鬼庭秀珍   呪縛の俘囚



      第二章 裸のフィアンセ







 脱衣場に移り手短に身体を拭ってトランクスを穿いた中井は、真新しいバスタオルを手にして蘭子のからだを丁寧に拭い始めた。
 赤いモヤがまだ頭の中を渦巻いている蘭子は、縄に縛められたからだを中井がなすままに任せ、ぼんやりと、つい今しがたの浴室でのことを思い起こしていた。セックスした訳ではないのに陶酔感に浸って喜悦の声を上げた自分が不思議だった。
 確かに中井の指と舌での愛撫は巧妙を極めていた。が、それはいつもと変わらない。いつもと違ったのは後ろ手に縛られていたことである。そのために女の弱点を攻め立てる中井の指を制止することも自分が望む体勢になることも出来なかった。もどかしく、切なかった。両手の自由が利かない状態が辛かった。
 にもかかわらず、嫌悪感も屈辱感も沸いて来ず、羞恥一色に彩られた自分がいた。中井への信頼と縄で縛られた状態がいつも以上に性感を昂ぶらせたに違いない。そう思った蘭子はなぜか頬を赤らめた。


「よしっ、綺麗になったぞ。それじゃ蘭子、寝室に戻ろうか」

 蘭子の肌の水気をすっかり拭い終えた中井はそう言って微笑みかけた。が、蘭子を後ろ手に縛った縄はほどこうとしなかった。ほんのりと桜色に染まった肌は熱を帯びている。水気をたっぷり含んだ冷たい縄がその上気した柔肌を緊めつけている。蘭子は異妖な感覚に戸惑っていた。

「中井さん。この縄は……」
「縄? そうか、ほどいて欲しいんだな。でも蘭子。縄をほどくのはもう1ラウンド終ってからにしようよ」
 なっ、いいだろう、と顔を覗き込む中井のトランクスの股間部分が大きく盛り上がっているのに気づき、さっと頬を赤らめた蘭子は目を背けた。

「どうしても今ほどいて欲しいのかい?」
「…………」

 念を押すように尋ねた中井に、蘭子は、「すぐに縄をほどいてください」とは答えられなかった。顔を伏せたまま肩で息をしながら、か細い声で曖昧に訴えた。
「わたし、何だか濡れてる縄が気持ち悪くて……」

「なるほどな。でも、少しの間の我慢だよ。じきに乾くから、キミのからだの熱で……。さ、早く行こう」
 中井は平然と答えて蘭子を急かした。

「待って。わたし、まだショーツを……」
「すぐに脱いじゃうのにか?」
「でも……」とむずかる蘭子の言葉を「恥ずかしいんだな」と遮った中井は嬉しそうに目を細めてふふっと笑った。

「中井さんのイジワル」と甘え声ですねて見せた蘭子は、「それにずるいわ」と言って中井のトランクスにチラッと目を遣った。

「あっ、そうか。ごめん、ごめん」
 中井は穿いていたトランクスを脱いで素っ裸になり、「これで平等って訳だ」と言いながら脱いだトランクスと蘭子のショーツを片手につかんで立ち上がった。
「さ、参りましょうか、お姫様」

 中井は後ろ手に縛った蘭子の腰を片手で引き寄せ、もう片方の手を膝裏に差し入れて抱きかかえ、蘭子の唇を吸いながら風呂場を出た。



 寝室のベッドに座らされた蘭子は、スラリと伸びた両脚を折って膝から下を横に流し、肉付きのいい真っ白な太ももを閉じ合わせて股間の恥部を隠した。濡れた縄に絞り出されている乳房がほんのり羞恥の色に染まって揺れていた。が、隅々まで洗い清められた爽やかさが意識をシャキッとさせ、蘭子の気持ちを和らげていた。

 恥ずかしげに背を向けている蘭子の後ろに腰を下ろした中井は、自分の懐に蘭子の緊縛裸身を引き寄せた。脱力して中井の胸にもたれかかった蘭子の肩とうなじに口吻をそそぎながら両脇から手を伸ばし、縄に絞り出されている透けるように白い乳房を揉んだ。

「あっ、イヤっ」とむずかる蘭子の声が甘い。中井はゆっくりと乳房を揉み続けた。
「蘭子。キミのおっぱいって、こうやって手のひらに包むと溶けちゃいそうだなぁ」

「んっ、ふうんっ」と甘く鼻を鳴らした蘭子は、切れ長な目を閉じて長い睫毛を震わせた。両手の自由を奪われた状態で乳房を愛撫される切なさが蘭子に新たな官能を感じさせている。女陰の奥深いところで何かが(うごめ)いていた。

