鬼庭秀珍   柔肌情炎


              第十一章 夜半の雪




             


 年の暮れも押し詰まってきた十二月二十七日――。
 神楽坂の老舗小料理屋『はなむら』では、例年通り、この年の営業を午後九時に終えた。年明け五日までは、お店で働く誰もが一年のうちで最もゆっくり出来る、年末年始の休業期間である。しかし、若女将の花村には長い休みを楽しむ心のゆとりはなかった。

 努力の甲斐あってようやく営業収支が黒字になった一年だったが、父の良作が亡くなる前に行った店の改装資金の分割返済を銀行にすると手元に残る金はほとんどなく、八名瀬への借金返済に回せる余裕はなかった。しかも、その八名瀬に求められている結婚についての結論を出さなければならないだけに、悩みは深かった。

 繭美は、一年の風雨に晒されながら店の顔を務めてきた暖簾を丁寧に折り畳んで神棚の前に供え、感謝の祈りを捧げた。そして、店内の一番広い座敷に従業員全員を集め、皆の労をねぎらうささやかな宴を開いた。
 彼らは窮状を知りながら店にとどまって、それぞれの立場で繭美に協力してくれている。『はなむら』の料理場には調理長の木下善一の下に煮方と焼方と揚場が各一名と追い回しが二名いるが、この日は追い回しの二人が練習を兼ねてこしらえた料理をつまみながら皆で談笑した。その彼らを眺めながら繭美は思った。


(この人たちを路頭に迷わせてはいけない。借金さえなくなれば、お店の成績がもっと上がれば、皆の待遇を今よりずっと良くしてあげることだって出来る。そうだわ。わたし、八名瀬さんに身を捧げるんじゃないわ。お店とこの人たちにこの身を捧げればいいのよ)

 この時繭美は、『はなむら』の若女将としての仕事を今まで通りに続けられることを条件に、八名瀬が望むことを受け容れようと決心した。

 午後十時半。繭美は、用意していた心ばかりの品を一人ひとりに手渡して、家路に着く従業員たちを笑顔で送り出した。その表情には、もう迷いはなかった。
 皆を見送ってきびすを返した時、暗い空から白い粉がちらほらと舞い降りてきた。

「あら、雪だわ。ひどくなる前に、皆さん、家に着くといいんだけど……」

 一人呟いた繭美は、店内に戻って戸締りと施錠を再確認してから、母の雅代が待つ店裏の自宅に帰った。

 主治医の許可を得て年末年始を家で過ごすために帰宅していた雅代は、繭美から一年間の収支報告を聞くと大いに喜び、繭美の努力を褒めたたえた。が、繭美は、お店の今後を左右する八名瀬からの借金については一切触れずに隠し通したことで胸が痛んだ。

 その夜、繭美は母と二人で布団を並べてぐっすりと眠った。





               


 翌二十八日の早朝。
 八名瀬の後妻になる決心が出来たせいか、繭美はすっきりと目覚めた。母はまだ眠りの底にいる。その母の安堵感に充ちた寝顔に微笑みかけて居間に移り、腰高窓のカーテンを開けると、目が
くらむような白光が飛び込んできた。
 夜半から降り始めた雪が積もって、外一面が白銀世界に変わっていた。


(まあ、なんて綺麗なの)

 地上のものすべてを覆い隠す雪のまばゆく清々しい光景に繭美は目を洗われた。
 そして思った、わたしも心の中に雪を積もらせようと。
 抱いてきた夢も希望も心の雪の中に埋めていつかきっと訪れる束縛から解放される日を待とう、と繭美は改めて決意を固めた。


 その朝から繭美は、努めて明るく振る舞いながら車椅子の母の相手をし、新しい年を迎える支度にかかった。
 しかし、八名瀬との件を母にどう説明すればいいだろうかと考えるたびに素肌を縄で縛り上げられて淫らに責められた情景が脳裏に甦り、つい眉が曇った。
 お店の窮状に端を発した過酷な被虐体験は口が裂けても打ち明ける訳にはいかない。それを話せば、きっと母は体調を悪化させてしまう。やはり作り話をするしかない。そう結論した繭美は、八名瀬の好いところを懸命に探した。


