彼女の安息が終わった日
 

空には暗雲が立ち込め、今にも嵐が来そうな雰囲気をかもし出していた。

そんな中、ひとりで野原を歩く、影。

それは、少女だった。



「うわあ〜…すごい、すごい!」

風はかなりの強さになっており、空の雲も激しく動き、みるみると様子を変えていく。

しかし、少女は恐れることなく、むしろ嬉しそうに、空を見上げていた。

黄色のワンピースも、明るい栗色の長髪も、風に煽られて乱れているというのに、

それを気にすることも無く。

彼女は手を広げ、ほんのり笑顔を浮かべ風を受けていた。

「わっ!」

突風が起きて、夢見心地だった少女は我にかえる。

とすん、と地面に腰を落としてしまい、スカートに土がべたりとついてしまった。

「あ、またやっちゃった…お父さんに怒られるかな」

土を落とそうと、手で払うが、土は水分を含んでいたため、

落ちるばかりか、ますます布地に広がっていった。

「もっと汚れちゃった…」

どうしたものかと濃茶の瞳を丸くして、小首をかしげていたが、やがてすっくと立ち上がった。

「もう綺麗にはできないし、気にしないようにしよう!」

無邪気に笑うと少女――ネオンは再び風に身を任せた。



「ぴいー」

ますます強くなっていく風。

その音はかなりの大きさだが、その合間から何か別の物の音がすることにネオンは気がついた。

「ぴいー…」

高音だが、震える声。哀しげな声だとネオンは感じた。

「なんだか、わたしまで悲しくなっちゃうよ」

初めて聞いた音なのに、それを声だと理解し、感情移入までした彼女は、

声の主を探すため、歩き出した。


声がだんだん大きくなってくる。

ということは、間違いなく声の主に近づいているということだ。

だが…

「こ、ここなの…」

森の入り口で、ネオンは足を止めた。

止めたというよりは、足がすくんで動けないといったほうが正しい。

この森には、ネオンの大嫌いなクモ、しかもかなりの大きさのものが出るのだと聞かされていた。

恐怖で、涙が濃茶の瞳を濡らす。

嵐の前触れでぐちゃぐちゃになった身なり。

恐怖でぐちゃぐちゃになった顔。

かなり情けない姿で、彼女はしばらく立ち尽くしていた。


怖い。

なんとか自分を奮い立たせて、足を踏み出そうとするが、

その足は震えて結局元の位置に戻ってしまう。

「やっぱり行けないよ…」

つぶやいて、森に背を向けると、今度は良心が痛んで去ることもできない。

どっちつかずの状態で、しばらく立ち往生していた。

「ぴいいーっ!」

突然、声が悲痛なものに変わった。何かが起こったのだろう。

その途端ネオンの中から、恐怖心などは一気に吹き飛んで、

彼女なりの精一杯のスピードで声の元へ走り出した。


「はぁ、はぁ…」

大きな木の下で、ネオンは荒く息をしながら立ち止まった。

辺りはかなり薄暗くなっていて、かなり奥まで来たのか、

あるいはいよいよ嵐が本格的になってきたのか、どちらかであった。

ネオンが立ち止まったのは、声の主がここにいると確信したからである。

「ぴ…」

案の定、近くで声がした。

ネオンは上を見上げ、目を凝らし、声の主を探した。

大木の中くらいよりは下のほうの枝の分かれ目に、動いている小さな水色のなにかがいた。

「大丈夫?」

言葉が通じない可能性など、全く考えずにネオンは声をかけた。

「ぴっ!」

上にいる水色のなにか―少なくとも生物だろう―は、かなり驚いたようだった。

おそらく瞳であろう、黒くて丸いものを大きくして鳴き声を上げる。

よく見れば、体から小さな翼らしきものも生えているが、それも小さく縮こまっていた。

ネオンは、じっとその様子を見た。

怖がっているのだろう、と彼女なりに考えた結果、そう思った。

