子供とあゆむ足跡から
PTAに始めてかかわったころを振り返って書いてみました(’98年1月作成)。
【始まりは雑談から】
その日は、年が明けて早々の自治会の会合が終り、役員とくつろいで雑談をしているときでした。自治会長さんが、「PTAの設立準備委員会で会長候補者を探しているようだけど、どうやってみない?」と、話しかけてきました。その前の年に隣接地に新しい小学校が開校しており、開校準備やその後の行事などにも、自治会関係者としてときどき顔を出したりしていました。でも、PTAについては設立準備委員会が出来て活動していることを聞いていた程度で、PTAがどんなところかすら、良く知りませんでした。それで、自治会活動の延長程度で、困っているならお手伝してもいいかな、という気持ちで、「他にいなければ、いいですよ」と返事をしました。
すべては、ここが始まりでした。
しばらくして、準備委員会の中に作られた役員の推薦委員会より連絡があり、正式に会長推薦を依頼をしたいから、とのことで、正副委員長と担当の教務主任の先生が、家に挨拶にこられました。このときも、それほど大変なことを引き受けたとは少しも感じずに、いいですね、いいですよと、あっさりした受け答えだけで、特に具体的な活動についは、なにも話しませんでした。ただ、ものものしい雰囲気で挨拶にこられた方々を見て、ちょっと不思議な感じがしたのですが。
そのとき、上の子供はまだ2年生、下の子供は幼稚園生であり、学校がどんなところか、ろくろく知るよしもありませんでした。それから、入学式と運動会、日曜授業参観程度しか学校内へ足を踏みいれたことのないものが、学校教育というものにかかわっていくことになったわけです。
【正式に発足へと】
会長以下、役員全員の候補者がでそろったところで、いよいよPTA発足の総会が開かれることになりました。その総会直前に、他の役員候補メンバーとはじめての顔合わせが行われました。メンバーは、役員や委員を経験したことのある母親ばかりであり、学校側の先生を除けば、私だけが男性という役員構成でした。しばらくしてから、こんな男性が少ないアンバランスな構成にならざるを得ないのが、今のPTAが抱える大きな問題点だと思うようになりましたが、そのときは、そこまでの考えはめぐりませんでした。
そして、年度もおしつまった3月4日に設立総会が行われて、規約と役員候補者が承認され、新しいPTAの誕生となりました。その夜、準備委員会のメンバーや新役員が集まって、ささやかな設立祝賀会が行われました。そのなかで、PTAについてのいろいろなことを、始めて体験者から聞くことになったわけです。それまで経験してきた自治会との共通点も少なからずありましたが、学校というある意味で特殊な環境については、よくわからないことだらけでした。なんとなく理解できたことは、保護者代表とも言えるPTA会長は、学校や外部に対する直接の窓口となるため、出来るだけ男性に引き受けてもらいたかった、ということでした。決して差別をするわけではないにしても、いまの社会環境では、まだ女性ではむずかしい面が多々あるということでしょうか。そんなことで、多くの女性の経験者がいるにもかかわらず、まだ若造の私のところへと、お鉢がまわってきたわけです。祝賀会の中で、あいさつをさせられましたが、はっきりした目標や抱負もまだなく、とりあえず1年間はつぶさないようにがんばりますとの話しかできませんでした。
そんな状態で、とにもかくにも初年度のPTA活動がスタートしました。
【PTAとはなんだろうか】
何も知らない状態からのスタートでしたので、とにかくある程度の知識は仕入れておかなければいけない、ということでPTA関係の本を探してみました。でも、驚いたことに、これが全くといっていいほど無い! 本屋に行けば、いじめの問題、子育ての問題、学校教育の問題を取り上げた本はいくらでもあります。しかし、PTAそのものを取り上げた本は皆無でした。近所ではだめだと思い、仕事のついでに東京駅そばの八重洲ブックセンターに寄ってみました。ここの専門書はかなり充実しており、教育関係の本もいっぱいおいてあります。でも、その中から見つけることが出来たのは、わずかに数冊で、しかも内容は、とあるPTAの活動と行事をまとめただけのもので、あまり役には立ちませんでした。市の教育委員会からもPTAの活動記録のような冊子が、毎年学校に配られていますが、やはりPTAの実像については、なかなか浮かび上がって来ませんでした。これだけいろいろな教育問題が世の中で取り上げられており、ほとんどの学校にPTAがあるにもかかわらず、なぜなんでしょうか? このこと事態が、いまのPTAに対する一般の関心を表しているのかもしれません。
