1:許されない夢
―大嫌いだ。
俺を縛り付ける規律が。
(毎日の行動は決められたとおりに進む)
俺の定められた未来が。
(俺にだって、やりたいことが、夢があるのに)
それを当然だと思う人々が。
(俺の人格を認めてくれている人はいるのか)
いや、
なによりも、
なによりも、
不満を抱えながら、なにも言おうとしない自身が…憎い。
言葉にしなければ伝わりはしない。
わかっているのに、言葉にせずに、腹の中で憎しみを溜め込んでいるだけの自分。
俺の弱さは、俺が一番知っている。
けれど、
これだけは言わなくてはいけない。
周りの視線が、父の視線が、今よりずっと厳しくなるのは予想がつく。
だが言わなければ、
規律に縛られ、未来に縛られ、人々…いや父に縛られたまま
俺は権力の座につくことになってしまう。
それだけは駄目だ。
信仰心の無い教団長など存在してしまったら、
本当にあれを信じている人々に失礼だから。だから―
「よろしいでしょうか、教団長」
自分から教団長である父の元に向かったのは初めてだったかもしれない。
これから父へ告げようとしていることを考えると、気が重くないはずは無かった。
しばらくの静寂の後、入室を許可する声が聞こえ、俺は戸を開け、一礼した。
「失礼します」
一歩だけ入室すると、俺は後ろで戸を閉めた。
そこよりも先に進むつもりは無かった。
緊張でごくりと喉を鳴らした。だが、いつまでも沈黙しているわけにもいくまい。
意を決して、口を動かした。
「今日は、どうしても言っておかねばならないことがあり、伺いました」
父は正面の座椅子に座っていた。俺のほうをまっすぐ向いている。
だが、俺は目をあわすことができなかった。
とはいえ、一度話し出すと、ずっと考えていたことだからだろうか、
思っていたよりもスムーズに言葉がつむがれていく。
「俺の将来のことです。俺は、教団長の第一子ということで、
将来は教団長になるようにと言われてきました。
ですが、俺は教団長になる資格は無いと思っているのです」
いい加減、腹をくくれ。
自分にそう言い聞かせて、思い切って顔を上げた。
父は厳しい顔つきで俺を見ている。
だが、その顔には見覚えがあった。
いつも見ている顔…しかめた面をした鏡の中の自分。
嫌でも血のつながりを感じた。
「俺は教団長になりたいと思ったことが無いからです。
それよりも、自分のやりたいことをやりたいと思い、
本来ならば教えを学ぶ時間を使い、自分のやりたいことについて勉強していました。
そんな男が、教団長になるなど、信じている人々に対して失礼だと思うのです」
ヒュオッ!
鋭い風が頬を掠めた。
父の怒りの象徴だろう。
予想していたからだろう、俺は動くことなく、父を見つめたままだった。
「何度教えた。
お前に選択肢は無い。
お前は私の跡を継ぐために生まれてきたのだ。
確かにお前の言うとおり、そんな考えのまま教団長になられたら困る。
だが、教えたはずだぞ。
お前は風を崇め、人々を導く、そんな人間になるべきだ、と。
お前に思想の自由は無いのだ」
俺は目を伏せた。そうだ、いつもそう言われていた。
普段の態度でわかりきっていたのだろう、俺が信仰をする気など無いってことを。
…そんなのおかしい。
言葉にはならなかったが、口はそう動いた。
しばらく静寂が続いた。
「それで」
父は静かに言った。声だけでは怒っているのか、そうでないのか判断できない。
「お前は、なにをしたいと思っているのだ?」
「!」
心が軽くなった。
話を聞いてくれるだけ、譲歩してもらえたという喜びが、心の中に生まれた。
自然と声色も軽くなる。
「それは、珠術の研究です!」
刹那。
俺の視界は反転した。
次に気がついたときには、薄暗い場所で横になっていた。
正確にはその前にもぼんやりと意識はあった。
だが、その記憶は靄(もや)がかかっているようにはっきりと思い出せない。
覚えていること…それは、
たくさんの大人に取り囲まれていたこと。
それぞれが、怒り、俺を否定し、責めたてていたこと。