どうすれば安心させられるだろう。そこまでのいい案は思い浮かばなかったが…

「だいじょうぶ?」

もう一度、ネオンは小首をかしげて尋ねた。

水色の生物はじっとネオンを見つめかえしている。

「どうしたの?降りられなくなっちゃったの?」

心底心配な気持ちが伝わったのか、やがて生物はゆっくりと頷いた。

「そうなんだ…待ってて。そこに行くよ」

木登りなどしたことも無いのに、ネオンはそう言って、木の幹に手を回した。

大きな木なので、なおのこと登るのは難しい。

手も足も、おまけに顔も汚れ、服も破けたが気にすることも無く木登りをした。

あまり力も体力も無いので、その速度はかなり遅かったが、確実に生物へ近づいていくことができた。


「ぴー? ぴー!」

ネオンが生物の横にたどりつき、枝の分かれ目に腰をかけ、生物を抱きしめると、

最初はふるふると震えていた生物も、すぐに安心して落ち着いた声で鳴き始めた。

「かわいい…」

そんなことを言いながら、ネオンは暢気にその生物の頭を撫でた。

撫でられたほうも気持ち良さそうに目を細め、嬉しそうに鳴いている。

「あれ?」

頭を撫でていれば、嫌でも気がつくが、その生物の額には小さな円錐形のものがついていた。

「なんだろう、これ…?」

不思議そうに触ってみるが、生物は嫌ではないらしく、そのまま素直に触られていた。

「ねえ、あなた、名前なんていうの?」

ネオンは相手をどう呼べばいいか困り、尋ねた。

しかし、相手は鳴き声を上げて、首をかしげるだけである。

「困ったなぁ…なんて呼んであげればいいんだろう」

ネオンは水色の生物を見ながら悩んだ。

そして、単純明快な考えに至った。

「ね、ぴーちゃん、って呼んでいいかな?」

すると生物はコクリと頷いた。どうやらこちらの言葉は通じているらしい。

「ぴーちゃん、どこから来たの?」

「ぴいい…」

悩むところでも無いはずなのに、生物は困った声で鳴いた。

困るのはネオンも同じである。

「困ったなぁ。どこに連れていってあげればいいんだろう?」

そうつぶやくと、ぴーちゃんはネオンの肩に飛び乗った。

「え?」

その行動に、ネオンは一瞬面食らった。そして、その意味を考えた。

「もしかして、一緒に来たいの?」

「ぴ」

こくりと頷く生物。

ネオンは少しだけ悩んだが、ぴーちゃんの望むように、家に連れ帰ることにした。



「ただいま!」

なんとか無事に森から戻ることができ、いよいよ本格的な嵐になってきた中をネオンは歩いてきた。

「おかえりなさいませ」

「!」

格式的なこのあいさつで出迎えたのはこの家に仕える使用人のチタだった。

かさかさ、とネオンは思わずあとすざりをした。彼女はチタが恐いのである。

チタは命令されたらどんなことでもやってのけそうな冷たさを持っている男だ。

ネオンはそのことを薄々だが感じ取っていて、

チタもまたネオンのことを嫌っているらしく、接し方の恐さは常人に対しての四倍増しである。

しかし今日のチタは、ネオンの方へ珍しく歩み寄りつくり笑いを浮かべた。

「無事お帰りになって安心しましたよ。まずは中にお入りください。ずぶぬれではないですか」

いつもと違う反応に、ネオンはあっけに取られた。

チタは笑顔を貼り付けたまま続ける。

「ネオン様。もうすぐ12歳におなりですね。何かほしいものはありますかな?」

ますますいつもからは考えられない対応にネオンは目を丸くした。

ただし、チタの笑顔が作り物だとは全く気付かない。

「え? わたしになんかくれるの」

「ぴぴー」

ネオンはチタの考えが理解不能のまま、問い返した。

水色の生物がなにか不満そうな声をあげたが、チタは全く気にせず、笑顔を広げた。

「ええ、12歳の誕生日は、一人前になられるお祝いですから」

