ぐうたら備ん忘録
その九 ストライク・アウト
プロ野球界が揉めに揉めている。九月十七日夜。選手会は十八日・十九日の二日間、史上初めてのSTRIKE(ストライキ)決行を決めた。
発端はパリーグの球団合併である。
三ヶ月余り前。大阪近鉄バッファローズとオリックスブルーウェーブが今シーズンの終了時点で合併すると発表した。赤字球団が経営権を譲渡することは過去にも度々あったが、合併というのは珍しい。日を待たずして第二の球団合併が計画されていることも発表された。その背景にはジャイアンツの読売とライオンズの西武が手を組んですすめていると思しき「1リーグ構想」がある。現在のセパ合わせて12ある球団数を10に減らす構想である。「望ましくは8チームでの1リーグ」という過激な発言もオーナー側から飛び出した。
それに対して選手会は合併の一年間凍結を願い出た。「セリーグ6チーム・パリーグ5チームでペナントレースを展開するのはセパ交流試合を導入してもイビツな形になるし、球団が減ることはファン離れにつながる恐れがある。球界の将来のためにも大阪近鉄とオリックスの合併を一年間凍結して、時間をかけて最善の姿を模索してもらいたい」という願いである。ボクは至極当然な申し出に感じたが、オーナー側はこれを一笑に付した。球団の合併は経営事項であって選手会が口を差し挟む問題ではないという訳である。「直接お会いしてお願いをしたい」と言う古田敦也選手会長の発言に、オーナー会議議長の読売巨人・渡辺恒雄氏は「無礼な! たかが選手の分際で」と一喝した。大阪近鉄買収に名乗りを上げたITベンチャー企業に関しても、どこの馬の骨か判らん会社が……という態度で歯牙にもかけない。選手会側の危機感は極まった。
それはそうだろう。現在1チームの保有選手数は70人。1チーム減れば10人に1人、2チームが消滅するとなれば5人に1人の選手が行き場を失う。事は消滅するチームの選手だけの問題ではなく、消滅チームの主力が移籍することによって押し出されてクビを宣告される選手が他チームでも大勢出るのは火を見るより明らかである。大リストラの嵐が目前に迫って選手会は団結を強めた。その一方で大阪近鉄とオリックスは合併を既定事実とするべくどんどん話を詰めていった。選手会は「1年間合併凍結」の仮処分申請を裁判所に行ったが、裁判所は選手会の立場を一般の労働組合と同様だと認定したものの、仮処分申請は却下した。そうなるとプロ野球機構側は俄然強気になった。
ここまでの経緯でボクが不思議に思ったのは、いつの間にかオーナー会議が一歩後ろへ下がって、いわば事務方の機構が前面に出てきたことである。オーナー会議議長の渡辺恒雄氏がドラフトの逆指名候補選手に裏金を渡した不祥事の責任をとるとして巨人のオーナーを辞任した影響もあるのだろうが、「選手交代!」という印象を持った。
――ちょいと脇道に逸れる。
日本のプロ野球組織は分かりづらい。制度上は球団の上にリーグがあり、その上にコミッショナーがいる。アメリカの大リーグとほぼ同じ組織形態になっている。従って、機構の頂点にいるコミッショナーなりリーグ会長なりが強い権限を持って機構を動かしているはずなのだが、そうではないからややこしい。すべての最終決定はオーナー会議が了承しなければ行えない。球団組織を見ても不思議である。球団社長と球団代表が一人ずついて、素人目にはどっちが偉いのか区別がつかない。社長と名がついているのだから球団経営の責任者だと思えば必ずしもそうではないようで、代表と名がついているから球団を代表する重要人物かと思えばそれもそうではないらしい。(何なんだ、一体これは……)と考え込んでしまう。
しかし、答えは意外に単純。簡単なのである。球団そのものの発生経緯を振り返ってみると解る。昭和初期に読売新聞社の正力松太郎氏が日本にもプロスポーツを根付かせようとして東京ジャイアンツを創設した。その後、東京・大阪・名古屋の三大都市圏を中心に各地で続々とプロ野球チームが出来ていったが、球団を設立したのはほとんどが新聞社や鉄道会社などの企業であり、唯一の例外は原爆被災から立ち上がるための支えとして市民によって設立された広島カープだけである。つまり、球団はそれぞれの企業の宣伝媒体であり、それゆえに球団経営に赤字が出ても親会社が宣伝費の一部でその赤字を補填してきた。となれば、球団が親会社の意のままにならざるを得ないのは自明の理。球団幹部は親会社から派遣され、自立経営とは程遠い状態が今日まで連綿と続いてきている。球団社長とか球団代表とかいっても大した権限もなく、オーナーと呼ばれる人たちの小間使いなのだと思えば分かりやすい。コミッショナーやリーグ会長にしても似たようなもので、歴代どこかの官庁で偉いさんとして退職した年寄りが務めている。彼らは天下りの専門家であって野球のことはほとんど知らない。球界の将来なんて考えていない。要するに役立たずのお飾りである。
さて、本題に戻ろう――。
強気になったプロ野球機構側は、「たかが使用人に過ぎない」選手会と話し合いの場すら持とうとしなかった。「これじゃ、ストライキという実力行使に打って出るほかに道はない」と選手会は腹を括り、大半のファンがそれを支持した。
