗い場には大理石が敷き詰められている。畳三枚ほどの広さがあった。その大理石の床に膝を突くと、蘭子は桜色に染まってきた緊縛裸身をくの字に折って小さく縮こまった。窓の外にライトアップされた東京タワーが聳えていた。 「なにもそんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃないか。案外初心なんだなぁ」 ふふっと嬉しそうに笑った中井は、後ろ手縛りの裸身を片膝立てに縮めている蘭子の肩や背中に湯をそそぎかけた。からだを起こすように言うと、縄が喰いこむ胸から下腹部へと柔らかく湯をそそぎ、抱きかかえるようにして蘭子を浴槽に入れた。 中井は、その後ろに滑り込んで背後から蘭子を抱き寄せた。赤みが射したうなじに口吻をそそぎ、浮力を得て湯にたゆたう二つの乳房を両手で優しく包んで揉み上げた。 「あん、ああんっ、イヤん……」と甘く鼻を鳴らして肩を左右に揺らした蘭子は、背中に縛られた手の指で反り返っている中井の肉塊を握った。手のひらに包んで優しくこすりながら、しなやかな首を斜めに反らして中井の肩に頭を載せる。ほんのり桜色に染まってきた首筋を中井の舌が這い、下へ伸びた中井の片手が股間をまさぐった。 「ああっ」と身を硬くした蘭子の女陰に中井の指がもぐりこむ。秘裂に深く侵入した指が花肉の襞を刺激する。その巧みな指技に蘭子は昂ぶる感情を抑えきれない。 「ああっ、はっ、はっ、はあっ、ああーっ」と、蘭子の喘ぎは次第に大きくなっていった。 浴槽の中でひとしきり悶えた蘭子はすっかり上気していた。洗い場で恥ずかしげに縮めている緊縛裸身を、中井はボディシャンプーがたっぷり沁みこんだスポンジで洗い流した。優しく首筋をこすり、縄で絞り出した乳房の一つひとつを包みこむように揉み洗った。 「あん、イヤっ、う、うふん」と甘ったるい声が洩れ響く中、白い泡にまみれたスポンジが漆黒の茂みに覆われている女の恥丘を上下して濡れそぼった肉の花びらを刺激した。 「ま、待って。中井さん、待ってっ」 蘭子は背中の両手で空をつかんで思わず腰を浮かせた。が、女の恥丘を洗い清めたスポンジは、繊毛の茂みを下って股間をこすり抜け、尻の穴を清め始めた。と同時に中井の指がそっと微肉の筒に差し入れられた。 「あっ、イヤっ。そ、そこは……。ああーっ!」と、蘭子の首が大きく仰け反った。 蘭子の反応を確かめてすっと指を抜いた中井は、蘭子の吸い付くように白い柔肌を洗い流しては波打つ乳房を揉みしだいた。膨らみをまして尖ってきた赤い乳首をいじめ、熱い吐息を耳に吹きかけ耳の後ろを舐めながら股間を刺激する。広い浴室は蘭子の狂おしく甘い喘ぎ声で満たされていった。 続く |