北米報知新聞(NorthAmericanPost)連載エッセイ 都筑大介 「一言居士のつぶやき」 第29回「電力の深い闇」 (2011年11月16日掲載) このところ大手メディアの関心は「増税」と「TPP(環太平洋パートナーシップ協定)」に傾いている。しかも、賛成論・推進論は大きく反対論・慎重論は片隅に小さくという姑息なやり方で、財務省と米政府の意を斟酌した世論誘導に懸命だ。その煽りなのか、東京電力の意を汲んだ実態隠しなのか、原発事故関連のニュースはめっきり減った。 そうした中、放射能汚染のホットスポットが首都圏周辺でも散見されるようになった。今のところ面の広がりはなくピンポイントだが、子どもを持つ親たちは不安を募らせている。きちんと情報開示がなされていれば余計な騒ぎは起こらないのにとボクは思うが、政府の偉いさんたちはそうは思わないらしい。東電も相変わらず情報を小出しにするばかりで、加害者である立場を認識しているのかどうか疑わしい。形は民間会社でも実体は国の独立行政法人と変わらぬ企業のせいか、上から目線の官僚体質を露わにさらしている。 日本における電力事業は明治15年(1882)に『東京電燈(後の東京電力)』が設立されたことに端を発した。その後各地で中小の電力会社の設立が相次いで450社余りを数えたが、苛烈な競争が繰り広げられた大正時代(1912〜1926)に発電と送電の統合が進んで5大電力会社体制が出来上がり、他は配電専門会社へと移行していった。 昭和期に入ると軍部が台頭するにつれて電力の国家統制が進む。1938年、「国家総動員法」と「電力国家統制法」が成立し、特殊法人『日本発送電株式会社』の設立とともに全国の発電所・変電所・送電施設が段階的に接収されて民間電力会社には配電事業のみが委ねられた。更に1941年に公布された「配電統制令」によってすべての配電会社が解散させられ、全国9ブロックに新たな配電会社が設立された。 そして戦後、電力市場の独占状態を問題視するGHQの指示に従って日本発送電は解体され、1951年に民間電力会社9社体制(後に沖縄が加わり10社)が出来上がった。経済復興を図るために基幹産業として保護育成する政策によって各電力会社は「発電・送電・配電の一体操業」と「地域独占」という特権を与えられ、加えて電力事業法によって「総括原価方式」に基づく電気料金設定を許された。 歴史の経緯からしてやむを得ない面もあるが、この「総括原価方式」というのが曲者なのである。なぜなら、発電・送電・配電と電力販売に必要なコストを積み上げ、そこに適正な利潤として3%(当初は5%弱だった)を自動的に上乗せして電気料金を決定する方法だからである。つまり、経営に関わるすべての費用を消費者に転嫁することが出来る上に一定の利益まで保証されているシステムなのだ。言い換えれば、どんなにコストをかけようとも必ず儲けが出るシステムであり、コストをかければかけるほど儲けが増えるシステムなのである。ここに膨大な投資を必要とする原発開発の財源がある。 日本への原子力発電導入は米国が後押しをし、後に首相となる中曽根康弘氏が中心となって進められた。1954年に原子力研究開発予算が国会承認され、翌年「原子力基本法」が成立。そして、1956年に読売新聞社の正力松太郎社主を委員長とする「原子力委員会」が設置され、特殊法人「日本原子力研究所」が設立されて茨城県東海村に動力試験炉が建設される。 この原発開発を支えてきたのは先述した電力会社の豊富な資金と年間約3500億円に上る電源開発促進税である。電気代に上乗せ徴収されているこの国税は電源開発促進対策特別会計に納められ、約1700億円が官僚の天下り団体へ、残りが原発誘致地方自治体へ、補助金や交付金として支出されている。 前にも書いたが、原発産業の裾野は実に広大である。「原子力ムラ(村)」と呼ばれるそこには数え切れないほどの企業と個人が群がって膨大な利権をむさぼっている。その原資は国民が払う電気料金と税金なのだ。その結果電力会社は力を得て、特に地方においては経済界の頂点に君臨している。ここに原発の、電力産業の深い闇が存在する。 閉塞感が満ち溢れる中で多くの国民が生活不安を抱える傍らで一部の者がのうのうと暮らしているのが日本の現状だ。芥川賞作家の村上龍が「この国には何でもあるが、ただ希望だけがない」と書いていたが、まさにその通りである。いつかはきっとそうなると信じているボクだが、原発のみならず社会を覆う様々な闇が晴れる日が待ち遠しい。 |
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