「ネオン。またやらかしたのだな」

チタの言葉を遮ってきたのは、ネオンの父親のレニイだった。

その後ろには兄のリホルもいる。

「あ…ごめんなさい」

ネオンは小さくなって謝った。

やれやれとレニイは見てわかる大きさのため息をつき、言った。

「とりあえずお風呂に行きなさい。着替えの準備などはやっておくから。

あちこちをその状態で歩き回られると、汚れて困るからまっすぐ行くように」

「はーい」

ネオンは素直に従おうとした。

「ちょっと待って」

リホルが口を挟む。彼の視線は水色の生物に向いている。

「それは、なんだい?」

「ぴ」

ネオンは髪を揺らして兄のほうを見た。

「この子? ぴーちゃん。森で鳴いてて、ついてきたいみたいだから連れてきちゃったの」

リホルはネオンの元に歩み寄ってきた。

並んでみると彼の髪とその生物の色がよく似ている。

色白の手で、リホルはそっとぴーちゃんとネオンが呼ぶ生物の頭を撫でた。

「これは…ドラゴンの子供じゃないか。親は、どうしたんだ?」

リホルの問いに対して、竜の子は首を振った。

すぐさまリホルは頷いて答えた。

リアクションだけのやりとりに、ネオンはついてこれず、目をぱちくりとさせて両者を見比べる。

「ネオンはゆっくり風呂に入ればいい。この子はその間に僕が世話しておくから」

ネオンはしばし考えたが、ぴーちゃんがドラゴンというものだということを見抜いた兄に

任せることにした。こくりと頷いて、彼に手渡す。

「じゃあ、いってきまーす」

そして、ぱたぱたと足音をたてて、ネオンは風呂場へと向かっていった。


「やれやれ」

それを見送ったレニイはとりあえずソファーに腰をおろした。

彼はいつまでたってもネオンが帰ってこないので気をもんでいたのだ。

「父親の心境、ですかな」

チタの言葉にレニイの表情は厳しく変わる。

彼はせっせとネオンの作った水溜まりの掃除をしているが、口調は冷たい。

「覚えていらっしゃるでしょう?ネオン様の誕生日がもう少しだっていうことを…」

「覚えている!」

レニイの口調はとたんに荒々しくなった。そしてソファーから立ち上がると、

「余計な事言わずに掃除終わらせておけ!」

と言い残し、黒いスカーフを翻して入口の部屋をあとにした。

とり残されたチタはニタニタと笑みを浮かべ、つぶやく。

「あの方に感情があったとは…驚きですなあ…くくく」

二人のやりとりを見ていたリホルも目を伏せると、大部屋から去っていった。



夜がふけていく。嵐は、ますます激しくなって、風雨の吹き付ける音が家の中を支配していた。

「しかし、ネオンの嵐好きには困ったものだな」

リホルの部屋に押しかけてきたネオンに対して、開口一番に彼は言った。

ネオンはよく理由はわからないというが、嵐が近づくと喜んで飛び出していってしまう。

幼いころから注意していたが、いっこうに治らないので、今では皆諦めている。

「だってー。風は気持ちいいよ。雨も気持ちいいよ。雷はきれいだよ」

そう言いながら、正式にピリオドと名付けられた竜の子をネオンは撫でている。

時折、羽などを引っ張ってしまっては、抗議の鳴き声を上げられながら。

「そうか…」

リホルはそう言ったきり、黙ってしまった。

いつもならば、この話題になると長い話になるので、ネオンはどうしたんだろうと、

彼の顔を覗きこもうとした。しかし、顔を伏せているのでよくわからない。

「どうしたの?」

声をかけられて、ようやくリホルは顔を上げた。

なんでもない風を装っているつもりだが、

真剣そのものの顔つきのため、ますますネオンは不思議に思う。

「とにかく、ピリオドを連れて自分の部屋に戻るんだ。俺はやることがあるからな」

それだけ言うと、ネオンがなにか問い返す暇を与えない勢いで、部屋から追い出しにかかった。

