都筑大介「ストップ・オーバー」への読者の声




THさん〔大阪・高槻市、経営コンサルタント〕
 パート・パートで感想が違ってくる。最初の方は作者が何を描こうとしているのかが分かり難い。中程に来て純の錯綜した日常からただならぬ気配を感じて引き込まれるが、「なぜ両親は早くブロイーズに気づかないのか?」ということがずーっと悩ませる。それは、(純を救って欲しい)と読み手が願うからだろう。後半に入って、入退院、クスリを止めた振りをして陰で服用する患者の姿を見て、ドラッグの恐ろしさをまざまざと感じる。この時に、「この本は特に都会の若者に読ませるべきだ」と強く感じた。そして、純の旅立ちの衝撃と、その背景と周囲の人たちに与える意味合いが克明に描かれている最後の方は、感動を与えつつ一気に読ませる力を持っている。終章を読んで、主輔の心の整理が一応ついたのだということを感じ、これからの主輔の生き方に何かしら明るいものを感じた。「ストップ・オーバー」という題名からして、エリートコースを途中下車した主輔のことも印象に残るかと思ったが、純の苦悩とドラッグの恐ろしさが呑み込んでしまった。とにかく、第二・第三の純をというか、ドラッグ患者を作り出さないためにも、若者に対する警告書として世の中に必要な書物であると確信する。


FHさん〔宮城・仙台市、飲食店経営〕
 涙が出そうになりました。心療内科やクリニック。安定剤に睡眠剤。カウンセリングという言葉を、今では日本人も日常生活で普通に使うようになってきた。私、以前に軽い失語症にかかって、笑いながら「どうして私、ここにいるんだろう?」と疑問を持ちながらクリニックにいた。最近も動悸・不眠症・不安感に襲われてクリニックへ行ったの。でもそこで、「先生はいったい私に何をしてくれるんだろう?」「私の気持ちなんて分かるわけないのに」と思って……。先生に「将来への不安もかなりありますね」なんて言われて、「あんたにそんなこと言われたくない!」なんて心の底で睨みつけてた。じっくり読んでみて、凄い小説だと感じました。父、母、妹、友人、医者。私は登場人物の全てに自分を当てはめて読んだような気がします。その場所・時・様子が、見てもいないのに浮かんできました。帯文の「優しすぎたんだ、あの子は……」の意味も分かりました。言葉ではうまく表現できませんが、素晴らしい小説だと思います。読み終わって本を閉じる時に、「悲しい・寂しい」というより「温かい」気がした……。そう感じました。


YSさん〔川崎・宮前区、古希の青年〕
 最近は殆ど本を読まず、読んでも遅いので一週間はかかると思っていましたが、三日で読み終えてしまいました。読み始めると素晴らしい内容につられてつい読み続けていました。特に感じたのは、同じような情景が出てくるが決して同じ表現や言葉を使っていないことです。必ず違う言い回しで異なった描写があり、充分に興味をつないでくれました。


MMさん〔横浜・金沢区、僧侶〕
 父と子、夫婦、祖父の愛の関係がよくまとめられ、人に感動を与えることでしょう。純が自ら命を絶たねばならなかった気持ち、主輔の罪の心。悲しいが、これが現実の世界なのでしょうね。終章の「時」に関する記述、七十五年を生きてきた私にとって理解できる気がします。最後の「父さん、お義父さん。純をよろしくお願いします」は主輔の心の叫び。涙が自然と頬を伝います。


YKさん〔広島・呉市、ペットショップ経営〕
 本はほとんど読まないせいもあるが、恥ずかしながら難しい漢字が多くて、最初は読むのに苦労した。だけど、途中からどんどん惹き込まれて一晩で読み終えてしまった。文章もうまいけど、内容にぐっときて涙ぐんでしまった。


ABさん〔千葉・美浜区、自由業〕
 本人も意識しないうちに薬物中毒になってしまった純、及びその家族が悶え苦しむ様子が克明に描かれている。主輔は純の一連の事件を、自分が「他人を傷つけ、周囲の人たちを騙してきた報い」であると思い込もうとしている。私にはその辺りのことがピンと来なかった。また、たとえ市販薬であっても、覚醒剤的効果があると認識しながら、なぜ純はそれにのめり込んで行ったのか、なぜもっと早い時期にやめられなかったのかをもっと知りたいと思った。純も学も結構楽しい学生時代を送っている。何がきっかけで普通の学生たちとは違う道にすすんでしまっただろうか? 女性に失恋したから、または三角関係に耐えられなかったから、というのでは余りにも安易過ぎる。父親の長期単身赴任も特殊ケースではない。純に「大学を卒業したくない。就職したくない」と言われて母親が動転し、初めて異常に気がつくというのも、ちょっと腑に落ちない。もっと早い時期に純は何らかの信号を発していたはず。それを見過ごしてしまった故に、純を後戻りできないところまで一人で行かせてしまった……。それがどんな信号であったのか、読み手としては主輔の苦悩をより理解するためにも是非知りたいところ。それにしても、しっかりした文章で状況が客観的に表現されている。風景・景色の描写も的確で、その様子が目に浮かぶ。


