鬼庭秀珍 『贋作・お柳情炎』 


      第十二章 無情の宣告

 

「これを着けりゃ何もかもさっぱり忘れられるだろう。なっ、お柳。たっぷりと愉しんでもう二度と悪い了見なんざぁ起こさねえことだ。分かったな」

またもおぞましい陰核責めの秘具を装着されたお柳は、最も刺激に敏感な女肉の芽にかけられた銀環がからだの奥から引き出す妖美な快感に翻弄され、女である身の哀しさを恨めしく思いながら被虐官能の渦の中で一晩中悶え泣いた。

長く狂おしい一夜が明けた――。

女の急所を嬲り続けた責め具を外され後ろ手縛りの縄もほどかれたお柳は、石牢から這い出ると、妖しい官能の火がくすぶるからだをその場に横たえて荒い息を繰り返した。そのお柳の両手を前で揃えて縛って両手を挙げさせ、縄尻を柱につないだ耕平と三郎が汗と脂と蜜液に塗れた裸体を拭い清めていく。勿論、いつもの肌嬲りをしながらである。

「ねえ、お願い、悪戯はやめてっ。あたしを少し休ませてっ」

「いいじゃねえか、ほら、からだの方はひくひくして悦んでいるぜ」

「違うわ、今は辛いの。だからお願い」

 お柳がいくら頼んでも耕平も三郎も聞き入れようとはしなかった。むしろいつもよりしつこくまとわりついた。二人は透きとおるように白いお柳の肌を散々嬲ってから、「今日も店に出なくていいぜ」と告げると、再びお柳を石牢に閉じ込めて土蔵から出て行った。

幸いに縄はかけられず、手足を伸ばして休息出来ることをお柳は嬉しく思った。しかし、女郎たちが暗闇牢と呼んで恐れている石牢は、三日も押し込められたら気が変になると言われている。その石牢の中にお柳は囚われて二十日余りの間は毎晩放り込まれた。ただお柳の場合、最初の頃は女の急所に嵌め込まれた銀環に嬲られ続けていたために闇の恐怖を感じる暇もなかったし、自然と馴れのようなものができていた。

 その後、生身のからだに五つの飾り環を着けられてからは手前の格子牢に移されていたが、なぜか二日前から石牢へ戻され見世物女郎の仕事もしなくてよくなった。お柳としては、下芸披露と接客に追い使われるよりもむしろ暗い場所にじっとしている方が気も安らぐ感じがあった。



同じ頃、紅屋の離れにある地下牢を矢島組幹部の岩田源太郎が訪れていた。そこには薬行商人の三平こと三田村平治が下帯一枚の裸同然な姿で閉じ込められており、彼に矢島の身内になる意思があるかどうかを問い質すためだった。

「三平、よく聞けよ。まだおめえが沢村の密偵じゃねえと決まったわけじゃねえが、おめえが矢島の身内になってここに留まるのなら解放してやってもいいと親分が言ってなさる。どうでえ、薬売りを辞めて身内になると誓えるかい?」

「私がこちらのお身内にですか? 前にお話しした事情もあって、今の商売を辞めるには一度富山に戻って色々手順を踏まなきゃならないのですが、それはどうなるのでしょう?」

「身内になるのが先だ。そうでなきゃ無事には帰れねえと思うぜ」

「そうですか……。兄さん、親分さんは私にどんな仕事をさせるおつもりなのか、ご存知ですか?」

「まずは紅屋の女郎たちの管理と躾だろうぜ。組の仕事はそれからってことらしいや。身内になると決まったら三四日は誰か二人ほどが付き添って宿場外れの温泉場で傷んだ体の養生をさせろとも言ってなさる。どうでえ、いい親分だろう?」

 そこまで聞いて平治は(しめた!)と思ったが、勿論、顔には出さない。安堵と喜びの表情を浮かべて見せながら、(この脱出の好機を逃してなるものか)と腹を括った。

「そこまで考えていただけるとは思いも及びませんでした。そういうことでしたら覚悟を決めます。富山で待つ母や親戚の人たちには申し訳ない思いもありますが、薬売りの仕事はやめてお仲間に入れてもらいたいと思います」

「三平、それは本心だな、嘘偽りはねえだろうな?」

「勿論です。この数日、私もあれやこれやとずいぶん悩みました。いっそのこと殺してもらいたいと何度も思ったものです。しかし、よくよく考えてみると、年中旅から旅への仕事よりは一か所に腰を据えてする仕事の方が楽なのは確かです。親分さんが私を買ってくださっているのなら、是非ともそうさせていただきたいと思います」