「蘭子は感じやすいのかな? ほら、乳首がもうこんなに硬くなってるよ」

 両乳首を指でつままれた蘭子は、「イヤっ、そんなこと言っちゃ」とすねて見せたものの、うっとりと目を閉ざして中井のするままに任せている。しばらくすると、蘭子の口から「はっ、ああっ、はあっ」と甘い喘ぎ声が洩れ始めた。

「蘭子。キミのこのおっぱいは何に感じてるのかな? 僕の手か? それとも縄にか?」

 耳元でそう囁かれて、蘭子は閉ざしていた両目を開いた。その瞳には戸惑いの色が浮かんでいた。縄に感じているのかと問われたことが心を乱していた。が、蘭子のそんな気持ちを中井は意に介していない様子だった。

「それにしても縄に縛られたキミはいつも以上に綺麗だなあ」

 さも嬉しそうに微笑んだ中井は、蘭子を優しく仰向けに寝かせると、股間にすっと片膝を入れて蘭子の上に覆いかぶさった。そして、左手をうなじに添えて首を立てさせ、蘭子の紅い唇を吸った。

(縄に縛られたわたしの方がいつもより綺麗だなんて……、そんなこと……)
 中井の言葉に反発しながら蘭子は口中に侵入してきた中井の舌に自分の舌をからませ、そして吸った。
 その蘭子の舌を中井の唇が吸い上げ、中井の右手が縄に絞り出された蘭子の柔らかな乳房を揉み上げた。


「んっ、んっ、んんっ」
 中井の唇に口を塞がれている蘭子の白く柔らかい腹はうねり、中井の膝の動きに刺激された肉付きのいい太ももが小刻みに震え、痙攣したように片膝が上がった。

 蘭子の口中に侵入した中井の舌が口の中をくまなく舐め回す。その一方で、中井の右手は鳩尾(みぞおち)から下へと向かい、指先が下腹部の性感帯を求めるように這い下りていった。

「んっ、ふっ、んんっ、ふうんっ、んんっ」
 急速に昂ぶった感情に、言葉を発することができない蘭子の鼻が鳴った。すでに中井の膝は股間から消え、代わって手指が絹糸のように柔らかな繊毛が密生する蘭子の恥丘を這っている。その指先が恥丘の茂みを掻き分けて女の秘裂に侵入しようとした。その時、中井の唇が蘭子の口から離れ、左手が首の後ろから抜かれた。

「イヤっ。そ、そこは……」
 咄嗟に身をよじった蘭子だったが、中井の指は動きを止めない。花肉の花びらを押し開いて内部に侵入し、肉の襞を撫で回す。

「あっ。や、やめてっ。ああっ。お願いっ。そ、そんなこと……。あっ、ああっ」
 蘭子の両足が突っ張り、両足の爪先が反り返った。が、秘裂の内部に侵入した指は花肉の襞を撫でながら何かを探しはじめた。と同時に膨らみと硬さを増していた乳首がつままれ、クリクリこねられた。

「あっ、ああーっ。イ、イヤっ」
 からだの上と下を同時に攻め立てられた蘭子の秘裂の中で、中井の指先が(さや)を脱ぎ始めていた花肉の肉芽を探し当て、肉の花唇の外へとつまみ出していった。

「ひっ、ううっ、ひいーっ! うっ、ううっ。や、やめてっ。う……」
 思いがけない攻撃に激しく狼狽した蘭子の声も次第にかすれてきて、女の最も敏感な部分は揉みほぐされていった。

「あっ、あっ、はぁ、ああっ、ああーっ」
 蘭子の口から洩れ出る声音が変わり、秘裂の奥の花芯から(おびただ)しい女蜜が噴き上げはじめた。その時、すっと抜かれた指に代わって熱く怒張した太い肉棒がズブズブズブッと差し込まれた。いつの間にか蘭子の両脚は左右に開き、そのあられもない股間に中井が腰を突き入れていた。



 縄の縛めから解放された蘭子は、すぐにショーツを腰にまとうと、両手を交差させてまだ乳首が膨らんでいる豊かな胸乳を覆い隠した。そしてポツッと独り言のように言った。
「こんなの初めてだから、わたし、ドキドキしちゃって……」