あえて留まる理由も無いので、ネオンはおとなしくそれに従って部屋を出た。



翌日の朝には嵐も過ぎ去り、外のものがすべて光り輝いていた。

「…きれいだねー」

早起きをしたネオンは、すっかり一晩で仲良くなったピリオドを抱き、景色の美しさに感動していた。

「ぴぴー…」

ネオンの部屋は村の屋敷の二階の一角である。

その窓辺からは村全体を見下ろすことが容易にできた。

村は金属で出来ているため、金属特有の鈍い輝きを見せていたし、残された雨の雫も光っていた。

レニイはこのコキ村の村長である。つまり、ネオンはここの村長の娘なのだ。

大切に育てられたのもあって、基本的にのんびりやで、温和な性格に育った。

そこが村人たちにも好かれている。


「いってきまーす」

朝食が終われば、またネオンは遊びへ行く。今までと違うのは、ピリオドという遊び仲間が増えたことだ。

「ああ」

「いってらっしゃい」

リホルは無愛想に、レニイは優しい笑顔で送り出す。

「……………?」

ふと、レニイの笑顔が寂しげなものに見えて、ネオンは違和感を覚えた。

しかし、普段の笑顔とどう違うのか、考えてもわからない。

そこで、ネオンは考えることをさっさと諦めると、村人たちと明るい挨拶を交わしながら、村を出ていった。


ネオンの姿が見えなくなると、レニイは自分の部屋へ引きこもった。

リホルは大きな荷物を自分の部屋でまとめると、深い深いため息をついた。



ネオンの今日の外出先は、湖だった。

ピリオドに湖というものを見せながら、他愛も無いおしゃべりをする。

ネオンは朝食後、散歩に出かけ、昼に一度戻り、また散歩に出かけるという生活を繰り返していた。

3時間ほどおしゃべりをすれば、昼近くになる。そこで村に戻ろうとしたとき、リホルが現れたのだった。

やたらと大きい荷物を背負って。

「お兄ちゃん、どうしたの? どこか行くの?」

その問いに対して、リホルは神妙な顔で頷いた。

「ああ。村を出るんだ。ふたりで」

「ふたり?」

ネオンは彼の言葉の意味を理解できず、オウム返しをした。

いつもならば呆れた顔をされるのだが、今日はそんなこともなく、真剣な顔のまま、彼は頷いた。

「ネオンと俺とで村を出て、ツリ城下町へ行こう」

そして、突然、非日常的な提案を口にしたのだった。

当然ネオンには何のことだか理解できない。

「説明はあとでする。とにかく、一刻も早くツリ城下町へ向かうんだ」

そうは言われても、突然普段とは違うことをしろと言われても納得はできない。

何故、村を出なくてはいけないのか、知りたい。

それに、このまま別のところへ行くならば、その前に父親や村の人たちに挨拶をしたい。

ネオンはそう考えて、訴えた。

だがリホルは頑なに、それを拒否した。

10分ほど押し問答をしたあと、しぶしぶネオンは兄のいうことを聞くことにした。

そして、自分の知らない道をリホルに導かれて歩いていく。



しかし、30分も経たないうちに、ネオンの耳に爆音が響いてきた。

音のほうを見ると、それは自分たちの背後、すなわち村のほうであった。

そして、黒い煙が見える。

ネオンは嫌な予感がし、さらに心臓がバクバクと音を立てた。

「お兄ちゃん、今の音、なに?」

リホルにも、あれだけ大きな音なのだから、聞こえていないわけはないのだ。

それなのに彼はなにも答えず、もくもくと歩き続けている。

「お兄ちゃん!」

ネオンがいくら呼んでも、彼は無視しつづける。

それは、あの爆音が何か知っていて、しかもそれから逃れるために

自分たちは城下町に行くことになったのだと、頭の回転が良くないネオンでも想像がついた。

「煙が立っているの、村なんだよね? お兄ちゃん、こうなるの知ってたんだよね?