 そんな繭美の心の揺れに母の雅代は気づいていた。夕食後に居間のソファに移った雅代は、繭美がいれた熱い煎茶をすすりながら問いかけた。

「繭美さん。あなた、何か悩み事があるみたいね」

「ええっ、どうしてそう思うの?」

「血を分けた母と娘よ、私とあなたは……。ちょっとしたことで分かるものなの」

「そうよね、黙っててごめんなさい」と謝った繭美は、「わたし、お母さんに了解して欲しいことが一つあるんだけど、何から話せばいいかが分からなくて……」と言い訳をした。

「繭美さん。一人で悩むのはよくないわ。どんなことでも気軽に私に相談してくれればいいのよ。今までずっとそうだったでしょ。さ、話してごらんなさい」

「分かったわ、話すわ。でも、驚かないでね」

「あらっ、私が驚くような話なの?」

「多分……ね。実はわたし、今、ある方から結婚を申し込まれてるの」

「まぁ、結婚を? それって、驚くより喜ばなくちゃいけない話じゃないの。どんな方なの、あなたをお嫁さんにしたいって方は?」

「お母さんも名前は聞いたことがあると思うけど、八名瀬巌さんなの」

「ええっ! もしかして、あの高利貸の八名瀬さん?」

「そう、その八名瀬さんから結婚を申し込まれてるの」

 相手が八名瀬巌だと聞いて顔色を変えた雅代は、強硬に反対した。
 親子ほどの年齢差に加えて、八名瀬には血も涙もない強欲な高利貸という悪評があり、この神楽坂でもある商店主が八名瀬から借金をしたために奈落の底に沈んで行った話を雅代自身が幾つも耳にしていたからだった。


「繭美さん。まさか、あなた、承諾したりしないわよね」

「ううん。わたしね、八名瀬さんのプロポーズをお受けしようと思ってるの」

「何ですって! あなた、それ、本気なの?」

 雅代には、繭美の相手がなぜ八名瀬なのかは勿論のこと、人並み以上の器量をした我が娘が自分と同年代の男の後妻になろうとしていることも理解できなかった。

「ええ、本気よ。わたしなりに色々考えた末にそうしようと決めたの」

「あなた、もしかして、私には話せない何かを八名瀬さんにされてるんじゃないの?」

 雅代の直感は的を射ていた。が、はいそうですとは答えられない。繭美は、内心忸怩(じくじ)たる思いで八名瀬の人柄をながら母に作り話をした。

「そんなことないわ。お母さんは本当の八名瀬さんを知らないからそう思うのよ」

 普通の状況であれば、お店の経営が順調でさえあれば母の言う通りである。しかし、亡くなった父から引き継いだ暖簾を守り抜くためには母の意見に従うことは出来ない。繭美は、八名瀬から受けた無体な仕打ちなどおくびにも出さず、辛抱強く母を説き続けた。

 そんな自分を滑稽(こっけい)に思うのと同時に繭美は、自分の心の隅に八名瀬を慕う部分があることに気づいた。それは繭美の肉体が覚えてしまった縄の魅力と被虐官能の快美感が形を成したものだった。

「わたしね、八名瀬さんといる時にお父さんといるように感じることがよくあるのよ」

「亡くなったお父さんと?」

「ええ、お父さんと……」

(ああ、何と優しい娘なの、今も父親の面影を追い求めて……)
 雅代は繭美の気持ちが嬉しかった。
 のみならず、自分に代わってお店を切り盛りしている娘が
不憫(ふびん)に思えてならず、反対意見のを収めざるを得なかった。

「繭美さん。私、思い出せないんだけど、八名瀬さんってどんな感じの人だったかしら?」

「そうね、見た目はね、有名人でいうと俳優の西田敏行さんって感じかしら」

「恰幅のいい、あの西田さん?」

「そう、あの西田さんみたいなルックスをした人よ」

「それじゃ、ずいぶん心の優しい人なんでしょうね」

「ええ、仕事には厳しいみたいだけど、わたしにはとっても優しいの」

「それならいいわね。だけど、あなたとは三十も歳が離れてるでしょ。あなた、本当にそんなオジさんでいいの?」

「お母さん。恋に年齢は関係ないって言うでしょ。わたし、全然気にならないわ」

「そう。あなたがそこまで納得してるのなら、私はもう反対しないわ」

「ありがとう、お母さん」





               3


 新しい年が訪れ、正月の松が取れて最初の土曜日――。
 花村繭美は、昼過ぎに行きつけの美容院で髪を結ってもらってから一旦家に戻り、地模様の凹凸が艶やかな白鼠色綸子紋の無地の着物に袖を通した。そして、赤と黒の市松模様が鮮やかな石畳松竹椿文様の帯を締め、朱色地小紋柄の道行きコートを羽織った。
 その姿は良家の若奥様を想わせる瑞々しさに溢れていたが、心の中に
みがあった。止むを得なかったとはいえ、母をすことになってしまったからである。


