北米報知新聞(NorthAmericanPost)連載エッセイ
      都筑大介 「一言居士のつぶやき」

     第19回 嵐の予感 
           (2011年1月19日掲載)




 北極振動による寒気の足が例年より南に長く伸びた影響で列島全体が冷え込んでいる。その日本では、残念ながら、国土だけでなく国民の心も財布の中も冷え冷えとしている。リーマンショックから2年余り。景気は9割方回復したとされているが、内実は輸出が伸びても内需が減り続けており、首相が「雇用、雇用」と叫んでも失業者は増える一方で今春卒業予定の大学生の就職内定率は過去最悪の57%。毎年3万人を越える自殺者の大半が生活苦によるものになり、明るいニュースを目にすることがとんと減った。

 

 経済財務統計によると、1998年からの10年間で法人企業の保有資産が165兆円増えたのに対し家計部門は188兆円減った。一部上場企業全体の内部留保金が200兆円にまで膨らむ一方で雇用者報酬は減り続け、国債や建設債など国の借金も増え続けている。そこに内需主導経済への転換を図る「国民の生活が第一」理念を打ち出して政権を託されたのが民主党だったが、首相が鳩山氏から菅氏に代わってからは小泉政権時の新自由主義政策に回帰しようとしている。昨年暮れに「法人税5%減税」に踏み切り、今年は「消費税5%引き上げ」に道筋をつけようとしているのだから、現政権はもはや国民が期待した民主党政権ではなくなっている、と言っても決して過言ではない。

 財政再建には本当に増税以外に方法はないのだろうか。そんなことはない、とボクは思う。例えば毎年コンスタントに約30兆円生じている特別会計の剰余金は積立てられており、専門家の推計では最低でも180兆円の積立金があるという。一般会計予算の2年分だ。それなのに赤字財政の穴埋めや国民生活安定政策には使われず、米国債の購入やODAという他国支援に金を費やしている。実に不可思議な話だ。

 

 また、菅首相は1月13日の定期党大会で「挙党体制」を訴えたが、「脱小沢路線」は変更していない。権力の座を守るために身内の一政治家を、それも自分たちを政権の座に導いてくれた小沢一郎を排除することに懸命だ。しかも、身内からではなく、麻生政権で財務大臣として増税による財政再建を提唱し今まで打倒民主党を掲げていたベテラン野党議員を改造内閣の閣僚に起用して税制改革と社会保障制度改革を行うという。もう「支離滅裂だ」としかボクには言いようがない。

 大手メディアも無責任なもので、増税路線に舵を切った菅政権を擁護し「消費税増税やむなし」という論を張っている。朝日新聞に至っては社説に「民主党はマニフェストを白紙に戻せ」と書く始末だ。一昨年夏の総選挙で示した国民の意志を無視しろ、と公然と言っている。その一方で、大手メディアは相変わらず小沢叩きには熱心だ。小沢一郎さえいなくなれば民主党政権は潰れる、そうなれば自分たちの既得権益は安泰だとでも思っているのだろうが、とても社会の木鐸(ぼくたく=世人を教え導く者)とは思えない所業だ。

支持率回復に躍起となっている菅首相は、「官僚支配から脱却して政治主導にし、特別会計を原則廃止して一般会計に統合することによって予算編成を抜本的に見直し、国民の生活が第一の政策を実現する」ことに向けての努力は投げ捨て、大手メディアの口車に乗って小沢排除とマニフェスト廃棄に走っている。それが支持率の回復につながると信じている様子だが、政権崩壊につながる公算が高い。ましてや、同じ党の仲間を庇うのではなく売るような真似をしていては国民の信頼が得られるはずもない。

 あれこれ考えてみると、現政権の命脈は尽きかけているようにボクには見える。近いうちにこの国の政治を混乱と迷走のどん底に突き落とす大きな嵐が襲ってきそうだ。

 

人が未来を思う時、その未来のために役立つのであれば我が身を犠牲にすることを厭ってはならない。それが人としての、ことに政治家の務めだろう。変化を嫌い、既得権を手放したくない人たちが大勢いることは分かる。しかし、時代の変化に目を向けず、今後の国のあるべき姿を考えず、次世代のことを思わず、「今が良ければいい、自分が生きている間が良ければいい」という無責任で頑迷な考え方に毒されていてはならない。

今、日本は大きく変わろうとしている。いや、変わらなければいけない時期に来ている。その変化への動きを邪魔して、日本を迷わせているのはボクも含め還暦を過ぎた世代である気がする。各界の重鎮と言われる人の中には90歳近い人もいる。こうした「潔く退く」ことが出来ない人が多過ぎる。世知に長けた高齢者たちが国の未来を憂えるのではなく、既得権益維持のための近視眼的言動ばかりしているのが日本の哀しい現状である。一日も早く「すっきり」とした気分で目に鮮やかな日の出を拝みたいものである。



                            (2011年1月)