「それじゃあ矢島の身内になるときちんと宣言しな」

「はい。本日只今、私、村田三平は薬の行商を辞めて矢島組の皆さんのお仲間に入れていただきます。これからはよろしくご指導ご鞭撻をいただきますようお願い申し上げます」

「よしっ、決まった! これでおめえも晴れてお天道さんを拝めるぜ」

取り上げられていた衣類を返された平治はそれをまとって身支度を整え、小一時間の後、源太郎に伴われて親分の辰造に挨拶をすませた。
 そして昼になる前に、紅屋の牛太郎二人に前後を挟まれて宿場外れの温泉場へと向かった。そこは、大胡宿から徒歩で二時間あまりを要するところであり、ひと月ほど前にお柳が偶然に仇敵の木崎耕平を見かけて討ち果たそうとしたものの寸手のところで取り逃がした場所でもあった。

道すがら平治は、よろけて見せたり一休みを申し出たりして著しく体力を消耗している風を装い、見張り役の二人の油断を誘った。温泉場に着き次第牛太郎二人を片付け、夜陰に紛れて大胡へ戻ってお柳救出の機会を窺うつもりだった。

 

平治たちが大胡宿を出てまもなく紅屋に面相の悪い屈強なヤクザ者七人が到着した。辺りを睥睨するかような彼らの尊大な態度は目立った。
 紅屋そのものが矢島組の親分辰造の持ち物だったから組のヤクザ者が出入りするのは珍しくないが、普段彼らは堅気の衆に遠慮して目立たないようにしている。だからこの見慣れない連中は矢島の身内ではない。大胡から遠く離れた渋川を縄張りにしている黒川組の幹部たちだった。親分の黒川泰三は矢島辰造が七年前に死別した妻の兄である片桐六助の幼馴染みでもある。
 その黒川の幹部連中が二階の広間を占領して真っ昼間から宴会をはじめていた。

辰造の指示で客は入れないことにした紅屋では、彼らを下にも置かない饗応をしているのだが、その我が儘で粗暴な振る舞いには最初から困り果てていた。何であれ彼らの要求には平身低頭して応じているのに様々な難癖をつけられる。女中たちは脅されて泣きながら逃げ返ってくるし、男衆も皆が顔を青くして恐怖に身を震わせていた。

無理もない。渋川の黒川一家といえば子分の数も矢島組の倍以上おり、同業のヤクザたちが一目おく乱暴で喧嘩好きな荒くれ者が揃っていた。となれば、親分の黒川泰三の悪さ加減は言うまでもなかろう。
 その親分はまだ姿を見せていないが、ワルの中でも筋金入りの連中が先乗りしてきているので、矢島の子分たちは彼らと不用意に顔を合わすのを避けている。他所の組の幹部が揃って紅屋に入ったのは初めてのことだったし、近々ヤクザ同士の出入りが起きようとしていることは誰の目にも見て取れた。それだけに紅屋で働く者たちは男も女も皆ぴりぴりしていた。

昼間から始まった彼らへの饗応は喧嘩の加勢への返礼の一つだったが、それにしても連中の威張り様、荒れぶりはひと通りではなかった。酒と馳走だけでは満足せずに女を連れて来いと言っていた。それも普通の女郎や酌婦ではなく「女侠客だった女」を要求していた。
 連中は矢島組の手に落ちたツバメ返しのお柳が卑しい女郎に堕とされていることを知っていた。黒川泰三に助太刀を承知させるために片桐六助が打ち明けていたのである。

「矢島の客分なら別だが、女郎に成り下がった女を何で俺たちの供応に差し出せないのだ」というのが彼らの言い分だった。

彼らの執拗な要求には別の背景がある。お柳と黒川泰三との悪縁は矢島辰造との因縁より古く深かった。
 五年前に高崎進出という黒川の野望を粉々に打ち砕いたのがお柳であり、その時に命を奪われる寸前までお柳に追い詰められた泰三は、ほうほうの体で渋川へ逃げ帰っていた。以来泰三は、お柳の名前を聞いただけで震えが来るほど恐れているが、それだけ憎しみも激しかった。
 そのツバメ返しのお柳が矢島組の手に落ちて縄付きの裸女郎にされていると知った泰三は、ようやく長年の恨みが晴らせると小躍りして喜び、二つ返事で喧嘩の助太刀を引き受けたのだった。その親分と同じ思いの幹部連中がお柳に酒席の供応をさせることに執心するのは当然とも言えた。

