白山童 


   コロリ・天命ならざる死への抵抗


     研究ノート「幕末期における疫病観と民衆」から





 安政の虎列刺=民衆の概念と言葉でコロリと呼ばれた烈しい吐瀉(としゃ)を伴う疫病は、当時の蘭方医家も漢方医家も等しくその根本的原因を人知(じんち)の外に置いていた。
 誰かがひとたび虎列刺に罹
(かか)れば、医家にできることは有効と思われる一連の対症療法による手当てのみで、基本的には、病に耐えうる患者は回復し、耐えられなかった者は死者の列に加わった。
 この生死の分かれ目は、必ずしも貴賎
(きせん)にかかわりがなかった。しかも、その一つの例証は将軍家定までが同年コロリで死んだことであったろう。

 この疫病コロリによる死は、凡俗(ぼんぞく)の心=民衆の心にはまさに「異常なる死」として強く認識されたのである。天命ならざる死が、民衆の日常生活の時空に、突如、しかも大量に発生したのである。

 コロリが「天命ならざる死」として民衆に襲いかかった時、もっとも合理的な対処法とはどんなものであったろうか。それはおそらく、人知を超越した「神仏」に平癒(へいゆ)を祈ることであった。

 今日では、疫病は病原菌の作用によって引き起こされる、という基本認識をわれわれは持っている。従って、病原菌という「原因」を体内から駆逐(くちく)すること、環境から排除すること、究極的にはその原因である病原菌を消滅させることが疫病に対する合理的態度なのであるが、安政五年の時点ではコロリの根本原因は人間の手に及ぶものではなかったのであるから、ここでさまざまな神仏に働きかけることは、この不幸に対する根本的対策として唯一可能な行動であり、そして十分に理にかなったことであった。

 こうした認識を踏まえれば、安政のコロリの場合も含め、近世を通じて疫病の流行に際して民衆が挙行(きょこう)した祭礼、祓(はら)い、さまざまな呪術(じゅじゅつ)や呪符(じゅふ)への期待など民間信仰は、医師の治療や伝統的な民間医療、薬種への期待とならんで、民衆の「知見」の中において、改めて位置づけられ評価されるべきものであろう。

 民衆の生活意識の中に息づいていた「疫病観」は、具体的には、たとえば以下のように多様な側面を持っていた。

【御旗本仁賀保公の先君は英雄の賢君にておはしけるが、近年、疫病神を、手捕にさせ賜りしより、疫病恐れて、一通の証書を呈して一命を乞うによって、免助ありしと也。右公よき家は一切疫病流行と云事なし。又仁賀保金七郎と認め、入り口へ張置時は疫病いらずと云伝ふ】

 豪毅(ごうき)な、また俊英(しゅんえい)な武士が疫病神を捕獲し、諭したという話で、他にも疱瘡(ほうそう)神・麻疹(ましん)神などで類例がある。その原型は為朝伝説や源頼光の鬼退治などに遡れると思われる。なお、豪毅の者は侍以外にもいる。

【小川與惣右衛門船にて約束の事と書、ではいりの門、又は戸ある日々に張付置ときは、その家の小児疱瘡を軽くするといへり。是は前年疱瘡神関東に下向ありしときに、桑名の船中にて風にあひ、すでに船くつがへらんとせしを、與惣右衛門といふ船頭、守護して救いたりしかば、疱瘡神よろこびて、此謝禮にはその方の名かきてあらん家の小児は、必ず疱瘡かろくさすべきと約束ありしゆゑ、かく書付る事といへり】

 安政五年のコロリ流行においては、同年が開国すなわち「黒船襲来・異人上陸」の年だったこともあり、コロリ流行をこの異人と関連づけて解釈した話がかなり広範に流布(るふ)した。

【夷人海中に毒を流し、魚類之を食して人に伝る】
【八月下旬、九州よりころりと云病はやると。八手の葉、杉の葉、とうがらし〆三品を表につる。又薬に苧の実、かんてん、さか木の葉、かんぞう、南天の葉、白胡麻、口なし、〆七味せんし用いる也。異人の所為なりとの説多し】
【唐土より狐渡り此病はやる。或は異人海中へ毒を流し、魚等此毒にあたり、此魚を喰はころりを煩杯と浮説多し】
【右将軍薨去、彗星、疫病等に付説多し。異人等海に毒を流す故疫はやる。亦毒降る杯と色々浮説也】

 異人の襲来、戦乱の予兆、将軍の薨去(こうきょ)、彗星(すいせい)、迫り来る疫病。これらは幕末における民衆生活を取り巻いていた時代の意識や気分であり、そこには一種の閉塞(へいそく)感も反映されていると思われる。

 また、人々が疫病に有効と聞いたり、信じたりしたさまざまな対抗手段が登場している。八手(やつで)は天狗の所有になるもので霊力があり、杉の葉ととうがらしは、疫病が「とうにすぎた」という意味として疱瘡や麻疹流行の時にもしばしば登場してきたものである。おそらくは物理的な有効性と呪術的有効性の混在したさまざまな経験の所産である煎じ薬も頻繁に登場する。禁裏(きんり)の火も根強い祓いの霊力を民衆の意識中に復権しはじめている。彗星は『武江年表』など他の史料にも度々不吉の象徴として登場するが、これは古代王権以来のきわめて古い凶兆の観念である。

 すべてこれらは「人知の及ばない」場所から襲ってくる厄災と、それに対する対抗手段としての「祈り」のさまざまな展開の形なのである。



                       ※次回は「江戸のコロリと祭礼盛行」です。