北米報知新聞(NorthAmericanPost)連載エッセイ
      都筑大介 「一言居士のつぶやき」

   第16回 列島漂流 (2010年10月20日掲載)



 先月半ばに行われた民主党代表選挙で、「国民との約束(マニフェスト)は守る」という小沢一郎氏は敗れ、「財源不足だから修正はやむを得ない」とする菅直人氏が再選されて首相続投となった。民主党議員と党員・サポーターのこの選択にボクは驚き、ひどく落胆した。国民が民主党に託した「国民生活が1番」「脱官僚支配」「自主外交」の政策実現が遠のいたからである。
 前に書いたが、菅政権にそれは期待できない。代表戦後の内政と外交への対応を見ても官僚主導は明らかだし、下手をすると大増税路線に走る危惧すらある。

 

ボクにはどうしても理解できないことが一つある。数多いる国会議員の中で唯一明確な国家観と改革意識を持つ「小沢一郎」という政治家を政界から追放しようとしている動きのことだ。「ダーティ=悪」というイメージが流布されているが、それは対抗勢力や大手メディアによって作り上げられたものであって、彼の真の姿とはボクには到底思えない。

 小沢一郎は悪いことをしていたのか? 答えは「ノー」である。

 東京地検特捜部が大型ダム建設にかかわる収賄で彼を立件しようとしたが、嫌疑を裏付ける証拠は何一つ出てこなかった。そこで政治資金規正法違反での立件に切り替えたが、これも嫌疑不十分で不起訴になった。最強の捜査機関と言われる東京地検特捜部が1年半余りをかけ強制捜査までして不起訴にしたということは、彼が「クリーンな政治家」であることを意味しているとボクは思うのだが、政権奪回をしたい野党自民党はともかく、大手メディアとメディアが言うところの市民もそうは思わないらしい。

 また、不起訴を不服とする告発を受けて一般市民11名で構成する検察審査会が「起訴相当」の決議をしたために小沢氏は「強制起訴」されることなった。そして今、大手メディアは「民意を慮って民主党を離党するか議員を辞職してけじめをつけろ」と声高に叫んでいる。
 彼らの言う民意とは
11名の検察審査員と彼らがなぜか頻繁に行う世論調査の結果であって、事実を十分に認識した上での意見であるかは実に疑わしい。なぜなら、法律に通じている者なら誰が見ても小沢氏の無罪は明らかだからだ。しかし、裁判は結審まで長期間を要するし、その間小沢氏の政治活動は大幅に制限される。
 狙いはそれで、何としても小沢一郎という辣腕政治家からその政界生命を奪いたい暗い意図をボクは感じる。

 

 振り返ってみれば、小沢氏が代表戦に立候補する意志を表明してから大手メディアは、連日「政治と金」問題を取り上げて小沢批判を繰り返し、「菅氏支持75%・小沢氏支持15%」という彼らの世論調査結果を発表し続けた。全社が判で押したように同じ数字であることも不思議だが、国政選挙であれば明らかに公職選挙法違反に問われる行為を「公平・公正」「中立」を謳うメディアが臆面もなく行った。

 ここ20年、日本の政治は良くも悪くも小沢一郎を中心に動いてきた経緯がある。
 
17年前に非自民グループを結集して自民党を下野させたのも彼であり、昨年の政権交代も彼が成し遂げたことは言うまでもない。
 だからなのだろうが、小沢政権が出来ると困る人たちによる「小沢包囲網」なるものが出来上がっている。
 彼が過去から一貫して主張してきた「自立と共生」の理念に基づく諸政策は、大企業と官僚組織と大手メディアの既得権益をなくして(少なくとも極小化して)、行き詰まった政治と行政のシステムを根本から改めるものである。
 それほど革命的なことにも関わらず、大手メディアによる情報操作が功を奏して、いまだ国民の大半に理解されていないのが現状である。

 

 半年前にこのコラムで「日本社会は空気に支配されている」話をしたが、近頃その空気が意図的に作られ、乱用されてきているように思えてならない。
「何が何でも小沢を失脚させろ」と何処かで誰かが旗を振っているようだ。

 ボクたち日本人は今、ひとり一人が自分に問うてみる必要がある、「日々垂れ流されている一方的な情報に易々と流されてはいないか」、そして「小沢一郎排除はこの国と国民の利益に適っているのか」と。

  あるフリージャーナリストが全国紙の幹部記者と酒席をともにした時に、酒に呑まれたのか口がすべったのか、その幹部記者は「小沢はクロに決まっているんだから、自分の非を認めて謝るまで毎日書き続けていいんだ」と繰り返したそうである。
 しかも、推定無罪の原則を関係ないと言い切り、裏づけ取材もしておらず、政治資金規正法にも検察審査会法にも目を通したことはないという。このことはTVに頻繁に登場する評論家やコメンテーターたちにも共通する。

 日本の知性を代表するはずの人たちがこれでは世も末だ、と嘆きたくなる。この国の漂流はこれからしばらく続きそうだ。


                            (2010年10月)