CYさん〔大阪・中央区、飲食店経営〕
 読みすすむうちに段々真剣になり、最後は涙を流しました。月曜日に京都へ行く用事が出来たので、本の中に出てきていた永観堂へ行って来ようと思っております。


TNさん〔静岡・三島市、新聞店経営〕
 難しい漢字が多くて少々苦労をしましたが、一気に読み切りました。最初のうちは過去の自分と重ね合わせ、知らないうちに広中主輔になっていました。胸が詰まって、つい泣いてしまい、今もその感動が残っています。


SKさん〔北九州・戸畑区、バードウォッチング講師〕
 感動の連続で、一気に拝読させて頂きました。この本は、決して、ゆっくり楽しみながら少しずつ読む本ではありませんね。ただ最後は、読み終わって葛城愛彦先生と同様に何か肩の力が抜けてすがすがしい気持ちが残り、本当に広中家の幸せを祈る気持ちになりました。「家族の絆の深さ・尊さ」を教えて頂いた。今のこの世の中、毎日のように家族がらみの殺人事件。もはや話題にもならない。沢山の人が(ある程度レベルの高い層が読者になると思うが……)この本を読んで、「家族の絆」の素晴らしさを再度考えてみる機会が出来れば良いなとつくづく思った。「家族の絆の深さ・尊さ」は何にも優る美しいものである。
 作者は言葉に対して感覚が鋭く、読んでいてリズム感が出て滞らない。だから一気に読める。読み易い。メンタル・クリニックの「葛城愛彦先生」を持ってきたことは構成上のヒットだと思う。さらに受付の「美里」。何で彼女の名前が出てくるのか、文中でどんな風に絡むのか、ちょっと別の楽しみがありました。出てきましたね、最後のクライマックスに。美里の大きな音のお陰で広中のPTSDが分かる。フィナーレにごくスムースに入って行けました。思わず「うまい!」と感心しました。それから、疑問が一つ。学は、初めて病院に入る前にどうにもならなくなって「父さん助けて!」と父の胸に飛び込んだが、純は自ら父の胸に飛び込んで行けなかったこと。そのあたりの作者の意図するところが分からなかった。


TMさん〔東京・北区、会社役員〕
 プロローグから第二章までがかなり読みづらく、少し読んで後は明日にしよう、その明日になると前の日に読んだ部分を忘れていてまた最初から、と数回これを繰り返していました。しかし、第三章以降は、本に引き込まれるように、あっと言う間に読み終えました。展開も素晴らしく、感銘いたしました。我が家でも子供との葛藤があり、あの時はこうしてやればよかったのにと悔やむことがあり、作中の主輔になって読んでいる自分に気がつきました。この本が頑張り、第二作目にお目にかかれることを楽しみにしています。


MKさん〔東京・練馬区、会社役員〕
 平生は娯楽本しか読んでいない小生にとって久々の重く硬い本でしたが、先を読まずに入られないほど迫力がありました。とはいえ、内容を全て理解し共感するには、小生の頭は錆びてしまっていることが残念です。著者がテーマとして取り上げた家族愛の濃さは、小生にとっては、真似したくてもとても出来ないほど濃いものですが、また、その濃さの故に、互いに意識せずとも重荷になってしまっていることの怖さというものが見事に描かれているように感じました。ただ、純の主輔に対する憎しみの感情は、薬によって生まれた幻想なのか、それとも通常潜在意識として多かれ少なかれ息子は父親に対して持つものなのかと考えると、小生は、多分後者ではないかと思います。それが万一顕在化した時にどのような事態に展開してゆくか、その時になってみなければ分からないのが現実でしょうが、親子の情愛の濃淡によって対応の差が結果に良くも悪くも出てくることのように思えます。今ひと言申し述べますと、「母親和代の心理描写がやや不足気味」という感じがしました。折角の力作なのにもったいなかったと思います。


RIさん〔静岡・伊東市、ボランティア活動家〕
 理想的な父、いや、もしかしたらそうなろうとしていた父と、それに応えようとしていた息子の物語。「ストップ・オーバー」は直木賞が対象とする大衆文学かと思っていましたが、芥川賞の範疇に入る純文学でした。格調高い文体で、一部に池波正太郎を匂わせながら大江健三郎を思わせる部分もあります。私自身、実父を幼時に戦争で失ったため、父親とはこうあるべきという姿を、自分にもこうした父が欲しかったという思いを心に描いて息子に接してきたと思います、手探りで。それが正しかったのかどうか? 今でも息子の生き方を見て、私の育て方に責任を感じることがあります、広中主輔ほど劇的ではないにしても……。また、この本の対象読者は当然広中主輔年代、つまり青春期の息子を持つ父親の年代ということになり、それに対応した文調になるのが自然なのでしょう。
 主人公「純」の死は、第十八章のモノローグでかすかに予想されます。しかし、読者には親友である河合学によって知らされます、静かに……。そこに作者の深い悲しみが読めます。この結末をどう解釈すればよいのか、私には分かりません。でもこれを読んで、「私の悩みなどくだらない」と思い知らされました。