どうして、どうしてみんなで逃げなかったの?!」

そう非難しても、リホルは答えようとはしない。

ネオンは立ち止まった。

「なにも教えてくれないなら、わたし、見に行く! お父さんやみんなが…」

みんながどうなっているのか想像できたが、それを口に出すことによって本当のことになってしまいそうで

これ以上言葉にすることはできなかった。

「…だめだ。ネオンが戻ったら、全て無意味だ。

いつか本当のことを話す。だから、今日は黙ってついてきてくれ」

「イヤ! お父さんー!」

リホルはネオンに言い聞かせたが、それは非情な言葉に過ぎず、

ネオンはそれを受け入れられず、涙声で叫ぶと、一目散に元来た道を戻り始めた。

だが、体力差のため、すぐにリホルに追いつかれ、抱きしめられた。

「ネオン。父様も、村のみなも、ネオンを守るために村に残ったんだ。

その気持ちを無駄にするつもりか!?」

ネオンは次々と涙をあふれさせ、顔も紅潮してきた。

「ぴー…」

ピリオドが、ネオンの涙をぺろぺろとなめるが、その程度でふき取れる量でもない。

理由はわからない。でも自分のためにみんなが危険な目に遭っている。

自分が戻ったら、みんなの気持ちが無駄になると、頭ではわかった。でも、納得などできなかった。

「離して! 戻るの! 村に戻るの!」

その泣き叫びはヒステリックになり、抱きかかえられたままネオンはリホルの腕の中で暴れた。

「ぴぴー、ぴぴー」

ピリオドも小さな声でゆっくりと鳴く。まるでネオンをなだめるかのように。

リホルはただ詳細は言わないまでも、落ち着いてくれ、わかってくれと、ささやき続けた。

しかし、その声は、錯乱状態に近いネオンには届かない。

父の名を、いつも親しくしていた村人の名を、ひたすらに叫び続けている。


やがて、リホルは唐突に抱きかかえていた腕を離した。

ネオンは腕から逃れようとしていたので、勢いづいて、倒れ掛かった。

だが、なんとか地面に激突せずに踏みとどまると、

今起きたことを一瞬では理解できず、濃茶の瞳をまるくして、驚きの表情でリホルのほうへ振り返った。

リホルは、もともと表情が豊かではないが、いっそう表情を硬くしていた。

そして、静かに言った。

「わかった。戻ろう。お前は俺が守るから」

その言葉の裏に、壮絶な決意があることをネオンは気付かず、

ただ、戻ることを認めてもらえたことを嬉しく感じただけだった。

「うん、ありがとう、お兄ちゃん!」

そして、再び道を駆けはじめた。



村に近づくにつれ、どんどん焦げ臭い香りが強くなってくる。

村に着いたときには、村はあちこちから火の手があがり、荒れ果てていた。

その中に父親の姿を見つけ、ネオンは駆け寄ろうとした。

だが、すぐさまリホルに抱きとめられて、家の残骸の陰に隠れさせられた。

「上を見ろ」

ネオンが抗議の声をあげるより早く、リホルが静かな声で言った。

言われるがままに、視線をレニイの上のほうへやると、そこには、あのチタが浮かんでいた。

「レニイ様…タングス様はお怒りです。よりによってコード12を逃がすとは。

失敗者…いいえ裏切り者というべきですね。裁きを受けなさい」

距離はまだそれなりにあるため、チタも、レニイも表情までは見えない。

しかし、二人の発する声は低く、凄みを帯びていた。

「たしかに私は裏切り者だ…だが…この村の者たちには罪はないだろう…すぐにこの火を消せ!」

様子からして、レニイはかなり消耗していることが予想できるが、言葉に弱さは無かった。

毅然と村人たちのことを庇い、チタを責め立てた。

「いけません。おめおめと逃げられたのですから。彼らも同罪ですね」

チタの声は嘲り笑う雰囲気を持っていた。

ネオンは、再び彼への恐怖を思い出した。

いつから恐怖を覚えるようになったのか、思い出した。

――チタと始めてあったときである。なんとか記憶にある、程度の幼いころのことだ。

あの日、チタはネオンを抱き上げ、見つめてきた。その目は不気味な笑いを浮かべていた。

ずっとそれに怯えていたのだ。今の今まで。そして今もまだ。