 繭美が病院に戻っている母に向かって詫びの念を送ってから午後四時に家を出ると、旧き良き時代の情緒が今もあちこちに残っている神楽坂通りには街灯がすでに点っていた。
 冬至からまだ二十日余りしか経っておらず、ましてや曇天のこの日は薄闇が訪れるのが早かった。が、土曜日のせいか、観光客の人影が数多く見られた。


 人影を縫うようにして坂を下った繭美は、この日も飯田橋駅でJRに乗り込んで御茶ノ水へ向かった。
 八名瀬とのことは遅かれ早かれ近隣の噂になるはずである。ならば人目を気にせず神楽坂まで迎えに来てもらえばいい。そう思わないでもなかったが、八名瀬との最終的な合意が出来るまではと思い直して、今まで通りの場所で待ち合わせることにした。


 JRを御茶ノ水駅で降りて聖橋のたもとに着くと、約束の刻限前なのにもう見慣れたベンツがハザードランプを点滅させて待っていた。繭美が歩み寄るのと同時に運転席から降りてきた吉村達也が、いつものように後部座席のドアを開けて乗車を促した。が、その顔に疲れとやつれが出ているように繭美には見えた。

「吉村さん、どうかなさったの? お顔の色がよくないみたいですけど」

「いえ、何でもありません。少し風邪気味なだけですから」

「そうでしたの。申し訳ありません、体調が優れないのに迎えに来ていただいて」

「ご心配なく。これも私の大事な仕事ですので」

 いつもとは違うかすれ声の吉村は、その後は無言で、小石川へ向かってひたすらベンツを走らせた。バックミラーに映る吉村の頬がいつになく強ばっている。
 その緊張した顔の表情が苦渋に満ちていた。繭美は、吉村が今日という日がどんな日なのかを知っているのだと思った。


 吉村が以前から自分に好意以上のものを抱いていることは知っていた。繭美自身も吉村に好感を持っていたし、『はなむら』の調理場に立つ吉村とにこやかに言葉を交わす自分の姿を想像したこともあった。
 しかし、仮にそれが自分の望む未来であったとしても、今はもう叶うことのない淡い夢の一つに過ぎない。繭美は車窓を流れていく夕暮れ時の街をぼんやりと眺めた。




 午後五時過ぎ――。
 夕闇が次第に濃くなってくる中をベンツが『けやき屋敷』に滑りこむと、八名瀬が玄関先に出て首を長くして待っていた。

「あけましておめでとうございます」

 車から降りた繭美は、柔らかく腰を折り曲げて型通りの挨拶をした。が、喜色満面で迎えた八名瀬の方は、新年の挨拶はそっちのけにして、これがあの狡猾非情な高利貸と評されている男かと目を疑うほど裏表のない明け透けな態度を示した。

「よく来てくれたなあ。どれほど待ちわびていたことか、この時を……

 いきなり心情を吐露(とろ)した八名瀬は、珍しく吉村に「寒い中をご苦労だったね」とねぎらいの言葉をかけた。そして、寸時を惜しむように繭美の手を引いて玄関を上がると繭美の肩に手を廻し、割れものに触るようにそっと抱き寄せて長い廊下を蔵座敷へと向かった。

 無邪気な子供のように振る舞う八名瀬に呆気(あっけ)にとられた吉村は、屋敷の奥へと消えていく二人の後ろ姿を呆然と見つめていた。が、ハッと我に返ると、嫉妬心の混じった複雑な表情を顔いっぱいに浮かべて離れの自室へと戻っていった。

 戸外は急速に気温が下がってきたらしく、庭の所々に立つ常夜灯の淡く黄色い光が寒さに震えている。母屋と南蔵をつなぐ渡り廊下も冷え冷えとしてきていた。二人は足許にからみつく冷気を払うようにして蔵座敷に移った。

 エアコンに暖められた居間に入ると、繭美は背筋がすっと伸びるのを感じた。ホッとひと息ついて座卓を間に八名瀬と差し向かったが、何やら落ち着かない様子の八名瀬は繭美の顔をチラチラと窺い見るばかりでなかなか言葉を発しない。

