北米報知新聞(NorthAmericanPost)連載エッセイ
      都筑大介 「一言居士のつぶやき」

 第17回 メディアの退廃 (2010年11月17日掲載)



 今月第1週末に大手メディアが行った世論調査によると、菅内閣の支持率が30%すれすれまで落ち込んだとのことだ。その要因として対中国・対ロシアの弱腰外交を上げているのは分かるが、「政治とカネ」問題での小沢一郎国会招致を曖昧にしているのも大きな要因とする分析には明らかな恣意性を感じるし、小沢封殺から民主党政権潰しへのシナリオがいよいよ作動しはじめたことをボクの直感センサーが訴えている。

 
 話は変わるが、このところボクは韓流ドラマにハマっている。以前は熱心に観ている我が女房殿を「女はブームに弱いねえ」等とからかっていたのだが、「最近の日本のドラマより面白いわよ」と薦められた時代劇が滅法面白かった。以来、朝鮮半島の歴史のひとコマを切り取った時代劇を手当たり次第に観ている。人として守り行うべき大切な道を『大義』といい、物事のそうあるべき道理を『正義』というが、韓流時代劇の主人公は皆この二つを守るために命を賭ける。脚色されたドラマと分かっていても、その思考と行動の形態がボクの知る旧き良き時代の日本人とよく似ているので、ついつい共鳴してしまう。

 振り返って今の日本を眺めてみると、『大義』と『正義』が本来の意味で行われているとは到底思えない情けない情況に陥っている、とボクの目には見える。その最たるものは『正義』の看板を振り翳して恣意的報道を続ける大手メディアであろう。

 
 前回このコラムで小沢一郎元民主党代表を政界から追放しようとしている動きについて触れたが、その後に次のような関連事があった。

1024日「小沢一郎は潔白」デモ行進。東京、1000人余が参加。

11月5日「マスコミの偏向報道を許さない」デモ行進。東京、1200人余が参加。

 共にネットでの呼びかけで行われたデモだったが、200人程度で出発したのに道々参加者が増え続けて長蛇の列になるという、過去に例を見ない自然発生的デモだった。
 しかし、新聞もTVもこのことは一行たりとも一秒たりとも報道しなかった。

11月3日「ニコニコ生放送(ネットの動画サイト)」の90分特別番組に小沢氏が出演し、司会者や視聴者からの質問に答えた。「離党はせず、ようやく出来た民主党政権が立ち行くように微力を尽くしたい」と語る彼の『大義』と『正義』を貫こうとする姿勢に感銘を受けたのはボクだけではあるまい。ちなみに、視聴者数は20万人を越えた。

それに対して新聞とTVは「ネット番組に出て勝手に喋るとはけしからん」とばかりの論調で、小沢氏が話した内容や視聴者の多さと反応には触れずに、「小沢は逃げずに説明責任を果たせ、民主党は小沢国会招致を決断せよ」と騒ぎ立てている。

 
 そもそも「政治とカネ」問題はそれが生じる制度や法規制について議論されるべきものであって、何の確証もなく世論を煽って政治家個人の尊厳を貶める道具にすべきものではない。
 それなのに大手メディアは恣意的にこの抽象的言葉を使って扇動報道をしている。まるで「推定無罪」「公正」「人権尊重」「真実」「客観」という報道の原則など無きがごときである。独自の調査報道は稀にしかなく役所が発表した情報を垂れ流すだけ。特に検察関係では意図的にリークされた情報を検証もせずに記事にするし、情報源は「関係者によると」などと常に匿名である。権力を監視する立場のメディアが権力におもねっている。

 今のこの状態を「退廃」と言わずして何と言えばよいのだろうか。

 権力におもねり民意を誘導して太平洋戦争に突入した戦前の愚行をメディアは忘れてはいけない。

 
 5大全国紙のうち3紙は赤字経営であり、公称発行部数の約30%が実売されないのに販売店に押し付けられ廃棄されているという。TV各局も採算悪化が続いているらしい。
 そこに小沢政策の「クロスオーナーシップ規制」や「再販価格特例解除と押し紙禁止」「電波オークション制度」等が実施されると経営破綻しかねない実情は分かるが、既得権益に胡坐をかいてきたこと自体が「報道する者の正義」に反することを考えてもらいたいものだ。

例えば記者クラブ加盟社の記者達が専用している国会記者会館は、地上4階地下2階・総床面積6600u余りの国有ビルで近隣相場からすれば年間賃料は約8億円になるそうだが、彼らはこのビルを無料貸与されている。「記者クラブ制度」が廃止されればこの既得権益も失う。
 また、TV局が国に払っている電波利用料にしても事業収入の0.
14%に過ぎない。大手メディアには公平・公正な立場に戻って経営努力せよとボクは言いたい。

 
 最近は菅政権のだらしなさを含め腹に据えかねることが余りに多いのでかなり過激なつぶやきになってしまったが、ご勘弁願いたい。それにしても憂鬱な秋である。



                            (2010年11月)