北米報知新聞(NorthAmericanPost)連載エッセイ
      都筑大介 「一言居士のつぶやき」


   第14回 あれから1年 (2010年8月18日掲載)




 戦後の民主化日本で初めて選挙による政権交代があって早一年。ボクのコラムもこれで14回を数えるのだから、時の流れは思いのほか速い。

そういえば先頃、「都筑は民主党寄りではないのか」という指摘をされる読者の方がいらっしゃったと伝え聞いた。
 確かにそのご指摘は的を射ている。が、正鵠を射てはいない。というのは、ボクは政権交代前の野党民主党が掲げた「国民の生活が第一」「脱官僚支配・政治主導」「対等な日米関係」という理念とそれを具現化するための諸政策を支持する者であって、何回か前に書いたように、それと同じ理念と政策を推し進めてくれるのが自民党であれば自民党を支持する。ボクは政党そのものに対するこだわりは持っていない。

 最近ボクは、多くの日本人はこの10年間ボクと似たような感覚で政治を見てきていたようだ、と強く感じる。それは市民感覚と言うより庶民感覚と呼ぶべき情動だと思う。

 65年前の荒廃した日本を復興させて経済大国に導いてきたのは紛れもなく自民党だし、その後押しをしてくれたのが米国政府であったことも間違いない。
 が、
20年余り前のバブル経済期からの自民党政権は国民生活の向上に資する施策はほとんど講じてこなかった。のみならず新世紀になってからは、「改革なくして成長なし」と叫びながら不用意に新自由主義経済・市場原理主義を導入して、所得格差をかつてないほど拡大し、セーフティネットをズタズタにする愚を犯してしまった。
 その結果が去年の夏の政変だったのである。


 しかし、政権交代後の1年を振り返ると、ボクには想定外だったことも含み、実に様々な変化があった。
 鳩山由紀夫氏がわずか8か月で首相の座を降り、代わって菅直人氏が後継首相となったが参院選で過半数割れの大敗をして主導権を野党に奪われ、日本の政治はまた漂流をはじめた。
 しかも、ボクに「あの政権交代はいったい何だったのだろう?」とつぶやかせるほど、与党民主党の変質は進みつつある。
 野党時代からの政治理念は曖昧になり、政権奪取の原動力になったマニフェストは後退を続け、「官僚のムダ遣いを徹底的に見直し、政治主導で予算を組み替え、特別会計予算にも切り込む」と言ってきた意気込みは薄れてきている。

菅政権になってから特にこの傾向が目立つようになり、参院選後は改革の機運がピタリと止まった。政治主導の象徴というべき国家戦略室の縮小を決め、一度廃止した事務次官会議を復活させ、現役出向という形を変えた天下りを容認するなど枚挙に暇がない。

 民主党のこうした変貌は霞ヶ関(官僚)の巻き返しによるものだ、というのがおおかたの見方だがボクも同意見である。最近の民主党政権は官僚の言いなりで、昔の自民党よりも官僚の手のひらで踊らされているように思えて仕方がない。日本の政治はまたも官僚主導時代に戻ってしまった感が強い。

 その優秀かつ狡猾な官僚たちが最も恐れる政治家が小沢一郎前民主党幹事長なのだが、その小沢氏の去就に関連して大変興味深い見解が7月30日付毎日新聞夕刊に掲載されていたので紹介しておきたい。それは『日本の政治これから』という対談記事での同紙夕刊編集長による次の発言部分である。

「集団の中で自己主張の強い人を嫌うと歴史的に黒幕化します。そういう意味でも(小沢一郎氏は)辞めた方がいいということかも知れませんが、本当の意味で日本の政治の黒幕はアメリカだと思います。沖縄の基地問題など、この最大の黒幕に太刀打ちするには相当な力業が必要です。そこにも小沢待望論が出てくる素地があると思います」

 5大紙の記事としてアメリカ黒幕説をおおっぴらに掲載したのはおそらく初めてのことだと思う。
 つい本音を語ってしまったのか別の意図があって話したのかは分からないが、日米関係の現実を肌で捉えているボクたち庶民の感覚に極めて近い発言だとボクは思う。

 ともあれ、自民党時代と違う政治をして欲しいという国民の期待はまだ続いている。民主党はこれまで掲げてきた政治目標に向かって突っ走るべきだと思う。国政改革と行政刷新はそのくらいの信念と一途さが必要だし、民主党らしいチャレンジ精神を見せれば国民は応援してくれる。
 国民が大いに支持する政権なら野党もついて来るし、アメリカの対応も変わる。民主党が現状を打破するには攻めしかない、とボクは思うのだが……。


                             (2010年8月)