世間の風当たりが強くなってようやく機構側は話し合いの席に着いた。しかし今度は、ストライキによって被(こうむ)る損害はその賠償を選手たちに求めると、選手会を脅しにかかった。しかも水面下で好餌(こうじ)をチラつかせながら、それぞれの球団幹部が自分の球団の選手たちに選手会の決定に従わないようにと説得工作を展開し、選手会の分断を画策した。
それでも選手たちは団結を守り抜いた。人間誰でも自分が可愛い。しかし裏切り者のユダにもなりたくない。球団幹部たちのこうした汚い裏面工作はかえって選手たちの自覚を促がしたようである。皆野球が大好きでプロになった男たちである。機構側というか球団側の説明が決してプロ野球の将来を明るくするものではないと確信したのだと思う。
機構側は、
「経営が成り立たなくなった会社が合併するのは企業行動として当然のこと。大阪近鉄とオリックスの合併は例え一年間であっても棚上げすることは出来ない。また、すでにオリックスとの合併を合意している大阪近鉄がどこかの企業に経営権を譲渡することもありえない」と木で鼻をくくったような態度で接し、
「ならば新規参入を今より容易にして、2005年度シーズンも両リーグ6チームずつでペナントレースができるように最大限の努力をしてもらいたい」と詰め寄った選手会の提案にも、
「新規参入の申請は公正に審査する必要があるので時間が足りない。努力はするが2005年度シーズンからという縛りと最大限努力という言葉を合意書に入れることは出来ない」と歩み寄る姿勢をまったく見せなかった。
「曖昧な文言での約束では納得出来ない」と選手会はストライキ突入を通告した。
この間、巨人のオーナーを辞任した渡辺恒雄氏は自社の読売新聞ではなく毎日新聞のインタビュー取材に応じて「巨人がパリーグに移籍してもいいんだ」と述べている。逆風を感知して1リーグ制構想に異を唱え始めたセリーグのオーナーたちへの牽制である。盟友の堤義明西武ライオンズオーナーもロッテオリオンズとダイエーホークスの合併を盛んに匂わせた。しかし、ダイエーの拒絶によってこの話は頓挫したようである。
それにしても、これほどまで「1リーグ」にこだわる理由がボクにはよく理解できない。
読売新聞だって購読部数を伸ばすのに相変わらず躍起になっているし、西武鉄道グループだって売り上げを伸ばそうとしても減らそうとはしていないはずである。なのにプロ野球のこととなると規模縮小のダウンサイジングへと一直線。それが理解できない。ましてや二言目には「国民的スポーツであるプロ野球」とおっしゃるから益々解らなくなる。何となく解るのは現在のオーナーたちが野球を愛していないということである。
「日本のプロ野球を将来アメリカ大リーグに伍することが出来るように育てていきたい」と尽力された正力さんに比べると、皆、目先のことに囚われている。将来への展望が無い。
仮に、日本のプロ野球を1リーグにして韓国や台湾や中国を巻き込んだ『プロ野球アジア機構』を作るための前段階だというのであれば、まだうなずけないこともない。が、そんな発展的思考はどのオーナーの口からも出てこない。
あの人たちは、要は自分たちの思い通りに出来て、それぞれの球団が損の少ない体制に持ち込もうとしているに過ぎないのだ、とボクは思った。1番人気の巨人と2番人気の阪神が試合をしてもテレビの視聴率が10%を切る現状の深刻さが本当の意味で理解できていないのだと思う。
プロ野球機構は今、組織とシステムを根本から見直して再構築していかざるをえない瀬戸際に来ているとボクは思う。
アメリカ大リーグの場合、チケット収入などはゲーム主催球団の懐に入るが、マスメディアから受け取る放映権料はコミッショナーがプールして各球団に均等に分配している。ヤンキースのようにスター選手を大勢抱えているチームは選手の合計年俸がコミッショナーの決めた基準を上回る部分に対して一定割合の課徴金を支払っている。それもまた各球団に分配されている。だから30球団もありながらそれぞれの経営は成り立っている。
似たような知恵がなぜ湧いてこないのか?
それは取りも直さず、業界の上に立つ人たちが野球のゲームを見るのは好きでも野球というスポーツを愛していないからであろう。ああ、情けない。
情けないと言えば根来コミッショナー。最終交渉の場にコミッショナー見解なるものを出して、「これが受け入れられなければ辞任する」と大見得を切った。が、その内容は「プロ野球構造改革協議会を設立する。有識者会議で今後のことを検討する」といった官僚的発想の問題先送り案に過ぎず、選手会を納得させられなかった。本人は誰かの指示で選手会を恫喝したつもりだったのだろうが、貧乏くじを引いて辞任に追いやられた。その根来氏には、「今辞めたら退職金は幾らになる?」と部下に訊いていたという噂話がある。「何をかいわんや」である。彼はまさに選手会のSTRIKE(ストライキ)突入で、空振り三振のSTRIKE・OUT(ストライク・アウト)になった。球界自体がストライク・アウトで三振しないよう、その昔に野球少年だったボクは切に望んでいる。
[平成十六年九月]
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