北米報知新聞(NorthAmericanPost)連載エッセイ
      都筑大介 「一言居士のつぶやき」

     第24回「ゆらぐ民主主義」 
           (2011年6月15日掲載)



 震災被害の復旧作業は、民間主導のものはスムースなのに、なぜか政府が関係する分野は遅れに遅れている。
 
16年前の阪神大震災では2か月後に被災地の瓦礫は80%が撤去され避難者用の仮設住宅も70%が完成していた。それなのに今回は、3か月が経過しても瓦礫撤去はまだ15%程度、仮設住宅も約20%が完成したに過ぎない。
 本格的復旧と復興のための二次補正予算案も国債発行を認める特別公債法案も審議に入っておらず、復興計画どころか復旧の目途すら立っていない。
 全国から寄せられた2500億円を超える善意の義援金もやっと約290億円が分配された段階であり、家も職も失った人々の困窮は続いている。
 加えて、福島第1原発の事故処理は進展がないばかりか、今頃になって震災後まもなく1〜3号機で原子炉の炉心溶融があったことをIAEAへ報告し、「パニック防止のため」という理由で国民に対する情報隠蔽がなされていた事実が明らかになった。

 

 そうした政府の震災と原発事故への対応の拙劣さに与党民主党内からも首相退陣論が噴き上がり、それを好機と判断した野党が6月1日に提出した菅内閣不信任案が成立しそうな流れになった。100名近い民主党議員が不信任案に賛成票を投じる構えを見せたからである。
 そこで菅首相と取り巻きが案じた一計が本会議前の民主党代議士会で「一定のめどが立ったら若い人たちに責任を渡したい」という、速やかな退陣を示唆する首相の意思表明だった。結果、造反は回避され不信任案は否決された。

ところが、その夜の会見で菅首相が「事故原発が冷温停止することが一定のめど」だと述べて続投に意欲を示したものだから「騙した」「ペテン師まがいの行為」と非難轟々。
 早期退陣への流れは加速されたが、菅首相はしぶとい。前言撤回して「進退時期は常識的に判断する」とまたも曖昧模糊とした言辞を弄して首相の座にしがみついている。
 一国の首相の権威を地に落とした菅さんだが、ボクは、(この粘り強さを政権獲得時に国民と約束した政策の実現に生かせば良かったのに)と思いながら、ただただ呆れ返っている。

 

この間の大手メディアの論調にもボクは呆れた。
 菅内閣の非常時対応を批判しながら「政治空白を作るな」「急流で馬を乗り換えてはいけない」と野党の不信任案提出を牽制し、党派を超えて一丸となって震災対応に専念すべきだという論を張った。
 そして、菅政権の終わりが見えてくると、誰が次の首相に相応しいかのアンケート調査を行って世論誘導を開始し、「菅抜き・小沢外しの大連立」を推奨している。
 朝日新聞に至っては、本会議を欠席したことを理由に「民主党は小沢氏を除名せよ」とまで社説に書いた。
 公平と公正の報道原則などお構いなしに小沢排除に走るのは、小沢氏の政策が「記者クラブ開放」「クロスオーナーシップ規制」「電波オークション制度創設」「官房機密費用途の透明化」など彼らの既得権益を侵すものだからだろう。いやはや、報道機関というよりまるで政治団体だ。

他方、菅首相の退陣時期が迫る中、首相に見切りをつけたらしい現政権の幹部たちはメディアに後押しされて自民党との大連立を画策している。
 彼らには震災対応と原発事故処理に失敗した首相と共同正犯であるという意識はないようだ。まさに厚顔無恥を絵に描いたような彼らに新しい政権を担う資格はない、とボクは思う。 

 

 今この国では民主主義そのものが揺らいでいる。
 2年前に鳩山民主党政権が誕生してからはそれまで隠されてきていたことが徐々に国民の目に見えるようになってきた。そこまでは良かった。
 が、首相が菅氏に代わった途端に民主党政権はマニフェスト実現の努力をやめ、選挙という手続きも経ずに国民との約束をことごとく反故にしていった。
 そして現在、この国の政治は国民不在の政治家のためのゲームになっており、財政や社会保障の問題を解決出来ないまま混迷を続けている。

政治の混乱で得をするのは官僚である。
 官僚は政治家が政策立案と行政を彼らに丸投げしていた自民党政権時に様々な自己保身と自己実現のための制度や組織をつくって膨大な利権構造を創り出してきた。だから基本的に体制変化は望まない。
 その官僚組織は検察を使って自分たちに不都合な政治家の排除工作を行い、それに利権集団の一つである大手メディアが迎合する。結果、政治主導ではなく官僚主導の体制が復活している。選挙で選ばれたわけでもない官僚が主導する政治が果たして民主主義政治と言えるだろうか。

 

バブル崩壊からの10年間を「失われた10年」と呼ぶが、その後の10年間も「第2の失われた10年」だった。
 そしてこれからの
10年間は「第3の失われた10年」になりそうな気配である。それも一つの現実だとして受け止めることは、ボクには辛すぎる。



[2010年6月