 中井は「そうか」とも言わない。ベッド脇の椅子に腰掛けてタバコをくゆらせてながら何か考えている様子だった。蘭子は上半身をくねらせて膝をすすめた。

「ねえ、中井さん」と蘭子に呼びかけられてやっと、中井は「ん?」と顔を上げた。

「教えて欲しいの。どうして今夜はわたしを縛ったりしたの?」
「う〜ん、難しい質問だね。どうしても知りたい?」
「ええ、是非教えて欲しいわ」
「そうか……。それじゃ、正直に言うよ」
「はい。お願いします」

「あのね。さっきみたいに縛っておくとね。蘭子が身も心も完全に僕のものになったような気がして安心できるんだ。キミだけは他の誰にも渡したくないから……」

「そうだったの……」
 蘭子はホッとした。と同時に、両手で覆い隠している胸が熱くなった。
「わたしも同じ気持ちよ。だってわたし、中井さん以外の男の人は目に入らないもの」

「そうなのか。嬉しいことを言ってくれるなぁ。よしっ。蘭子、乾杯しよう!」

 さっと立ち上がった中井は、サイドボードから年代物の赤ワインを取り出すと手際よく栓を抜き、そのままボトルから直接ワインを口に含んで蘭子に口移しに飲ませた。
 蘭子は、中井のその行動がいかにも自分を愛してくれていることを表しているように感じて嬉しかった。

「蘭子。一週間ほど、ここで一緒に過ごさないか?」

「えっ、突然どういうこと?」
 唐突な提案に驚いた蘭子は目を白黒させた。

「言葉通りさ。キミとここで寝起きを共にしたいってことさ」

(本当なの! わたし、ここであなたと一緒に?)
 確かめる言葉すら返せないでいる蘭子の胸には、えもいわれぬ喜びが駆け巡っていた。
 中井のプロポーズを待ち続けていた蘭子にとって「寝起きをともにしよう」という中井の提案は、それがたとえ一週間という期限付きであっても、この上なく嬉しいものだった。




 正木蘭子は江戸川を挟んで東京都のすぐ隣りに位置する市川に住んでいた。旧くは永井荷風・幸田露伴・北原白秋といった多くの文人が好んで住んだ町である。当時を偲ばせる静かなたたずまいは少なくなってきたが、近年は首都圏のベッドタウンとして発展を続けている。また、成田へは京成本線を、都心や羽田へはJRを利用出来るから、蘭子にとっては職業柄便利な場所だった。しかも、借りている女性専用のマンションはJR市川駅と京成市川真間駅がともに近い街中にあり、管理人が常駐しているのが心強かった。

――余談になるが、平安朝の昔、真間に手児奈という絶世の美少女がおり、その噂は遠く都にまで届いて万葉集にも詠まれるほど有名だったという。当時の市川は東国関東を代表する地域だったようである。さて、本筋に戻ろう――

 思いがけずも素肌に縄をまとった日から四日後の土曜日。次の日曜日まで九日間の連休をとった蘭子は、午後一時過ぎにマンションの管理人に「一週間ほど留守をしますのでよろしくお願いします」と告げ、胸を高鳴らせながら高輪台へ向かった。JR市川で三鷹行きに乗り込み、浅草橋で地下鉄都営浅草線に乗り換えると二十分余りで高輪台に到着する。

 高輪台駅に降り立った時、蘭子の顔はすでにいくらか上気していた。この日の蘭子の出で立ちはジーンズに白い長袖ブラウス、その上にライトグリーンの薄いカーディガンを羽織るというカジュアルな軽装である。その下はアンティックベージュのブラジャーとショーツのみでスリップはつけていなかった。

「蘭子。着飾ったりしないで普段着で来るんだよ」
「どうして?」
「そうでなくたって蘭子の容姿は人目を惹くんだから、着飾ったりしてごらん。目立って仕方がないだろ?」

 四日前の中井の言葉を思い出し、蘭子は面映そうな表情を浮かべた。その手にはルイヴィトンの中振りな手提げバッグを抱えていた。九日分の着替えと愛用のエプロン、そして書き溜めてきたレシピノートが入っている。

 中井が住む高層マンションは、高輪公園のすぐ近くで、地下鉄の駅から徒歩で五、六分のところにある。セキュリティ万全なこのマンションでは、エントランスにある来館通知ブースで部屋番号を入力して呼び出し、住人が中から信号を送って開錠しないかぎり入り口のドアは開かない。蘭子は中井の部屋番号を入力して呼び出しブザーを押した。

