ぐうたら備ん忘録23 命とおカネ

                  
【2008.05.29 up】




 このごろどうも体調が良くない。というのはボクのことではなく、うちのショウコさんのことである。
 我が家には、もうじき十一歳になるショウコさんと八歳になったばかりのチャタロー君という、ミニチュアダックスフンドがいる。ショウコさんはロングヘアーで毛色がブラック&タンの美人であり、先祖にグランドチャンピオンやチャンピオンが沢山いる由緒正しき家系に生まれた才媛だ。

 ボクたちはショウコさんの子供が欲しくてかかりつけの獣医さんにお願いし、その結果誕生したのが長男チャタロー君と次男クロベー君だった。どちらか養子に欲しいとの申し込みがあり、そのご希望に応えることを決めたボクたちだったが、チャタロー君は父親似で毛色がレッド、クロベー君の方は母親そっくりのブラック&タン。どちらを養子に出すか随分迷ったが、結局、次男のクロベー君を養子に出して長男のチャタロー君を我が家に残すことにした。

 そのチャタロー君とクロベー君が生まれる時、お腹の中で育ち過ぎたためにショウコさんは帝王切開せざるをえなかった。それからショウコさんの体調が狂い始めた。
 子供を産んで一年も経たない頃に、ショウコさんのお腹の一部が、そこだけ体液が溜まったようにぷくーっと膨れたのである。獣医さんは切除手術をすすめ、彼を信頼していたボクたちはその判断に従った。しかし、切り除いてもしばらく経つと別のところに同様のものが出来る。すると獣医さんはまた手術をする。その繰り返しでショウコさんの体力は見る見る衰えていった。三度四度と続くものだから、さすがにボクたち家族はたまらなくなって、別の獣医さんを探した。


 新しい獣医さんは診立ても処置も、前の獣医さんに比べると遥かに的確だった。検査に基づく投薬によってお腹や背中に出来ていた不気味な膨らみは二度と現われることがなくなった。かかりつけ先を替えたことが功を奏していた。しかし、問題はまだ残っていた。お産の時の手術に手落ちがあったらしく、ショウコさんの大腸は癒着寸前になっていたのである。この正月にボクが呻吟させられた腸閉塞と同じ症状である。そして二年後、ついに癒着し、何も食べられなくなった。

 緊急手術をしてもらって何とか命を救うことが出来たが、元の健全な状態にはもはや戻らず、季節の変わり目や気温に激しい変化があると体調を崩す。今の獣医さんと相談しながら食べ物も特別なものにしているが、少し食べ過ぎただけで嘔吐する。そんな状態がずっと続いている。

 そして昨日の午後。女房殿が所要で出かけている時にショウコさんは嘔吐し、下半身を痙攣させた。家で仕事をしていた娘が吐瀉物の後始末をして、自分の部屋にいたボクに対応を相談しに来た。
 以前ならすぐに車で獣医さんのところへ連れて行くのだが、片目が見えない今のボクは車の運転が出来ない。とりあえず女房殿の帰宅を待つことにして、ボクはショウコさんを懐に抱いて介抱した。
 まもなく下半身の痙攣は治まったが、当然ながら生気が失せている。ボクは小声で励ましの言葉をかけながら、赤ん坊をあやすようにショウコさんを抱いて、家の中を右に左に歩き続けた。


 往々にしてあることだが、早く帰って来て欲しい時に限って帰りが遅くなる。ショウコさんが心から慕っている女房殿は、いつもより一時間半ほど遅く帰宅した。ボクは約三時間、ショウコさんを抱き続け、励まし続けた。
 幸いに、女房殿が帰って来た時にはかなり元気を取り戻していたショウコさんは、玄関まで迎えに出てワンワンキャンキャンと吠えた。ボクにはその鳴き声が「お母さん、どこへ行っていたのよ!」と聞こえた。


 ペットは家族の一員である。ボクたちの心を癒してくれる大切な存在なのだ。しかもボクたち同様にかけがえのない命を持っている。
 今のショウコさんのように身体のあちこちに支障をかかえていても、チャタロー君のようにいつも元気溌剌としていようとも、それぞれ命は一個しかない。その命をまっとうさせてやるのがボクたちの家族の義務なのだ。