結局、一番役に立ったのは、設立準備委員会が参考資料にと出版社から直接とりよせた、「PTAの歳時記」という本でした。内容は、ルポライターの著者が各地の学校を取材して集めたもの、みずからPTAに関わって経験したものを、一年間の季節ごとに並べたもので、PTAのありのままの姿がよく描かれていました。
そのなかから、当時メモにひろったことばを並べてみます。
・先生と本音でつきあえるPTA
・PTAは教育にかかわる
・会議公開、傍聴歓迎
・子を責めぬ親になった
・ひとりで育てるのではない、まわりの人のおかげで子はそだつ
・出来ないことを並べず、出来ることをだしあう
・なにか困ったこと出来ないことがあったら、みんなの力に頼る
・個人攻撃をしないこと
・となりにさびしい子がいたら、わが子もかなしい思いをする
読みながら、ことの重大さがひしひしと伝わってきました。うすうすとうわさには聞いていた、委員決めのむずかしさ、活動へのかげぐち、こどものいじめ。今のPTAは、まさにそのまっただ中に置かれています。そして、こんな中で自分にできることがあるんだろうか、との思いもわいてきました。
とにかく、前へすすんでみよう、そんな始まりでした。
【いよいよ初年度の活動】
4月の始業式と入学式が行われた日の午後、役員による第1回目の運営委員会が開かれました。主な議題は、翌日に配布する予定の、各クラスでのPTA委員決めについての案内文の作成でした。私は当然のこととして、文の下案をつくって持っていきました。しかし、そのことに対して、皆からおどろかれました。それまでの委員会では、その場で黒板に文章を書きながらまとめていくのが普通だったそうです。そして、意見が出尽くしてなんとなく皆の合意が得られ、学校側の了解が得られたところで、印刷という手順になるそうです。私の感覚では、会議は議論と決定をするところであり、出席者の間のコミュニケーションや親睦は、別の機会におこなうものと思っていました。でも、PTAの会議は、普段合う機会が少ないもの同士のコミュニケーションをはかる場ともなっていたのです。会議が終わっても、しばらくは雑談ということが、この後もしばしばありました。
そのときは、第1回目でまだまだ議論を活発におこなえる雰囲気にはならなかったことと、私がワープロ打ちの原案を用意していたことで、とくに大きな変更はなく翌日に全家庭に配布されました。当時の私の思いがかなり現れていますので、ちょっと長いですが、そのまま原文をのせてみます。
<新しいPTAをめざして> ご入学、ご進級おめでとうございます。1年間をかけて多くの方の意見を伺い、組織や規約の作成を進めてきた新PTAも3月4日に設立し、この春より初年度の活動をスタートすることとなりました。 準備の期間には、PTAの目的やあり方、活動の内容、委員や役員の選出方法などについて様々な議論がなされました。従来のPTAでは、役員・委員ばかりがいそがしくなかなか引き受ける人が見つからない、委員会の数が多く活動の目的がはっきりしない、小数の決まった人以外はなかなか活動に参加できない等の問題点が指摘されました。 そんな議論の中から生まれてきたのが、「子供たちの幸福な成長を願う」父母と教師のみんなが参加できる新しいPTAの姿です。 ☆初年度のPTAでは ・常任委員会を、各学級を単位とする学年学級委員会と、 等の方針を考えています。委員やお手伝いの登録制なども1つの手段として今後検討していきたいと思います。 しかし、本当に必要なことは、いかに会員の皆さんに積極的に活動へ参加していただけるか、また、いかに会員の皆さんにとって魅力的なPTAになれるかではないでしょうか。このPTAは、まだ形と大きさが決められただけの新しい白地のキャンバスです。多くの人が参加して、「みんなのPTA」をめざし、すてきな絵を描いていけたらと思います。 |
(その2へつづく)