鬼庭秀珍   柔肌情炎


             第三章 暗 示




            


 未明から降り続いた強い雨もあがり、夜気が澄み渡っている。
 庭の池面に落ちた青白い月が物悲しい小石川の『けやき屋敷』の蔵座敷では、冷たく静まりかえった戸外とは対照的に、妖しい熱を
(はら)んだ淫靡な情景が繰り広げられていた。

 世の若い独身女性の例にもれず花村(はなむら)(まゆ)()も、二十歳代の、それも早いうちに結婚して幸せな家庭を築く夢を抱いていた。しかし、心から愛した人を事故で失い、実家の小料理屋『はなむら』をその一身に背負ったが故に淡い夢は捨てざるを得なかった。
 のみならず、三十路が近づくに連れて端整な容貌としなやかな姿形に優美な色香が増してきたことが
淫蕩(いんとう)な男たちの目を惹き、狡猾な罠に嵌められて緊縛嗜虐者の手に落ちていた。

 繭美は今、薄藤色の腰布一枚に剥かれて素肌を露わに晒し、思いもよらなかった恥辱に慎ましやかな紅い唇を震わせている。華奢でしなやかな両腕は後ろ手の高手小手に縛り上げられ、瑞々しく熟した白桃のような二つの乳房には縄の枷がかけられていた。
 その妖美な姿態を、屋敷の主である八名(やな)()(いわお)が舌なめずりをして見つめている。

「実にいい。これ程までとは思わなかったよ、若女将。あんたのからだは本当によく縄が似合う。これだけ縄栄えする美しいからだにお目にかかったのは初めてだ」
 えも言われないほど綺麗だ、惚れ惚れする、と八名瀬は細い目を更に細めた。

(あなたが勝手にそう思ってるだけよ。縄が似合うからだなんてあるもんですか!)
 そう言い返してやりたかった。が、今さら口惜しさを口にしたところでどうなるものでもない。今は辛うじて残っている腰の湯文字が剥ぎ取られることを繭美は恐れた。

 和装の時はショーツを穿()かない習慣を、繭美は今日ほど恨めしく思ったことはない。もしも薄藤色の腰布を剥ぎ取られれば、柔らかな漆黒の繊毛が生え茂る女の恥丘をさらけ出すことになる。もしかすると繊毛の茂みを透かして女肉の花びらまで見られてしまうかも知れない。そう考えただけでこの上なく恥ずかしかった。

 八名瀬はまだ、どす黒い縄の枷がかかった真っ白い乳房に見惚れている。その淫らな視線を避けるように背を向けた繭美は、湯文字の下で立てた片膝をもう片方の膝の上に重ねるように倒して太ももを閉じ合わせ、裸身を小さく縮めた。
 繭美のしなやかな両手はすべすべと白く艶やかに輝く背中に縛り束ねられている。その手首の先で固く握り締めた十本の指が震え、尻の双丘は藤色の布がはちきれんばかりに盛り上がっている。乱れた湯文字の裾からはみ出た片肢のふくらはぎと足袋の白さがまぶしいほどに目を惹く。繭美の恥じらい露わな姿は、繭美自身の意に反して、淫蕩な男の欲情をそそる風情をかもし出していた。

 八名瀬は、しばらくの間、菱縄に飾られた裸身を小刻みに震わせている繭美を見つめて動かなかった。が、ふと我に返ったような表情を見せると、すっと腰を上げた。

「若女将。さ、立つんだ」
 後ろに垂れている縄尻を握ってグッと引き上げた八名瀬は、足をよろめかせて立ち上がった繭美の背中を押して居間の奥へ連れて行き、寝間との間の襖をすっと引き開いた。

 繭美の目に飛び込んできた寝間の中央にはすでに夜具が敷かれていた。八名瀬に抱かれる覚悟はしてきたものの、出来ることなら逃げ出したかった。
(ああ、ここでわたし……)
 縛られたままこの身を(むさぼ)られるのかと思うと、繭美の胸に言いようのない悲しみが湧き上がり、どうしようもない切なさがその胸を絞めつけた。
 お店の生殺与奪の権は八名瀬に握られている。それ故に唇を噛み締めながら八名瀬の縄がけを受けた繭美だったが、屈辱感の余りの強さに心が
(あらが)った。素肌にかけられた縄の縛めから解放されたかった。

