北米報知新聞(NorthAmericanPost)連載エッセイ
都筑大介 「一言居士のつぶやき」
第23回「きしむ列島」
(2011年5月18日掲載)
東日本大震災発生から2か月余り、余震は続いているものの頻度は減り規模も小さくなってきた。が、まだ安心するのは早い。震源域の東側プレートでアウターライズが起きる可能性が残っている。
「陸奥(みちのく)」と呼ばれたいにしえから、この地方では大地震が繰り返し発生している。記録に残る最も古いものが869年、次に1611年、そして1896年と1933年に起こり、いずれも波高10〜20mの大津波が沿岸各地に壊滅的被害を与えた。アウターライズと思われる大きな余震も記録されている。
今回も地震による被害より津波による被害が甚大だった。3万人に達すると思われる死者と行方不明者のほとんどが波に攫われ、被災地には膨大な瓦礫の山が残された。
地震と津波の脅威は東日本に限らない。
「東海」「東南海」「南海」の3大地震が400年周期で連動しており、日本列島は時折音を立てて軋む。
しかし、地球の表面を覆うプレートの境界線が集中するこの国では止むを得ないことだし、日本人はこの軋む列島の上で営々と血脈をつないできたのだから、時間はかかるだろうが今度もまた人々が力を合わせることによって復旧復興に成功するはずだ。
一方、放射能汚染を引き起こす原発事故は深刻な問題である。
東京電力福島第1原発は海抜35mの台地を25m切り下げた造成地に建てられている。地盤の強度と原子炉冷却の取水効率を考慮したとのことだが、そこを震度6強の揺れが襲って外部電源を遮断し、波高15mの大津波が押し寄せて非常用電源を含む施設を瓦礫にしてしまい、原子炉の冷却ができなくなった。
東電や政府関係者は「想定外の天災」だと言うが、想定していた津波の高さが5.7mだったのだから「想定を誤った人災」であろう。しかも事故処理はいまだに難航している。身命を賭して悪化を食い止めている作業員の努力に期待する他はない。
福島の事故によって危機感を深めたのか、菅首相は静岡県の御前崎にある浜岡原発の全面運転停止を中部電力に要請し、中電は渋々ながら受諾した。
浜岡原発は、政府の地震調査研究推進本部が2006年1月に「今後30年間に巨大地震が起こる確率は87%」と予測した「東海地震」の想定震源域の中心にある。
しかも、日本の大動脈である東海道新幹線と東名高速道路からわずか15kmの近距離にあり、周辺にはトヨタ、シャープなど基幹企業の工場も多い。それだけに浜岡で福島と同じ事故が発生すると日本経済は麻痺する。
であれば、浜岡原発自体を廃止すべきだとボクは思うのだが、首相の決断は高さ15mの防波壁が出来るまでの一時停止に過ぎない。
巨大地震と大津波という自然の脅威の前では、原子炉の内部や貯蔵プールに核燃料がある限りは運転中であろうと停止していようと危険性に変わりはないし、浜岡原発以外にも幾つか活断層の上に建設されている危険な原発がある。
列島に軋みが生じ始めた今はその活断層がいつ裂けてもおかしくない状況だと考えて、早めに対処しておくべきだろう。直ちにすべての原発を廃止しろと言うのではない。立地に問題がある原発は早めに廃止しておくべきだと言っているのである。
それにつけても菅政権の対応は拙劣と言わざるを得ない。
何より問題なのは権限と責任の所在が曖昧なことだ。しかも、首相が思いつきやその場凌ぎの発言を繰り返すから混乱に拍車がかかる。
避難者用仮設住宅も、首相が「8月中旬までに7万2千戸すべて完成」と発表した翌日に所管の国土交通省が「9月末で60%程度」と言い、発信情報の真偽が常に疑わしい。政治家は希望的観測を述べ役人は責任回避出来る余地を残すのが特徴だが、避難所暮らしを強いられている人たちの心をまったく理解せずに物事が進んでいる。
最も典型的なのが補正予算である。
瓦礫撤去費などの一次補正は5月2日に成立したが、本格的復旧復興のための二次補正は7月以降の臨時国会で審議するという。
首相は震災復興を盾にして次々と政治日程を組み込み、重要法案を先送りして政権にしがみついている。
しかも、特別税の新設や電気料金値上げで復興と東電救済の原資を捻出しようとしている意図が透けて見える。まさに火事場泥棒的発想である。財源なら財務省が抱え込んでいる特別会計の余剰金30兆円を使えばいい。保有する米国債の一部売却も検討すべきだ。
つらつら眺めるに、国民が支持したマニフェストを反故にしてきた菅政権のリーダーたちは信念と見通しに欠け、国民生活を蔑ろにしても恬として恥じないようだ。
本来政治の役割は被災者と復興に立ち向かう人たちを支援することだが、今は逆に政治が邪魔をしているように感じられてならない。
菅政権によって列島のみならず日本人社会全体が軋み始めている、とまで思ってしまうボクの頭の中も軋んでいるようだ。
[2010年5月]
|