★平成21年5月23日の東京道前会の総会でお聞きしたところによると
東京道前会は、十河先輩方のご尽力により昭和25・6年くらいには
あったのではないかというお話でした。
また、分かったことを順次載せて行きます<m(__)m>
★先日、ある方がご自宅にあった資料を整理してて、次のようなことが
分かりました、とお知らせくださいました。
それを読むと、道前会ならびに東京道前会の発足時の様子、
名前の由来等がよく分かります。
その方の許可を得てここに掲載します。(平成22年3月 記)
同窓会としての「道前会」が正式に発足したのは、昭和24年9月1日の
事である。もちろん、西条高校の前身となる各旧制・新制学校にも同窓
会組織は存在したが、これらが合同して発足したのが、この時である。
「道前会」という名称の源流をたどれば、旧制西条中学の校友会に遡る
ことが出来る。第2次大戦前の校友会は、戦後の生徒会に比定しうる組
織である。校友会たる道前会が消滅し、生徒会へと衣替えしたため、こ
の名称を同窓会組織が引き継いだわけである。
昭和25年に初めて道前会としての名簿を編纂、これが今日まで連綿と
続けられているのである。
昭和28年4月、道前会は初めて機関誌として「道前会誌」第1号を発刊し
ている。その2年後、第2号が発刊されたが、これに当時の道前会支部
一覧が掲載されている。
以下、当時の支部名を掲げるが(掲載順)、一読すると興味深い事実が
浮彫りとなる。すなわち、新居浜支部、松山支部、宇摩支部、今治支部
香川支部、広島支部、大阪支部、京都支部、東京道前会、倉敷レイヨン
四国工場支部、四国電力支部、住友金属別子鉱業支部、住友機械支
部、住友化学支部、富士紡壬生川工場支部および周桑支部(周桑支部
のみ準備中)。
お分りであろうか。企業支部を除いたとしても、その正式名称として
「支部」という文字を用いていないのは、当時は東京道前会だけだった
のである。
その理由を説明できる文献は発見出来ていないが、「東京支部」を名乗
らなかったのは、東京道前会を以て、本部に比肩しうる組織たらしめよう
とした十河信二先輩のご意志を忖度するに難くない。
この資料によれば、当時の東京道前会は以下のように記されている。
「会長 十河信二君(2回卒)・幹事代表 文京区西江戸川26新紀元社
佐山繁行君(25回卒)(電小石川4454)」。
これが文献で確認できる東京道前会の最も初期の機関である。
以上、お知らせいただいた原文を載せさせていただきましたが、去年の
総会で先輩からお聞きした、昭和25・6年の頃には東京道前会は存在
していたことも証明され、また、先輩たちが「東京道前会は単なる支部
じゃない」とおっしゃってた言葉の真意もよく分かりました。
本当に貴重な資料を有難うございました。
この後は、東京道前会のその後の変遷を纏めて行きたいと思います。