ぐうたら備ん忘録21  要は気力なんだな

                    【2007.11.09 up】




 前回ボクは、(辛気臭(しんきくさ)くて鬱陶(うっとう)しい病気の話ばかり書いてきたのは少し配慮が足りなかったかも知れない)と自分の無神経さを恥じて反省した。にもかかわらず、「舌の根も乾かないうちに節操の無いことを……」と叱られそうだが、また眼の病気のことを書く。このところの症状の変化があれやこれやとボクを悩ませているからである。

 あれは七月上旬のことだった、ペンライトをボクの左眼の前にかざした主治医のS教授が、それを上下左右に動かしながら光を感じとれるかどうかと尋ねたのは……。

 そして彼は言った。
「視神経がかなりダメージを受けていますね」


(ええっ!)
 一瞬ボクは絶句した。そして、内心、S教授に噛みついていた。
(そ、そんなバカな! あんた、つい先日までずっと「視神経は正常です」と言ってたじゃないか。眼圧だって下がってるのに何でそうなるんだよ!)


 数秒後、正規の視野検査結果ではないことに気づいたボクは、気を取り直して尋ねた。
 しかし、ダメージを受けた原因については「緑内障などの関係でしょう」と曖昧な説明しかしてくれない。その上、ダメージは広がって行っているのかと聞くと「しばらく様子を見ないと判断しかねます」とはぐらかされた。


 視神経はダメージを受けると二度と回復しない。従って、ダメージが広がるにつれて視野は狭くなり、ついには失明に至る。視力回復のための今までの治療も角膜移植手術もすべて水疱に帰する。
 そういう重大事態なのにS教授はのんびりしたもので、次の診察日として五週間後を指定した。拍子抜けしたボクは、彼の診立てそのものに疑念を持った。


 その夜からボクは、毎日繰り返し鏡を覗きこんで、目の状態を観察した。その結果、移植した角膜の一部の白濁が分厚くなってきていて、その濁りがある位置と光を感じとれなくなっている位置がほぼ重なることを発見した。ボクは、今の視野狭窄は角膜が白濁したせいに違いないと手前勝手に判断して視力回復に望みをつないだ。


 五週間が経った八月中旬――。眼圧は引き続き20前後に落ち着いていた。

 S教授は、「眼圧が15前後まで下がれば次のステップにすすめるんですがね」と視力回復の可能性を示唆した。が、その可能性を否定するような前回の「視神経にダメージ」コメントとの関連には触れようともしない。ボクもあえて聞こうとはしなかった。
「半分でも三分の一でも見えるようになればいいじゃないですか」とかなんとか、サラリと言われそうで怖かったからである。
 この日ボクはS教授に関する認識を新たにした、(この人は、眼科医としての腕前は超一流でも、患者に病状を理解させる説明能力に少々難がある)と。ある意味、彼は腕のいい職人なのだろう。



 そして十月初旬――。ボクは再び強い衝撃を受けた。

「モーレン潰瘍が再発しかかっています」
 S教授はいつもと同じに平然とコメントしたが、ボクの頭の中は真っ白になった。


 なにせ発症に至る原因がいまだに解明されていない特殊な眼病である。それ故に根本治療は出来ないし、いつ再発するか分からないから始末の悪いことはこの上ない。発症すればまた角膜が溶けて裂ける。視力回復どころではなくなって角膜移植の繰り返しになる。

 しかし、幸いに今回は、S教授のタイムリーな判断と対応で「モーレン潰瘍の再発症」を未然に抑え込むことができた。必然、S教授への信頼感は高まる。

(やはりこの人は角膜再生分野の第一人者だ)との思いを深くしたボクは、抱いていた疑念をどこかへ投げやっていた。

 常日頃から「損得勘定で物事を判断してはいけないよ」と分かったようなことを言っているボクも、ことほど左様に、いざ自分のこととなると現金なものである。主治医の対応と治療結果によって彼に対する気持ちがコロコロ変わる。この年齢になってもまだそうなのだから恥ずかしい。


 話がちょいと横道に逸れるが、この間、九月の中旬に、出版社の編集者・Yさんからメールをいただいた。病気見舞いの言葉に「回復して小説の執筆に力を注げるような状況になることを望んでやまない」というメッセージが添えてあった。Yさんはいつもこうしてボクを励ましてくれる。ありがたいことである。
 にもかかわらず、「モーレン潰瘍」という厄介な眼病に苛まれているとはいえ、今年もボクは何一つまとまった作品を書かずに終えようとしている。そんな自分が情けない。


 そこでボクは考えてみた、左眼の視力を完全に失った最悪事態のことを……。


 歴史を紐解いてみれば、伊達政宗や山本勘助や柳生十兵衛など、片目ながらも後世に名を残した人物が結構いる。
 二十数年前に六本木のバーで一緒に酒を酌み交わしたことのある「おスギとピーコ」のピーコさんだって、失明した片目に義眼を嵌めて芸能界で活躍を続けている。
 それを思えば、普通の暮らしをしながら文章を綴っていけばいいボクが、片目になることを怖がっていては男の沽券にかかわる。鬱陶しい眼病のせいで集中力が長続きしないからと執筆を怠るようでは男の価値が下がる。


