北米報知新聞(NorthAmericanPost)連載エッセイ
      都筑大介 「一言居士のつぶやき」

     第26回「暑くてイヤな夏」 
           (2011年8月17日掲載)



 811日、特例公債法案が衆院を通過。再生可能エネルギー特別措置法案もまもなく通過し、菅首相が退陣の要件として示唆していた法案がすべて今国会中に成立する見通しだそうだ。当の菅首相も民主党代表戦で新代表が選出されれば首相の職を退くと表明。あれほど権力維持に執念を燃やしていたのに一体どうしたのだと尋ねたくなる展開である。

それに先立ち民主党執行部は、野党がバラマキ政策だと批判し撤回を求めている「子ども手当、高校無償化、農家戸別補償、高速道路無料化」の看板4政策を事実上放棄した。
 粘る菅氏を退陣させるために野党に迎合して党の政策の主柱を切り落とす愚挙にボクは呆れた。権力亡者と化した菅氏を引き摺り下ろすためとはいえ、形振り構わない与党首脳も異常である。しかも彼らは菅氏に任命された人たちなのだからまるで茶番劇だ。

国民が期待した民主党政権も、昨年6月に菅氏がトップになって以降は官僚に手なずけられ、自公時代と同じ官僚主導政治に戻ってしまった。「国民の生活が第一」を基本理念とする政治主導政権でも何でもない、官僚統制型の政権が復活したのだ。
 それは、表面的には政治家が政治を行っているように見えてもその実は政策立案から実行まですべてを官僚が取り仕切っている、言わば「官僚が脚本を書き演出をし、政治家は舞台で演じる役者に過ぎない」、民主主義とはかけ離れた体制である。
 このことに疑念も憤りも抱かない政治家と国民がいまだに多いのが、ボクには不思議でならない。

一方、震災から5か月経って、瓦礫撤去はまだ50%未満、仮設住宅建設完成はようやく65%、3000億円を超えた義援金の支給はやっと40%。阪神大震災時は2か月後に始まった復興住宅(県や市町村が整備して低額賃貸する新築住居)の建設もいまだに始まっていない。
 復旧復興の司令塔である政府は指針すら示せず、意図してか官僚組織の動きも鈍い。これでは大震災からの復興も原発事故の収束も遠い道のりだと言わざるを得ない。

 

この頃ボクは日本の社会が、政治も経済もメディアも、とんでもなくゆがんでいることをひしひしと感じている。
 官僚は、国民と国益のためよりも省益と既得権益を頑なに守って自己の保身に走り、時代の変化に対応する努力をしない。
 大手メディアは記者クラブ制度を通じて官僚組織と癒着して本来の権力監視を怠り、政府の御用報道機関に堕落している。
 大企業は雇用機会の提供や社会貢献というあるべき姿を見失って目先の利益追求に血道を上げている。
 彼らに共通しているのは「自分たちさえ良ければそれでいい」「邪魔者は排除する」という偏狭で低劣な意識だろう。しかも彼らの目線は旧いタイプの支配者目線であり国民目線とかけ離れているから、つい「この国に未来はあるだろうか」と心配になる。

原発事故に関して言えば、事故を起こした東京電力と利害当事者に対して賠償責任を求めるのが法治国家のあり方だ。
 しかし、民主・自民・公明が共同歩調をとって8月3日に成立させた「原子力損害賠償救済機構法」は、破綻処理となったJALと違って、東電を救済する色彩が極めて濃い骨組みになっている。経営陣は罷免されず、社員の雇用は守られ、金融機関は債権放棄せず、株主も損失を免れ、最終的に巨額の賠償金の負担は電気料金の値上げや増税によって一般国民に転嫁される内容なのである。
 東電を破綻させると電力の安定供給に支障が生じるというのが主な理由だが、原発利権・電力利権の温存が本当の狙いに違いない。しかも、官僚の天下り先がまたひとつ増えている。「法」よりも「政治の恣意的判断」が優先されるようではゆがんでいると言わざるを得ない。

また、この夏、東電は国民と企業に15%の節電を要請し、政府はこれを守らない企業に対しては電力抑制法の適用によって罰金を課すことを決めた。
 加害者ではなく被害者を罰するという不条理だ。
 今の政府は大企業のみならず日本経済を支えている中小企業の活動が低下することより東電支援の方が大切なようだ。
 が、節電効果で売り上げが落ちた東電が毎日140〜170万kwを東北電力に融通していることをどう説明するのだろう。

 

話は前に戻るが、菅首相は本当に8月末に退陣するだろうか。
 ボクは最高権力という蜜の味を覚えた彼は誰も思いつかないことを言い出してもうひと粘りするような気がしている。
 大手メディアの報道通りに身を退くとすれば、多分、刑事被告人に追いやられた小沢一郎氏の無罪がこの秋に確定する前に新しい「反小沢体制」を組む合意が成されたのだろう。既得権益の改廃を目指す小沢氏を嫌う勢力が後押ししている節も見られる。

とにかく、右を向いても左を見ても、不条理に溢れてゆがんだ光景ばかりが目に飛び込んで来る。
 イヤになるが、国の恥を晒すことにもなるけれども、ボクの目で見た日本の病巣をこのコラムで訴え続けたい。現実を冷静かつ客観的に把握することから変革は始まると信じているからである。それにしても今年の夏は暑くて嫌な夏だ。

[2011年8月]