「はい。どなたですか?」と中井の声が聞こえ、「正木です。今、着きました」と答えると「お待ちしていました。どうぞお入りください」と丁寧に答えた中井の声が弾んでいた。

 自動ドアがすぐに開いて館内に入り、豪奢なロビーを横切ってエレベーターで最上階まで昇り、蘭子が目指す部屋の前に着くとすっと玄関ドアが開いた。

 ゴルフウェアのようなポロシャツとチノパン姿で蘭子を迎え入れた中井は、ドアを閉めるとすぐに蘭子を懐に引き寄せ、いきなり唇を吸った。

「んっ、んんっ」と甘く鼻を鳴らした蘭子は、バッグをその場に落とし、両手を中井の首に廻して求めに応じた。二人が熱い接吻を交わす玄関に薄桃色の陽炎が立ち昇っていた。

「こんなところでごめん。朝からずっとキミのことばかり考えてたものだから……」
 照れ笑いをして盆の窪を掻いた中井は、その手で足元の手提げバッグを持つと、もう片方の手を蘭子の肩に廻してリビングへと(いざな)った。

「紅茶でよかったよね」
 蘭子をリビング・ソファに座らせると、中井は確かめるように蘭子の目を見た。

「あら、わたしにさせてっ。中井さんはここに座ってらしてっ」と立ち上がった蘭子を目顔で制した中井は、「蘭子は僕の大切なゲストなんだから、初めぐらいは僕がサービスしなくちゃね」と微笑んだ。

 二人は向かい合って中井が淹れたダージリンティーのふくよかな味と香りを満喫し、しばらくの間、互いの長かった四日間を披露し合って談笑した。

「蘭子。今日という日が、僕は本当に待ち遠しかったよ」
 すっと立ち上がった中井は、蘭子のすぐ脇に移動し、白く繊細な指が目を惹く蘭子の手をつかんで引き寄せると、両手を蘭子の腰に廻してギュッと抱きしめて唇を重ねた。
 そして、薄く目を閉じて濃密なキスに応じている蘭子のライトグリーンのカーディガンをするするっと脱がせ、手探りに白いブラウスのボタンを外していった。


「ま、待ってっ、中井さん」
 慌てて唇を離した蘭子だったが、瞬く間に上半身から純白のブラウスは取り払われた。羞恥に頬を桜色に染めた蘭子は、アンティックベージュのブラジャーに覆われた胸乳を両手で覆い隠し、顔を斜めに伏せた。

「いつ見ても綺麗だ」と呟いた中井は、羞恥心を露わにしている蘭子の前でポロシャツとチノパンを脱ぎ捨ててトランクス一枚になった。そして今度は、蘭子のジーンズを脱がせにかかった。が、蘭子は固く目を閉ざして中井が為すままに任せていた。

 蘭子の頬と首筋は真っ赤に染まっていた。すでに何度も素肌を交えたことのある相手とはいえ、明るい光の下で裸同然の姿を見つめられるのは恥ずかしい。その蘭子の羞恥心をさらに煽るようなことを中井が言った。

「お互いに隠し事は一切しないで暮らすにはこうするのが一番だと思ってさ。外に出る時は別としても、ここでは裸同然の姿で過ごすことにしたいんだ。空調も万全だしね」

「…………」
 あまりに唐突で常識外れな中井の提案に蘭子は返す言葉が見つからなかった。

「いいだろ、蘭子? そうしようよ。なっ、頼むよ。うんと言ってくれよ」
 中井の口調には強い意思が感じられた。

 しかし、四六時中素肌を晒して過ごすなど蘭子には思いも及ばないことだった。強い抵抗感を感じた。とはいえ、ここでイヤだと断って立ち去れば中井との関係は終るに違いない。蘭子は熱っぽく同意を迫る中井に負けた。

「わかったわ。中井さんの言う通りにします」

「よかった。蘭子にイヤだと言われたらどうしようかと悩んでたんだ」
 相好を崩した中井は、「改めてキミの姿を見せてくれないか」と大仰に頭を下げた。

「恥ずかしいわ」
 逡巡を示しながらも立ち上がった蘭子の肢体は見事に均整が取れている。弛みの一切ない胸の隆起は魅惑的で、張りのいい臀部の双丘を覆うショーツがはちきれそうである。ブラジャーとショーツの色が肌の色に近いアンティックベージュだっただけに、中井の目にはすでに丸裸になった蘭子がそこにいた。目を皿にして見つめる中井はゴクンと生唾を呑みこんだ。

                                   続く