 ボクは、ショウコさんとチャタロー君のためならば、「金で命は買えない」と言うけれど、おカネを払ってでもその義務を果たしたいと思っている。女房殿も娘も同じ考えだ。
 実際にショウコさんの医者代は、医療保険がないから、毎月約一万五千円かかる。手術をすればすぐに十五万円から二十万円が飛んで行く。しかし、その分はボクたちが節約をして捻出すればいいのだ。


 三時間の間ショウコさんを抱いていて、ボクは彼女が骨と皮だけの状態になっていることを再認識した。それでも健気に生きようとしている。痩せ細ってひと回り小さくなった体内に生命エネルギーが満ち溢れていることに、ボクは感動を覚えた。そして、ボクたちもそれぞれ自分の命をまっとうしなくてはならないと思った次第である。



 ひるがえって今の政治を見ると、命よりもおカネの方が大切にされているように、ボクには思われてならない。森善朗・小泉純一郎・安倍晋三・福田康夫と四代続いている清和会メンバーによる政権が打ち出してきた政策がそうである。

 特に小泉さんの時代が酷かった。表向きは改革政権を標榜していたが、その実は国民に痛みを押し付けるばかりだった。
 小泉さんの五年間は、道路公団民営化と郵政民営化が声高に語られているがそれも「仏作って魂入れず」の類いに過ぎず、「私が政権を担当している間は消費税を上げません」という甘い言葉の陰で、実質的増税となる制度改定をして年間九兆円もの国民負担を増やした。
 その小泉さんの置き土産が「後期高齢者医療制度」なのだ。


 このホームページの別コラム「ひなたやま徒然草」にも書いたが、制度立案の根本は老人医療費の抑制である。税金の無駄遣いはそのままにしておいて、国の赤字財政のつじつま合わせをしようとする無能な施策の一つである。
 だから、初めに目標削減額ありきで、その数字に合わせて制度が組み立てられている。お年寄りの心を傷つけ、お年寄りの財布に手を突っ込む内容になっているのだ。言い換えれば、命よりおカネを重視している訳だから、お年寄りだけでなく皆が怒るのも無理はない。


 老人医療費は若い人たちに比べて五倍もかかると厚生労働省の官僚は言うが、そもそも今は老人となった人たちが若い頃はさして病気もせずにコツコツ保険料を払ってきたことが忘れられている。
 若い頃はカネを払うだけで医者の世話にならなかったのに年をとって医者に通うようになったら別勘定でカネを払えと言われる。そんな目に遭えば誰だって腹を立てる。
 ましてや、戦後日本の復興に汗水流してきた方たちが今の政府が言うところの後期高齢者である。むしろ、「ご苦労さまでした」と頭の一つも下げて、「これからは保険料も窓口での自己負担も一切必要ありませんから」とニッコリ出来る、温もりのある制度を作るべきだとボクは思う。


 こういう意見を述べると、政府与党の代議士は決まって「財源をどうするんですか!」と食って掛かる。「過去完了=過去官僚」と言われている官僚出身の代議士たちが特にそうだ。
 確かに、現状の行政システムを変えない限り新たな財源は生まれてこない。ならば行政システムを変えればいいのだが、選挙に勝つために省庁を利用して地元への利益誘導をするなどして、官僚たちに弱みを握られているものだから彼らが嫌がる行政改革はしない。
 一般会計の四倍を超える予算規模を持つ特別会計を見直し、官僚天下りの受け皿になっている特殊法人を潰せば、どんなに少なく見積もっても毎年三十兆円を上回る財源が出てくる。
 その金で命を買ってもいいではないか、いや、そうすべきだ、とボクは思っている。



「今の日本の政治は人間が住む国の政治ではない」とおっしゃったのは世界的免疫学者の多田富雄さんだが、まさにその通りで、「命よりカネが大切な政治」がまかり通っている。
 これでは国民に奉仕するために政府があるのではなくて、政府に奉仕するために国民がいるようなものである。
「本末転倒、ここに極まれり」だ。もう、呆れてかえってものが言えない。
 やはり政権交代が必要だな、と呟いてしまう今日この頃である。


                                [平成二十年(2008)五月]