 八名瀬は、今の繭美の立場では自分のプロポーズを断れるはずがないと思う一方で、やはり親子ほどの年齢差がどうしても気にかかっていた。八名瀬ほど老獪(ろうかい)な男でも惚れた弱みが不安感を掻き立てている。

「八名瀬さん、わたしの顔に何かついてます?」

 繭美がそう問いかけてはじめて八名瀬は口を開いた。
「いや、そういうことじゃないんだ。いよいよ繭美の返事を聞く段になったものだから妙に緊張してしまってねえ。いやはや、いい歳をして恥ずかしい限りだ、あははははは」

 一抹の不安があることを率直に認めた八名瀬は、笑うことで落ち着きを取り戻したらしく、いつもの高利貸の顔に戻ってプロポーズへの返答を繭美に求めた。

「それでどうなんだい、私の妻になる決心はついたかな?」

 八名瀬は身を乗り出して返答を迫った。が、繭美はその八名瀬をやんわりとかわした。

「その前に八名瀬さん、確認させていただきたいことがあるんですが……

 ひと月前に八名瀬が提示した条件のことだった。
 それは、繭美が八名瀬の妻になることによって『はなむら』の八名瀬からの借金がすべて棒引きになり、繭美自身は今まで通りに若女将を続けられるという内容である。


「あの約束は守っていただけるんですよね」

「勿論だ。世間でどう言われていようと、私は何事にも律儀であることを信条としてきた男だ。約束を守らなかったことは一度もない。そんな私が、惚れた女にした約束を反故にするようなことは絶対にない。だから、早く返事を聞かせてくれないか」

 胸を張って見せた八名瀬の細い目の双眸には不安の色がかすかに浮かんでいる。以前の八名瀬なら「断りの返事なら酷い目に遭うぞ」という目付きをしたはずである。しかし、今の八名瀬は違った。それを見てとった繭美はにっこりと微笑んだ。

「わたし、あなたの、八名瀬さんのお嫁さんになります」





               


 その夜繭美は、八名瀬が一流ホテルの有名店から取り寄せたという懐石料理を愉しみ、いつもの八名瀬専用のお風呂で清めた身を夜具にすべり込ませた。


 先にシャワーを浴びて待っていた八名瀬は、繭美をその胸に抱きしめ、耳元で囁いた。

「繭美。今夜は久し振りに縄を使ってもいいかな?」

「ええ。あなたがそうなさりたいのなら構いませんわ」

 八名瀬の妻になるということは八名瀬の緊縛(きんばく)嗜虐(しぎゃく)嗜好(しこう)を受容することでもある。そのことは充分承知していたし、すでに被虐官能の快美感を覚えてしまった繭美には素肌に縄をかけられることへの抵抗感はなかった。

「お前がそう言ってくれると私も嬉しいよ。じゃ、ちょっと待っててくれ」

 掛け布団を横にずらした八名瀬は、すっと立ち上がると、床の間脇の戸棚から縄の束を持ち出したきた。

「今夜はこれで婚約祝いの縄化粧をしようか」

 繭美の目の前に八名瀬がかざしたのは真紅の縄だった。

「これはね、今日の繭美にと思って特別に(あつら)えた絹の縄なんだ。言うまでもなくお前は美しい女だが、この赤い縄をまとえばもっと美しくなるはずだよ。さ、立ちなさい」

「はいっ」と素直に答えて夜具の上に立ち上がった繭美は、寝巻き代わりの浴衣を脱ぎ落とし、露わになった胸に両手を交差させて熟した乳房を覆い隠した。

 見事に均整の取れた雪のように白い肢体は腰に和服用のショーツを残すのみである。その立ち姿はいかにも色っぽく、八名瀬に生唾を呑みこませた。

「繭美。その腰のものも脱ぎなさい」

 促がされて無言でうなずいた繭美は、腰を屈めながら両手でショーツの端をつかみ、ムチムチとした真っ白い太ももから下へ滑らせると、細い紐のようになったショーツを足首から抜いて横に置いた。そして、その場に再び立ち上がると、胸乳を覆っていた優美で伸びやかな腕を静かに後ろへ廻して左右の手首を背中の中ほどで交差させた。

