ぐうたら備ん忘録27
 モーレン潰瘍、自己との闘い

            【2009.11.18 up】





 その昔高校球児の一人だったボクにとって、イチロー選手がメジャーリーグ新記録となる九年連続200本安打を成し遂げたことは嬉しさを通り越して感涙こぼれる思いだった。彼の所属球団マリナーズの本拠地であるシアトルでは1902年に日系人のために創刊された『北米報知新聞』が今も連綿と歴史を紡いでいる。
 ボクは現在、この二か国語新聞に『一言居士のつぶやき』と題したエッセイの連載コラムを持っているから尚更だった。


 その第1回エッセイが掲載されて一週間後の7月29日のことである。
 ボクは心の中で「お願いだ、もう勘弁してくれ!」と叫んだ。例の『モーレン潰瘍』が二度目の再発をしていたのである。「長期戦になるが視力回復の見込みはある」という主治医の言葉を信じて続けてきた左眼の治療は振り出しに戻ってしまった。


 還暦を迎えた三年前の六月末。ボクの左眼は、突然パカン!と弾けて中から生ぬるい液体がドボッとこぼれ出た。
 その瞬間は何が起きたのか分からなかったが、『角膜穿孔(角膜に穴が開くこと)』が起きていた。こぼれ出たのは水晶体と角膜の間で組織代謝と眼圧調整をしている房水である。大急ぎで裂けた角膜を縫合してもらったので失明は免れたが、それ以来ボクの左眼は光をわずかに感じるだけの状態が続いている。


 後で分かったのだが、角膜穿孔が起きた原因はモーレン潰瘍だった。
 自己免疫作用が引き起こすモーレン潰瘍は、何かの拍子に免疫細胞が自分の角膜を外敵と見做して攻撃し、溶かしながら薄くしていく。蚕が桑の葉をムシャムシャ食べていく様子に似ているので蚕食性潰瘍に分類され、角膜上皮に対するアレルギーだろうと考えられているが、いまだに発症原因が解明されていないために根本治癒の有効策がない。

 言わば自分で自分を痛めつけるこの奇病は、ある日角膜周辺部の潰瘍として現れて白目の充血や眼球の痛みなどを引き起こす。進行につれて潰瘍が中央に向かって拡大し、結膜や強膜にも炎症を広げていく。そのため、四六時中眼球に何か異物が入っているような不快感と鈍痛に悩まされる。

 しかし、大抵の眼科医はモーレン潰瘍だとは気づかず、一般的な「ものもらい」と勘違いする。初期症状が現れた四年前の暮れにかかった開業医も、年明けに開業医から紹介された大学病院の医師もそうだった。そして、炎症を抑える治療をしている間にボクの免疫細胞はボクの角膜を蚕食し、半年後に角膜穿孔を引き起こした。

 この厄介な眼病は繰り返し襲ってくるから始末が悪い。一度目の再発は、緊急縫合手術から八か月後だった。
 その時はモーレン潰瘍だと見破った現在の主治医の治療を受けていたのだが、炎症が退いても免疫細胞による角膜の蚕食は止まらず、切迫穿孔(裂ける寸前)になったために移植をして新しい角膜に張り替えた。拒否反応も無く移植角膜も組織に馴染んできて、モーレン潰瘍は影をひそめた。が、その代わり、免疫抑制剤の副作用に苦しめられた。


 先ず、全身にむくみが出て足の甲は靴が履けないほどパンパンに腫れあがった。手指も膨れ上がり、特に左手の中指と人差し指が曲がらなくなった。処方薬は効かなかったが、試しに飲んだ漢方ハーブティーがむくみを緩和してくれた。
 それでホッとひと息ついていると、今度は帯状疱疹が左の腰と太ももに現れた。寝返りが打てず、睡眠不足が五か月余り続いた。
 それも何とか克服してやれやれと胸を撫で下ろして迎えた正月に、何と腸閉塞になった。抑制剤によって免疫力が低下しているために、普段なら自然に治癒するはずの炎症が酷くなって腸壁を圧迫していた。開腹手術は免れたが約一か月間の入院治療が必要だった。


 腸閉塞の治療中は当然ながら免疫抑制剤は服用しない。ところが奇妙なことに、左眼の症状は良化していた。
 それからは免疫抑制剤なしの左眼治療となったが、左手の指は強張ったままで手首に痛みを感じるようになった。整形外科で診てもらったが、持病の糖尿と眼の治療の関係から内服薬は使えないということで、経皮鎮痛消炎テープ剤で対応することになった。
 幸いに眼の方は、季節がひと回りすると、角膜の透明度が徐々に増してきた。可憐な薄桃色の花を風に散らした我が家のバルコニー前にある山桜が青葉を繁らした頃には、「もう少し様子を見てからにしましょう」という、視力回復手術が出来る段階にきたことを示唆する主治医のコメントもあった。

(よかった、やっと先が見えた)とボクが思った矢先である、モーレン潰瘍が二度目の再発をしたのは……。


 人間の体で唯一生きた細胞が表面に露出している角膜は、角膜上皮・ボーマン膜・角膜実質・デスメ膜・角膜内皮の三つの層と二つの膜でつくられている。全体の厚みは中央部で約0.5ミリ、外側周辺部で約0.7ミリ程度である。
      
 一番外の角膜上皮は、わずか0.05ミリほどの厚みしかないが幾つかの層に分かれていて、その基底層と呼ばれる部分では盛んに新陳代謝が行われ、新しい上皮細胞を作り出している。新しく出来た上皮細胞は順に上皮層の上に移動して、古い上皮細胞と入れ替わる。古い上皮細胞は剥がれ落ちて、涙とともに排出される。

