北米報知新聞(NorthAmericanPost)連載エッセイ
      都筑大介 「一言居士のつぶやき」

     第28回「劣化する国土と人心」 
           (2011年10月19日掲載)



 悪夢の3月11日から7か月、なぜか被災各地の現状と東京電力福島第i原発の事故処理状況に関する報道が減り、復興増税と冬場の電力不足を補うための休止中原発の再稼動はやむなしとする報道ばかり目立っている。
 大手メディアが財務省と電力会社の代弁をしているように感じるのはボクだけではあるまい。

 その大手メディアがまた「小沢一郎叩き」を開始した。

 9月
26日、政治資金収支報告書への虚偽記載の有無を問う「陸山会(小沢氏の資金管理団体)事件」で東京地方裁判所が元秘書3人を有罪としたことにボクは唖然とした。なぜなら、証拠に拠らずに「〜と考えるのが合理的」「〜と推量する」という推認のみによる、法治国家ではありえない判決だったからである。

 こうした判決がまかり通るのであれば誰でもいとも簡単に犯罪者の烙印を押される。
 司法もここまで劣化したのかと、ボクは呆れた。

 ところが、大手メディアはこぞって「国民目線の画期的な判決」だと賞賛し、非難の矛先を小沢氏に向けている。そのメディアの報道を信じている人たちが未だに国民の大勢を占めていることがボクは悲しい。

また、この常識外れの判決に異を唱える国会議員が少ないのも不思議だ。多くは「だんまり」を決め込み、中にはこの判決をメディア同様に賞賛する議員もいる。
 多分彼らは検察の矛先が自分に向くのを怖れているのだろうが、立法府の構成員としての矜持すら示せないようでは国会議員の質も劣化していると言わざるを得まい。

 

 翻って野田新政権はといえば、公務員制度改革や特別会計の見直しには背を向け、「増税一直線」の様相を呈してきており、やはり官僚たちの言いなりのようだ。
 先の訪米では「普天間基地移設」と「TPP(環太平洋パートナーシップ協定)参加」に早期結論を出すことをオバマ大統領に約束した。

 が、沖縄県民は県内移設に断固反対しているし、TPPは農業のみならずあらゆる分野での関税を撤廃するものだけに国内産業にとっては死活問題なのである。

 大手メディアが輸出増の期待のみを喧伝して国内市場に与えるマイナス要因に触れないのもおかしい。以前から米国が日本に突きつけてきた年次改革要望の集大成とも言うべきTPPの本質をもっと報道すべきだとボクは思うのだが、無い物ねだりか。

 そんな中、新政権は年金の支給開始年齢引き上げの検討をはじめた。元々60歳だったものを小泉自民党政権時に65歳に引き上げ、現在はその移行期にある。
 にもかかわらず、将来の年金財政破綻を避けるために
68歳〜70歳に引き上げようとする議論は唐突だし、あざとさが漂う。これも消費増税への布石に違いない、とボクは思っている。

 財務省は二言目には「増税が必要だ」と言う。が、増税は好景気の時に実施するのが経済の常識だ。不況時に行えば経済を更に悪化させ税収も減る。

 経済成長が続いていた
20数年前の税収は70兆円あった。それがバブル崩壊後の長引く不況で今や40兆円前後に落ち込んでいる。官僚たちは税収豊かな時期に特別会計と天下り団体を増やしてきた。その後経済が減退して税収が減ると不足分を借金(赤字国債)で賄い、官僚自身の既得権益の見直しはしなかった。今も見直すつもりがないから新しい政策を実行する財源がないことになる。

 民主党政権が事実上放棄した「子ども手当」など直接給付型の政策を野党とメディアを使って「バラマキだ」と非難して潰したのも、官僚に裁量権がない政策が恒久化されると彼らの老後の飯の種になっている数々の支出項目を圧迫するようになるからだろう。

 

昨今の官僚たちは国と国民に奉仕する本来の役目を忘れているように思えてならない。中でも官僚組織の中心に位置して政権を影で操っているらしい財務省は検察並みの査察権を有する国税庁を傘下に持っている。
 その国税庁は個人と企業の財産情報を握っているから、複雑な税法の解釈によって企業や個人を脱税と見做すことも可能であり、定期査察でメディアを牽制することも可能だ。だからなのか、財務省批判をする者は極めて少ない。

財務省に代表される官僚組織は、一般会計予算の4倍にまで肥大化した特別会計によって我が身の老後を安泰にし、検察と国税庁によって敵対者を牽制していると言われても仕方がなかろう。

 このような官僚組織を根本から洗い直そうとしているのが小沢一郎なのだと言えば、過去と現在の「小沢潰し」の背景も見えて来ようというものだ。

 

日本は今、多くの苦難を抱えている。
 莫大な震災被害、放射能汚染の恐怖、景気の低迷、円高などである。

 海外では、米国経済の足元がふらついてきたし、ギリシャの破綻を機にユーロ市場も弱まり、世界の情勢は日々刻々と変化している。
 にもかかわらず百年一日が如き国家運営がなされているのが官僚主導の日本である。

 政治を主導するのが政治家ならば国民が「選挙」によって審判できるが、それが官僚だと国民の手は及ばない。その意味でも、出来るだけ早く、本物の政治主導体制が実現することをボクは切望している。

[2011年10月]