「それじゃ、縄をかけさせてもらうよ」

「はい」と小声で答えた繭美が自ら重ね合わせた両手首に巻きついた真紅の絹縄は、引き絞られるときゅきゅーっと鳴いた。

 両手首を縛り終えた絹の縄は、背中を駆け登ってすでに桜色に染まっているうなじの上で一旦結ばれ、左右の首のつけ根を挟み込んで前に廻った。ささっと繭美の前に移動した八名瀬は、鎖骨の中央で結んだ真紅の縄を胸前で揃えると間隔を違えて三つの結び目を作り、その下に大小二つの縄のコブをこしらえた。

(ああ、今夜も……)
 さっと顔を赤らめた繭美は薄く目を閉ざした。

「股を少し広げてくれないか」

 八名瀬の指示を耳にして足の(かかと)を左右にずらした繭美は、吸い着くようにねっとりと白い太ももの間をゆるめた。

 幾つもの結び目を施された紅い縄は、むちむちと白い太ももの隙間をくぐり、尻の双丘の狭間を伝い登って手首の縄に結び止められた。が、まだたるみがあり、緊縛感はない。

 うなじにかかる縄に結ばれた二本目の紅い縄は、ふた手に別れてしゅるしゅると左右の腋の下をすり抜け、鎖骨のそばの結び目のすぐ下で縦の二重縄を左右に広げて背中に戻った。そして、肋骨の上部から再び前に廻り、胸の谷間に近い結び目の上の縦縄を左右に引き広げて後ろに戻り、肋骨の下部を通って乳房の下に垂れている縦縄を引き広げた。
 からだの前面に垂れている
二重の縄が引き広げられていくにつれて柔肌が次第に強く緊めつけられていく。

 繭美は声を立てないよう口を真一文字に結んでいたが、つい「うっ」と小さく呻き、ついつい「はあっ……」と感情が昂ぶり始めたことを示す声を洩らした。

 真紅の絹縄はさらに脇腹の前後を何度も往復して、瑞々しく熟れた二つの白い乳房と形よく窪んだヘソを取り囲んでいった。
 恥骨の脇を走った縄が上から三番目の結び目とコブ状の結び目の間の縦縄を引き広げると、剥き出しにされた女陰の花唇に縄のコブがもぐり込んだ。
 その瞬間、繭美は「ああっ」と小さく叫んで唇を噛み締めた。最後の縄のコブが微肉の筒口に
をすると、「イヤっ」とかすかな声を出して顔を左右に振り、「ああ……」と縄をまとった全身をくねらせた。

 その繭美の前方に姿見を立てた八名瀬は、縄化粧の終った繭美の両肩を背後からつかんで鏡に正対させると、耳元で囁くように言った。

「さ、よく見てごらん。とても綺麗だろう? これは亀甲(きっこう)縛りといってね。繭美のようないい女をますます美しくする縛り方なんだよ」

 そう聞いて繭美は、伏せていた顔を恐る恐る上げて姿見を覗いた。鏡の中にくっきりと浮かび上がった繭美の裸身には亀の甲模様が縦に三つ描かれている。からだのラインのメリハリを強調する紅い縄と白い肌のコントラストが鮮やかだった。

(綺麗だわ……)

 繭美は、鏡の中から見返す亀甲縛りをほどこされた女の妖艶さに思わず見惚(みと)れ、からだの芯が燃えてくるのを感じた。

これが今のわたしなのね。でも、本当のわたしは……)

 妖艶さとは縁遠いはずだと思った繭美の、紅い縄に絞り出された真っ白い乳房を八名瀬がいきなり鷲づかみにした。

「あっ。ま、待ってっ」と振り向いた繭美を懐に引き寄せた八名瀬は、仰け反る繭美の口を塞ぐように自分の唇を重ねると、ちゅうちゅうと音を立てて紅唇を吸いながら片方の手で柔らかな乳房をゆっくりと揉みしだいた。

「んっ、んんっ、んふっ」

 八名瀬の舌を口中に導いて吸い返す繭美は、まもなく甘い鼻声を洩らし始めた。弓反りになった緊縛裸身をさも切なげにくねらせ、紅い縄が白い肌に描いた亀甲模様を縦に横に伸び縮みさせる様はすでに被虐官能の甘美感に浸っていることを物語っていた。

 八名瀬は、感情の昂ぶりとともに腰が砕けていく繭美を抱きかかえるようにして夜具に横たえ、その上に覆い被さっていった。

 夜が更けるに連れて戸外は深々と冷え込んでいき、宵の口から降り始めた雨は雪に変わっていた。あたかも心の中に雪を積もらせようと決めた繭美の思いを叶えるように、夜半の雪は次第に勢いを増していった。


                                               つづく