 次のボーマン膜は、0.01ミリほどのコラーゲン繊維で出来た薄い膜で、上皮層のベースとして角膜の強度を保っているが、これが無くなっても視力に影響することはない。

 表面から三層目になる角膜実質は約0.4〜0.5ミリあり、角膜全体の厚みの90%前後を占めている。たんぱく質とコラーゲン繊維がきれいに並んで作られているこの細胞組織にはキズを修復する機能はほとんどなく、普段は分裂や増殖はしない。しかし、角膜にキズがつくと活性化して分裂・増殖を始める。

 その下のデスメ膜は、角膜実質と角膜内皮を繋ぎ止める働きをしている厚さ0.01ミリのとても薄い膜だが、非常に強靭に出来ていて、角膜全体の形を保って外からの圧力に抵抗する力を持っている。キズがつくと再生機能が働いて修復される。

 そして一番内側にあって蜂の巣のような六角形の細胞がびっしり詰まった角膜内皮は、厚みが0.05ミリ程度で、角膜の組織に養分や酸素を運ぶ働きをしている。この内皮が異常をきたすと角膜が膨張して白くかすんでしまう。再生機能はまったく無く、年をとるに連れて少しずつ細胞数が減っていくが、損傷すると周辺の細胞が面積を拡大して補う。



 振り返ってみると六月下旬。左眼が余りにコロコロするので検査をしたら瞼の裏に腫瘍が出来ていた。すぐに切除摘出してもらい病理検査でも良性だったのでひと安心したのだが、その間に出来た角膜表面のわずかな傷に免疫細胞が反応してモーレン潰瘍特有の自己免疫作業を開始したらしい。

 炎症を抑えるステロイド剤と免疫抑制剤の投入で進行は止まった。しかし、角膜は良化以前の状態に逆戻りした。上皮の基底層がしっかりしているので当面は角膜穿孔の心配はないとのことだが、またも免疫抑制剤漬けの日々を送らなければならなくなった。

(こんなことが繰り返されるなら、いつまで経っても視力回復手術が出来ないのでは?)

 不安を募らせたボクは、八月中旬の検診時にこう主治医に尋ねた。
この先もずっと今の見えない状態のまま治療を続けることになるんでしょうか?」

 すると主治医は、「そうですねえ、そうなることも考えられます」と事も無げに答えた。

(今の状態が続くのなら、いっそのことすぐに左眼を潰して治療を終えた方がいい)
 そう思ったボクは、結果は問わないから視力回復への手術をしてもらいたいと訴えた。

 が、主治医は同意しなかった。症状が落ち着いて角膜が良化するのを待たずに手術に踏み切れば間違いなく視力回復の可能性を失うという。

 それでボクは改めて尋ねた。

「先生、この左眼は本当にまた見えるようになるんでしょうか?」

 主治医の返答は、視神経の状態によるのでダメージが進行していなければ視力回復の可能性はある、だった。
 それでボクは、現在ボクの視神経はどの程度のダメージを受けているのかと聞き、返って来た言葉に唖然とさせられた。

「その点はむしろ、私より、都筑さんの方が分かるんじゃないでしょうか。まだ角膜が白く濁っている状態なので視神経のダメージがどの程度かを見ることが出来ません。ですから申し上げているんですが……」

 角膜の透明度が高ければ眼球の奥にある視神経の束が見える、その色によってダメージ範囲を判定できるのだが今はそれが出来ない、と彼は説明を続けた。
 視神経のダメージは二度と回復しない。ダメージが全体に及べばいかに優秀な技術をもってしても視力回復の望みはなくなる。
 だからこそ主治医はダメージの度合いと範囲を常に把握している、とボクは思っていた。が、どうも様子が違うように感じた。


「光の方を見ると、明るく感じる部分とそうではない部分があるはずです。その割合が現状どうなっているか、こればかりはご本人でないと分かりません。光を感知できない部分は視神経がダメージを受けているということになります」

 そう説明を加える主治医にボクは疑念を抱いた。彼は視神経のダメージ状態を把握してこなかった、いや、そのことに無関心だったように思えたからである。
(彼はどこまで本気で左眼の視力を回復させようとしてくれていたのだろうか……)
 疑念に駆られたボクは悩んだ。その夜は半ば自暴自棄になって大酒を食らった。


 しかし、嘆いてばかりではいられない。
 思い直したボクは、翌朝、左眼が光を感知する範囲の確認をした。

 するとどうしたことか、以前に確認した時よりも感知範囲が広がっていた。

 鏡を覗いてみると、黒目を覆っていた灰白色の角膜上皮がかたまりとなって隅に追いやられている。それで今までとは違う様相になったらしかった。それはともかく、光を感知出来る範囲が広いということは視神経のダメージが思いのほか軽いということに他ならない。

 九月中旬の定期検診時にこのことを伝えると、主治医は「都筑さん、今の治療を続けましょう」と微笑んだ。


 再び希望を抱いたボクは、いまだに痛む左手首と指を揉みながら、改めて長期治療に臨む決意を固めた。
 しかし、モーレン潰瘍はある日突然、何の前触れもなく襲ってくる。過去の経験からすれば、体力が弱っている間は影を潜めているが回復して元気になると頭をもたげる。
 しかも、この敵はボク自身の免疫細胞であり、ボクによく似ていて頑固で聞き分けがないから厄介なこと極まりない。

 この先もボクは、いつ再発するかも知れない不安を抱えて、なかなか終わりの見えない、自己との闘いを続けなければならないようである。

                           [2009年11月]