 繭美は、涙が滲む切れ長の美しい眼で八名瀬を振り返った。
「お願いです、八名瀬さん。せめて、せめてこの縄を、ほどいていただけませんか?」

「そうはいかないねえ。私の好みは話したはずだよ、若女将」
 繭美の哀しげな瞳を覗き込んだ八名瀬は、薄い唇の片端をニッと吊り上げた。
「あんたの気持ちは分からんでもないがね。これほど似合う縄化粧をここでほどいてしまっては(つや)消しだ。そうは思わないかね?」

(やはりこの男には……)わずかな温情も期待出来ないことを改めて悟り、繭美は下唇を噛み締めた。

「若女将、私の(たの)しみを奪うようなことは言わないで、さ、中に入りなさい」

 高手小手に縛り上げられた両手がX字を描いている背中をトンと軽く突かれた繭美は、口を真一文字に結んで寝間に足を踏み入れた。差し迫った凌辱(りょうじょく)を思うと必然的に身が硬くなる。繭美の足取りはぎこちなく、畳を踏みしめる足が震えた。

 ところが寝室に入ると八名瀬は、恥辱と屈辱に耐えることを改めて覚悟した繭美に肩透かしを食わせるように、意外な行動をとった。繭美を夜具の上ではなく床柱の前に引き据えたのである。
 そして、繭美の裸の上半身にかけた菱縄と後ろ手高手小手の縄にゆるみがないことを確かめてから縄尻を床柱につなぐと、意味不明なことを言った。

「今ふっと思い出したんだが、急ぎの仕事をやり残していた。私はこれから母屋でそれを片付けてくるから、若女将、あんたはしばらくそのままここで待っていなさい」
 楽しみは後にとっておいた方がより楽しめると言うからね、と脂ぎった顔に卑猥(ひわい)な笑みを浮かべて寝間から出て行った。

 繭美は呆然とした。事の成り行きが突然変わり、それをどう理解していいものか判断できなかった。しかし、なにはともあれ、女の源泉を蹂躙(じゅうりん)されるときがひとまず遠のいたことに繭美はホッと胸を撫で下ろしていた。





               


 寝間の壁には天井に近い場所に明り取りの窓があり、床のすぐ上の位置に通気口のようなものがあった。が、今はそれらのすべてが分厚い板戸で塞がれており、物音一つ洩れない密室になっている。

(あの時、八名瀬に頼ってさえいなければ……)
 閉ざされた空間に一人きり取り残されると、様々な思いが脳裏をよぎる。繭美は急場しのぎの金策を八名瀬に頼ったことを改めて悔やんだ。

「若女将。あとは店を繁盛させることだけを考えればいいからな」
 仕入れ先へ振り出していた『はなむら』の手形をすべて買い集めた八名瀬は、そう言って繭美を励ました。が、そのことは八名瀬から高利の金を借りたことを意味していた。その借金の返済が順調に出来るほど店の売上げは上がらず、繭美の焦燥感は増していった。
 しかし、なぜか八名瀬は、借入金の元本はもとより利息の支払いも猶予して、返済を迫るようなことは一切しなかった。そして二年が経って借金の元利合計が三千万円に膨れ上がると、突然手のひらを返したのである。

(仕方なかったのよ、お店を守る手立てが他になかったのだから……)
 繭美は自分を慰めようとした。あの時の判断と行動は、例え繭美でなくてもそうせざるを得なかったのだと思いたかった。
(でも、八名瀬のこんな性癖も知らずに身を任せることを承知するなんて……)
 屈辱感に満ち溢れた胸の内を後悔の念が飛び交っている。そこに八名瀬が口にした(いや)らしい言葉が飛び込み、繭美の羞恥心を煽った。

「若女将、あんたのからだには縄が似合う。本当によく似合うよ、縄が……。縄が……」

(違うわっ! わたし、そんな女じゃないっ!)
 心でそう叫んでみたものの、背中高く吊られた両手と裸の上半身を菱に縛める縄の緊めつけを意外にも心地好く感じている自分に気づいた繭美の顔は火照った。急に切なさがこみ上げてきて涙がどっとあふれ出た。

