北米報知新聞(NorthAmericanPost)連載エッセイ
      都筑大介 
「一言居士のつぶやき」

  第6回 必殺仕分け人 (2009年12月16日掲載)



 いつになく風の冷たさが身に沁みる師走である。3年前に16%弱だった日本の相対的貧困率(可処分所得が全国民平均の4分の1未満な国民の割合)が、深刻な不況が続く今年は18%を上回ったと思われる。貧困者の増加に歯止めがかからない。
 国の税収も当初見込みを9兆円も下回り、借金(国債増発)で補わざるを得なくなった。政府は懸命に対策を講じているものの、前政権のツケが大き過ぎて速やかに景気回復とはいきそうもない。


 しかし、そんな中にも希望の光はある。『行政刷新会議』の目覚しい活躍である。

 事業仕分けチームは先月、各省庁が概算要求した来年度予算を構成する約3000の事業のうち447事業の仕分けを終え、約2兆円の予算削減をした。残りの事業もすべて仕分けをすれば、さらに10兆円の削減が可能になる勘定だ。国民の多くが、「よくやった!」と、彼らの努力を賞賛している。公開で行われた仕分け会議の様子がネットで生中継され、会場に詰め掛けた一般傍聴者も9日間で1万6千人を超えた。それほど国民の関心は高い。

 その一方で、仕分けされた側からの批判や恨み節が噴き出した。
 科学技術関連事業の見直し裁定にノーベル賞学者たちが噛みつき、「仕分け人は後に歴史の法廷に立つ覚悟があるのか!」と恫喝まがいの言葉まで飛び出した。
 スポーツ関連補助金の縮減裁定には五輪メダリストたちが「助成金を削る前にどうしたら強くなるのかの議論を」と涙ぐましい訴えをした。
 それをTVが、仕分け人が省庁の担当職員に鋭い質問を投げかける場面とセットで繰り返し放映したものだから、「事業仕分け=横暴」というイメージが出来つつある。


 新聞やTVの大手メディアのスタンスと論調がどうもおかしい。
「1事業1時間の議論で何が分かるのか」と批判的なのである。
 ビジネス世界に身を置いていたボクから観れば、1時間で必要性と有効性を説明出来ない事業は重要度も緊急度も低いし、1時間の議論で何の結論も出せないような事業はそもそもムダなのだ。彼らの批判は当たらない。
 懐かしい『フーテンの寅さん』の台詞を借りれば「見上げたもんだよ、屋根屋のフンドシ」である。偉そうなことを言っても汚れた股が丸見えでは締まらない。
 近頃の大手メディアは大衆迎合が過ぎる、客観かつ多角的な視点と分析能力に欠けている。特にTVがそうだ。


 事業仕分けは、仕分け人と各省庁の担当者が、個々の事業が「そもそも必要なのか」「本来どこでやるべき事業か(国か、地方か、民間か)」を議論し、
「継続・廃止・凍結・縮減・見直し」に仕分け、それぞれ妥当な予算規模を検討する。
 それを公開の場で行うことに意義があり、そこでの結論に基づいて再編成されたものが新しい予算案になる。
 つまり、策定過程を透明化し、予算の最適化を図ることが目的なのである。


 前述の2件について仕分けチームは、予算の相当部分が事業の実施を移管されている特殊法人に天下っている官僚OBの人件費となっていることや助成申請を複数の窓口にしなければならない現行システムの非効率性を洗い出した。その上での「見直し」「縮減」であって、「けしからん!」と憤るのは筋違いだろう。
 ノーベル賞学者や五輪メダリストによる抗議会見の裏にそれを演出した役人たちがいることは、ちょっと考えれば誰にも分かる。そんな稚拙な演出にTV局が、視聴率欲しさにこぞって乗るとは情けない限りだ。


 それはそうとして、二日ほど前の昼下がりにボクはゾッとした。
 ぐうたら亭主と違ってしっかり者の女房殿が、「事業仕分けチームは特別会計予算の仕分けも行う予定」というニュースを聞いてボクを振り返り、「仕分けっていいわね」と意味ありげな眼差しを向けてきたのである。
 我が家の必殺仕分け人が、家計仕分けの次のターゲットとしてボクの小遣いに狙いを絞ったような気がしてならない。
 これは弱ったことになったぞ、う〜ん……。


                           [2009年12月]