1章 後悔
あたりは暗かった。
しかし、ヴァイザであろうものが放っていた黒い気とは違っていた。安心できる闇が広がっていた。
あたりをうかがえば虫の声がする。生物の気配がする。深い森の中なのであろう。
また、私のすぐ横にはルファが倒れていた。
ルファをゆすってみる。
「んー…」
反応があった。ルファの様子を伺おうと顔を覗き込んだ。
やがて、ルファは薄目を開けた。ぼんやりと、私を見ているようだ。
「!」
突然、その表情が引きつると、逃げようとしたのか、わずかに後ずさった。
「クシィよ、大丈夫だから」
そういってみたが、ルファは動揺した声を出すばかり。
「あ、だめ、ク、クシィ、私、私…」
言葉は聞き取れても、何を言いたいのかはわからない。私のことはわかっているようだが…
仕方なく、彼女が落ち着くまで待つことにした。
時折、声をかけたり、さすってあげたりして、ようやくルファの震えは止まった。
「歩ける?」
ここにいつまでもいるわけにはいかない。
話も聞きたかったが、まずは休んでからのほうがいいだろう。
ルファをなだめている間かすかな光を見つけたのだが、それがなにか大体予想はついていた。
あの状況下で、私たちが身を寄せられる場所を特定して飛ばしてくれたエル先輩のことを思い、
私は胸がつぶれそうだった。
ルファは小さくうなずいて、ふらふらと立ち上がった。
光に近づいていくと、見覚えのある光景が広がっていた。
ルファがしげしげとそこにある小屋を見つめる。
「ここは…」
「私の師匠、エータの家よ。ここで休みましょう」
なるべく優しく声をかけたが、ルファは顔を背けてしまった。
家に師匠はいて、私たちを迎え入れてくれた。
すぐに事情を話そうとした私を止めて、休むように言ってくれた。
しかし私は、ルファを寝かせた後、知っている限りの事情を話した。
「つまり、私の知っていることは、ヴァイザが復活したことと、城のものが全滅したこと…それだけです」
そう話を締めくくると、師匠は眉をひそめた。
「復活の理由や現在状況は全く不明ということだね」
「…はい」
「ふむ」
師匠は窓を開けた。
「この近辺にまだ異変は出ていないな。さて、どうしたものか…」
わからないことだらけで、どうしたらいいのか、どうするべきなのかそれすら私にはわからなかった。
「師匠。そもそも、ヴァイザとはなんなのですか。私は物語としてしかそれを知らないのですが…」
師匠は振り向いて、首を振った。
「そうだね。物語にもある、彼の力と彼が実際に存在していること。それしかわからないんだ」
そこまでいうと、師匠は一息ついて、つぶやいた。
「危険かもしれないけれど、情報を集めたほうがいいかもしれないな…」
「情報ですか?どうやって?」
「この島より西に大陸があるそうだ。
そこならば、我々とは違う記録を持っている人々がいるかもしれない。
もちろん、持っていないかもしれないし、すでにヴァイザの手が伸びているかもしれない。
あまり確実性はないね」
私は沈黙して、師匠の言葉の意味を考えた。
「つまり、私が大陸へ行くってことですよね」
「それでは、私が与えた任務のようだよ。私が行っても構わない」
師匠は少し困ったような表情をした。
しかし、私は決意を固めていた。
「いえ、私が行きます。大陸への行き方を教えてください。ルファを、お願いします」
翌朝、私は森を西に進んでいた。
西に進むと、島のはずれにでる。
島の周りは海岸か山になっていて、その境を探せば、大陸へつながる洞窟があるとのことであった。
しかし、森は険しい。
森に生息する、大型昆虫や人食い花がやたらと寄ってきてなかなか先へ進めない。
体力がどんどん消耗されていくのがわかる。
「いったい、いつ島のはずれにつくのかしら」
愚痴も思わずこぼれる。
