子供とあゆむ足跡から


第1集 小学校の歳時記

 季節ごとにみられる学校や子供達の様子を、文章にしてみました。自治会通信に掲載したものを再録しています。(’96年度作成)。


【1996年5月号】

 自然の営みが季節ごとに移り変わるように、人々の営みにも季節を感じるものが多くみられます。 新春の風景の第1番は、満開の桜に見守られての入学式。ピッカピカの一年生、約90名が近くの小学校へと新しく通い始めました。 在校生にとっても、クラス替えがあったり、担任の先生が変わったりと大きな環境の変化があります。 そして迎える一回目のクラス懇談会。親にとっても、先生にとっても、この”関所”をこえて、ようやく一年のペースが見えてきます。


【1996年6月号】

 新しい教室にもそろそろなれてきたこのころ、クラスが変わった学年では、新たな友達の輪を作り始めます。 昔のようなガキ大将がおらず、近所づきあいも少なくなったこのごろでは、なかなか友達と一緒に遊べない子どももいます。 親も、習い事などを多く押しつけたりせずに、お誕生日会を開くなど、それとなく友達作りのバックアップをしてあげることが必要になっています。  親も参加した友達の輪、これができれば、いじめもへっちゃらです。


【1996年7月号】

 数年前から、9号棟の入口にツバメが巣を作るようになりました。最初はいたずらで巣をこわされたりもしましたが、その後はみんなに暖かく見守られるようになりました。今年も、無事子育てを終え、数羽のひな鳥とともに巣立っていきました。 小学校の教育の中にも、自然や街の観察が多く取り入れられています。中学、高校と進学するにつれて、教室の中での勉強ばかりになってしまう今の教育制度では、学校の外に出かけての観察は貴重な体験となっています。 目をかがやかせて報告する子供たちの話を、親も熱心に聞いてあげたいものです。


【1996年8月号】

 オリンピックと同じく連日のごとく報道されるO−157による食中毒。7月下旬になって都筑区内でも小学生の発病が確認され、子供たちが楽しみにしていた夏休みのプールは全面的に閉鎖されてしまいました。 集団生活の安全をまもることの難しさを、改めて考えさせられます。休み中に感染の広がりが下火になってくれることを祈るばかりです。 活動の場を限られた子供たちの、元気なエネルギーを発散する機会を、少しでも多く作ってやれたらと思います。


【1996年9月号】

 夏休みが終わり、9月が始まると学校は運動会の練習で忙しくなります。最近は、他の行事との関係で、春に運動会を実施する学校も増えていますが、クラスに親しい友達が増えた秋口に実施するのは、子供にとっても楽しみなものです。 いろいろな種目の中で、先生方も子供たちも、いちばん時間をかけて準備や練習するのが、学年ごとの団体演技です。毎年、工夫を凝らした振り付けや演出などに、苦労のあとが見られます。最近は、ズーム付きのビデオカメラを構え、演技そっちのけで、わが子の姿ばかりを追う親が増えています。徒競争の順位に一喜一憂するだけでなく、団体演技もしっかりと観賞し、家に帰って子供達といろいろな感想を話し合って行けたらと思います。


【1996年10月号】

 学校に関することは母親の分担であるかのように、父親の姿を学校で見かけることはなかなかありません。最近は少しずつ変わっているようにも見えますが、母親の仕事が空かずにしかたなくという理由が多いようです。 懇談会やPTAの委員会は母親によるものであり、運動会が唯一父親が学校へ集まる機会であるというのが、多くの小学校における現状です。 でも、子供たちにとって見れば、父親が学校にきて自分達の姿を見てもらえることは、大変にうれしい事です。それは、子供との共通の話題を増やす事にもつながりますし、父親の子育てへの貢献を拡大する事にもなるでしょう。 いまの子供たちは、親の世代とは違った環境の中で学校生活を送っています。親の価値観を押しつけるばかりでなく、子供の目の高さで物事が判断できるようになるには、両親そろって学校に足を運ぶ機会が増えることが必要に思われます。


【1996年11月号】

 秋になると、運動会をはじめとして、社会科見学、芸術観賞会、スポーツ大会等さまざまな行事が行われます。どの行事にも積極的に参加する子、週末の行事にはめったに顔を見せない子、いろいろなケースが見られます。 子どもたちは高学年になるにつれて、さまざまな個性が表に現れてきますし、ものごとの好き嫌いもはっきりとしてきます。それらの性格が、いろいろな機会にかいま見えるのは当然のことでしょう。しかし、小学生の年頃では、かなりの部分が両親の姿勢によって左右されているようにも思われます。 いろいろな行事に子どもを連れて積極的に参加することは、親にとっても子どもにとっても、自らが成長する良い機会なのかも知れません。特に、子どもの可能性は、無限大なのですから。


【1996年12月号】

 ひと昔前まで、受験ということばは、中学校や高校になってはじめて使われるものでした。しかし、最近では小学校でも当たり前のように聞かれます。この地区でも、卒業生の約3割が地区外の学校へと進学して行きます。 勤め帰りの遅い時間帯にサラリーマンに混じって、木枯らしの吹く中、背中を丸めて歩く小学生の姿をよく見かけます。これでいいのかなと思うことは、一生懸命がんばっている子供には禁句なのかもしれません。 でも、感性が豊でのびのびと生活できるこの時期だからこそ出来ること、もっともっと他にあるような気がしてなりません。


【1997年1月号】

 〜 もういくつ寝るとお正月 お正月にはたこあげて、コマを回して遊びましょ 〜
 正月の歌というのは案外少ないもので、子供達は今でも学校でこの歌を唄っています。でも、この歌詞にあるような正月の遊びを知っている子供は、何人いるのでしょうか。おもちゃ店にいっても、ファミコン、ミニ四駆、ゲーム機等が売り場を占領しており、冬休みになってもたこもコマも羽子板もなかなか見つけることはできません。 時代は変わっているからと言ってしまえば、それまでなのかも知れませんが、子供の時代にも伝えておきたいもの、もっともっとあってもいいように思われます。


【1997年2月号】

 男の子らしく、女の子らしく、男の子なんだから、女の子なんだから。わが子を相手に思わずこんな言葉を口にしてしまうという方は、決して少なくはないようです。 区別することと、差別することの違いをはっきりと理解することは、大人になっても難しいものです。特に、男女の区別についての意識は、まわりの環境にもかなり左右されます。 今、各地の学校では、男女いっしょにして50音順のクラス名簿をつくったり、男女混合で運動会の競技を行ったりして、少しづつ区別を無くしています。 でも、いちばん影響力のある親の意識を変えることが、もっとも難しそうです。


【1997年3月号】

 次に訪れる出合いの前に、3月はちょっとさみしい別れの季節です。新しい学校へと卒業していく子どもたち、学校は変わらないけれどクラスの友だちとはバラバラになる子どもたち。 別れること、出会うこと、このありふれた人々のいとなみの中で、私たちは多くのことを学び成長してゆきます。 他人との関係をつくりあげていく能力、これが子どもたちが成長して社会に出ていくときに、最も求められる能力の一つだと思われます。出来るだけ多くの経験をつむこと、これ以外によい方法はなさそうです。


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