入れ替わりに若い酌婦が何人も行くけれど、何が気に入らないのかすぐ蹴り出されて泣いて戻ってくる。それで女将の和枝が恐々と二階へあがって彼らの真の要求を聴いてきた。「お柳でなければダメだそうですよ」

「畜生め、無理難題をぶつけてきやがる!」

お柳を連中の好きにさせたくない矢島辰造は、自分がお柳に無理難題を押し付けてきたことは棚に上げて憤った。

お柳は紅屋の女郎の中でも特別な女郎なのだ。特別といっても、亀甲縛りにされたあられもない裸で卑猥な下芸を披露して宴席の座興を勤め、嗜虐を好む特殊な客の要望に応え、縄をまとったまま客の枕頭にはべる最下等の見世物女郎だ。だから建前上は黒川衆のような格の高い客には出せない。それに黒川泰三が到着する明日の昼には仕置きされる身でもある。そのお柳を荒れ狂う彼らの嬲りものにさせるのはさすがの矢島辰造も気が引けた。

頭を抱えた辰造だったが、本隊がまだ到着していない今、要求を撥ね退けると黒川衆は引き揚げてしまうかも知れない。
 しかも、連中が到着するのと相前後して、辰造の時間稼ぎに気づいたらしい沢村一家から「明日の正午を返答の最終期限とする。女と先代親分の仇二人を渡すつもりがないのなら実力で奪う」という書状が来て、明日の午後以降はいつ喧嘩になってもおかしくない状況になっている。
 結局、彼らの要求に応じるほかには致し方がないと判断した辰造は、その前にお柳に引導を渡すことにしたのだった。

 

昨日のこともあって辰造は、耕平と三郎ではなく、色事師夫婦の沢渡健次と桃子にお柳を連れて来るよう命じて土蔵へ向かわせた。

捕らわれた当初のお柳の抵抗は激しく、そのために眠る時も裸のまま縛られていたのだが、後ろ手に縛り上げるのに男二人がかからなくてはならなかった。しかし、苛烈な色責めと健次夫婦による色道調教の効果か、今はすっかりおとなしくなって、縄をかける時も素直に両手を後ろに廻す。加えて局部に刺青を彫り女の恥部に飾り環を嵌め込んだことがさしものお柳も毒気を抜いたようだった。勿論、いつも辰造が楯にとる人質の美津の存在が彼女の心身を縛っていることは間違いない。

健次と桃子は、渡された鍵で土蔵の扉を開け、昼間もひんやりする土蔵に入った。ここで責め殺された女郎たちの怨念が薄暗い空間を漂っているようで、元々気の弱い健次は身震いを抑え切れない。桃子も同様で青白い顔になっている。しかも当のお柳はここですらない、さらに奥の石牢に閉じ込められているのだ。

滑車の鎖をカラカラ手繰って石牢を塞ぐ分厚い嵌め板戸を上げると、薄明かりが差し込んだ内部で白い生き物が顔を上げた。
 健次と桃子は一瞬ゾッとしたが、それは紛れもなくお柳だった。素っ裸で閉じ込められていたお柳は、命令を待たずに自分でゆっくりと石牢から這い出てきた。が、引き出しに来たのが耕平と三郎ではなく健次と桃子なのを知ってちょっと驚き、床に座るとすぐに顔を伏せて身を小さくすくませた。

その横顔に憂いを含んだ哀愁が漂っているのを見て、抵抗する意思はまったくないと判断した二人はいきおい強気になった。

「悪かったねえ、期待はずれで。耕平さんも三郎さんも忙しいから私たちが来てやったよ」

底意地の悪い桃子は同時に二人の男を夫としてからだを許しているお柳の淫乱さを遠回しに揶揄した。勿論お柳が望んだことではなく強いられているのだが、お柳が素直に応じていることで皆の噂になっていた。

口惜しさが胸にこみ上げてきたお柳だったが、余計なことは言わないで置こうと考え、「ご苦労様です」と穏当な言葉を一言返した。

今のお柳の立場では逆らって得になることはない。昨夜の激しい房事とその後の陰核責めの残滓が今もからだのあちこちに残っていて、他人にそれを感づかれるのが辛いということもあった。桃子もそれに気づいたようで最初の一言以外は何も言わなかった。

お柳とこの二人の因縁も浅からない。壷振り師時代の健次のいかさま賭博を暴き、その直後の諍いの弾みで彼の片目を失わせたのがお柳だった。
 以来、働き場を失って色事芸人に身をやつした彼ら夫婦はお柳をひどく恨んでいた。お柳の調教係として紅屋に招かれてからは何かにつけて抵抗出来ないお柳を虐めいたぶり回し、辰造と和枝の要望に応えて自分達の下司な芸をより卑猥なものに変えてお柳に無理やり教え込み、宴会に引き出してそれをやらせて恥まみれにして溜飲をさげた。
 が、桃子はまだ不満を抱いていた、最近はお柳の方が桃子より筋が良くて美人だと評判だからである。嫉妬深い桃子は夫の健次とお柳の仲も疑っており、いずれ何か理由をつけて手の爪の何本かを剥いでやろうと思っていた。