 そう結論したボクは、Yさんからメールをいただいた日を境に、片目になっても小説やエッセイを書き続けられる『気力』を養い磨いていくことにした。我流の瞑想を通じてからだの細胞に、特に脳幹(自律神経機能の中枢)と海馬(記憶の司令塔)には入念に、繰り返し語りかけるのである。

「さぁ、活動再開だ。先ずは古びた皮を脱いで新しい元気な皮に張り替えるんだ」
「シャンとしようぜ、シャンと。この程度のことでへこたれてどうするんだ」
「元気が出ない? そりゃ、気のせいだよ。そう思い込んでるだけさ」
「昔に戻りたい? 無茶を言うなよ。過去を振り返っても仕方がないだろう。前を向け、明日を見ろ」
「まだまだ人生は長いんだぞ。俺と一緒にもうひと頑張りしようぜ」
 などと話しながら、細胞たちに気を注ぎ込むのである。

 もしもこの頭中会話を口に出してやったら、周囲の人が気味悪がること請け合いだ。それに女房殿が多分、(ああ、変わり者がとうとう狂い者になってしまったわ……)と嘆き悲しむ。娘の方は、(へえーっ。お父さんにこんな芸があったんだ、あははっ)と面白がるに違いない。

 余談はともかく、ひと通り瞑想を終えた途端に、集中力が以前より長続きするようになったから不思議なものである。
 しかし、自分の角膜の傷を外敵が侵入したと思い込んで食い潰すことでモーレン潰瘍を進行させる免疫細胞に「もういい加減に勘違いはやめろよ」と説得を試みたが、彼だけは頑固でボクの言うことを聞いてくれない。


 そんな十月中旬の昼下がりにボクは嬉しい夢を見た。折りしもその日は「大安」だった。女房殿は、昔のOL時代の友人と一緒に葉山近辺の散策に出かけていた。
 この頃胃袋が膨れると睡魔に襲われるボクは、昼食を済ませるとミニダックス母子を左右の脇に抱いてベッドに横たわり、すぐに眠りの底に落ちた。

 ボクは、見覚えのある広い社員食堂で昔の同僚のMくんとYくんとの三人で酒を飲みながら話し込んでいた。
 打ち合わせが済んでレジに向かったMくんが係の綺麗なおネエちゃんに「ワリカンだから三つに割ると一人幾らになる?」と尋ねた。
 その脇でボクは、視野チェックのためにこの頃よくやる動作をした。電灯に顔を向けて右眼をつむり、左眼の前に指を一本立てて左右に動かしながら光を感じとれる視野範囲を確認するのである。

 そしてボクはびっくり仰天した。
 指を左右に動かした途端に、まるで車のフロントガラスを覆っている水滴をワイパーで拭い去った後のように、目の前の光景がくっきりと見えたのである。思わず、「見えた! 見えるようになったぞ!」と叫びそうになった。
 が、次の瞬間、非情にも、けたたましい呼び出し音がボクの眠りを引き裂いた。


 ボクを夢から現実に引き戻したのは商品取引の勧誘電話だった。

(この野郎、折角いい夢を見てたのに邪魔しやがって……)
 無性に腹が立った。
 当然、受け答えが粗雑になる。
 遠慮会釈のないベランメェ口調になったボクが「何言ってんだい。そんなにうまい話があるんなら、あんたが自分で投資すりゃいいじゃねーか」などと、怒りの混じった乱暴な言葉で応答するものだから相手はおろおろして早々に引き下がった。
 後で(若い子に可哀相なことをしちまったな)と思ったが、「時、すでに遅し」である。いまだ何かの拍子に自制が利かなくなる自分が怖い。


 それはともかく、ボクはこの夢が「正夢」であるよう、懸命に祈った。

 また話が逸れるが、病気のことを英語で「isease」という。ついでに言うと、ボクが抱えている糖尿病は「iabetes」である。病気のせいで落胆(isappoint)し、苦悩(istress)と葛藤(iscord)をするだけで、前向きなことは何もしない(o−nothing)のでは、まさに『の悲劇』である。
 悲しい『』にはそろそろ別れを告げなくてはならない。



 この頃ボクはつくづく感じる、「人間、要は気力なのだ」と……。

 気力さえ充実させることが出来れば大抵のことはこなせる。それに、すでに起こってしまったことは「覆水、盆に帰らず」だし、愚痴を言っても弱音を吐いても何も得られない。ますます落ち込んで行くだけだ。

(ならば、そんな後ろ向きのことにはオサラバしよう。世の中に片目の物書きが一人ぐらい居たっていいはずだ)

 ようやくボクはそう考えられるようになってきた。「もうこれで大丈夫だ!」とはまだ言い難いが、かなり覚悟が固まってきた今日この頃である。

             [平成十九年(2007)十一月]