北米報知新聞(NorthAmericanPost)連載エッセイ
都筑大介 「一言居士のつぶやき」
第35回「歪みを映し出す鏡」
(2012年6月20日掲載)
6月8日、野田首相は「原発を停止したままでは日本の社会は立ちゆかない。国民生活を守るため」と、福井県にある関西電力の大飯原発3、4号機の再稼動を宣言した。そして、「福島を襲ったような地震・津波が起こっても事故を防止できる対策と体制は整っている。万が一すべての電源が失われるような事態においても炉心損傷に至らないことが確認されている」と明言した。
ボクは憤りを禁じ得なかった、一国の首相ともあろう者が虚言を弄するからだ。
「国民生活のため」ならば安全の確保が最優先のはず。ところが大飯原発には震災と放射能漏れ事故に迅速対応できる免震棟もなければ圧力容器の破裂を防ぐベント装置もまだ施されていない。津波対策の防波壁の嵩上げもできていない。それらは2016年3月までに行う計画になっている。
つまり、安全対策は未完了なのである。十分な対策を講じた後ならまだしも、この状態での再稼動には誰もが不安を抱く。福島原発事故調査委員会の委員長も「原因究明が済むまでなぜ待てないのか」と苦言を呈している。しかも、大飯原発敷地の内外には幾つもの活断層がある。直下型地震が起きた時に首相は何と説明するのだろうか。
消費税論議においても首相は「国民の未来のために社会保障と税の一体改革は待ったなしの状態」と繰り返すが、増税のみに熱心で社会保障改革は先送りしようとしている。
財務大臣は「いま増税しないとギリシャのように国家財政が破綻する」と言い、某政権首脳は「原発を動かさないと経済と生活が成り立たず日本が集団自殺するようなことになってしまう」とまで言い放つ。
税収を増やして権益を広げたい財務官僚と原発推進政策を維持したい経済産業官僚の代弁をしている。
彼らは「国民のため」という冠詞をつければ何でも罷り通ると思っているらしいが、こうした言辞は「国民に対する脅し」と変わらない。
デフレ不況の中で大震災が起こり、欧米の経済が崩れて輸出産業が大打撃を受けている今の日本が、増税できる経済環境にないのは自明の理だろう。
日本には世界最高水準の技術・良質な労働力・近隣に広がるアジアの巨大成長市場という恵まれた条件があることを忘れてはならない。成長のための政治経済改革を避けて安易に増税に走るのは国民が納める税金で暮らし自ら稼ぐことを知らない官僚的思考に過ぎない。
ボクは残念でたまらない、鳩山・小沢両氏が退いてからの民主党政権が変質してしまったことが。
福島原発事故の時は住民に必要な情報を隠し、2009年総選挙時のマニフェストをことごとく反故にして国民を騙し、挙句の果ては危機を誇張して国民を脅す。「国民の生活が第一」の政党だったはずが、既得権グループが票とカネを持って擦り寄ってきたらあっという間に取り込まれてかつての自民党と同じ「しがらみだらけ」の政党に堕してしまっている。
その民主党現政権に、党内の小沢一郎氏とそのグループ議員たちが「増税の前にやるべきことがある」と抵抗を示している。
「消費増税は絶対にダメ」と言っているのではない。「増税の前に、税金のムダ遣いを無くし、非効率な統治体制を抜本的に改めるべきだ」と主張し続けている。
正論である。
にもかかわらず、大手メディアは「民主党は、小沢一郎と彼のグループを切り捨てて消費増税案を成立させろ、自民党と大連立しろ」と大合唱である。彼らの本質は既得権益層の一員であり、国家の維持が最優先であって庶民の命や生活などはどうでもいいと思っているようだ。
その昔政治学を学んだボクは20年ほど前から一人の政治家を見つめてきた。それが小沢一郎氏だ。
彼は「ぶれない、動じない、言い訳をしない、他人の悪口を言わない」いかにも東北人らしい人物である。
東京工業大学教授で高名な評論家でもあった江藤淳氏(故人)は彼をこう評している。「小沢一郎は自分がいつ総理大臣になるかは二の次で、政策の実現こそが緊急課題だということをはっきりと打ち出している。戦後政治史上まことに驚くべきことだ」と。
小沢一郎という政治家は保守政治家には稀な改革志向者であり、政策優先型の政治家であり、政策実現能力も兼ね備えた政治家なのである。だからこそ彼は官僚や企業団体など既得権益グループから危険視されてきたのだ。
どんな時代でも、当人の意思には関わらず、社会の真の姿を映し出す鏡の役割を演じる人間が必ず現れるものである。今その役割を担っているのが小沢一郎だとボクは思う。
執拗に小沢一郎を攻撃することで、政権中枢も野党自民党も、検察を含む官僚組織も大手メディアも、自身の歪んだ本質を曝け出してきている。
ネットメディアの急速な成長もあって、小沢一郎というフィルター越しにこの国の病巣が白日の下に現れつつある。多くの国民が目覚める日はそう遠くないと、今、ボクは感じている。
[2012年6月]
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