北米報知新聞(NorthAmericanPost)連載エッセイ
      都筑大介 「一言居士のつぶやき」

    第1回 時代狂言の終焉 (2009年7月21日号掲載)



 夏の強い風が半世紀を越えて政権の座にある自民党の足許を揺るがしている。民意が政権交代を求めはじめたのだ。

 経済バブルが破裂して『失われた十年』を経てから今日まで、日本人は(まぼろし)にすがってきたようにボクは思う。
 自民党は森内閣時の2001年に一旦政権の座から降りざるを得ない状況だった。ところが、「変わらない自民党は私がぶっ壊す!」と絶叫して後継の座に就いた小泉さんがその流れを止めた。「改革なくして成長なし!」という掛け声で始まった小泉改革に多くの国民が期待を寄せ、改革に伴う痛みに耐える覚悟をしたのである。


 しかし、ボクは当初からこの小泉改革に懐疑的だった。
 なぜなら、天下り先に税金を垂れ流し続けて国の財政を危うくしている官僚機構にメスを入れようとはせず、看板政策の郵政三事業と道路公団の民営化にしてもその実は官僚たちが得意とする看板の架け替えに過ぎないことが透けて見えていたからである。
 ところが、小泉人気は凄まじく、郵政民営化を唯一の争点に仕立て上げた2005年9月の総選挙に自民党は大勝し、連立与党の公明党と合わせて衆議院の絶対多数を手にした。

 永田町の変人と言われる小泉さんは『時代狂言』の達人である。
 時代狂言とは江戸時代の武士社会を中心とした世相を古い時代に仮託して悪人の陰謀に対する忠臣の苦衷や辛苦などを描いた歌舞伎狂言のことだが、
小泉さんは
『主君である国民に忠実な臣下の小泉は抵抗勢力という悪人たちの陰謀を打ち破るために
艱難(かんなん)辛苦(しんく)している』という日本人が最も好きな勧善懲悪(かんぜんちょうあく)劇を演出し、
 離党した抵抗勢力に鉄槌を下す『刺客選挙』までやってのけた。

 実に見事な狂言回しであり、幻術使いでもあるとボクは思っていた。が、大半の国民は小泉流の目くらましに気づかず、むしろ陶酔して彼を応援した。


 しかし、役者が代わると見る目も変わる。安倍内閣になると小泉改革の負の遺産が声高に語られるようになった。
 ことに2007年夏に参議院での与野党逆転があってからは、隠されていた行政の膿も暴かれ、年金・医療・雇用のセーフティネットがズタズタになったことが深刻な社会問題として浮上してきた。
 小心な安倍さんは体調不良を理由に就任一年で首相の座から降り、リリーフ登板した福田さんも一年後に自分の不人気に嫌気が差して政権トップの座を投げ出し、自民党は「選挙の顔」として麻生さんを選んだ。


 ところが、就任直後に衆議院を解散するはずだった麻生さんは、解散をどんどん先延ばしにして今も総理大臣の椅子にしがみついている。しかも、繰り出す政策は選挙目当てのバラマキばかりで国の将来を見据えたものは何もない。民意が離れていく訳である。

 その麻生さんに、先月、ボクは唖然とさせられた。
 東京都議選に出馬予定の自民党候補を激励に行って、事もあろうか、「必ず惜敗を期して」と演説した。すぐに「必勝を期して」と言い直したが、ついポロリと(大敗だけはしたくない)本音がこぼれたのだろう。
 このところ、どの世論調査も政権交代を望む声が半数を超え、来る総選挙での自民党敗北を示唆している。浮き足立つ自民党内では、我が身を守るために麻生降ろしの動きが表面化し、国民的人気の高い元コメディアンの県知事を選挙の顔として取り込もうとまでする始末だ。
 しかし、そんなことをしても、すでに小泉さんに見せられた夢から覚めた多くの国民の眼は誤魔化せない。政権の座に胡坐をかいて国民生活を顧みなかったツケが回ってきたのだ。

 奢れるもの久しからず。今や自民党政権は風前の灯である。折りしも七月十二日の都議選での与野党の勢力逆転がそれを証明した。小泉さんの『時代狂言』で延命してきた自民党政権は『ドタバタ喜劇』で終焉の時を迎えようとしている。


                             [2009年7月]