 床柱を背にして座っている繭美は、涙に濡れた端整な顔を斜めに伏せ、膝を折った肢を横に流して、湯文字に包まれた真っ白い太ももを小刻みに震わせながらすすり泣いた。


 そして小一時間が過ぎ、繭美は不思議な感覚に包まれていた。

<湯文字一枚の身に縄をかけられて監禁されているというのになぜか安堵感に浸っている自分がいる、両腕を後ろ手に縛り上げた上に胸乳の上下も緊め上げている縄の厳しさがお店の窮状を忘れさせてくれている、八名瀬にすがる以外に今の自分はどうしようもないのだという諦めが資金繰りに奔走した日々の辛さを癒してくれている……>

 繭美は、柔肌をきつく縛めている縄が、今にも壊れてしまいそうな心をしっかり束ねて守ってくれているように感じていた。そんな不可解な感覚に囚われている繭美の胸に、針で刺されるような痛みを伴った切ない情感がこみ上げてきた。からだの奥がツキンとかすかに疼き、その疼きがヅキンヅキンと響きを高めた。花肉の芯が脈打ちはじめていた。

(な、なんなの、これは……)
 女の花芯に湧き立った疼きが戸惑う繭美の全身へ甘く拡がっていく。異妖な性の官能が胸の奥底で鎌首を持ち上げたような気がした。

 狼狽した繭美は顔を左右に振って縄に縛められた上半身をよじった。すると手首の縄がギッと鳴き、二の腕の縄が皮膚を噛んだ。
「あうっ!」と呻いた繭美の乳房を縄の枷が(なぶ)る。

「あっ、ああ……」
 感情の昂ぶりを示し始めた繭美の乳首を、熱を帯びて競り上がってきた乳輪が飲み込もうとしていた。太もものつけ根の茂みの奥に熱いものを感じ、思わず突き出した顎の下で首筋一帯がほんのりと桜色に染まっていた。

「くっ、くくっ、あっ、ああ……」
 呻くような喘ぐような、どちらともつかない声を半開きの口から洩らした繭美は、羞恥に赤く染まった顔を伏せて身悶えを繰り返し、縄に絞り出された豊かな乳房を揺らした。

 その時、襖の横の板壁にかかっている能面の目が笑った。板壁の裏側は居間の床の間にあたり、同じ位置に能面がかかっている。片方の能面を外せばもう片方の能面の目を通して反対側の部屋が見えるような細工がしてあった。
 母屋へ向かうと見せかけて寝間を出た八名瀬が、息を殺して、能面の目を通して繭美のの様子を窺っていたのである。裸の上半身を菱縄に飾られて腰に薄藤色の湯文字一枚を残すだけの若く美しい女が狂おしく身をよじる、その切なげな表情と悩ましい身悶えを覗き見ている八名瀬の細い目には愉悦(ゆえつ)の色が浮かんでいた。

「そろそろ頃合いだな」
 能面を壁に戻した八名瀬は、寝間への襖の前に立ち、襖をすーっと横に引いた。





               


 突然の八名瀬の登場にハッと息を呑んだ繭美は、縄に縛められたからだを硬くし、一気に紅潮した顔を真下に伏せた。

「ずいぶんうっとりしていたじゃないか、若女将」

「ええっ?」
 きょとんとした表情で八名瀬を見上げた繭美は、どこからか覗き見られていたことを悟り、驚きの目を見張った。が、すぐに「そ、そんなこと……ありません」と答えた。

「そうかな? 私にはあんたが縄に甘えているように見えたがね」

「ち、違います。あれは……」

「いや、違わないな。あんたの雪白の肌がしっとりと縄に馴染んで、肌に喰いこむ縄の感触を(よろこ)んでいる姿そのものだったよ」

「そ、そんな……」
 自分でも不可解に思った心の奥を見透かされた気がして、繭美は言葉に詰まった。

「やはり私が睨んだ通りだったな、若女将……。あんたにそのつもりがなくても、あんたのからだは縄を嫌がっていない。そうだろう、若女将? 縛られて切なく哀しい思いをすればするほどからだの芯が熱くなってくるんじゃないのか?」

