北米報知新聞(NorthAmericanPost)連載エッセイ 都筑大介 「一言居士のつぶやき」 第27回「冷たさが身にしみる秋の風」 (2011年9月21日掲載) あの手この手と策を弄して首相の座にしがみついていた菅直人氏がやっと8月末に退陣し、民主党の新代表に選ばれた野田佳彦氏が首班指名された。 9月2日に新内閣を発足させた野田氏は、鳩山内閣で財務副大臣、菅内閣では財務大臣を務め、財務官僚に操られる危惧が囁かれていた人物である。 その新首相の所信表明演説は、「声なき未来の世代にこれ以上の借金を押し付けてよいのか」「復旧復興財源は今の世代全体で連帯し負担を分かち合うのが基本」「2010年代半ばに消費税率を10%に引き上げる<税と社会保障の一体改革>の政府案は次期通常国会へ提出することを目指す」と、まさに財務省の目論見通りの内容だった。 また、「福島の再生なくして日本の信頼回復なし」と原発事故収束に強い決意を示したものの、原発そのものについては「中長期的には依存度を可能な限り引き下げていく」とする一方で「定期検査後の再稼動を進める」と明言した。 これでは財務官僚も経済産業官僚も笑いが止まらないだろう。 財務省は、国の借金がGDPの2倍に相当する900兆円に達する現状から財政再建のための増税が必要だと主張している。が、現在、国には約520兆円の金融資産がある。そのほぼ半分が特殊法人への貸付金や出資金である。これを差し引いた純債務は350兆円程度であり、借金900兆円を強調するのは増税したいが故の方便に過ぎない。 そもそも税収が40兆円程度なのに一般会計予算は92兆円、国家公務員(独立行政法人の職員を含む)の総人件費だけで税収を上回り、その上に官僚の天下り団体に毎年12兆円が投入されている。加えて米国債を買い続けているのだから、特別会計や公務員制度などの既存制度を抜本的に見直さない限り金が足りなくなるのは当然である。 国家を運営する上で官僚は必要な存在であるが、彼らに権力を与え過ぎると暴走する。戦前の軍部官僚がいい例だ。 その官僚たちは、目の前の事案の処理には有能でも未来設計は苦手なようだ。変化を従来からの慣行に上手に組み入れていくのが公僕としての官僚の課題なのだが、責任を取りたくない彼らはそのことに取り組もうとはしない。自分たちがぬくぬくと暮らせる既存の体制をひたすら守ろうとしている。 彼らにとって最も都合の悪いことは、特別会計の全貌が明らかになり、その先にある特殊法人の実態と天下りのカラクリが露呈することである。 日本は、国民主権の民主主義国でありながら、実際には、国民の代表である政治家ではなく官僚による国家運営が行われてきた結果、変化が出来ない閉塞的な国に堕している。硬直して制度疲労を起こしている官僚制度が日本をどんどん三流国家へ追いやっている。 この現実が分かっているとしても、野田政権には官僚機構にメスを入れる力はなさそうである。むしろ前評判通りに、官僚のパペット(操り人形)になる可能性が高い、とボクは見ている。 [2011年9月] |
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