北米報知新聞(NorthAmericanPost)連載エッセイ
      都筑大介 「一言居士のつぶやき」

      第9回 回り道 (2010年3月19日掲載)



 3月も中旬――。我が家の前の山桜も蕾を膨らませてきた。もうじき可憐な白い花を満開にしてボクの目を楽しませてくれそうだ。
そして朗報が一つ。今年1月の産業用電気需要があらゆる業種で23か月ぶりに前年を上回り(平均11%増)、日本経済に持ち直しの兆しが出てきた。
とはいうものの、サラリーマンの給与収入は依然として下がり続けており、消費マインドは冷え込んだまま。庶民の財布に春が訪れるのはまだまだ先だ。


 前回このコラムで触れたが、日本はすでに人口減少期に入っている。手をこまねいていると、国の経済力は確実に減退する。その影響に苦しむのはこれから生まれてくる将来世代である。
 このことをボクたちは忘れてはならないし、早急に対応策を講じる責任がある。しかし、残念ながら、今の政治家たちにはその意識が薄いように思えてならない。


 ボクか考える対応策は二つ。一つは国の枠組みを縮小し、例えば1億人規模の社会に合わせていくこと。そしてもう一つは積極的に移民を受け入れることだろう。

 しかし、現状からすれば、早期の移民受け入れは容易ではない。
 言語の違い・治安の悪化・文化摩擦・雇用機会の減少・社会保障費の増加などの不安があるだけでなく、現在の中高年層には戦前に併合・占領していた地域の人々に対する根強い差別意識が残っている。
 2年前に自民党の外国人材交流推進議員連盟が「1000万人移民による多民族共生国家を目指す」提言をしたが具体的な議論に進まなかったのは、差別意識がぬぐい切れず、労働力としての受け入れという近視眼的な発想にとどまったからだ、とボクは思っている。


 ところで、日本に世界最古の企業があることを皆さんはご存知だろうか。
 奈良や京都を訪れると、釘一本使わず木材のみを巧みに組み込んで建て上げられた神社仏閣の大伽藍に感嘆されることと思う。
 この精巧緻密な寺社建築の老舗の一つに、創業が西暦578年という、『金剛組』がある。初代金剛重光は朝鮮半島百済からの渡来工匠で、593年に難波(大阪)の地に聖徳太子ゆかりの官寺・四天王寺を完成させている。


 歴史を紐解くと、金剛氏同様に優れた技術や貴重な文物を携えて渡来して日本に根をおろした人たちは多い。
 日本書紀は、5世紀後半以降に渡来した人々を「今来才伎(いまきのてひと)」といい、それより古い時代に渡来した人々を「古渡才伎(こわたりのてひと)」と呼んでいる。主に朝鮮半島から移住してきた技術者・知識人を指す言葉だが、彼ら渡来人は紛れもなく現在の日本人の祖先なのである。
 日本は単一民族国家だという主張は明治以降に作られた幻想に過ぎず、古代から様々な事情により日本列島に集まった人たちが混血を重ねたのが日本民族なのだという歴史的事実をボクたちは忘れてはならない。


 今の日本が積極的に移民を受け入れても、外国人労働者としての扱いをしていては、移住者はいつまでもこの国を自分の国とは思えない。移住してきた人たちが「自分は日本国の一員なのだ」と自覚できるような受け入れ態勢が必要である。
 また、前述した差別感情が薄くなる時期を待つことも必要だ、とボクは思う。
 つまり、「急がば回れ」である。


 今の20歳の若者たちがボクたちの年齢に達する40年後までは、人口が減っても1億人規模を保てる施策と今より生産性の高い社会の構築を続けながらアジア諸国との人的交流を深め、異文化はこの国に活力を与えてくれるという意識への転換と移住者が安心して暮らせる環境整備をしていけばいい。
 昨今の韓流ブームなどを考えると、40年あれば、ボクたちの世代から上がみんな墓に入ってしまえば、決して難しいことではないとボクは思う。


 具体的で実行可能なロードマップを備えたグランドデザインを自民党が示してくれたなら、即刻、ボクは自民党支持に転向してもいい。
 そう思っても、昔の万年野党さながらに政権党のあら捜しと揚げ足取りばかりしているのを見ていると期待が萎む。
 とすれば、まだ足元がふらついて道草ばかり食っているが、民主党に期待するしかなさそうである。


                           [2010年3月]