北米報知新聞(NorthAmericanPost)連載エッセイ
      都筑大介 「一言居士のつぶやき」

    第3回 産みの苦しみ (2009年9月16日掲載)



 16年ぶりの冷夏の終わりに、熱い民意が政権交代という果実を実らせた――。

 衆院総選挙は民主党が定数480のうちの308議席を占めて圧勝し、自民党は解散前の300議席の約三分の二を失うという歴史的大敗を喫して政権の座を追われた。
 前回の政権交代は、223議席を持つ比較第一党の自民党に対抗して団結した非自民勢力がわずかに過半数を超えて実現したもので、必ずしも民意が反映されたものではなかった。それに比べて今回は、選挙結果が直接政権交代に結びついたのだから意義は大きい。多くの国民は自分の一票が政権の行方を左右することを実感したはずである。

 この選挙では、大半の人が、複雑な思いで投票所に足を運んでいる。「自民党にはいっぱい不満があるが、民主党には不安がある」という心境だったからである。
 しかし、国民はあえて不安な方を選んだ。やりきれない閉塞状況から抜け出すために変化を求めた。

 所得格差は広がるばかり、失業率は戦後最悪、セーフティネットはズタズタ。なのに景気回復のためという補正予算も役人の天下り団体を潤すだけ。
 痛みを国民に押し付けるだけの自民党政権に嫌気が差し、多くの国民は「いっぺん自民党にキツイお灸を据えてやりたい」という思いを一票に託した。それほど自民党への不満は募っていたのである。


 とはいえ、119議席の弱体野党に転落した自民党も、完全に見捨てられた訳ではない。事実、選挙が終わった後の世論調査では、民主党に期待する声が60%台であるのに比べて、自民党の再生を望む声は70%を超えている。

 にもかかわらず自民党は、選挙の「負けっぷり」も酷かったが、負けた後の始末がなお酷い。漢字も空気も読めないマンガ宰相の麻生さんがその元凶である。彼の無神経な言動が支持者の自民党離れを招く引き金になったのに反省は口先だけ。「政策優先でやってきた私の判断に間違いはなかった」と自己正当化を続けている。
 しかも、選挙の翌日に党総裁辞任を表明しておきながら9月末の任期切れまでは務めるというからひと悶着だ。

 この稿が掲載される9月16日の特別国会で首班指名選挙が行われる。当然、民主党の鳩山代表が選出されることになるが、その際に誰の名前を書くかで揉めに揉めた。党再生の議論はそっちのけで「麻生太郎と書きたくない、白紙投票がいい、いや総裁はまだ麻生さんなのだから麻生と書くのが筋だ、それぞれが自分の思った人の名前を書けばいい」と埒もない議論に熱中して、テレビのワイドショーの格好の餌食になった。

 ことほど左様に醜態を晒すばかりで、政権交代を日常的なものにするためにも「自民党の生まれ変わり」を期待している多くの国民を失望させている。

 一方、民主党の方も決して順調な滑り出しではない。参院での議席数が単独過半数に満たないため社民党・国民新党との連立が欠かせないが、その協議がなかなかまとまらなかった。新政権の目玉である「国家戦略局」や行政の経費節減と組織見直しに取り組む「行政刷新会議」はまだその骨格が固まっていない。閣僚や党執行部の人事を巡る争いが水面下で繰り広げられている。前途多難である。

 それを横目に眺める官僚たちは、さすがに狡猾だ。民主党が新政権の産みの苦しみを味わっている隙に、新政権が「子ども手当」や「高速道路無料化」の財源の一部にするつもりの実効性のない補正予算の執行を早めて、次々と「天下り」と「渡り」の駆け込み人事を行った。現行法の下では「先にやった者勝ち」だからである。そのうち鉄槌が下る。


 今回ボクたちは、悩み苦しんで、不安を抱えながら新政権を産み出した。それだけに暖かい目で見守らなければ、と思う。野に下った自民党にも是非「本物の解党的出直し」をしてもらいたいと思っている。それが無理なら、志の高い若手議員たちが党を出て「新自民党」を結成すればいい。そうなればボクだけでなく多くの人がきっと彼らを応援する。

 何であれ、新しいものを創る時には必ず産みの苦しみが伴うものである。このボクだっていつも文章をひねり出す苦しみを味わっている。
 んん? 何だって? 「都筑ぃ、お前の場合は文才の問題だろうが」だって?
 う〜む、そうかも知れん……。



                           [2009年9月]