自然と体は震えていた。それをすかさずぎゅっとリホルが抱きしめる。

チタに見つかってはまずい。状況がそれを示している。

だからネオンは泣き叫びたい気持ちや、今すぐに父親のもとへ飛び出したい気持ちを必死に抑えた。

「フン」

しかし、チタの雰囲気に呑まれる気配は全く無いレニイは、対抗するかのように笑った。

「何がおかしいのです?」

チタの声が不機嫌に響く。

今にも死にそうな男が…と気に入らないようにつぶやく。

「おめおめと、逃がした、から同罪…? ならば、お前だって、そうだろう? お前も、一緒に…」

衰弱してきたのだろう。レニイの言葉は途切れ途切れだった。

しかし、その言葉の内容はチタを馬鹿にしたようなもの。レニイに向かってチタは黙ったまま炎を放った。

「ぐっ…」

炎が直撃し、レニイから力が抜けて倒れるのが遠目でもわかった。

「おと…!」

耐え切れず叫びそうになったネオンの口を、即座にリホルがふさぐ。

それからリホルはすぐにチタへ視線を飛ばし、気付かれていないか確認した。

幸い、チタの様子に変化は見られない。

「見苦しい…」

チタがつぶやいた。その声は侮蔑、怒りを複合したようなものだった。

指摘されたくないところだったのかもしれない。

それは、突然態度を変えたことからも推測される。

「さて、私はそろそろタングス様の所に戻りますから…では、安らかにお眠りください」

今までのような敬語でチタはつぶやき、そしてあっと言う間に姿を消した。



しばらくして、リホルが腕を離した。

すぐさまネオンはふらふらしながらもレニイの所に向かった。

レニイの表情が硬くなる。

「ネオン、なぜ戻ってきた…? リホル、お前というものが、ありながら」

もうその声には勢いが無い。だが、レニイは当然の追求をしてきた。

ネオンは首を振った。お兄ちゃんは悪くないの、わたしのわがままを許してくれたのと涙声で言う。

「おとうさん…理由はわからないけど、こんなことになったのはわたしのせいなんでしょ。

こんなことされるのわかっていて逃がしてくれたのに、のこのこ帰ってきてしまって嫌な子だよね。

でも、どう思われてもいいの。わたしはお父さんの娘だから。

お父さんを見捨てたままどこかへ行くなんて、できないよ。

ねえお父さん…お父さん! 死なないで!」

ネオンの叫び。レニイの顔つきが、寂しさであふれていく。

「ネ…ネオン」

それだけ言ってレニイはぎゅっとネオンを抱きしめた。

彼の体は冷たかった。

その意味を知って、ネオンからは熱い涙がとめどなく流れた。

「すまない…すまない…」

この言葉は村人にいったものか、ネオンに言ったものか。

それはわからないが、その言葉を最後に、レニイは静かに眠りについた。

ネオンの絶叫が、廃墟と化した村に響き渡った。



そして。

「もう、いいのか?」

慟哭が止まったとき、リホルは静かに尋ねてきた。

すでに日は落ちて、闇が降りてきはじめていた。

「…」

すぐには言葉を発することはできず、ネオンはただこくりと頷いた。

魂の抜けたような、無表情で、ただ、大きな目と頬が赤くなっている。

リホルはそんなネオンに近づくと、なにかを差し出してきた。

ネオンはそれを見て、胸がしめつけられるほど苦しくなった。

「お父…さん…」

それは、レニイがいつも右の小指にはめていた赤い宝石をあしらった指輪だった。

父親は二度と帰ってこないのだということを再認識させられて、胸が悲しみでつぶれそうになった。

複雑な顔をして、リホルとその指輪を見比べたが、やがて手を伸ばし、それを受け取った。

そっと自分も右手の小指にはめようとした。しかしそれには大きすぎて、

ネオンは人差し指にようやくそれをはめることができた。

瞳を閉じて、指輪をした手を胸に組んで、そっともう一度つぶやいた。

「お父さん…」


風が静かに焼け跡を撫でていた…







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