「ち、違います。そんなことありません」

「そうかねえ。本当に違うと言い切れるのかな?」

「…………」うつむいた繭美の、菱縄化粧された白絹のような肌が見る見る紅潮していく。

「大抵の人間にはね、相手を(いじ)めて喜ぶ心と相手に虐められて(よろこ)ぶ心が同居しているんだよ。虐めることに喜びを感じるのがサディストで、虐められて快感を得るのがマゾヒストだと、世間一般にはそう言われている。その別け方で言えば私はサディストで、若女将、あんたはマゾヒストということになる」

(違うっ! わたし、マゾヒストなんかじゃないわっ!)

「しかしね、若女将……。そういう通俗な呼び方を、私はどうも好きになれないんだよ。私は女を虐めて喜んだりはしない。こうやって縄で縛り上げた女の心の奥から(よろこ)びの感情を引き出して愛するのが私の流儀だ。この違いがわかるかな、若女将?」

「わ……わかりません」と、繭美は蚊の泣くような声で答えた。
(こんな恥ずかしい姿にしておいて、わたしに何をわかれというのっ!)という憤りの言葉を呑み込んでいた。

「そうか、わからないか……。それは残念だな。しかし、折角の機会だ。今からこの私があんたの心の奥で眠っている被虐(ひぎゃく)の情念を呼び覚ましてあげよう」
 薄い唇の端を吊り上げた八名瀬の細い眼の中で青紫色の妖しい炎がゆらっと揺れた。

「手始めに両肢を内側に折って、座禅を組んでもらおうか」

「な、なにをさせるつもりです。そ、そんなこと……。わたし、できません」

 座禅を組めば股間を大きく開くことになる。まだ腰に湯文字が残っているとはいえ、女の秘所が露わになるに違いない。女の身でそんなあられもない姿勢はとれない。

「できないか……」と呟いた八名瀬は、床柱につないでいた縄を外した。そして、繭美を立ち上がらせると、「もっともだ。あんたの言う通りだ。胡坐(あぐら)ならまだしも、両手を後ろに縛られているあんたに座禅本来の結跏趺坐(けっかふざ)の姿勢をとれというのはどだい無理な注文だったな」と納得したように独りうなずきながら、繭美を夜具の上に連れて行った。

(よかった、恥ずかしい格好をさせられなくて……)
 夜具の中央に座らされた繭美は胸を撫で下ろした。
 しかし八名瀬は、無理な注文だったとは言ったが、繭美に座禅を組ませることを諦めた訳ではなかった。
「よしっ、一人じゃ無理だから私が手伝ってやろう」

「ええっ!」
 繭美は愕然(がくぜん)とした。先ほどの呟きは、止めたと思わせて緊張がゆるんだ隙間に刃を差し込んで心を小さく切り裂く、八名瀬流の巧緻(こうち)な心理作戦だったのである。
(イヤっ、イヤです!)という叫びが(ほとばし)りそうになったが、繭美はかろうじてその叫びを哀訴の言葉に置き換えることができた。

「お、お願いです、八名瀬さん。ど、どうか……、そんな恥ずかしいことはさせないでください。お願いします」
 八名瀬に哀訴しながら繭美は正座に直った。藤色の湯文字に包まれた太ももをぴったり閉じ合わせ、膝頭に力をこめる。(はかな)い抵抗と判っていても感情があらがった。





               


 形よく熟した白桃のような乳房を菱縄に絞り出されている裸の上半身を前に折り曲げて哀願する繭美の前に、でっぷり太った八名瀬がドシンと腰を降ろした。

「そうすがりつかれてはなあ」と困惑した表情を垣間見せた八名瀬は、さてどうしたものかと思案でもしているように、繭美の顔と天井を交互に見つめた。
 その様子に、八名瀬が考え直してくれているものと思い込んだ繭美の肢から力が抜けた。そのタイミングを八名瀬は見逃さなかった。いきなり、両手の自由を縄に奪われている繭美の上半身を太い腕で払った。