今なお恨みと憎しみに凝り固まっている二人は、お柳のしおらしい姿に含み笑いをした。

「以前はここで必ずひと悶着あったのに、つばめ返しの姐さんもずいぶん素直な女になったものだ」とお柳の変化に感心して見せた健次が言葉を継いだ。「ところでお柳、親分がお前に用があるから連れて来いと言っておられる。さあ、両手を後ろに廻しな」

そう命じた健次が後ろに回って麻縄の束を捌きはじめると、お柳は切れ長の美しい双眸を閉ざして頭を垂れ、しなやかで白い左右の腕を静かに後ろに廻して華奢な手首を背中の中ほどに重ね合わせて縄がけを待った。

亀甲縛りの縄をかけはじめた健次だったが、縛り慣れていないので時間がかかる。傍らの桃子は好奇の目でお柳の両乳首についている金環を引っ張ったり、指先で弾いたりした。金環は乳首に懸かっているのではなく根元に穿った孔に縫われている。

焼いた錐でその敏感な部分を貫く時のお柳の覚悟を決めた静かな表情には、立ち会った辰造も唸った、屈強な男でも悲鳴を上げて失禁するほどの痛みがあるのだから。勿論、お柳の苦痛は言語を絶した。後になってお柳は何度これを引きちぎろうと思ったか知れない。が、金工師の手を借りなければ一生これを外すことは出来ない。

「ふふっ、可愛いじゃないの」

桃子のあざとい笑い無視して、お柳は冷ややかに言った。

「褒めていただいてありがとうございます」

ヘソに着けられた環もまたお柳を苦しめた。様々な飾りが着装されて好奇の目を集め、時には紐や細い鎖で陰唇の環に繋がれもした。羞恥心を煽り、自尊心を打ち砕くのだ。

桃子は初めて目近に見る下腹部の刺青に見とれながら陰唇の左右に嵌め込まれた金環いじろうとして、お柳の声に顔を上げた。

「今日はからだを拭いていただけないのですね」

桃子に笑われても仕方がないと割り切ってお柳は言った。昨夜石牢に押し込まれる前に男二人が存分にされたからだが臭うのである。いつもは三郎が濡れた布で前夜の汚れや寝汗を隅々まで拭ってくれる。お里が代わりの時は髪を洗ってくれることもある。

「ふん、恥知らずのお前でも気になるのかい。なあに気にすることはないさ。お前の体臭は男の気を引く匂いだよ、ねえ健さん。それにしても、下の毛は生えないのかい?」

女の恥部を覆い隠していた繊毛の茂みは三日毎に剃り上げられている。そこに彫られている黒蛇の刺青が金環とともにお柳の雪のように白い裸体の新奇な魅力にもなっていた。

桃子が執拗にお柳を言葉で嬲ったが、お柳は反応しない。黙りこくって、生々しい臭いのするからだで人前に出なければならないことに胸を痛めていた。健次の方はお柳の艶かしい肉体に催して閉口している。が、そばに桃子が居る手前いつもの芸の調教の時のように余り露骨に仕掛けるわけにもいかず、荒くなりがちな息を抑えてともかく亀甲縛りの作業を終えようとしていた。

「親分はざっくばらんな人だ。多少体が臭くたってどうってこたぁねぇよ」

ようやくお柳の後ろ手高手小手の亀甲縛りを終えた健次はそう言って立ち上がると、縄尻を引き上げて「さあ、立ちな」とお柳を促した。

 


桃子が先導し健次が縄尻をとってお柳を追い立てていく。紅屋の本館には客の姿はないものの誰もが忙しそうにしていて、出くわす女中も少なくない。その日常風景の中を、重罪人さながらに真っ裸の肌身を雁字搦めに縛られたお柳が歩んでいった。

最初の頃は消え入るように身を縮めて廊下の隅を歩いていたものだが、今は顔を上げて前を見つめながらゆっくりと歩む。慣れと諦めもあったが、何よりも卑屈になることだけはしたくないお柳である。だから、好奇や蔑みの視線を気にすることもせず、目が合った客には目礼も欠かさない。
 その平然とした態度が無礼であり、恥じ知らずにも程があると嘲る女も多い。からかったり剥き出しのからだを触ったりする男もいるが、逆らわずに為されるままになっている。が、この日はなぜか客の姿がまるでなかった。

