北米報知新聞(NorthAmericanPost)連載エッセイ
      都筑大介 「一言居士のつぶやき」

     第34回「希望の芽」 
               (2012年5月16日掲載)



ぶつかる。つまずく。そして転ぶ――。

この頃ボクは本当によく転ぶ。
 還暦を迎えた6年前の夏に左眼の角膜が裂けた。体内の免疫細胞が自分の角膜を溶かすモーレン潰瘍という難病が原因だった。緊急縫合をして9か月後に再び角膜が裂けそうになって角膜移植手術をしたが、今も左眼は見えない。そのため、遠近感が不確かで足許の見通しを誤ってしまうのである。
 我田引水的な感覚かも知れないが、このところの日本の状況がボクの症状に重なって感じられてならない。

 

 1985年、円高不況に苦しむ日本はプラザ合意に基づいて公定歩合を引き下げ、超低金利政策に踏み切った。その後数年にわたり膨大な資金が市場にあふれ、やがて日本は空前の好景気を記録した。バブル経済である。ことに不動産は高騰し、土地転がし・地上げ騒動・アングラマネーの暗躍と、まさに狂乱の宴が繰り広げられた。その行き過ぎた投機行動を抑えるために土地関連融資の総量規制が行われたのが1990年。結果、翌年末にバブル経済は崩壊。金融機関も大企業も不良債権処理に追われ、企業倒産が相次ぐようになって経済成長は止まり、1997年の消費増税による景気減退と相俟って日本は今日まで続くデフレ不況へと突入した。見せかけの好景気に浮かれて見通しを誤ったのである。

 その日本が今また誤った選択をしようとしている、とボクの心が警報を鳴らしている。大震災からの復旧・復興をおざなりにしたまま、デフレ脱却の策もなく社会保障改革の処方箋も示さず、消費増税だけは既成事実化しようとしているのが現民主党政権。彼らが国家の然るべき行く末を見通しているとは、到底ボクには信じられない。理念もビジョンもかなぐり捨てて官僚の言いなりになっている政権は遠からず崩壊するだろう。
 

 それにしても日本の官僚は特異だ。政権交代が現実化していく中で彼らは「民主党が政権を取っても半年か1年あれば潰せる」と豪語していた。つまり、どの党が政権を担当しても所詮は彼らの傀儡に過ぎないという倣岸な意識の発露である。ちなみに統治機構の大改革を目指した鳩山・小沢体制は8か月で頓挫し、その後の民主党政権は変質している。

歴史を紐解いてみると、明治政府は「天皇を中心とする調和に溢れる国」という新しい国家イデオロギーを基盤とする官僚による統治機構を誕生させた。「官僚は私利私欲を捨てて国に滅私奉公する存在であり、政治家は我欲に基づく闘争をして調和を乱し体制の秩序を脅かす存在である」というイメージが国民に刷り込まれ、政治家を権力の内部から締め出しておくシステムまで作られている。そうした過去の残滓が今も残っているようだ。

 

終戦直後GHQは、軍組織を排除し、財閥を解体し、意に従わぬ政党政治家を公職から退け、国家主義的団体を解散させた。が、官僚組織の改編には手をつけなかった。しかも、公職処分に関する細目の決定は官僚自身に任せたため、官僚は今までになかった権力を手にした。そして、戦前・戦中に革新官僚と呼ばれていた者たちが政界と財界の中心を成していったのが戦後60年史の真実である。

この官僚主体の戦後体制を擁護してきたのが他ならぬ大手メディアである。彼らが構成する記者クラブは、公式に検閲が行われていた戦時中にジャーナリストと体制側の各組織体とが共生するために制度化され、現在も自己検閲を続けてニュースと情報の管理に主要な役割を果たし、権力監視ではなく権力の道具になっているのが実情だとボクは思う。
 

ボクは片目しか見えないせいで、見えないところで起こっている物事を見通そうとする癖がついている。その目で今の日本を見ると、国の統治機構は「歪んでいる」し、ボクらが与えられている情報は「歪められている」ようにしか見えない。忌々しき事態である。

しかし、官僚と大手メディアの連係プレイもこのところほころびを見せている。
 大震災と原発事故がきっかけで官民一体となった「ムラ社会」に蔓延る利権構造があぶり出され、税金を食い物にしてきた天下り官僚の実態が暴かれ、一人の辣腕政治家を排除しようとしてきた官の企みが明らかになり、これまで国民の目に触れないように隠蔽されてきたことが表出するようになってきた。
 全国紙やTVキー局といった大手メディアが報じないことをネットメディアが報じ、「ネット世論」が高まってきたからである。

その結果、大手メディアの報道に疑念を抱く国民が増えてきている。
「埋蔵金は枯渇、財源がないから消費増税が必要」という傍らで財務省は、IMFに5兆円もの追加基金をポンと出し、韓国国債を1兆円も買う。その気前のよさは何なのか、と誰もが思うはずだ。

 

 ボクの心にとって随分長い道のりだったが、幸いにして、失望が絶望に変わる前にボクは「希望の芽」を見出すことが出来た。今ボクはネットメディアにそれを感じている。


[2012年5月]