「ああっ!」と真横に倒れた繭美の、投げ出した伸びやかな下肢が乱れた湯文字の裾から姿を現し、白い磁器のように輝いた。そのこぼれ出た下肢の片方の足首をつかんだ八名瀬が膝をグイッと内側へ折り曲げる。

「ま、待ってっ! やめてっ!」と叫んだ繭美を引き起こした八名瀬は、もう片方の肢の膝もグイッと内側へ折って、繭美の白く伸びやかな下肢に胡坐(あぐら)をかかせると藤色の腰布を後ろにからげ上げた。

「や、やめてくださいっ! 八名瀬さん、お願いです!」
 声を震わせる繭美の、露わに晒した茂みの前の左足首がググッと持ち上げられる。

「うっ、ああっ!」
 柔肌を緊めつける縄をきしませて肩を揺する繭美の左足のかかとは右肢の太ももの上に載り、今度は右の足首がグイッと持ち上げられた。

「あっ、ああーっ!」と激しく狼狽しながら後ろ手に縛られた上半身をよじった繭美の右足のかかとは、たちまち左の膝頭を跨いで左の太ももに載った。

「イヤっ! こんなのイヤっ!」と悲痛な叫び声を上げた繭美の頬は羞恥の赤に染まっている。繭美は八名瀬を見上げて涙声ですがった。

「お、お願いです。こ、この足を元に、元に戻してください……」
 菱縄に飾られた上半身をよじりながら繰り返し頼んだ。が、素知らぬ顔の八名瀬はすっと腕を伸ばして、繭美の腰にまとわりついている藤色の湯文字をさっと剥ぎ取った。

「ああっ、イヤーっ!」

 ついに一糸まとわぬ丸裸にされてしまった繭美だったが、羞恥に震えている暇はない。左右に大きく開いている太ももを何とか閉じ合わせたいと必死だった。
 奥歯を噛み締め、からだ中の力を膝に集中した。が、上に載った足先が邪魔をして思うように膝は持ち上がらない。後ろ手に縛られた上半身を激しくよじりながら足先を膝から降ろそうと試みたが、結跏趺坐に組まされた二肢はビクともしない。

「どだい無理だと言っただろう、若女将。両手が使えないと、結構柔らかい体をしていても結跏趺坐は、組むのもほどくのも一人じゃ出来ないんだよ」
 そう(うそぶ)いた八名瀬は、座禅を組まされた下肢のつけ根で露わになった繊毛の茂みが恥ずかしそうに揺れているのを目にして、うふふっと笑った。

「八名瀬さん、後生です。もう許してください。お願いします」

 自分ではどうにも出来ないことを思い知らされた繭美は八名瀬の憐れみを乞うた。しかし
、繭美の願いを聞き入れるような相手なら最初からこんなことをするはずがない。

「始まったばかりだよ。まだそうはいかないねえ」
 冷たく突き放した八名瀬は、麻縄の束を捌きながら繭美の正面に腰を降ろした。
 八名瀬は手を休めない。女の恥丘の前で交差している足首の上部をキリキリ巻き縛り、その縄を首の後ろに廻してグイッ、ググッと引き下げていった。

「ああっ。や、やめてっ。うっ、ううっ」

 菱縄をまとった繭美のしなやかな上半身が徐々に前へ倒れていく。背中高く縛り上げられた繭美の両手の十指が虚空をつかんで救いを求めた。しかし、八名瀬に容赦はない。引き下げた縄を足首の縄につなぎ、縄尻をくるくる巻いて首に廻した縦の縄を絞った。

「うっ、ううっ。く、くくーっ」

 前屈みの形に縛り固められた繭美は、やっとの思いで顔を起こした。
「お願いです、八名瀬さん。こ、こんなひどいこと……、や、やめてください……」

 繭美は苦痛の涙で頬を濡らしなから必死に訴えたが、嗜虐の欲情に駆られている八名瀬の胸にその悲痛な訴えは響かない。

「ああ……」とうな垂れ、「うっ、くくーっ」と再び呻き声を洩らす繭美を、八名瀬は喜々として見つめた。その双眸には嗜虐を愉しむ淫蕩な色が濃く浮かび上がっていた。


                                                    つづく