(どうしたのかしら、何だかおかしいわ)

店の男衆や女中たちの態度もいつもと違っていた。初めてここをこの惨めな姿で歩いた時と同じような視線を注いでくる。互いに交わす短い会話もひそひそ話もすべて自分に関することのように思えた。お柳は軽い胸騒ぎを感じながら歩き抜けていった。

お柳が連れられて行った先は紅屋本館奥にある辰造専用の広い和室だった。和枝と組の幹部は入れても女郎は入れない紅屋の最も贅沢な部屋である。まず桃子が腰を落として襖を開けて挨拶し、健次が先に入ってお柳を引き込んだ。恨みをぶつけるような健次の邪険なあしらいもあって一旦立ち竦んだお柳だったが、思いなおして敷居を跨いだ。

矢島辰造は入ってきたお柳をいかにも不快そうな眼差しで見た。左右に居流れているのは代貸しの大崎寛治に岩田源太郎など幹部が六人、他に耕平と三郎の顔もあった。
 何やら深刻な問題が話し合われていた様子で、裸のお柳を見てもいつもの下司なからかい言葉を飛ばす者はいない。空気がピンと張りつめていて、並みの女郎なら表情の硬い悪面相の男たちに怯えて腰を落とすところだ。
 もっとも、彼らが淫蕩な目つきで亀甲縛りの緊縛裸身をしげしげと見つめるのはいつもと変わらない。そのじっとりと絡みつく淫らな視線に慣れているお柳は、何ら恥らう様子も示さず、襖の前に佇んだまま目線を下げた。

健次と桃子が出て行くと、辰造がそばに来て座れと命じた。お柳は向かい合う男たちの好奇の視線が至近距離から注がれる中をゆっくりと静かに歩んだ。お柳の裸身は装飾が多く、左右の乳首とヘソと股間の陰唇に金環が嵌め込まれている。それに局所には黒蛇の刺青がある。それらを珍しいもののように首を伸ばして見つめる者もいて、お柳は恥ずかしさよりも辛さを感じた。

床の間を背に胡坐をかく辰造の正面まで進んだお柳はその場に腰を落とし、なるべく股間が隠れるように太ももをすぼめて正座した。
 そのお柳の胸から下に好色な視線を注いでいた辰造は、禿げ上がった頭に冷たく刺すような視線を感じてあわてて顔を上げた。

えへんと咳払いをした辰造はお柳を睨み、顔を伏せて恭順の姿勢をとれと目顔で命じた。が、戸惑い露わだった。辰造は、昨日見たばかりだというのに、数日ぶりにお柳を見たような感覚に陥っていた。それだけ今日のお柳が新鮮に見えていたのである。

(畜生め、ちょっとばかしやつれはしたが、惚れ惚れするいい女じゃねぇか……)

化粧気のまったくない顔が妙に艶めいて見えるのだ。厳しく縄がけされて何をされようと逆らう事の出来ない身でありながら開き直れる、お柳という格別な女の凄みを辰造は感じた。
 普通の女郎の一年分をゆうに超える恥辱と苦難をこのひと月で受けたお柳のからだと心は、退廃して崩れることもなく、むしろ魅力を増して生き生きとしている。着けた当初は異様に感じた金環も禍々しい図柄の刺青もそれなりに似合って、並外れて均整の取れた優美な裸身に妖艶さを付け加えていると思った。辰造の心は暗く躍っていた。

(何てこった、こんないい女を仕置きしなきゃならねえとは……)

未練たっぷりの辰造は仕置きの話をどう切り出そうかと迷っていた。もう一度咳払いをしてからお柳の顔を見たが、言葉がなかなか口をついて出ない。それを見かねたようにお柳が口を開いた。

「親分、あたしにご用がおありだそうですが?」

「おう、それだ。前もっておめえに伝えておきたいことがある」 

「どんなことでしょうか?」

「これまでおめえにはずいぶんと辛い目に遭わせてきたが、もうそれも終わりだ」

「えっ、終わりと言いますと?」

「おめえに関わりのある大事が持ち上がってなあ。沢村の二代目が手下を大勢引き連れて隣の宿場へ入っている。どんな気分だい、それを聞いて。嬉しいかい?」

お柳は口を真一文字に結んでうつむき、何かを噛み締めるように沈黙した。

(お里さんの話は本当だった……。でも、今更どうして私にそんな話をするの? 真意は何なの? もしかしてあたしを解き放すとでもいうの?)