KWさん〔広島・賀茂郡、レジャー施設運営〕
 一気に読み終えてショックを受けた。あまりにも壮絶な世界が際限なく展開され、やるせなさがヒシヒシと伝わり、胸の底にどーんと重くのしかかってきた。(果たして自分がこの境遇に置かれたら……)と思いながらどんどん引き込まれた。カウンセラーの蕎麦屋のシチュエーションがいい。キャラクターが上手く生かされている。落し込み表現の中で好きなところは、早期退職を告げるシーンと息子の終焉。前者はいともあっさりあの一言で済ませていること、後者はいきなりポンと友達が結果を知ってしまう展開。気になったのは、父子それぞれが胸の内・生き様を切々と表現している箇所。表現においてもう少し差があって良かった。大学生である息子はやはり父に比べ幼い訳だから、表現を柔らかくするとか現在氾濫している若者言葉を引用すれば少し息抜きになったのではないか? いずれにしても、主人公の胸の内の思いを別世界から引用し表現される数々のシーンは詩情豊かで素晴らしい。それと、主輔にとってのサラリーマンの宿命、その留守を預かり子育てに専念する妻和代の並大抵ではない苦労。古来よりある「妻は夫にかしずき家を守る」という日本の家庭の美しい形を守り通す信念が切々と伝わって感動した。


TSさん〔福島・二本松市、石油製品販売会社経営〕
 「ズンとくるショック」と「何とも言えない温もり」が感じられた。気持ちの揺らめきや変化が丁寧に描けている。しかし、じくじくした私小説ではなく、読み終わってホッとした。平凡で幸せと錯覚している一家に突然襲いかかる非日常の出来事。「兆候はあったんだろうか?」「あれがそうだったんだろうか?」と思いあぐねて自らを責め続け追い込んでいく家族達……。最も悲劇的なのは、息子も自らを責め続け、家族中が底なし沼に嵌り込んでいることだろう。根幹にあるのは家族愛。その肉親の情が悲劇を増幅し、救いももたらしているのか? 肉親の愛情に恵まれなかった父主輔は、人一倍幸せな家庭・家族を夢見て粉骨砕身している。自らに厳しく、冷静に状況を分析し、「考えて考えて考え抜いた通りに進めば全てが上手くいく」と信じていたようだ。四十代後半は男にとって自信が漲ってくる年代。しかし、自分が描いた絵の通りに周りが動いているような感覚の陰で、得るものがあるだけ失うものもあると思う。事実と真実。真実が分からないままに無為に時間が流れていくのは、プライド高い主輔にとっては地獄だろう。でも真実と思うものが真実とは限らない。曖昧なことが真実なのかも知れない。事実に意味を持たせる行為は自傷行為のようにも思える。しかし、親子って、肉親って一体なんだろう。DNAを思うと、結局は主輔と結びついてる父や祖母、それに義父までが主輔の心の原点。拠り所の人たちが支えてくれている。「周りの人たちを大切にする」ことが自分も救われることになるのか?


MFさん〔宮城・仙台市、ボランティア活動家〕
 この作品の最大の魅力は一気に読ませてしまう吸引力にあります。周到に(或いはごく自然に)用意された伏線が読み手に様々なシーンを予感させ、読者を物語の中に引き込んでくれます。そんな小説技法に加えて、ノンフィクションの醸し出す迫力が読み手の心を揺さぶってくれます。身構えずに肩肘張らずに、心が、あるがままに写し取られているところに味わいがあります。日常に潜む侠気と恐怖を白日の下に晒し、対峙し、悲しみを乗り越えて歩まざるを得ない人間の切なさ。底知れぬ悲哀から転じた憤りを何処へぶつけてよいのか途方に暮れてしまいます。純のモノローグは、その文体と言葉遣いにより生身の本人の声として聴こえてきます。第十三章「ミスティスフィア」での純のモノローグは、本物の純が書き手を超えて声を発しているとしか思えません。この創作で最も成功している点と思われます。また第十二章「神立つ春」の中で純が羅列書きした文章は、狂気が詩的なレベルまで高められているのでは……と見紛うほどで、深層心理を探りたくなります。尚、美緒の上品な美しさと健康的な日々がより具体的に描かれていれば、純が抱え込んでしまった狂気が更に際立ったのではないかと思います。一方和代はよく書き込まれていて、温かみが伝わってきます。さらに第二十章「慟哭」での、純が自殺を決意したことへの葛城の分析には説得力を感じます。そして終章の、「父さんありがとう。皆で頑張ってね」との純の挨拶に、温かく穏やかな涙が溢れ出ました。