剣で、あるいは輝術で襲ってくるものたちをなぎ払いながら私は突き進む。
息が上がってきても手は休めない。
休めばきっと、押し切られてしまう、と自分に言い聞かせながら突き進む。
と、急に体が軽くなった。
「え?」
あたりをうかがえば、いつの間にかルファがいた。
「なんでここにいるの!?」
「私も、行く。私にも働かせて。だって…」
そこまで言うと、ルファは言葉を詰まらせた。
私も何も言えなかった。
なんとなく、気づいたから。いや、すでに気がついていたのかもしれない。
ヴァイザの復活に、ルファが関わっていることを。
「ところで、今、体が楽になったんだけど、ルファ、何かしたの?」
ルファの言葉とは関係が無いことをあえて聞いてみる。
しかし、ルファはうつむいて消え入りそうな声で言った。
「うん、体力を回復できる術みたい…これも、私の罪なのかな…」
特に、後半はほとんど聞こえないような声で。
私も、聞こえなかったことにした。
やはり、一人より二人のほうが先に進むのは楽である。
「それにしても、遠いわね」
「う、うん。そうだね」
私の言葉にルファは少しずつ反応するようになっていた。
しばらくすると、ルファからも話しかけてきた。
「なんだか…変なにおいがする」
確かに、変な香りだった。生臭い匂いである。
「ああ、海の香りよ」
まあ、知らない人間からすれば、海の香りは妙なものに感じるのだろう。
その矢先、いやな予感がした。
「? どうしたの、クシィ…?」
私は険しい表情をしたのだろうか。ルファが不安そうに私のほうを見た。
しかし、ルファに答える余裕が私には無くなっていた。
感じた気配は、城を滅ぼした、あの気配に似ていたから。
「逃げるわよ!」
叫んだのと、ルファの手を引いて走り出したのとどちらが先だったかはわからない。
恐怖とか不安とか名付けられる感情が私を支配していた。無我夢中だった。
しかし、あの気配は私たちの頭上を通過して、行く先に降り立った。
「へぇ、オレサマに気がつくなんてな、人間のくせにやるじゃねえかよ」
現れたのは、見た目14,5くらいの青年だった。
しかし、邪悪な気配をまとい不敵な笑みを浮かべている。
「ヴァイザの…手のものなの!?」
ルファがぎゅっと私の腕をつかんだ。私は声が震えているかもしれないと思った。
「ああ、オレサマはガンマ。ヴァイザに言われて城からの逃亡者を追ってきたってわけよ」
彼の声色には威圧感がないが、その言葉の意味を考えると、危険な状態は明らかである。
私はやむなく身構えた。
「お、やろうってのか」
「ルファ、下がってて」
ルファが下がったのを確認すると、すぐさまありったけの力をこめて輝術を放った。
「スパーク!」
「うぉっ!」
ガンマは私に突撃してきていた。しかし、私の攻撃をかわそうとして身を反らせた。
回避は間に合わず、彼に輝術は直撃し、無理な回避行動のためバランスを崩したように見えた。
これなら、いけるかもしれない。
一瞬、安堵を感じた間にガンマが視野から消えていた。
「え!?」
「クシィ、後ろに!」
ルファの声で後ろをむこうとしても、ときすでに遅く、私は背後から一撃を食らった。
「くはっ!」
視点がぼやけた。けれど、それに構っている場合ではない。
ガンマがいるであろう方向を向き、状況を見極めようとした。
体が軽くなる。ルファの援護だということはわかった。
「ルファ、ありがと」
習得の経過はどうであれ、助かったことには変わりないのでお礼は言った。
「あの人、何か唱えてる!」
ルファは私には特に答えず、注意してくれた。第二撃目がこないと思ったら、そういうことか。
ガンマの周りには、あのどす黒い邪気とは違う、黒い光が集まっている。
「俺さまからの情けだぜ。受け取りな!」
そしてガンマは、術らしきものを発動させようとする。
まずい、どうすればいい!?