考えに沈んで返事をしないお柳を苦々しげに見つめた辰造が告げた。

「お柳、銀次郎がな、おめえを返せといってきたがわしは断った」

(やはり……。じゃあ、お終いってどういうことなの?)

顔を上げたお柳の表情の変化を探すように見つめながら辰造は話を続けた。

「耕平と三郎もおめえにつけて寄越せとは、わしとしては到底呑めねぇわな。それにおめえもこれだけ恥を晒してきて今更おいそれと銀次郎の前には出られめぇ、そうだろうが?」

「…………」
(そうよ、でも余計なお世話だわ。あたしの軽率な行動が招いたにせよ、理不尽にもここまで無残な生き恥をかかせたのは他でもない、矢島辰造、あんたなのよ)

 心で反駁したお柳だったが不思議に怒りは湧かなかった。平静に辰造の話に耳を傾けた。

「こっちとしちゃあ、用心に越したことはねえ。かねてから誼を通じていた黒川組に加勢を頼んだ。沢村組に貸しがある黒川の親分はえらく乗り気でなあ、今日明日中に五十人余りを送り込むと約束してくれたし、主だった何人かはすでに到着している」

(そうなの、喧嘩がはじまるのね、あたしのために……)

お柳は思わず身が引き締まるのを覚えた。自分はどうすればいいのだろうか。喧嘩は恐くもなければ嫌いでもない。腰が引ける男たちを尻目に常に先頭に立っていたのがお柳なのだ。しかし、今は囚われの身であり、武器どころか手足も自由にならない。

お柳がいかにも歯痒い思いになった時、辰造が低い声にドスを利かせて言った。

「それでお柳……」

「はい?」

「気の毒だが……おめえには、死んでもらう」

(死んでもらう?)

お柳の美しい眉がぴくりと動いた。目を逸らした辰造をキッとねめつけ、皆の目が一斉にお柳に向けられた。が、お柳の表情はすぐに元の穏やかなものに戻った。

沢村による救出という光明が一瞬にして暗転したのだから、普通なら愁嘆場を曝してもおかしくない、悲嘆に暮れて泣き叫ぶはずだ。ところがお柳は無言のまま穏やかな眼差しで辰造を見つめている。二日前からの周囲の不自然な動きがはじめて理解できたのだ。

意外な反応に辰造は、お柳が自分の言ったことが理解出来ていないと思って話を繋いだ。

「いいかお柳。わしを恨むなよ。これは沢村のせいだ、おめえ一人じゃなく耕平と三郎も一緒に渡さなければ退かんという強引さがいけねえ。渡さないなら力づくでも奪い取るとまで言われちゃあ、こっちも後戻りは出来ねえ。返答の期限が明日の正午だ。喧嘩は避けられねえ。それにおめえの仕置きは黒川が言い出したことだ。腕の立つおめえが喧嘩の最中に沢村の手に渡って剣を取って向かって来でもしたら困ると言われる。奪い取られる前にこっちで処分しろ、喧嘩前の景気づけに派手に仕置きしてしまえ、とな」

(そうなのか、あの黒川泰三が……)これもお柳は腑に落ちた。

一方辰造は、そこまで言ってもお柳の表情が穏やかなことを怪訝に思った。死刑を宣告された者の反応として辰造が予想していたものは全く見当外れだった。

(余りの衝撃に何も考えられねぇのか? いや、そんな風じゃねえ。取り乱す気配がまったくないのはどうしてだ? 一体どうなっていやがるんだ、この女の神経は? )

辰造の頭は混乱した。が、いずれにせよ全裸のまま後ろ手に縛り上げられている女に抵抗の術も脱走の手立てもあろうはずもなく、辰造はお柳の心の内を計りかねた。
 しかし、当のお柳は冷静に考えていた。このあたりが並みの侠客とは違うお柳の証なのだろうが、辰造が強引だという要求も沢村にしてみれば当然のことであり、他にどう仕様もないのだろうと思う。結局は両者の間に挟まった自分が犠牲になるよりほかはないのだろうという思いに至ったお柳は臍を固めた。同時にこうも思っていた。

(仕置きされて死ぬということは、侠客として華やかに散れるということだわ)

修羅の道に入ったからにはいつ死んでもいいという覚悟が出来ている。事情がどうであれ仇敵を討ち損じた自分が殺されず、敵の中で生かされていたこと自体が異常だったのだ。恩ある人の一人娘の身を守るために死にたくても死ねなかったお柳は、死ぬより辛い地獄の日々を思い出しながら結論した。