それから…この体がなんとか耐え切れるだけの、暴力の応酬。
なぜ。
なぜ、こんなことになったのか。
わからない。
「気がついたか、ベイリル」
とっさに、体が縮こまる。当然だ。
入ってきたのは、父だったのだから。
そして、また顔をヴェールで隠した何人かの教団の人々。
多分、その素顔は俺も知っている相手だろう。
「何故、私たちがこんなことをしているかわかるか?」
わからない。
だが、そう答えることもできなくて、ただ俺は俯いていた。
「風こそがこの世界を救った唯一の元素。それを崇め、畏怖するのが我々の教え。
その教団長の跡取り息子とあろうものが、他の元素に心を奪われるなど…
言語道断だ」
静かに、人々が自分を取り囲んでいくのがわかる。
「先ほどまでのは、お前が今までやってきた罪への罰だ。
考えを改めろ。そして、また教団長に相応しくなるための修業をするのだ」
ずっと、思っていた。
俺はどうして風の教団長の息子に生まれてきてしまったんだろうと。
風の教団の教えを知れば知るほど、疑問が膨れ上がってくる。
なぜ、そんなに風を高く見るのか。
他の元素は風に劣っているのか? 元素は全てが平等ではないのか?
全てが連なって、はじめて、世界は構成されているのではないのか。
かつて、大破壊と呼ばれた災害が世界を襲った。
そのときに、世界を救ったのが風の守護を受けた聖女だったと言われている。
その聖女の子孫は今もまだ血を保ち、ある村で崇められていると聞く。
聖女の功績は素晴らしいことだと思う。
だけど。だからって、どうしてそれだけで風が唯一絶対だという考えになるんだ。
なにか他の理由があるのかもしれない。
だったら、他の元素の研究をして、風を高く見る理由を知りたい。
それが、俺が、珠術を研究したいと考えるようになった理由だった。
もし、俺が本心を隠して、YESといえば、それで終わったのかもしれない。
だが俺はどうしても、そう言えなかった。
他の元素を見下すような考え方に共感できないと思いながら、
それを正しいことと説くなんて
そんなこと、許されてはいけないと思った。
だから、俺は言った。
俺は、風を崇める根拠を知るために、他の元素の研究をしたい、
ただ盲目に信仰することは、できない、と。
その後のことは、思い出したくない。
ただ毎日、厳しすぎる説教が早く終わることだけを願って生きた。
彼らはそれで、俺の考えが変わると本当に思っていたのだろうか。
だとしたら、愚かだとしか思えない。
俺の考えは確かに変わった。
人々を救う言葉を紡ぐ者たちも、本当の姿はこんなものか、偽善者め、と。
数日ののち、俺は父に尋ねた。
「研究をしたいという気持ちは諦めます。
でも、どうしても、教団長になりたいとは思えません。
どうか、俺をここから追放してくださいませんか?」
このとき、俺がどんな顔をしていたのかわからない。
本心は狂気で一杯だっただろうから笑っていたのは確かだけれど、
そんな顔で頼んだって許してはもらえないだろう。
だからきっと真面目な、あるいは惨めな顔で言っていたに違いない。
ああ、やはり同じ血が流れているんだな、彼と。
だが、次の言葉は少々言うのを躊躇った。
「俺よりも、モルガンのほうが教団長に相応しいでしょう。
貴方もよくご存知のはず」
俺には弟がいる。
とても聞き分けがよくて、教団の教えを信じ、だが教えとは違い決して高慢にはならず、
毎日修業に励んでいる奴だ。
一言で言えば、とてもいい子。
そんな弟に、跡取りを押し付けるのは、気がすすまない。
だけど、俺は絶対に、教団長にはなりたくない。いや、なれない。
なにかが、すでに壊れてしまったのがわかっていたから。
―憎い。
俺を縛り付ける規律が。
俺の自由を奪う人々が。
自らを絶対に正しいと信じる人間が。
いや、
なによりも、
なによりも、
あの男が憎い。
あの男の血が流れているこの身など、滅びてしまえ。
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