…と思ったときには大爆発が起きていた。
「あれ…?」
無事なの、私は。
辺りを見れば、地面がえぐれ砂ぼこりが舞っている。砂を吸ったせいか、のどがガラガラする。
地面の状態から見て、爆発の中心はガンマのあたりだ。
「なんて、魔力だよ…冗談じゃねえ…」
ガンマがふらふらと立ち上がった。様子を見る限り、かなり消耗しているようだ。
「命拾いしたな、お前ら…!」
その言葉が終わるとともに、彼の姿は掻き消えた。
安心して、どっと疲労感が押し寄せてくる。
「今のは、なんなんだろう?」
ルファがもっともな意見を口にした。
「大丈夫か〜」
煙の向こうから声がした。
私は返事もせず、そちらのほうを見るだけにとどまった。
心がもやもやとして答える気にならなかったのだ。
ルファが私と声のほうをきょろきょろしている。
「ん、大丈夫みたいだな」
声の主が現れた。少年のようだった。
私は、答えず彼を見据えていた。ルファは困った顔で私を見た。
「ありがとうございました、助かりました」
私が何も言う気がないのがわかったのか、ルファは彼に礼を述べた。
それでも私は何も言えない。
「ん、もしかして、俺余計なことしたかな?」
「わからない、クシィ、急に黙っちゃって…」
不思議そうな顔をする二人を前に、私は自分がどうして黙り込んだのか考えた。
余計なことではない。助かったのは事実。
けれど、彼に感謝の感情が生じてこない。生じてくるこの嫌悪感は…
やっとわかった。私の中にあるのは、猜疑心。黙っていても伝わるわけではないので、それを告げた。
「こんなタイミングよく現れて…油断させようというんじゃないでしょうね」
一瞬、彼の表情が凍りついたように見えた。でも、その次の瞬間には大笑いを始めた。
「なるほどな、さっきのヤツの仲間だと思われてたのか。それじゃあ、冷たくされて当たり前かもな」
「そんな、せっかく助けてくれたのに疑うなんて…」
ルファが言う。彼女の言葉は奇妙なものに聞こえた。
「いや、警戒するのはあっていると思うぞ。下手に信じて、手のひら返されるってことはよくある話さ」
少年の言葉は、私の考えの肯定だった。それでも、彼を信じるのは危険だと思ってしまう。
「じゃ、失礼するぜ」
あっさりと彼は、私たちを通り過ぎて、森のほうへ向かった。
「ちょっと待って。どこへ行くつもり?」
思わず私は呼び止めた。
「別に。ただ、この島の冒険に来ただけだし、全部見て回るつもりだけど」
そういえば、彼とは初対面である。別のところから来たということか。
「大陸の人?」
ルファが尋ねた。彼はうなずく。
「まぁ、あんたたちを助けて、あわよくば島のこと教えてもらおうって下心があったのは認めるよ」
誰も聞いてはいないのに、彼はそんなことまで口にした。
信用したわけではないが、
もし彼がヴァイザの手のものであったとしても、これを教えることは全く問題がないだろう。
「この島は壊滅状態よ。落城してしまって、私たちはわずかな生き残り」
「なんだって!?」
驚きと、何かを考えている、ふたつの表情が彼に浮かんだ。
「そうか…それなら、冒険の価値は低いな…」
それから、私たちを見て、口を開いた。
「あんたたちはどうするんだ?」
「大陸に行こうと思ってるの」
正直に答えるルファ。私は頭が痛くなった。
「大陸へ?どうやって。俺は、ここまで船で来たけど…壊れたけどな」
「抜ける洞窟があるんだって」
またまた、正直に答えるルファ。私は最初に止めなかったのを後悔した。
案の定、彼に不敵な笑みが浮かぶ。
「なるほど、じゃあ、そこを案内してくれよ。代わりに大陸に着いたら、大陸の案内するからさ」
話的には悪くは無い。だが、共に行動すること自体が危険だと感じる。
「危ないから、ダメ…だと思うよ」
ルファが言った。私の考えがわかっているらしい。
「一緒にいたら、貴方も巻き込まれるかもしれないもの」
「え?」
違った。ルファの考えは、私とは正反対に近かった。
「そんなのわかってる。ヤバイと思ったから、最終兵器を島の入り口で使ったんだぜ?」
「最終兵器?」
ガンマに大ダメージを与えたあの攻撃は、兵器だったのか。
「ある研究所…いや、あいつに襲われていたあんたたちに隠してもしょうがないな。
ヴァイザについての研究所で開発された、ヴァイザに対抗するための兵器さ」
「知っていたの、あいつがヴァイザの手の者だって!?」
私の頭は興奮からか真っ白になった。
「知っていたわけじゃない。ただ、ヴァイザの気配を漂わせてたからさ。
正直、参ったね。ヴァイザの部下で人型をしているのを見たのは初めてだ。
最悪の事態になっているかもって思った」
ルファが息を呑むのがわかった。私は意を決して言った。
「…私たちは、大陸でヴァイザのことを調べようとしているのよ」
「そうか」
彼の反応はそれだけだった。あまりにあっけないので、つい尋ねてしまう。
「それだけ?」
「じゃあ、決まりだ。大陸まで行ったら、今度は俺が研究所まで案内する。それでいいだろ?」
…断る理由がなくなってしまった。ルファなど、すでにうなずいている。
「俺はタウって言う。大陸の冒険者だ」
タウは笑顔を浮かべた。
「じゃ、道案内頼むぜ、おふたりさん」
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