「親分、よく分かりました。このお柳を存分に仕置きなすってください」

きっぱりとそう言ったお柳は観音菩薩さながらの穏やかで優しい笑みを浮かべた。

その笑みの底に凄絶な覚悟が潜んでいるのに気づいた周囲の男たちが皆、言葉を失った。なるほど男の侠客よりも男らしいといわれたツバメ返しのお柳だけのことはあると、この場にいる誰もがお柳の潔さに瞠目した。

「辰造親分。お美津さんを宜しくお願いいたします。それから、あたしが仕置きされたことはお嬢さんには決して話さないでくれませんか。そしてどうか今度こそ、甚三親分の元へ帰してやってくださいな。この通り、伏してお願いいたします」

お柳は後ろ手の亀甲縛りに緊縛された裸身を前に深く折って頼んだ。

辰造は、ここに至っても冷静さを失わず、恩人の娘を心配するお柳の義理堅さと情の深さに改めて驚きつつ、顔を上げたお柳に向かって深くうなずいた。

ホッと事ひと安堵した表情になったお柳はもうひとつ願った。

「親分。これは私事ですが、仕置きに際してはやはり侠客の一人として恥かしくない最期を見せたく思います。白木綿の帷子を貸していただき……」

「お柳、それ以上は言うな。仕置きについてのおめえの希望は黒川に伝えておく」

 辰造は、ここは自分が仕切っていることを思い出してお柳の多弁を抑えようとした。

「いえ、あたしが望んでいるのは、辰造親分、親分の手であたしを仕置きして欲しいということです。今すぐここで仕置きされてもあたしは一向に構わないのですが……」

「何だと、わしに今ここでだと? おめえ、正気なのか。ダメだ、それは出来ねえ!」

明日の仕置きは黒川泰三が仕切ることになっている。今更その約束は破れない。辰造は即座に拒絶した。残虐趣味の黒川泰三は、全裸で大の字磔にしたお柳の股間を竹槍でめった突きにする仕置きをすると言っている。しかし、お柳をそんな極刑に断じる理由は何もなかったし、お柳が願ったように、仕置きは自分たちでするという主張だって出来たかもしれない。辰造は内心忸怩たる思いに駆られた。

このひと月余り辰造は、お柳にいくら無残な仕打ちをしても、身体を傷つけたり殺したりすることまでは考えなかった。
 辰造が行った様々な色責めや恥辱の強制や陵辱はお柳が並みの女だったならとっくに気が触れている過酷なものだったが、自分の手を血で汚すことが辰造は嫌なのだ。そういう意味で辰造は臆病だったし、喧嘩も苦手だった。お柳の仕置きは黒川が発案だけに矢島で勝手に仕置きすれば加勢を断ると言い出しかねない。お柳には不憫な気はするけれど矢島組には関係ないことだと、辰造は自分に言い聞かせた。

「どうしてですか? どうして親分と矢島衆で仕置きをしていただけないのですか?」

食い下がるお柳に、辰造は彼本来の方便と嫌味で応じた。

「わしはな、お柳。おめえが不憫だからこそ出来るだけ長く生かしておいてやりたい。ここで死なせるのは論外だ。なんでそんなに死に急ぐ? 黒川がそんなに怖いのか? おめえ、黒川にどんな恨みを買っているんだ? あいつの手にかかるのが恐ろしいのか?」

「…………」

痛いところをつかれてお柳は言葉に詰まり、辰造の意図の見え透いた言辞に反駁できなかった。言葉の中に辰造の本音も幾分かは含まれていると思ったけれど、それは本心からのお柳に心遣うものではなく、あくまで彼自身の保身のためなのは分かっている。これ以上は何を言っても致し方ない。そう判断したお柳は辰造を直視して言った。

「分かりました。もう我が儘は申しません。どうぞ遠慮なくあたしを黒川に引き渡してください。それと辰造親分には、お美津さんの解き放ちをご決断いただき、ありがとうございました。重ねてお礼申し上げます」

「まあ、礼はいいやな。それよりおめえに頼みがあるんだがな、聞いてくれるか?」

「ええ、今のあたしに出来ることなら何なりと」

それを聞いてホッとした辰造は、彼らしくなく、おずおずと切り出した。

「おめえに最後の仕事をしてもらいてぇんだ」

「仕事と言いますと?」

「実はなあ、お柳。さっきも話したように黒川の先乗りが二三人、すでに二階の宴会座敷に入っている。そこの座興に出てもらいたい。いや、奴ら、おめえを出せと言ってきかねえんだ。なにせ、ツバメ返しのお柳といえば有名だったからな」

「それは昔のことでしょう、今のあたしには関係のない……」

軽くいなしたお柳は、まだ貶め足りないのかというきつい目をして辰造を睨んだ。

「いや、だからな、奴らは今のおめえを見てぇと言っているんだ」

「昔のあたしじゃなく、見世物女郎に成り下がったあたしを見たいと?」

同業の男たちに無残な姿を見られることがお柳にとってどれほど辛いことなのか、辰造も分からないはずがない。黒川衆もそれを承知で強要しようとしているのだ。しかも辰造が遠慮がちに言った二三人どころではない、その倍以上の荒くれ者が待っている。

(酒席に出る以上、ただ眺められるだけで済むはずはない。見世物女郎に零落したあたしを連中はどんな気分で見つめどんなやり方で弄ぶつもりなのか……。明日自分たちの手で仕置きする女だから何をしたっていいと思っているということか……)

矢島一家に囚われの身になって以来受けてきた仕打ちにもまさる凄惨な一夜になることは容易に想像できた。お柳は、しばらく無言で遠い目をした。

仕置き前夜に黒川衆の性宴の生贄ではさすがのお柳も生きた心地がしないだろうと居並ぶ男たちは消沈し、辰造も次の言葉を言い淀んだところに耕平がぼそっともらした。

「おもしろくねぇなあ、黒川、黒川って。それほど奉らなくたっていいじゃねぇですか。奴ら、矢島一家は黒川なしじゃ喧嘩一つできねえって、いい気になってやがるんですよ」

「そうですよ、親分」と三郎が続いた。「親分、お柳は明日には仕置きされる身ですぜ。せめて今日一日くらい、ゆっくりさせてやっちゃぁもらえませんかねえ」

「何だとー! もういっぺん言ってみろ! おめえら、いつからわしに意見するほど偉くなったんだ? 大崎、源太! 黙っていねぇでこいつらに何か言ってやれ!」

即座にいきり立った親分の剣幕に皆が一度に黙り込んでしまった。大崎も源太郎も親分の甥の耕平はきつく叱れなかったし、耕平たちの言い分も一理あると思いお柳に同情していた。が、親分に異を唱えて意見するほどの根性はなかった。
 大崎たちは黒川組の強さ怖さを耕平や三郎よりも良く知っている。連中に刃向かえるはずもない。可哀そうだがお柳の体一つで矢島一家がいい顔をできるのなら、その現実感覚に乗っかるつもりだ。源太郎が控え目に言った。

「耕平さんよ、そうはいっても黒川の連中にものが言えるわけがねぇだろう。これは親分が決めなすったことだし、この際お柳には最後のひと働きして貰おうじゃあねぇか」

耕平が源太郎に向かって不満そうな顔をしたのを大崎が半ば冗談めかしていなした。

「何でえ、お前ら、お柳と夫婦になったのをいいことに毎晩ゲップが出るまでやりまくって情が移ったようだが、何よりも親分と組内の大事を考えるのが先だぜ、なあ」

二の句が継げず下を向いた耕平と三郎を、険しい目になった辰造が質した。

「道理で妙なことを言い出すはずだ。おめえらに夫婦契りをさせたのはわしだが、それはお柳の面目を潰すための形だけのものだ。宴席の見世物で気を入れるのはまだしも、それを毎晩三人で好き放題にやりまくっていただと! 許さねえ、商売ものに手を出すのはご法度だってぇのがわからねぇのか! 次第によっちゃぁ二人とも指を詰めさせるぞ!」

「ひいっ!」と三郎が首をすくめ、萎れた耕平はいよいよ身を縮めてブルっと震えた。

お柳は二人が可哀想になった。確かに彼らはお柳の肉体をよく貪ったが、それをいえば当の辰造とて彼らを責められる立場にはない。それに、いつも男が欲しくなるからだになってしまった自分に責任があるのだとお柳は思った。しかし、そのことは自分の口で言えることではない。

 と、その時、和枝が襖を開けてせわしなく入ってきた。ジロッとお柳をひと睨みしたあと辰造の耳元で何事かを告げ、辰造が皆に苦々しげな顔を向けて言った。

「言わんこっちゃねぇな。女が一人斬られたらしい。お柳、やっぱりおめえでなけりゃあ」

それを聞いてお柳はすぐ反応した。

「構いませんよ、辰造親分。どうせ明日は死ぬ身です。恥を晒し尽くしてきたあたしですが、今日ですべて仕納めにさせてください。まさか、連中も今夜は命までは取りませんでしょう。さあ、このからだ、黒川一家の慰みものにしておくんなさい」

 


                                (続く)